長編9
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クリスマスイブの訪問者

それはクリスマスイブの夜の事だった。

キリスト教徒でもないくせに、サンタのプレゼント、ケーキ、チキン、ツリーそしてこの夜の過ごし方など、子供の頃からこの二十一年間どれだけ一喜一憂してきただろう。

今年は一週間前に大学の親友からイブの夜のバイトのシフトの変更を頼まれた。

もちろん奴は彼女とイブの夜を楽しく過ごすためであり、親友であるがゆえに奴は僕に何の予定もない事を知り尽くしていた。

二か月ほど前、付き合っていた彼女に振られたばかりなのだ。

もちろん奴に対して見栄を張る気もなく、ひとり寂しく過ごすよりマシかと僕はバイトを代わった。

バイト先は小洒落たパブ風の居酒屋で、普段からカップルの多い店だ。

そのような店で、イブの夜という事に加えて無断欠勤の奴までいたため、この夜の忙しさは半端なかった。

「お兄さんも、イブの夜にバイトなんて大変だね。」

男だけのグループに言われるのならまだ笑顔で受け答えできるが、カップルに言われると無性に腹立たしい。

少しカサブタになりかけた恋人に振られたばかりの傷に塩を擦り込まれるようなものだ。

彼らにそんな気はないのだろうが、自分達がカップルでいることを自慢しているようにしか聞こえず、それを何組もの連中に笑いながら言われるのだ。これならひとりでお気に入りのビデオでも観ながら過ごした方がましだった。

泣きそうな気分で忙しい時間をなんとかやり過ごし、店を出たのは零時を過ぎていた。

先にクリスマスイブの夜と書いたが、正確にはクリスマスの日という事になる。

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◇◇◇◇

帰りがけに夜食用として店の余り物をパックに詰めて貰い、途中のコンビニで缶ビールを買った。

いつもは不愛想だとしか思えないコンビニのアルバイト店員も、今夜は非常に親しい戦友に思えてしまう。

そして疲れ切って重い足を引きずるようにアパートへ帰った。

こんな夜は、さっさと飯を食って寝てしまうに限る。

部屋に入るといつものように部屋の真ん中に置いてあるローテーブルに荷物を置いた。

落ち込んだ気分のせいか、いつもに増して部屋が寒く感じる。

そこでふと視界の隅に白いスニーカーがあることに気がついた。

そのスニーカーから目線を上げていく。

「うわっ!」

部屋の奥の片隅、カーテンの前にそこにいるはずのない女が立っていたのだ。

意表を突くその存在に心底驚いて、そのまま後ろにひっくり返ったのだが、その時はそれが幽霊のような存在だとは思わなかった。

これが半分透けているとか、血みどろで恨めしそうな顔で僕を睨んでいるのであればすぐに幽霊だと思っただろう。

しかしその女の姿は、現実に存在していることを疑うようなところは微塵もなかった。

ぱっとみて自分と変わらない年頃と思われる女は、デニムのスカートにピンクのトレーナー姿で、栗色のセミロング。

ちょっとタレ目で可愛げな丸顔。

デブと表現するには明らかに言い過ぎだと思われるややぽっちゃり気味で小柄な体型。

はっきり言って好みのタイプかも知れない。

それが突然の登場にも関わらず、逃げ出したくなるような恐怖心が湧かない理由だろうか。

しかし全く見知らぬ顔だ。

違和感があるのは、部屋の中だと言うのにスニーカーを履いたままだという事くらいか。

知らない女が勝手に部屋に忍び込んでいる、と咄嗟にそう理解した。

「誰?」

尻もちをついた態勢のまま、彼女に問いかけた。しかしこちらをじっと見つめたまま返事をしない。

この女はどうやってこの部屋に入ったのだろうか。

鍵を閉め忘れた?

いや、これまで出かける時に鍵を閉め忘れたことなどないし、たった今鍵を開けて部屋に入ったのだ。

そうだとするとこの女は何らかの方法で鍵を開け、部屋に入って自分で内側から鍵を掛けたという事か。

そしてこの女は照明もつけずに、トレーナー姿のまま真っ暗な寒い部屋でじっと立っていたことになる。

僕を待っていたのだろうか。どのくらいの時間?何のために?

「君は誰?」

もう一度尋ねてみたがやはり返事はない。

「黙っていたら解らないよ。何か言ってくれないと警察に電話するよ。」

不法侵入であることは明確だが、口ではそう言ったもののそこまで事を荒立たせる気はない。

「とにかく何も説明してくれないなら、出て行ってくれないか。」

いくら見た目が可愛くても、無人の他人の部屋に無断で、かつ土足で上がり込むなんて非常識にも程度がある。

僕は彼女を強引にでも部屋から出そうと、女の傍に寄り二の腕に手を伸ばした。

「えっ?」

意に反して僕の手は空を切った。

一瞬避けられたのかと思い、もう一度、今度は肩に手を掛けようとしてみたが、結果は同じだった。

僕の手は完全に肩から胸にかけて女の体を素通りしたのだ。

視覚ではっきりと目の前に存在しているのに触れることが出来ない。

ここでやっと僕は彼女が尋常の存在でないことに気がついた。

「うわ~っ!」

急激に恐怖感が押し寄せ、一目散に部屋から飛び出した。

走りながら振り返ったが、追ってきている様子はない。

そしてアパートの近くにある公園に駆け込むとベンチに腰を下ろした。

「いったい何なんだ?あれは幽霊だよな。何で俺の部屋にいるんだ?」

呼吸を整えながら、そう思って顔を上げると部屋にいた女が目の前に立っているではないか。

息が切れるほど全力で走ってきたのに、女は部屋にいた時と変わらず、無表情で静かに立っている。

「うわっ!」

僕は再び走り出した。

そして駅の方向に向かい、繁華街に出た。

クリスマスイブだけあって、通りにはイルミネーションが輝き、こんな時間でもまだ大勢の人が歩いている。

そして行き交う人達の間に身を置くと、取り敢えず立ち止まって後ろを振り返った。

女の姿はない。

ひとまずほっとして前を向くと、女は目の前に立っていた。

「ひっ!」

バイトの疲れに普段の運動不足も相まって、かなり息が苦しい。

そのまま駅へ向かうと、駅前ロータリーにあるベンチに腰を下ろした。

しかし目の前にはやはり女が立っている。

逃げても無駄だ。

そう悟ってあきらめの眼差しで女を見上げた時、目の前に腕を組んで歩くカップルが近づいてきた。

「!」

ふたりでトナカイの角を生やし寒そうにポケットへ手を突っ込んだまま腕を組んで歩くカップルの真ん中に、すっと女の姿が重なった。

そしてそのカップルは彼女の存在に全く気付かず、そのまま彼女の体を素通りしていく。

このふたりに女の姿は見えていないのだ。

試しにもう少し人通りの多い歩道へと移動してみた。

依然として女は僕の目の前に立っているのだが、道行く人は彼女の体を素通りしたあと僕の事を避けて行く。

僕以外の人達にはこの女の姿は見えていない。

そうなると警察などに助けを求めても、無駄だという事だ。

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***********

僕はこの女から逃げることを諦め、おとなしく自分のアパートへ戻った。

女は後ろをついてくる。見た目は普通に歩いているが足音はしない。

部屋に戻ると、先程と同じように部屋の奥に立つ彼女を無視して、持って帰ってきたバイト先の余り物を暖め直し、缶ビールを開けた。

相変わらず女はじっと僕の事を見ている。

超高解像度の立体ホログラムがあればこんな感じなのかもしれない。

異常な状況なのだが、彼女の見た目が普通なのと、まったく襲ってくるような素振りを見せないことがせめてもの救いだ。

しかしこの部屋に住み始めて四年になるが、これまで一度もこんなことはなかった。

この部屋の地縛霊と言う訳ではないのだろう。そうすると僕がどこかで拾ってきたのか。

「もう一度聞くけど、君は誰なの?何で俺につきまとうの?」

相変わらず無表情のまま何も答えない。

時計を見ると、午前一時を過ぎたところ。

とても長い時間に感じたが、バイト先を出てからまだ一時間ほどしか経っていない。

単純に言えば、バイトから帰ってきて、女に驚いて駅まで全力で走り、歩いて帰ってきただけなのだ。

しかしこの女は、本当に僕の傍から離れない。

視界から僕が見えなくなることを許さないのだろうか。

トイレに行っても、せめて背後に立ってくれればいいのに、便器の横に立ってじっと見ている。

便器の横に立たれた時は一瞬焦ったが、大事なところを隠して小便は出来ない。

人にじっと見られながらするのは初めてで落ち着かなかったが、しかたなくそのまま用を足すしかなかった。

そして落ち着かないもののそろそろ寝ようかと、シャワーを浴びている間も横に立ってじっと見つめている。

もちろん彼女は服を着たままだが。

シャワーを浴びながら、僕は彼女を見ていた。

こんな可愛い子が、こんな幻みたいな存在じゃなくて、実際に僕の彼女としてここに居たらいいのにと。

そうすればクリスマスイブの夜にバイトなどせずに、ゆっくりと楽しい夜が過ごせたのにと。

そのムチムチした体を抱きしめられたら・・・

そんなことを考えていたら、股間がむくむくと大きくなってきてしまった。

慌てて体を捻るようにして前を隠しながらシャワーを終えて部屋に戻り、寝る支度を整えるともう一度彼女の前に立った。

「本当に君が彼女で、イブの夜をふたりでエッチに過ごせたら良かったのにね。」

そう言うと、無意識に手を彼女の頬に伸ばしていた。

「えっ?」

驚いたことに手が柔らかい彼女の頬に触れたではないか。

そしてその途端、彼女がにっこりと笑ったのだ。

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***********

情けない話だが、突然この女に触れることが出来たこと、そしていきなりの笑顔に、逆に恐怖を感じて反射的に飛び退いてしまった。

不可思議な存在である彼女だが、自分が触れることが出来ない以上、相手も自分に物理的な危害を加えることはないという妙な安心感が心のどこかにあったのかもしれない。

しかしそれが崩れ、それまで無表情だった彼女がいきなり笑ったことが、逆に怖かったのだろう。

僕はそのままベッドに飛び込むと頭から布団を被り、何が起こったのか必死に理解しようとしたが、そもそもスタートから理解できていないのだから考えても解るはずがない。

そしてしばらく経って布団から顔を出すと、彼女はまた元の無表情に戻り、ベッドの横に立っていた。

僕は恐る恐る彼女に手を伸ばしてみた。

触れることは出来なかった。

心のどこかでそれに対して安堵する気持ちが湧いた途端、彼女は掻き消す様に消えてしまった。

そしてその夜以降、彼女は姿を見せない。

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◇◇◇◇

それからしばらく僕は彼女の正体について悩んだ。

そもそもここに棲みついている地縛霊なのだがあの夜だけたまたま波長が合ったのか、

それとも単なる通りすがりの浮遊霊なのか。

そして数日後、僕はある結論に至った。

彼女は幽霊などではなく、僕の心が生み出した存在だったのだと。

これまでそのような経験があったわけではない。

しかしあの夜は、バイトシフトの交代に対するどこか勝ち誇ったような親友の感謝の言葉、バイト先で繰り返されるカップルからの慰めの言葉、バイトからの帰りがけにいつものように余り物をくれた店長が言った僕に彼女がいなくてよかった的な暴言。

普段なら気にせず聞き流しているはずの言葉が全て引っ掛かっていた。

もし僕に彼女がいれば、振られていなければ、こんな思いはしなくて済んだはずなのにと。

肉体的な疲れと相俟っておそらく精神的にかなりキテいたのだろう。

そして僕の心は、それらに反駁するために彼女を生み出した。

彼女が僕の好みのタイプだったのは、それ故なのだ。

しかし僕自身が彼女の存在に懐疑心を抱いている間は、幻のように目には見えるが手で触れることは出来ない、不完全な存在だった。

そしてシャワーを浴びた後、僕自身が彼女の存在を是とし、欲望を彼女に向けた時に初めて彼女は完成し、手を触れることが出来たのだ。

しかし僕はそれを理解できずに逃げてしまった。

そして再び彼女に手を触れようとし、触れることが出来ないことに安堵した途端、彼女はその存在意義を失くし消えてしまったのだ。

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********

たぶん間違ってはいない。

でもそうだとすると、あの時、目一杯煩悩の塊りになって彼女に襲い掛かれば、僕の思い通りになっていたという事なのか。

あんなことしたり、こんなことしたり、ああしたり、こうしたり・・・

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客観的に見れば自慰行為でしかないのだが、もったいない事をしたという気もする。

僕の想像が生み出しただけあって、彼女は可愛かった。

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いつか現実世界であんな子と、クリスマスイルミネーションの下を腕組んで歩きたい。

そしてイブの夜は、バイトなんかしないで、

あんなことしたり、こんなことしたり・・・

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来年こそは。

頑張ろ!

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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