賑やかな大晦日の特別番組がCMに入り、時計を見ると夜の十一時四十分を指している。
あと二十分で今年も終わりだ。
「そろそろ出かけるかな。」
宮沢正純はそう呟くとテレビのスイッチを切り、炬燵から立ち上がった。
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◇◇◇◇
この春、横浜にある大学の工学部に入学し、生まれ育った長野から横浜、相模鉄道の三ツ境へ引っ越してきた。
借りたアパートは駅から十五分ほど歩いた閑静な住宅街にあり、ここなら大学を卒業するまで落ち着いて暮らしていけそうだと大変気に入っている。
正純の両親は彼が中学生の時に離婚し、母親は妹を連れて家を出て行った。
彼は経済的な理由を考えて父親と一緒にいることを選び家に残ったのだが、母親が嫌いだったわけではなく、両親の離婚後は数か月に一回程のペースで母親、そして三歳年下の妹と一緒に食事をしていた。
仕事から帰ってくる時間が遅い父親と正純は一緒に夕食を取ることはほとんどなく、父親は正純が母親や妹と定期的に会っていることも知らなかった。
そして彼が高校二年生になった春、父親はひとまわり以上年下の女性と再婚した。
父親の人生であり、再婚には同意したものの正純は母親として受け入れるつもりはなく、他人が家に棲みついただけという態度で義母に接していた。
そしてまだ三十代前半で初婚の義母にとっても、高校生でそれなりに端正で男らしい顔立ちの正純は、理屈では自分の義理の息子だと思っていても、本能的に自分の貞操を守るために警戒すべき対象と認識していたのかもしれない。
彼女はいつまで経っても他人行儀で正純を避けるように生活していた。
父親はそれをいつも気にしてくれていたが、その行動は理屈ではないため、それに対して何ができるわけでもなかった。
そして大学進学を期に、実母や妹と会えなくなるのは寂しいが、正純は長野の家を出たのだった。
そんな事情により、正純はこの年末年始の休みもバイトを理由に長野の実家へは帰省せず、アパートでひとり年を越そうとしていた。
大学の親しい友人達は殆どが自宅で家族と過ごすか、実家に帰省してしまっており、正純はインスタントの年越し蕎麦を食べ、テレビを見ながらその時間が来るのを待っていたのだ。
長野の実家は徒歩で十分程のところに諏訪大社があり、子供の頃は必ず家族四人で二年参りに行っていた。
二年参りとは、初詣の形式のひとつであり、大晦日の深夜から新年へ跨って神社仏閣に参拝・参詣することだが、諏訪大社では深夜とはいえ人出も多く夜店もたくさん出ているため、子供の頃の正純はまるでお祭りのように楽しみにしていた。
そしてここへ引っ越してきてすぐ、今住んでいるアパートからそれほど遠くない場所に諏訪神社があるのを見つけた。
きっとこの地域の氏神様であろう、それほど規模は大きくなく常駐の神主さんがいるようには見えないが、社殿はかなり古くそれなりに歴史はあるように見える。
しばらくこの土地で世話になるつもりの正純は、この地の氏神様へ礼を欠かしてはいけないと、引っ越ししてきた今年の分も含めて二年参りに詣でることにしたのだ。
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◇◇◇◇
厚手のセーターとダウンジャケットで身を包み、アパートを出るとひと気のない通りへ出た。
やはり長野よりも随分暖かい。
長野の実家では、それなりにお参りへ向かう人がいたのだが、通りにはほとんど人影がない。
それでも周りの家々の灯りはまだ煌々と灯っており、時折笑い声も聞こえる。
この辺りの人は二年参りという習慣がないのだろうか、おそらく日付が変わるとおめでとうと言い合って、一旦眠りについた後初詣かな、などと勝手に想像しながら正純はひとり神社へと歩いて行った。
しかし神社に近づくにつれ、ちらほらと歩いている人達を見かけるようになり、神社に着くと夜店こそ出ていないが、境内は提灯で明るく照らされ、参道の両脇には蠟燭の光が竹を斜めに切った灯篭の中で揺れていた。
そして境内の参道脇にはドラム缶に木材が突っ込まれて火が焚かれ、この辺りの自治会であろうテントが建てられて甘酒が振舞われているのが見える。
正純は境内に入ると社殿へ旧年分のお参りを済ませ、テントで挨拶をして甘酒を貰うと、境内の隅に置いてあるベンチ代わりの大きな石に腰掛けた。
こうして改めて境内を眺めて見ると、参拝に訪れている人の数はそれなりに多い。
社殿の前には常に二十人ほどの人が順番待ちの列を作り、参道のあちらこちらで数人の塊が甘酒を片手に挨拶を交わしている。
嬉しそうにはしゃいでいる若い女の子達は地元の同級生なのだろうか。年末年始の休みで里帰りしている友人同士なのかもしれない。
子供の頃から諏訪大社の規模の大きな初詣しか経験のなかった正純にとって、このような地元に根付いた小さな神社へのお参りは非常に新鮮で、親近感が持てるものだった。
「何だか、落ち着くな。」
ここが自分の故郷ではなく、今この境内にいる人達とは何の所縁もないことを少し寂しく思いながらも、このような風景が郊外とはいえ横浜市内に残っていることがなんとなく嬉しかった。
甘酒を飲み干し、石の上のお尻も冷えてきたことから、そろそろ年明けのお参りをして帰ろうかと思った時だった。
正純はすぐ斜め前に五歳くらいで着物を着たおかっぱ頭の女の子が立ち、自分の事をじっと見つめているのに気がついた。
社殿の方を見ていたのでいままで気がつかなかったのだろう。
周囲を見回したがこの子の両親と思われるような人の姿はない。
おそらくこの近所の子供なのだろうが、両親の姿が見えない以上はこの境内の外れの薄暗い場所にこの子をひとりで残しこの場を離れるのは気が引けた。
「お嬢ちゃん、お父さんとお母さんは?」
正純が問いかけても、女の子はにこにこと可愛らしい笑顔を返してくるだけだ。
そのまま十分ほど経ち、二年参りの参拝客の数も減り始めてきたのだが、女の子を誰も迎えに来ない。
仕方なく正純は女の子の手を引いて自治会のテントへと向かった。
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「すみません、迷子のようなのですが。」
テントに入り、目の前にいた中年の女性に声を掛けた。
「あら、そう。どの子が迷子なの?」
「この子です。」
正純が自分の左手で手をつないで立っている女の子を指差した。
しかしその女性は眉間にしわを寄せて怪訝そうな顔をした。
「え、どの子なの?子供なんていないじゃない。」
女性の視線は正純の左下、女の子のいるところに向いたはずだ。
それでもいないと言うのであれば、何故かは分からないが、彼女にこの女の子は見えていない、もしくはこの中年女性がからかっているだけということになる。
自分は間違いなく女の子と手をつないでいるのだから、からかわれているとしか思えないのだが、からかわれる理由が解らない。
それとも迷子の面倒を見たくないという事なのだろうか。
正純はどう反応すべきか悩んだが、ムキになってこの女性と、いる、いないとお正月の境内で言い争いをしたくなかった。
「そうですか、お騒がせしてすみませんでした。」
「お兄ちゃん、酔っ払っているの?大丈夫?」
その女性が苦笑いをして正純の肩を叩いたその時、テントの奥でストーブの傍の椅子に座っていたお婆さんがいきなりかすれた声を掛けてきた。
「お兄ちゃん、その女の子は何を着ているかね?」
正純は自分の足元に立っている女の子にもう一度目を落とし、老婆の問いに答えた。
「えっと、おかっぱ頭で、小さな花柄の緑色の着物に赤い色の細幅の帯紐、それから黒字に赤い鼻緒の下駄を履いていますね。ねえ、お嬢ちゃん、靴下も履かないで寒くないの?」
それを聞いていた、甘酒の鍋の横にいた壮年の男性が驚いたように言った。
「井上の婆さん、それはひょっとすると『志津ちゃん』じゃないか?」
老婆はその言葉にうんうんと頷いた。
「ああ、まだこの神社におったんやね。この辺の様子がまるっきり変わってしまってどっかに行ってしまったと思っていたんじゃが。」
正純には何の話かさっぱり解らないが、この子の名前は『志津ちゃん』というようだ。
「おばあさん、『志津ちゃん』というのはこの子のことなんですか?」
「ああ、わしらには見えんけどね。」
やはりこの子の姿が見えているのは、本当に正純だけのようだ。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃんのお名前は『志津ちゃん』っていうの?」
試しに正純が聞いてみると女の子は正純を見上げてにっこりと笑って頷いた。
「頷きました。やっぱりこの子は『志津ちゃん』のようです。」
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井上のお婆さんの話によると、江戸時代の中頃、この辺りは武蔵国と相模国の境に位置する瀬谷村という農村地域であった。
明治以降この辺りは八王子の絹を横浜港から輸出するための通り道、通称シルクロードとして栄えるのだが、この頃はまだ静かな農村だった。
そしてその頃からこの諏訪神社は村の氏神様として祀られ、夏や秋の大祭も盛大に行われていた。
志津はこの村で農家の子として生まれた元気な女の子だった。
しかし志津が六歳になった年、村は酷い干ばつに襲われた。
この辺りには全く雨が降らずに日照りが続き、農作物だけでなく人々が日々口にする飲み水にも事欠くような状況で、水を求めて村を捨て出ていく人が続出した。
志津の家も同様に水不足に苦しんだ。
優しい両親は自分達の飲む水も志津に与え何とか耐え凌ごうとしたのだが、とうとう両親が倒れ、志津もこの諏訪神社の本殿の縁の下で息絶えているのが見つかった。
それからしばらく経ったある日、志津と仲の良かった近所に住む栄太という男の子が、死んだはずの志津が境内にいるのを見かけた。
驚いた栄太が声を掛けると志津はこっちへ来いと栄太の手を引き、神社の裏山に連れて行くと、土手を指差してここを掘れと言ったのだ。
栄太が渇きと空腹で倒れそうになりながらも、志津の言うことならと必死で穴を掘って行くと土手の土は粘土層に変わり、何と水が染み出てきたのだ。
栄太の報告に大人達がさらに深く掘るとかなりの水量を持った地下水脈に辿り着き、村は救われたのだった。
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「その時、村の人々はこの神社の境内に感謝の気持ちを込めて志津を祀った石碑を建てたのだが、それからも時折その石碑の傍らで志津を見掛けたという話があり、元気だった志津がまだここで遊んでいるのだろうと噂していたんじゃ。
しかしもう何十年もそんな話を聞くこともなくなっていたんで、ここら辺が住宅地に変わってしまい、志津もどこかへ行ってしまったと思っていたんじゃよ。」
この辺りでは有名な話なのだろう、テントの中にいる人達もうんうんと頷きながら井上のお婆さんの話に耳を傾けている。
「志津ちゃんはどのような時に現れるのですか?」
正純はそんな志津ちゃんがなぜ自分のところに現れたのか気になった。
そもそも自分は余所者なのに何故そのような子の霊が現れ、しかも自分にしか見えないという理由が正純には全く思い当たらないのだ。
「解からん。」
井上のお婆さんは素っ気ない返事を返してきた。
「しかし志津に会って不幸になった人の話は聞いたことがないから大丈夫じゃろ。志津と一緒にもう一度お参りしてから帰るといい。」
目に見えない志津ちゃんの手を引いてテントから出て行く正純の後ろ姿をテントの中にいる自治会の人達は複雑な表情で見送ったが、井上のお婆さんだけは皺だらけの顔に満面の笑みを浮かべていた。
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志津ちゃんと一緒に本殿に参拝する列に再び並んだ正純は、他の人には見えない志津ちゃんと誰かがぶつからないように彼女の両肩に手を置いて自分の前に立たせた。
そしてもう少しで本殿の階段の下までくるところで、正純は財布の中から五円玉を取り出した。
「はい、志津ちゃん。お賽銭だからね。ご縁がありますようにって。」
志津ちゃんは嬉しそうにその五円玉を受け取った。
正純の手には、そんな志津ちゃんの手の感触と温もりがきちんと感じられる。
本当に他の人にはこの子の姿は見えないのだろうか。
その時だった。
「ねえ、名前は何て言うの?」
本殿へ並ぶ列の横を歩いていた母子連れの、志津ちゃんと同じくらいの小さな男の子がお母さんの手を離れてこちらに駆け寄ってくると志津ちゃんに声を掛けたのだ。
志津ちゃんはその男の子の方を振り向いたが何も答えなかった。上から見下ろしている正純から志津ちゃんの表情は全く見えない。
「ねえ、お名前は?」
男の子が繰り返した。
「この子は志津ちゃんっていうお名前だよ。」
正純が少し前屈みになって志津ちゃんの代わりに男の子に向かって答えた。
「ふうん、志津ちゃんって変わったお名前だね。」
その姿を列の前後に並んでいる人や周囲にいる人達が不思議そうな顔をして見ている。
正純が顔を上げると自治会のテントの中にいるおじさんやおばさんたちもこちらを見ていた。
「やっぱり、その女の子は『志津ちゃん』なのですね?」
男の子の後を追って傍に寄ってきた男の子のお母さんが正純に話しかけてきた。
「えっ?この子が見えるのですか?」
お母さんは男の子を後ろから抱きかかえるようにして志津ちゃんの横にしゃがんだ。
よく見ると目にうっすらと涙を浮かべているように見える。
「ええ、見えます。私には見えるんです。」
その言葉は、志津ちゃんが他の人には見えていないということをこの人は知っているということだ。
「私、小さい頃にこの子と会って一緒に遊んだの。」
その時、列の後ろに並んでいる男の人が咳払いをした。列が進み正純の前が数メートル開いている。
「あ、すみません。あのこの人は連れなので割り込ませて貰ってもいいですか?」
正純はこの母子と離れない方が良いような気がして、咳ばらいをした男性にそう言って会釈をするとお母さんの腕を引いて列へ引き込んだ。見ると男の子はしっかりと志津ちゃんと手をつないでいる。
「まあ、瑛太ったら。」
お母さんはその姿を見て涙目で微笑んでいる。
「えいた?この子は”えいた”という名前なのですか?」
これは偶然なのだろうか。
そして四人は賽銭箱の前に立ち、志津ちゃんは正純に抱き上げられて賽銭を投げ入れると、正純の前に立ち、瑛太はお母さんの前に立って四人一緒に柏手を打った。そして最後に一礼した時だった。
本殿を向いていた志津ちゃんはくるっと向きを変え、正純の顔を見てにこっと微笑み、そのまま瑛太とお母さんの顔を見てもう一度微笑むと、すっと本殿の扉に吸い込まれるように消えてしまったのだ。
「あっ!志津ちゃんが消えちゃった。」
瑛太が大きな声で叫んだ。
その声に社殿の周りにいた人達が一斉に振り返った。
志津ちゃんが消えた本殿の扉を見つめていた正純が母親を振り向くと、彼女は再び深々と本殿に向かってお辞儀をしていた。
正純も慌ててそれに合わせて本殿に向かって深くお辞儀をすると母子と一緒に本殿の階段を降りた。
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母親は室住祥子と名乗り、そして正純と少し話がしたいと言った。
正純と室住祥子は一緒に自治会のテントに行き、甘酒を貰った。
「お兄ちゃん、志津ちゃんはもういないのかい?」
「ええ、本殿の前でお参りしたら、そのまま本殿の扉に吸い込まれるように消えてしまいました。」
甘酒を受け取りながら壮年の男性の問いに答えると彼はうんうんと頷き、室住祥子にも甘酒を差し出した。
「しかし祥子さんにも志津ちゃんが見えるとは驚きだね。」
「ええ、誰にも言わなかったけど、私、小さい頃に志津ちゃんと会っているんです。」
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自治会のテントの中に用意されたパイプ椅子に正純と室住祥子は並んで座り、瑛太はここがいいと言って正純の膝の上に座った。
そして正純は自分の紙コップの甘酒を瑛太と分け合いながら室住祥子の話に耳を傾けた。
室住祥子はこの町に生まれた。
そして彼女が六歳の夏に母親が病気で他界した。
彼女はいなくなった母親の姿を求め、毎日のように泣いて暮らしていたのだが、その年の夏祭りの夜、いつもと変わらない楽しげな雰囲気が余計にその場に母がいない寂しさを強調し、いたたまれなくなってひと気のない本殿の横で石の上に座っていた。
するといつの間にか隣に緑色の着物を着たおかっぱの女の子が座っていたのだ。
それが室住祥子の志津ちゃんとの出会いだった。
志津ちゃんは着物の袂からおはじきを取り出すとそれを座っている石の上に並べて室住祥子と一緒に遊び、室住祥子も志津ちゃんと一緒に遊んでいると寂しさを忘れた。
それ以降、室住祥子が寂しく境内で佇んでいると、時折志津ちゃんが姿を見せるようになったのだ。
そして一年が経ち、徐々に母親を亡くした悲しみから彼女が立ち直ってきた夏祭りの夜を最後に志津ちゃんは彼女の前に現れなくなった。
その後も室住祥子は彼女への感謝を忘れずに正月や大祭の日は神社へのお参りを欠かしたことはなく、また何か辛いことがあると志津ちゃんの姿を求め、境内をうろついたこともあった。
しかし六年前に彼女はちょっとした縁があって岐阜へ嫁いだ。
その家は由緒ある旧家で、嫁は親が死んだとき以外は実家に帰るなというような厳しい家だった。
それでも嫁に出てすぐに瑛太が生まれ、それなりに幸せに暮らして実家に帰ることもなく四年の月日が流れた。
しかし昨年の秋に旦那が交通事故で突然死んでしまったのだ。
そして半狂乱になった姑がどこから連れてきたのかよくわからない祈祷師に見て貰ったところ、全て嫁いできた室住祥子と瑛太が悪いと言われ、昨年離縁されて瑛太と共にここへ帰ってきたのだと話した。
「祥子ちゃんが悪いはずなんかないじゃない。その姑も大事な息子を亡くしておかしくなっちゃったんだね。そんな家にいるよりもここに帰ってきた方が祥子ちゃんや瑛太ちゃんのために絶対いいんだから元気出しなよ。」
正純が最初に声を掛けた中年の女性がそう言って室住祥子を慰めた。
「しかし志津ちゃんは何故この大晦日にそっちのお兄さんのところに現れたのかね。お兄さんは一体何者だい?」
壮年の男性が正純に尋ねてきたので、正純は自己紹介と簡単に自分の生い立ちを語った。
「そうか、正純君は建御名方神(たけみなかたのかみ:諏訪大社の御柱)が諏訪大社からこの末端の諏訪神社へ遣したのかな。」
話を聞き終えた壮年の男性はにこやかにそう言った。
正純は後で知るのだが彼はこの神社の神主役だった。
「何のために?」
室住祥子の問いに井上のお婆さんが答えた。
「志津は昔この神社の境内で八坂刀売神(やさかとめのかみ)の許に召されたんじゃ。その見返りとして八坂刀売神は志津の魂と栄太を使って裏山の泉を与え、そして村の子供に辛いことがあると志津を使わせてそれを和らげてくれていたんじゃな。
そして子供の頃に志津と遊んだ祥子さんがふたたび辛い思いをしているのを知って、旦那である建御名方神が送り込んできた正純君を祥子さんと引き合わせるように八坂刀売神が志津に頼んだのじゃろう。」
「そんな、引き合わせるだなんて。私は正純君よりも、えっと・・・七歳も年上なんですよ。」
室住祥子は顔を赤くして顔の前で手を振った。
「何言っているのよ。神様達にとって七歳差なんてないに等しい差だよ。」
中年女性の言葉に壮年の男性が続けた。
「何より建御名方神と八坂刀売神の夫婦が引き合わせた縁となればおろそかには出来ないな。ほら、人見知りの瑛太が初めて会う正純君の膝の上に座ってにこにこしているんだよ。子供は理屈じゃないからね。」
その会話を聞きながら、正純は瑛太と同じように、にこにこしながらじっと室住祥子を見つめている。
まるで決定権を室住祥子に預けてその裁断を待っているような様子だ。
その時、瑛太がいきなり声をあげた。
「あ、志津ちゃんだ!」
そして瑛太は正純の膝の上から飛び降りるとテントの外に飛び出し、最初に正純が座っていた石の方へ走っていく。
するとその石の前には志津ちゃんが瑛太に向かって手招きしているのが見えるではないか。
「ああ、本当に志津ちゃんだ。見えるよ、見えるよ。」
何と今回は自治会のテントの中の人達にもその姿が見えているようだ。
その時、正純の胸の中に何かが走った。それは室住祥子も同じだったのだろう。
ほぼふたり同時に大声で叫んだ。
「志津ちゃん!やめろ!やめてくれ!」
「瑛太!行っちゃダメ!行かないで!」
ふたりはテントから駆け出し、瑛太を追いかけて走った。
しかしその時すでに瑛太は志津ちゃんのところに駆け寄り、志津ちゃんが差し出している両手を握っていた。
「いや~~~っ!」
境内に響き渡る室住祥子の悲鳴と共に、瑛太は志津と一緒にかき消すように消えてしまった。
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テントから自治会の男性達も飛び出し、正純や室住祥子と一緒になって周辺を探したが志津ちゃんはともかく、瑛太の姿は何処にも見えなかった。
そして警察も加わり捜査が続いた。
テントの中で正純は、すがりついて泣き続ける室住祥子をしっかりと抱きしめ、元旦の夜明けを迎えようと薄明るくなってきた境内で警察官や自治会の人達が歩き回る様子をぼっと眺めていた。
俺はここに来てはいけなかったのだろうかと自問自答しながら。
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◇◇◇◇
あれから三年が過ぎた。
正純はもう既に就職を決め、春になって大学を卒業したら室住祥子と結婚することにしている。
**********
そして井上のお婆さんは、娘の中年女性に見守られて床の中にいた。
「まだあのふたりは結婚しないのかの。」
お婆さんの言葉に中年女性は優しく答えた。
「この前祥子さんに会ったら今年あたりって言っていたわ。正純君が大学を卒業したらってことね。」
するとお婆さんは真っ直ぐに天井を見つめ、うっすらと涙を浮かべた。
「神は惨いことをするね。おそらく瑛太ちゃんが志津ちゃんと同じ六歳になるのを待って連れて行き、代わりに祥子ちゃんに正純君を与えたのじゃろうが・・・。取り換えられるものではないよ。でもせめて瑛太ちゃんと志津ちゃんもどこかの世界で楽しく遊んでいるといいのう。」
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◇◇◇◇
正純と祥子は今でも大晦日になると諏訪神社へ行き、あの石に座っている。
瑛太という名は祥子が音を考え、当時の旦那が画数を見て漢字を当て嵌めたのだそうだ。
祥子がなぜ『えいた』という名前にしようとしたのか、今となっては全く記憶にないが、その時から運命は決まっていたのだと祥子は寂しく笑った。
戻って来て欲しい。
そうでなければ、せめてもう一度だけでも息子の姿を見たい。
祥子の願いが叶う日が来るのだろうか。
今年もどこからか除夜の鐘が響いてくる境内で肩を寄せ合ったふたりは、石の上にじっと座り続けていた。
…
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◇◇◇◇
そして数年後、正純と祥子の間に可愛い男の子が生まれた。
しかしふたりは決してその子を諏訪神社に近寄らせなかった。
…
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しかし、その子が小学生になった六歳の夏祭りの日、
友達に誘われ、彼は諏訪神社へと足を踏み入れることになる。
…
◇◇◇◇ FIN
作者天虚空蔵
今年最後の投稿になります。
春から投稿を始めさせて頂き、週一ペースを目指して、ふたば様の掲示板も併せて五十近い作品を投稿させて頂きました。
『長い!』、『怖くない!』などいろいろご意見もあろうかと思いますが、それでもご愛読頂いている方々に感謝します。
とにかく、血が飛び散り、ちぎれた首や腕が飛び交うようなスプラッタチックなお話が苦手な上に、人間性善説を基本としていて人怖もあまり書けない。じゃあ何で怖話なんか書いてるの?と自分でも思います。
でも怖い話には人間の根幹に関わる何かがあるような気がするんですよね。
とにかくネタが尽きるまでは頑張りますので、時間のある時にお付き合い頂ければ幸いです。
大晦日には、甘酒を貰いに近所の氏神様へ二年参りに行ってきます。
それでは皆さんよいお年を!