長編10
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パソコンのステッカー

郁美のお気に入りのノートパソコンには可愛いステッカーが何枚も張られている。

ファンであるロックバンドやファッションブランド、動物のマスコットなどなど。

高校三年生になった時、二年分のお年玉に合わせて、勉強に必要だからと親に不足分を補って貰い、なんとか手に入れた大切な相棒だ。

受験生であり、もちろん勉強に使うことも多いが、最近はある投稿サイトで知り合いになった、同じ高校三年の大西祐樹と個人的にチャットやビデオ通話をするのにもハマっている。

雑談でもウマが合うし、勉強も教えてくれるスグレモノなのだ。見た目も抜群のイケメンではないが、優しそうで充分合格ライン。

ただ難点は、彼の住んでいる場所が長野県であり、横浜に住む郁美からは遠く離れているために直接会うことが難しいということだ。

しかし夏休みにでも会えればと、それも楽しみにしている。

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◇◇◇◇

ある日ノートパソコンの表面に張られているステッカーの一枚に気泡が入り、ぷくっと浮き上がっているのに気がついた。

「どうしちゃったんだろう。貼る時に失敗しちゃったのかな。」

しかし、そもそもそのステッカー自体、いつどこで手に入れて貼ったものなのか記憶にない。

三センチ四方の正方形で、絵も文字もないベージュ色の無地。

最初からそこにあったのだろうか。少なくとも郁美の趣味ではなかった。

剥がして捨ててしまっても問題なさそうであり、角の部分を爪で引っ掻いて剥がそうとした。

ところが、気泡が出るくらいだから簡単に剝がれると思ったのだが、意外に頑固だ。

爪をあまり痛めたくないし、そうかと言ってハサミやドライバーなどを使って大切なパソコンに傷をつけるのはもっと嫌だ。

取り敢えず害にはならないし、一旦諦めてそのまま放っておくことにした。

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*********

その気泡に気がついてから三日目。

「あれ?大きくなってる。」

先日気がついた時には、五ミリくらいの気泡が三つだったのだが、それがそれぞれ一センチ近くまで大きくなり、更に小さいのがふたつ増えていた。

もう一度爪で剥がそうとしたが、やはりしぶとく剥がれない。

でも徐々に気泡が大きくなり、増えていくならそのうち自然に剥がれるだろう。

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********

しかし郁美の思ったようにはならなかった。

さらに数日が過ぎ、ふとあのステッカーを見ると、いくつかの気泡がまとまってひとつになっていた。

大きくなってくっついたわけではない。

明らかに横へ移動し合体している。もと気泡があった場所はこすりつけた記憶はないのにきれいにパソコンに貼りついていた。

「何これ。こんなことってある?何だか生きてるみたい。」

郁美はしばらくその気泡を見つめてみたが、もちろん動くはずはない。

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********

しかし翌朝、郁美はそのステッカーを見て悲鳴をあげた。

全ての気泡はほぼ中央でひとつにまとまり、明らかに人の顔になっているではないか。

丸が三つあれば人の顔に見えるなどというレベルではない。

真ん中で卵型に集まった気泡には、切れ長の目の形に凹みが出来ており、真ん中は三角に膨らんで鼻の形に尖っている。

そして目と同じように横長の凹になっている口の口角部分は持ち上がり、笑っているように見えるのだ。

若干のほうれい線まである。

「気持ち悪~い。」

恐る恐るボールペンで押してみるとぶよぶよしており、やはり気泡のようだ。

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◇◇◇◇

「本当に気泡だったら、針かでちょっと穴を空けて指で押さえつければ消えるんじゃない?」

ビデオ通話の画面の中で祐樹はニヤニヤしながらそうアドバイスしてくれたが、郁美は戸惑った。

「人の顔に針を突き刺すのってちょっと怖いわ。」

「でも形は顔に見えても、ただの気泡なんだろ?思い切ってやってみたら?ほっとくとそのうち喋り出すかもよ。」

「やめてよ!」

とはいえ、人面瘡のような気泡をそのままにしておくのも気味が悪い。

郁美は兄の雅之の部屋にパソコンを持っていった。

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「お兄ちゃん、ちょっと相談があるんだけど。」

三歳年上で大学生の雅之は、シスコンと言って良いほど郁美のことを可愛がっており、頼みごとをすれば無茶を言わない限り大概聞いてくれる。

「何だ、こりゃ。」

部屋を訪ねてきた郁美からニコニコと話を聞いていた雅之は、パソコンを手に取ってステッカーを見た途端、思わず顔をしかめた。

そして机の上に置くと、郁美がしたように手元にあったペンでその顔の頬辺りを突いてみた。

「ほんとだ。確かに気泡としか思えないけど、この顔は自然にできたにしては尋常じゃないね。」

雅之は爪で端を引っ掻いて剥がそうとしたがやはり剥がれない。

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「このステッカーを貼った憶えがないって言ってたけど、貼ってあるのに気がついたのはいつ?」

「気泡が出来始めた時だから十日くらい前かな?」

「じゃあ、貼ってない状態を一番最近で記憶しているのは?」

いきなりそう言われても常にステッカーを意識しているわけではなく、郁美は必死に思い出そうとした。

「んとね。あ、そうだ。その三日くらい前に学校に持っていった時はなかったと思う。美香から可愛いうさぎのシールを貰って貼る時にはこんなの無かったもん。でもその後はずっと私の部屋に置きっぱなしよ。」

「その学校に持っていった時から三日の間に貼られたという事になるけど、郁美の部屋でというのは考えにくいから、その学校に持っていっていた日が一番怪しいね。」

郁美はその日の学校での様子を思い出していたが、これといって思い当たるところがない。

「でも、このままじゃ、気味が悪いね。よし、任せておけ。」

可愛い妹から相談を持ち掛けられて何もしないわけにはいかない。

雅之は机のペンスタンドからカッターを取り出し、カチカチっと刃を出した。

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「えっ?ほんとに切っちゃうの?」

郁美が心配そうに言ったが、雅之はにやっと笑い返した。

「まあ、形は変だけど単なる気泡だろ。大丈夫。」

雅之はそう言いながら、パソコンに傷をつけないようにゆっくりとカッターの刃を近づけていった。

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そしてカッターの刃が目尻の辺りから顎にかけてスッと切り裂いた。

―ぎゃ~っ!―

凄まじい悲鳴が部屋中に響き渡り、雅之は椅子に座ったまま後ろにひっくり返ってしまった。

「な、なんだ今の声は・・・」

郁美が慌てて雅之を抱き起すと、幸い怪我はなかったようだが、引きつった顔で机を見ている。

そしてゆっくりと起き上がると、恐る恐る机に近づき、ふたりはパソコンを覗き込んだ。

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ステッカーの顔の切られた部分からはドクドクと大量の赤い液体が流れ出ていた。

「げっ!」

「きゃ~っ!」

郁美と雅之は抱き合うようにして机から飛び下がった。

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「どうした!何があった?」

雅之がひっくり返った物音と悲鳴を聞きつけたのだろう、父親が部屋に飛び込んできた。

後ろには母親の姿も見える。

「お父さん!か、顔が・・・血が・・・」

郁美は何をどう説明すればいいのか分からず、机の上のパソコンを指差したまま言葉が出ない。

父親は郁美が指差す机に近づいた。

「血?どこに?」

パソコンを覗き込んで怪訝そうな顔をする父親を見て、郁美と雅之は父親の背後から恐る恐る机の上を覗き込んだ。

確かにさっきはカッターで切り裂いた部分から大量の血が流れ出ていたはずなのだが、パソコンには全く血はついていなかった。

しかしステッカーの顔の頬の部分は見事に切り裂かれ、ぱっくりと口を開けている。

郁美は信じて貰えないかもしれないと思いながらも父親にも簡単に経緯を話した。

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「ふうん、そうか・・・」

そんなことがある訳ないだろう、と一蹴するかと思っていた父親が以外にもこの話を信じてくれたようだ。

すると雅之はずいっと前に出てパソコンの前に立った。

「でもこのままじゃ、郁美がパソコンを使えないよな。」

そう言うといきなりぱっくり開いた切れ目に指を突っ込んで無理やりステッカーを剥がしにかかった。

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―ぎゃ~っ!―

再び部屋中に悲鳴が響き渡った。

母親は悲鳴を上げて耳を押さえてうずくまり、父親と郁美は顔をしかめて耳を押さえたが、雅之は気丈にもそのままべりっとステッカーを引き剥がしたのだ。

引き剝がしたステッカーの裏には小さな見たことのない文字でびっしりと何か書かれている。

それを見た父親は顔をしかめた。

「郁美、お前、何か人に恨まれるような事をしたのか?」

郁美は思い切り首を横に振った。

誰かに恨まれるようなことは一切した憶えはなく、イジメに加担したこともない。

「でも親父、郁美は学校でも人気があるみたいだから、誰かに逆恨みされているってことも・・・」

雅之はそこまで言ったところで、ふらっとその場に倒れてしまった。

「いかん。救急車を呼べ!」

父親は雅之の様子を見てそう叫んだ。

「郁美、大至急大きい皿とありったけの割りばし、それと粗塩、あと四枚の手鏡を持って縁側に来い!」

郁美がそれらの物を揃えている最中に救急車が到着した。

「母さん、雅之に付き添って救急車に乗って行け。そして病院が決まったらすぐに連絡するんだ。俺と郁美はすぐに行く。」

「分かったわ。」

母親が救急車に乗って雅之と共に出て行くと、父親は郁美の腕を掴んで縁側に出た。

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そして郁美が用意した大皿に割り箸を井桁に積み上げ、先ほど雅之が引き剥がしたステッカーをその上に乗せて塩を振りかけた。

「郁美、スマホで方位を調べるコンパスを出してくれ。」

そして正確に北東を調べると皿のその位置に皿に向かって鏡を置き、そこから時計回りに九十度ずつ皿を囲む様に鏡を並べた。

「これで良いはずだが・・・」

そう呟くとライターで割りばしに火を点けた。割りばしは一気に燃え上がり、ステッカーを炎が包んだ。

するとステッカーは青い炎を上げ、まるで苦しむ様にうねうねと動き始めた。

―ぎゃ~っ!―

ステッカーが三度目の悲鳴を上げた。

「お父さん、これは?」

郁美の問いに父親は郁美の肩を抱いた。

「呪い返しのおまじないだ。誰がどんな呪いを郁美に掛けてきたのか解らないが、これで呪いを掛けた本人に返るはずだ。」

「お父さん、なんでこんなことを知っているの?」

電機メーカーで開発エンジニアをしている、普段は堅物の父親らしからぬ行動に郁美は驚いていた。

「いや、大学の時にオカルト研究会にいて、ちょっと勉強した。まさか本当に使うことになるなんて思っても見なかったよ。」

やがて割りばしとステッカーが燃え尽きると、父親はその灰を集め、郁美と一緒に家の近くを流れる川へ行き、その灰を流した。

ちょうどそこへ母親から連絡が入り、父親と郁美は病院へ向かうために車に乗り込んだ。

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「郁美、明日学校へ行ったら休んでいるか、怪我をしている友達がいるかもしれない。」

「その人が呪いを掛けた本人ということね。」

郁美のその言葉に、ハンドルを握る父親は直接答えなかった。

「郁美は何も知らなかったことにするんだ。そうすればその人は呪い返しを受けたのではなく、自分が失敗したと思うだろう。そう思わせておけ。それよりも雅之が心配だ。あいつは呪物に直接手を掛けちまったからな。」

「お兄ちゃんは大丈夫なの?」

父親は何も答えず、黙って前を向いて車を運転している。

郁美の目から大粒の涙が零れてきた。

「私のせいだわ。お兄ちゃんに相談しなければ良かった・・・」

「いや、あのまま何もしなければ、郁美自身がもっとひどい目に遭っていたかもしれない。とにかく雅之に何もない事を祈ろう。」

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ふたりが病院に到着すると、早々と病室に移された雅之が母親に見守られ眠っていた。

「病院の先生は特に悪いところはなさそうだと言っていたの。」

母親の言葉に父親は頷くと、いつの間に用意したのか小さなお守りと幾つかの小袋を取り出した。

そのお守りは、郁美にも見覚えがあった。

父親の通勤用カバンに常についているものだ。

「その小袋は?」

「粗塩だ。」

郁美の問いに対して父親は簡単に答えると、お守りを雅之の枕の下に入れ、小袋をベッドの四隅に置いた。

「効果があるかどうかわからないが、何もしないよりましだろう。」

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********

そのおかげなのだろうか、雅之は特に問題なく一晩入院しただけで翌日には退院してきた。

「お兄ちゃん、ごめんね。私が変な事を言ったから。」

学校から帰り、謝る郁美に雅之は笑って郁美の頭を撫でた。

「いや、気にするな。可愛い妹を放っておけなかっただけだよ。まさかこんなことになるなんて思っても見なかった。」

雅之も父親から話を聞いたのだろう、郁美の頭から手を離すと真面目な顔で聞いた。

「それで、誰か学校の友達で休んだ奴とかいたのか?」

郁美はこくんと頷いた。

「隣のクラスの印藤耐子っていう子が昨日頬に大怪我をして学校を休んでいたの。」

「頬に大怪我か・・・間違いなさそうだね。」

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********

郁美は印藤耐子という生徒のことをよく知らなかったのだが、後日友人から聞いた話によると、彼女には好きな男子生徒がいた。

しかしその男子生徒は郁美のことを好きで、近々告白すると友達に話しているのを偶然聞いてしまったらしい。

そして印藤耐子は、周囲に郁美に対する悪態を吐いていたそうだ。

その友人はそこまでしか知らなかったのだが、おそらく印藤耐子は何とか郁美のことを陥れたいと呪いについて調べ、今回の呪詛の方法を知るに至ったのだろう。

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人を呪わば穴ふたつ

郁美の話を聞いた父親は、ぼそっとそう呟いた。

◇◇◇◇ FIN

Concrete
コメント怖い
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