長編9
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ヨークシャテリア

影谷一家は、この春に埼玉県の田舎町に引っ越してきた。

中古で購入した新しい家は築十五年ほどの二階建てログハウスで、百五十坪の土地があり、広い庭もそれなりに整備されている。

都心から離れているせいか、価格も比較的安く、これまで住んでいた都心のマンションを売却した費用とほぼ同価格で購入できた。

都内へ勤める父親と、専業主婦の母親、高校二年生になる長女知佳と中学三年生の妹麻実の四人家族であり、自然の豊かなところで暮らしたいという両親の希望でこの田舎町を選んだのだ。

もちろん知佳と麻美は転校することになり、新しい学校に通い始めて一週間ほど過ぎたが、通学に多少時間が掛かることを除けば、学校生活は今のところ順調のようだ。

父親も通勤時間がこれまでの二十分から一時間半と長くなったが、在宅勤務も多くそれほど苦になっていない様子であり、母親と共に家や庭の手入れに余念がない。

そして、マンションにいた頃から飼っていた五歳になるヨークシャテリアの蘭丸も新しい家で機嫌良く過ごしている。

蘭丸は一般的な茶色に黒の混ざった毛色で、非常に大人しい性格だが、しばらくトリミングに連れて行っていなかったこともあり、かなり毛が伸びていて、まるで動くモップのような状態だ。

しかし麻美は逆にそれが気に入っているようで、こまめにシャンプーしており毛並みはサラサラで不潔感はない。

しかし、知佳と麻美にはちょっと気になることがあった。

この家のリビングは、二十畳ほどの広さがあるのだが、蘭丸は頻繁にそのリビングの角になる何もない壁に向かって行儀良くお座りして何かを見つめているのだ。

その壁に何があるわけではない。角にはマンションから持ってきた高さ一メートルほどの観葉植物のパキラの鉢が置いてあるだけなのだが、蘭丸はいったい何を見ているのだろう。

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◇◇◇◇

その日、両親は親戚の結婚式で帰宅が遅く、知佳と麻美はふたりで夕食を済ませた。

受験の年である麻美は勉強すると言ってそのまま二階の部屋に籠ってしまい、知佳はリビングでしばらくテレビを見ていたがこれといって面白い番組もなく、リビングの床に置いてある大型のビーズクッションの上に寝転がってスマホを弄っていた。

そしていつの間にか眠ってしまったようで、ふと気がつくと部屋の中は電気が消えて真っ暗になっていた。

カーテン越しに入ってくる外の灯りで、何も見えないと言う訳ではないが、まったく人の気配はない。

麻実が二階から降りてきて電気を消したのだろうか。

そして仰向けで寝ているお腹の上にずっしりと乗っているのは蘭丸に違いない。

こうやって寝ているといつの間にかお腹の上に乗って寝ていることがよくあるのだ。

手を伸ばすと指先が長い毛に触れた。

(やっぱり、蘭丸か・・・重いな。)

お腹の上から降ろすために抱き上げようと、両手を添えて少し力を入れたところで奇妙な感じがした。

ふさふさの毛の下の蘭丸の体が硬いのだ。

硬いだけではない。妙に丸い。

どうしたのだろうと思い、そのまま持ち上げてみた。

知佳の両手の間にあったのは蘭丸ではなかった。

一瞬、蘭丸の形がなんか変だと思ったのだが、よく見るとそれは髪の毛の長い女の頭部だった。

首から上だけなのだが、長い毛の間から覗く目は大きく見開き、そして何かを訴えるように知佳をじっと見つめている。

「ぎゃ~っ!」

悲鳴と共にそれを床に放り投げると、チャチャッと爪が床に当たる音がして、向きを変えこちらを見上げたのはいつもの蘭丸だった。

いきなり放り投げられて何が起こったのかとキョトンとした表情で知佳の事を見ている。

ド・ド・ド・ド!

階段から物凄い音が聞こえ、二階から駆け下りてきた麻美がリビングへ飛び込んできた。

「お姉ちゃん!どうしたの⁈」

たった今、麻美が駆け込んでくる前にリビングは明るくなった。照明を点けたのは誰なのだろうか。

リビングには知佳とお座りしている蘭丸以外は誰もいなかったのだ。

「お姉ちゃん?」

クッションの上でキョロキョロと辺りを見回している知佳を見て、麻美は何事もない様子にほっとしながらも、どうしたのかと知佳に問い掛けた。

「あ、いや、大丈夫。うたた寝して変な夢を見ちゃったみたい。ごめんね。」

時計を見ると零時少し前。両親はまだ帰ってきていないようだ。

「もう、驚かさないでよ。」

麻美はため息を吐くと、二階へと戻って行った。

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◇◇◇◇

しかしその数日後、今度は麻美の番だった。

麻美はこの日も遅くまで熱心に勉強していたが、零時を回り、そろそろ歯を磨いて寝ようかと二階からリビングへと降りて来た。

両親も知佳も既に寝ているようであり、電気の消えたリビングのソファで蘭丸が丸くなって寝ている。

普段は知佳と一緒に寝ているのだが、先日の出来事の所為だろうか、蘭丸はリビングに置いて行かれたようであり、首だけを持ち上げて二階から降りて来た麻美のことを見ていた。

「あら、蘭丸、今日もお姉ちゃんに見捨てられたの?」

麻美は歯ブラシを咥えてソファに行くと、丸くなっている蘭丸の横に腰を下ろした。

リビングの照明は点いておらず、ドアの開いた洗面所から漏れてくる灯りだけだ。

蘭丸の背中を撫でながら、しゃこしゃこと歯を磨いていると、ふと丸くなっている蘭丸の背中が硬くなったような気がした。

「?」

どうしたんだろうと麻美が蘭丸へ目を落とすと、自分が撫でていたのは蘭丸ではなかった。

クッションの上には髪の毛の長い女の頭部が横を向いて転がっており、麻美はその頭を撫でていたのだ。

そして長い毛の間から覗く目がぎょろっと麻美の方を向いた。

「ぎゃー!」

口から歯磨き粉の泡を噴き出し、凄まじい悲鳴を上げて、麻美はソファから転がり落ちた。

そして床の上でその生首を見つめたまま、顔を引き攣らせて固まってしまった。

すると数秒の間を置いて、どどどっと階段を駆け下りてくる音が響いた。

「どうした!」

父親の大きな声が聞こえ、リビングが明るくなった。

ソファの前に座り込んだ麻実の目の前には丸くなった蘭丸が、何事かと首を持ち上げキョトンとした表情で父親の方を見ている。続いて母親と知佳も階段を降りて来た。

「く、首が・・・蘭丸が女の首になったの!私のこと、睨んでた!」

それを聞いた父親はソファの上の蘭丸に目をやったが、蘭丸に変わったところは見受けられない。

何があったのかと、相変わらずキョトンとした表情でこちらを見ている。

「蘭丸はおかしくないぞ。寝ぼけたんじゃないか?」

そう言って父親は蘭丸を抱き上げたがやはりいつもの蘭丸だ。

麻美も自分が見たことに自信がなくなったのか、泣きそうな顔をしたまま黙ってしまった。

「麻美は寝ぼけたんじゃないわ!私も見たの!あの時は夢だと思っていたけど。」

知佳がそう言って、父親に先日見た生首の話をした。

「やだ、怖いこと言わないでよ。」

母親が顔を引き攣らせて三人から離れるように数歩後ろへ下がった。

「今まで、蘭丸にそんなことはなかったよな?」

父親の問い掛けに知佳は首を横に振った。

生まれて数週間の子犬の時から五年間も、知佳はずっと蘭丸と一緒に寝ているのだ。

「それにね、この家に引っ越してから、蘭丸はしょっちゅうあの壁の前でお座りしてじっと壁を見ているのよ。」

知佳の言葉に母親も頷いた。

「それは私も気になってたわ。蘭丸は何を見てるんだろうって。」

父親は立ち上がってその壁の近くへ行ってみたが、特に変わったところはない。

「とにかく、蘭丸は俺と一緒に寝るから、今夜はもう自分の部屋で寝なさい。」

家族の話を総合すると、怪しいのはリビングのこの壁の辺りであり、父親は蘭丸もここに置かない方がいいと思ったのだろう。

そして父親の思惑通り、その夜はそれ以上何も起きなかった。

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◇◇◇◇

翌日父親は、この家を仲介してくれた不動産会社に電話をして問い質したが、この家にそのような話はないとの一点張りだった。

もちろん不動産屋が知らないから確実に何も起きていないと言う訳ではない。

しかし、前のオーナーはこの家を建てた後、仕事の都合で海外へ引っ越すことになりこの家を売却したということで、特に怪しいところはなさそうなのだ。

しかし現れるのは首だけなのだ。

不動産屋は何もないと言うが、普通に考えて尋常な亡くなり方をしたとは思えない。

父親は、もう一度壁の周りをじっくり調べてみたが、そもそも丸太を組んだログハウスであり、壁に何か埋め込むということは考えられず、特におかしなシミのようなものもない。

床下も調べてみたが、特におかしなところは見受けられなかった。

何かあるはずだ・・・

壁の前に立ち思案している父親の目に、置いてある大きな鉢に植えられた観葉植物のパキラが目に留まった。

この鉢は前のマンションに住んでいた時からある物で、これが原因とは考えられない。

しかし父親はその木の根元に違和感を覚えた。

砂利だ。

直径一センチから二センチ程度の小石が敷き詰めてある。

はっきりとした記憶はないが、マンションのリビングに置いてあった時にはなかったはずだ。

父親はしゃがんで鉢の中を覗き込んだ。

「ん?」

父親は石の中から一辺が二センチ程度、厚さが五ミリ程の小さく平らな白い欠片をつまみ上げた。

「おい、この鉢の中の小石は何処から持ってきた?」

父親に声を掛けられた母親は、何事かとキッチンから出て手を拭きながら近寄ってくると、鉢の中を覗き込んだ。

「ああ、この小石、これは引っ越してきてすぐ、向こうの小川へ散歩に行ったときに河原で拾ってきたんだけど・・・どうかしたの?」

「これを見ろ。たぶん頭蓋骨の一部だ。」

その欠片は言われてみると若干の丸みを帯びていた。

頭蓋骨という言葉を聞いて母親の表情が強張った。

鉢の中を調べると、他にも同じような欠片が数個混ざっているではないか。

娘達の生首事件がなければ、そうと気づかなかっただろう。

父親はすぐに警察へ連絡した。

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◇◇◇◇

警察官の話によれば、三年ほど前にここから一キロほど川を遡った河原の草むらで女性のバラバラ死体が発見されたらしい。

しかし、頭部のみが発見されず、現在は捜査が打ち切られていた。

犯人はもちろん、被害者が誰なのかも不明のままとのことだった。

植木鉢の中にあった骨と思われる欠片との照合はこれからになるが、もしそれがやはり頭蓋骨なのだとするとその遺体の頭部である可能性が高いと警察官は言い、母親が小石を拾った場所を詳しく確認した。

その結果・・・

河原のその周辺から頭蓋骨の多くの部分が発見され、以前に発見されていた身体の他の部分とDNAが一致した。

一般的に数年で頭蓋骨がここまで細かく砕けることは考えにくく、犯人が頭部を砕いたと思われるが、それが相当な恨みによるものなのか、遺体の身元を分からないようにしようとしたのかは不明だ。

砕かれていたのが頭部だけということからすると、おそらく前者なのだろう。

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◇◇◇◇

植木鉢の中の頭蓋骨の欠片も全て警察の手によって回収されたが、父親は植木鉢の中の小石を全て川原に戻し、その上で神社の宮司さんを呼んでリビングのお祓いをして貰った結果、それ以降おかしなことは起こらなくなった。

あの生首は、頭部が発見されぬままになっていた被害者の女性が、それを訴えるために現れたのだろうか。

この発見によって事件が解決に向かうかどうかは分からない。

それでも、気に入って購入したこの家から引っ越す必要がなさそうな事に影谷一家はほっとしたのだった。

しかし・・・

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知佳、麻美姉妹はあの時の恐怖が消えず、蘭丸に触れることが出来なくなっていた。

蘭丸の長い毛があの時の恐怖を忘れさせてくれないのだろう。

蘭丸の毛の間からあの目が見つめているような気がするのだ。

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その恐怖心を和らげるために、母親は蘭丸の胴体部分の毛を短く刈り込んでしまった。

その結果、蘭丸は足の短いシュナウザーのようになってしまった。

しかしそのお陰で知佳と麻美はこれまで通り蘭丸と笑顔で戯れられるようになったのだ。

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多少寒くても、一時はふたりに避けられていた蘭丸も幸せだろう。

そもそも蘭丸自身が望んで長髪にしていたわけではないのだから。

「わん」

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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