長編15
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心霊写真

窓から差し込む眩しい朝の光で須崎健太郎は目を覚ました。

時計を見ると既に八時を過ぎており、一瞬どきりとしたがすぐに今日が休日であることに気がつき、ささやかな幸せを感じながら軽い二日酔いもあってそのまま寝返りを打ち再び目を閉じた。

昨夜は、来月名古屋へ転勤する同僚の送別会だった。

一次会は会社の上司や同僚三十人ほどの参加者で大きな居酒屋に陣取ってスタートし、二次会は半分ほどの人数で別の居酒屋、最後は七、八人での三次会でお開きになった。

最後の三次会は後輩の女の子が知っているという小さなスナックで、特に予約はしていなかったのだが運よく他に客はおらず貸し切りの状態だった。

小綺麗な店と優しいママさんの対応が気に入り、その居心地の良さから終電ぎりぎりまで飲んで騒ぎ、最後は駅まで走って電車に飛び乗ったのだった。

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*********

美人で愛想の良いその店のママさんの事をぼんやりと思い出しながら布団の中でまどろんでいると、不意にベッドの横で断続的に蜂が飛ぶような振動音が聞こえた。

布団に入ったまま枕元のサイドボードに置いてあるスマホを取り上げ、表示を見ると昨夜あのスナックへと案内してくれた後輩の小島裕子だった。

「はい、もしもし須崎だけど。」

「あ、須崎先輩、まだ寝てましたか?」

彼女からの電話は、昨夜の三次会で撮った写真の中に変なものが写っているので見て欲しい、ついては今日の午後どこかで会えないかという内容だった。

健太郎は一瞬頭の中で、それなら週明けの月曜日にでも会社で話をすればいいのではないかと思ったが、今日は特に予定がなく、何より相手が普段から好ましく思っていた小島裕子という事もあってOKの返事をした。

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◇◇◇◇

約束の時間の五分前に裕子が調布駅の改札口を抜けると健太郎はすでに待っており、裕子は笑顔で手を振っている健太郎のところに走り寄るとぺこりと頭を下げた。

「須崎先輩、早いですね。今日は急に呼び出したりしてすみません。」

「いや、小島とデートできると思えばどうってことないよ。じゃあ、その辺のコーヒーショップにでも行こうか。」

ふたりが近くにある黄色い看板のコーヒーショップに入ると、土曜の昼下がりにしては意外に空いており、話がし易いように一番奥のテーブルに陣取った。

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「それで見て欲しい写真って何なの?」

健太郎がコーヒーカップを口に運びながら裕子に尋ねると、それまでにこにこと楽しそうに話をしていた彼女の表情が急に曇った。

そして横の椅子に置いてあった自分のバッグからピンクの可愛いケースに入ったスマホを取り出した。

「昨日の夜、『カレン』に行ったときの写真なんです。」

『カレン』は、昨日三次会で行ったスナックの名前だ。

裕子は指で画面の操作をしながらそれらの写真の説明を始めた。

「昨日は係長の送別会という事もあって結構写真を撮ってたんですけど、今朝起きて朝ごはんを食べながらその写真を見ていたら、『カレン』で撮った時の写真の内、何枚かに見たことのない女の人が写っていたんです。ちょっと見辛いですね。隣に行ってもいいですか?」

向い合せでスマホを差し出そうとしていた裕子は健太郎の隣に席を移し、肩を寄せてスマホを健太郎の前に差し出した。

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「撮った順で行きますね。最初はこれです。ここを見て下さい。」

『カレン』では、六人掛けの席を横並びでふたつ使って座っていた。

その写真は裕子が友人達と並んで自撮りしているのだが、その奥に健太郎とその同僚達が飲んでいる姿が写りこんでいる。

もちろんピントは彼女達の顔に合っているため多少ピントは甘くなっているが、裕子が指差したところ、一番奥に座る健太郎の向こう側、少し離れた誰もいないボックス席の辺りにおそらく濃紺のフレアワンピースを着た女性がカメラの方を向いて立っているのが写っていた。

しかしこの写真を見ただけでは、シャッターを切った時にたまたまそこに立っていた女性が写ったとしか思えない。

しかし昨夜は健太郎達の他に客はいなかったはずだが。

「あと三枚あるんです。」

次に裕子が示した写真には健太郎も驚いた。

その写真はカウンター側からボックス席を写しているのだが、写真の中心には、田中という健太郎の同僚が赤い顔をしてピースサインをしている姿が写り、その左側には健太郎が笑顔で映っている。

その健太郎の左側にはボックス席を区切る植木が置いてあるのだが、その植木と健太郎の間にワンピースの女性が座っているのだ。

もちろんそんな狭いところに体を寄せて誰かが座っていれば健太郎が気づかないわけがない。

彼自身、この写真を撮られた記憶はあるのだが、隣にそんな女性がいたという記憶は全くない。

「誰だろう?これ。」

ピントが合っていない一枚目に比べ、この写真ははっきりと女性の顔が写っている。

セミロングのストレートヘアにタマゴ型の綺麗な顔立ちの女性なのだが、健太郎には全く見覚えのない顔であり、無表情のその顔はそこだけ見るとモノクロ写真かと思うほど極端に顔色が悪い。

そして三枚目は、おそらく裕子がトイレの洗面台で自撮りしたものだろう、スマホを掲げて鏡に映っている裕子の背後にあるドアが十センチ程開いており、そこからあの女性の顔が半分ほど覗いているのが写っていた。

「『カレン』のトイレは完全に個室だから、私が入って内側から鍵を掛けたドアが外から開くはずがないんです。」

そしてまた何枚かの写真を繰り、またその手が止まった。

その写真は三次会がお開きになり、裕子が店を出るところで振り向いて、店の中を撮った写真だ。

写真の左側では健太郎が店のママとカウンターを挟んで支払いをしており、その健太郎の背後に数人の同僚達が店を出ようとカメラに向かって笑顔で歩いてくる様子が写っている。

その健太郎のすぐ後ろにいる男性の肩越しにあの女性の横顔が上半分だけ覗いており、その視線はママさんと健太郎に向けられていた。

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「とりあえず撮った写真をざっと見て気がついたのがこの四枚なんだけど、もっと大きな画面で細かく見ればもっとあるかもしれないわ。でもなんだか気味悪くてそんなことをする気にならないの。」

健太郎はもう一度その女性と彼がボックス席で並んで写っている写真に戻してじっくりと眺めたが、やはりその顔は全く記憶にない。

「小島も全く見覚えのない女性なんだね?」

裕子は横から健太郎の顔を不安そうな目で見つめて首を横に振った。

「一次会や二次会で撮った写真には全く写っていなかったんだよね?」

裕子は再び首を振った。

「須崎先輩も『カレン』で写真を撮っていましたよね?先輩のカメラに何か写っていないか見せて貰えませんか?」

裕子が言うように健太郎も『カレン』で七、八枚の写真を撮っていた。

しかしそれらは裕子をこっそり写したものなのだが、その大半は他の同僚達と一緒に写っており問題ないような気もする。

ここで変に隠すほうがどうかと腹を括り、自分のスマホを取り出して写真データを表示した。

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彼が昨夜の写真を一次会、二次会と順を追って一枚ずつ確認していくのを裕子も隣から肩に頭を寄せて覗き込んでいる。

「あれ?何だこの写真?」

『カレン』で撮った写真の中に彼の記憶に全くない写真が紛れ込んでいた。

それは店内から出入り口の木製ドアを撮った写真で、そのドアの前にあの女性がひとりで立っている姿だった。

この写真に写っているのはあの女性に違いないのだが、着ている服はグレーのボディコンシャスなワンピースで、半身に構えたポーズをとっている。

ピンヒールを履いたきれいな脚が目を引くが、着ている服が異なるだけでなく、この写真の女性は健康そうな顔色をしてにこやかな笑顔で写っていた。

「先輩、こんな写真いつ撮ったんですか?」

裕子が怪訝そうな顔で健太郎に問いかけたが、彼には全く思い当たる節はなく、裕子の問いに黙って首を横に振った。

奇妙なことに、その写真の前後に保存されている写真は全く同じアングルでボックス席に座りグラスを掲げた裕子達を連続で写しており、どう考えても一度席を立ちあがってドアのところで女性の写真を撮ってまた席に戻ってきたとは考えられないのだ。

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それらの写真の中に一枚だけ裕子の横顔をアップで撮った写真があった。

「え~っ、先輩いつの間にこんな写真を撮ったんですか?言ってくれればもっといい顔したのに。」

怒るかと思った裕子がどこか嬉しそうに言うのを聞いて健太郎は少しほっとしたが、もう一度その写真に目を落とした時に、その写真の奇妙な点に気がついた。

その写真の裕子は自分の顔の前にグラスを持って楽しそうに笑っているのだが、よく見るとそのグラスには縦に歪んだあの女性の姿が映り込んでいる。それはグラスの表面に映っているのではなく、グラスの向こう側にいる姿が見えているという感じだ。

健太郎は試しに自分の目の前にある水の入ったグラスを手に取って目の前にかざしてみた。

グラスを通して店内の様子が歪んで見える。それを踏まえてもう一度写真を見てみると、このグラスを通して見えるその女性はグラスの向こう側のテーブルの上に存在していなければこのように写らないはずだ。

奇妙だと思いながら、その他の写真を確認したが、他の写真には女性の姿は写っていなかった。

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「何者なんだろう?この女性。」

「気味が悪いわね。でも先輩が『カレン』で撮った写真全部に私が写っていたのはちょっと嬉しかったわ。」

裕子はそう言って健太郎の腕を取って肩に頭をつけた。

「小島、予定がなければ今日この後一緒に『カレン』へ行ってみないか?」

「『カレン』に?」

一次会から『カレン』まで健太郎と裕子はずっと一緒だった。

そして時折写真も撮っていたのだが、あの女性が写っているのは三次会の『カレン』で写した写真だけなのだ。

彼らふたりに何かあるというよりも、『カレン』に何かあると考えるのが普通だろう。

『カレン』のママさんだったらこの女性について何か知っているかもしれないと健太郎が考えたのも頷ける。

「いいですよ。じゃあ『カレン』が開店するまでの時間、お買い物に付き合って貰えますか?」

「ああ、いいよ。」

「やった。写真の女はちょっと気味悪いけど、おかげで今日はすごくいい日になっちゃった。」

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◇◇◇◇

「真紀ちゃんね。」

健太郎がカウンターのスツールに裕子と並んで座り、彼のスマホに残っていた店のドアの前で写っている女性の写真を見せると、『カレン』のママさんは即答した。

「でも健太郎君が何で真紀ちゃんのこの写真を持っているの?」

昨夜初めて来たのにしっかり健太郎の名前を覚えている辺りはさすが接客のプロだけの事はある。

ママさんのその質問を受けて、裕子はふたつのスマホに保存されている、女性が写り込んだ他の写真もママさんに見せた。

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*************

ママさんの話によると、内田真紀はこの店のチーママとして一年ほど前まで勤めていた。

美人であり、話し上手で色気もあった彼女はお店の常連達の人気者で、彼女自身も楽しく仕事をしていた。

健太郎のスマホに残っていた店のドアの前で撮った写真は、カメラマンの客が彼女を撮った写真で、しばらく店に飾ってあったものに間違いはないとママさんは言った。

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しかし一年ほど前、彼女は出勤途中に交差点で信号待ちをしているところへ居眠り運転のトラックが突っ込み、即死してしまったのだ。

早くに両親を亡くし身寄りはいないと言って独り暮らしをしていた彼女は、驚いたことにママさんを生命保険の受取人に指定していた。

ママさんはそのお金で彼女の葬式をあげ、お墓に納めたそうだ。

「今までこんな話は全くなかったから、きちんと成仏してくれているとばかり思っていたんだけど。」

ママさんは困ったような顔をして店の中を見回した。

「でもこうやって店の中を見ている限りでは全くそんな雰囲気はないのにね。」

健太郎はそう言って裕子から返して貰ったスマホでカシャっと店のフロアの写真を撮り、すぐにそれを画面に表示した。

「うわっ!」

スマホの画面には、はみ出すほどアップになった内田真紀の顔が写っていた。

肉眼では全く見えず、何の気配もなかったが、シャッターを切った時にスマホのすぐ前にいたという事だろうか。

「あ~、びっくりした。女性だったらもう少し写真への写り方に気を配って欲しいよな。」

「目の前でそんなことを言うと祟られるわよ。」

裕子が怒ったような顔をして、本気で健太郎に注意した。

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ママさんの説明通りだとすると内田真紀の霊は、彼女が亡くなって一年も経ってから突然その姿を現したということになる。

「須崎先輩、本当にこの内田真紀という人に心当たりはないんですか?」

裕子が健太郎の横顔を見ながら尋ねた。

「真紀さんが写っているのは、あのトイレの写真以外は先輩と一緒に写っているか、先輩が撮った写真じゃないですか。きっと何かあると思うんですけど。」

「そう言われてもなあ。」

健太郎はカウンターに肘をついてジントニックのグラスを弄びながら、困惑した表情を浮かべて内田真紀の写真を見つめていた。

「でもあのトイレの写真だけが例外というのならその理由を考えてみるのも手かな。もう一度あのトイレの写真を見せてくれる?」

裕子はスマホでその写真を表示して健太郎の前に差し出した。

前回見た通り、スマホを掲げて鏡に映っている裕子の背後にあるドアが十センチ程開いており、そこからあの女性の顔が半分ほど覗いている。ドア以外に写っている周辺の状況についてチェックしてみたが特に変わったところはない。

「あ、そういえば・・・」

裕子が急に何かを思い出したように、スマホで一枚前の写真を表示した。

その写真には、カウンターの前でにこやかに微笑んだ健太郎と裕子が並んで写っていた。

「これじゃない?席を立ってこの写真を撮って貰った後そのまま私はトイレに入ったのよ。須崎先輩と仲良く並んで写真を撮ったりしたから、きっと怒ってトイレまで私についてきて睨んでいたのに違いないわ。」

「そうなのかな。でも本当に俺はこの内田真紀という女性に面識はないんだ。」

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その時だった。

健太郎が手に持っていたスマホのストロボが何もしていないのに光った。

「うわっ!びっくりした。どうしたんだ?」

何かの拍子で横にあるスイッチを押してしまったのかと思ったが、カメラのアプリは起動していなかったはずだ。

しかし健太郎がスマホを見てみると、カメラのアプリ画面が表示されたままになっており、スマホの前にあるカウンターに並んだ酒瓶が写っている。

さっき店の中の写真を撮った時に落とし忘れたのだろうか。

とにかく今撮られた写真を確認してみた。

スマホの画面を上にして手に持っていたため、レンズはカウンター表面を向いていたはずなのだが、そこにはやや横を向いて裕子と会話している健太郎の顔が写り、その顔に頬を寄せるようにして内田真紀の青白い顔が写っている。

「何だよこれ。」

「先輩、お店を出ませんか?ここにいる限り真紀さんの幽霊に絡まれますよ。」

ふたりは申し訳なさそうにしているママさんに礼を言うとそそくさと逃げるように店を出た。

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◇◇◇◇

開店してすぐに店に入り、店には30分程しかいなかったため、外はまだ夜の帳がおりたばかりで、週末の路上は多くの人が行き交っている。

どこかで食事でもしようかと店を出たふたりが、並んで駅へと向かって歩いていると、大きなスクランブル交差点で歩行者用信号が赤に変わった。

「あ・・・」

信号待ちで立ち止まったところで、健太郎がいきなり声をあげた。

「どうしたんですか、須崎先輩?」

「さっきママさん、内田真紀は一年前に出勤途中の交差点でダンプカーに跳ねられて死んだって言っていたよね。」

「うん。」

「たぶん、俺、その場にいた。」

「えっ?」

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◇◇◇◇

一年前のその日、健太郎は取引先との打ち合わせを終えてこのスクランブル交差点を通りかかった。

そこには人だかりができており、その向こうに救急車の赤色回転灯が見えている。

何事だろうと近寄ってみると、ダンプカーが歩道に乗り上げて信号機の柱にぶつかって止まっており、そのすぐ横に救急車が停まっていた。

そして、その健太郎の目の前を白い布が掛けられた担架が救急車へと運び込まれていったのだ。

「あれが内田真紀だったんだ。」

「それじゃあ、全く無関係というわけではなかったのね。」

「でも通りかかっただけで、見も知らぬ赤の他人であることには変わりないんだぜ。」

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◇◇◇◇

「ねえ、須崎先輩。」

結局お酒が飲みたいということでふたりは個室のある居酒屋へ腰を落ち着けた。

「私、思ったんだけど。」

いつもは元気な裕子が黙って目の前のお好み焼きをつついている様子を健太郎が見つめていると、不意に彼女が話し始めた。

「真紀さんは、お店に出勤しようと交差点に立っている時にいきなりダンプカーに跳ねられて即死しちゃったでしょう?だから本人は自分が死んでいることを理解できず、そのまま霊となって交差点に立っている時に須崎先輩が通りかかったのよ。

その時に彼女が先輩に対して何をどう思ったのか分からないけど、幽霊となった彼女はそのまま『カレン』に出勤して霊体のままずっと店にいるんじゃないかな。

そして、昨日と今日はあの時交差点で見かけた須崎先輩が店に現れたから、思わず絡んできちゃったんだと思うの。」

内田真紀が何を思って健太郎に絡んできたのかは分からないが、きっと裕子の憶測はそれほど違っていないのだろうと健太郎は頷いた。

「それであれば、俺はもうあの店に近づかないようにするよ。内田真紀があの店で地縛霊のようになっているのであれば、こちらから近づかなければ大丈夫なはずだよね。」

「うん、私も近づかないようにする。先輩とツーショットを撮って彼女に睨まれちゃったからね。」

裕子がそう言って笑うと、ふたりはスマホにある内田真紀の写り込んでいる写真をすべて削除した。

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◇◇◇◇

しかし事はこれで終わらなかった。

ふたりとも内田真紀の写っている写真はすべて消去したはずだったのだが、健太郎のスマホには、ボディコン姿でドアの前で写っているあの写真だけが何度消去しても数日経つといつの間にか写真フォルダの中に復活しているのだ。

健太郎は数回それを繰り返し、そして削除するのを諦めてしまった。

*********

それから数週間経ったある夜、健太郎が何気なくスマホに溜まった写真を整理していた時にあの内田真紀の写真を再び目にした。

この頃にはすっかり内田真紀のことなど思い出すことはなくなっていたのだが、少し時間を置いて写真を見るといったいあの『カレン』での心霊写真騒動は何だったのだろうと、ソファに横になってあれこれ考えているうちに、画面に内田真紀の写真を表示したまま胸の上にスマホを置いて眠ってしまった。

*********

健太郎は夢を見た。

そこはあのスクランブル交差点で、目の前には信号に衝突しているダンプとその横に赤色回転灯を点滅させた救急車が停まっている。

そしてあの時と同じように人型に盛り上がった白い布に覆われた担架が救急車へと運び込まれていく。

その時自分の斜め前に立ち、同じように救急車を見ていた女性が振り返った。

それは内田真紀だった。

救急車に担架が運び込まれドアが閉じられたのをきっかけにして健太郎の周囲にいた数人がその場から去っていった。

その人達はそこに立っている健太郎を避けていくのだが、内田真紀のことを避ける人はおらず、みんなその体を素通りしていった。

彼女は霊体となり、ここに立って自分の亡骸が運ばれて行くのを見ていたのだ。

その内田真紀の霊がじっと健太郎のことを見つめている。

その時ふと健太郎の頭の中に、他の人と同じように自分も彼女の体を素通りできるのだろうかという疑問が湧き上がった。

何故そんなことを考えたのか全く分からない。

目の前で内田真紀の体を素通りしていく人達を見ていて突然そう思った。

健太郎は内田真紀の方に向かって足を踏み出した。

その距離は三メートルも離れていない。

すると内田真紀はその場で両手を広げて抱きついてくるような素振りを見せた。

健太郎はそのまま素通りせずに彼女を抱きしめることができるような気がした。

しかしそのまま進むと、他の人と同じように内田真紀の体を素通りしてしまったのだ。

健太郎が振り返ると、同じように内田真紀もこちらを振り向いて悲しそうな目で彼の方を見つめ、そして背景に滲んでゆくようにゆっくりと消えてしまった。

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そしてその夢の後、健太郎のスマホから内田真紀の写真は消え、二度と戻ってくることはなかった。

内田真紀が何故彼に絡んできたのかはわからない。

しかしあの夢の中でやっと内田真紀は自分が死んだのだという事を認識したのかもしれない。

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◇◇◇◇

後日、裕子と会社帰りに飲みに行った時にこの話をした。

「ふう~ん、須崎先輩は真紀さんを抱きしめようとしたんだ。ふう~ん。」

俺自身、その理由は解らない。

相手は霊体だと認識していたのだから、単なるスケベ心ではないと思う。

でもそうしなければ内田真紀は自分が霊体であることを認識できなかったに違いない。

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居酒屋を出たところで、裕子が不意に健太郎の腕を掴んだ。

「先輩、私のことを抱きしめてみる?素通りしちゃうかもよ?ねえ抱きしめてみて。」

裕子はそう言って両手を広げて健太郎を見つめ、悪戯な笑みを満面に浮かべた。

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そして健太郎が両手を優子に向かって差し出した時、健太郎には裕子の姿が真紀の姿にダブって見えた。

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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