wallpaper:6796
自殺論。
寺山修司が短いエッセイでひと纏めに書いているのをお読みの方も多い筈だ。
三島由紀夫の自殺は、日本国への革命を求めていたようでいてじつは、ただ自死に華を咲かせるためだけに多くの若者を極右的に巻き込んだ切腹だった。クーデターの香りさえあった。けれど、あれは明確に単なる自殺だ。三島文学を愛する人でさえ(私もそのひとりだが)、あの死に方にはさほど憧れない。
藤村操は華厳の滝で有名な自殺者だ。
彼が刻んだ『厳頭之感』は、寺山によると純粋自殺の証明なのだ。
私も同様に思う。
彼は漸進的な自殺をしたのだ。
死んで終わり、では無い、という知性の世界が確かにあって、だからこそ人間は次世代のために生きている。逆に言うと、次世代のために死ぬことさえ出来る。
寺山はガンに冒されてからも谷川俊太郎とのビデオレターの交換を続けていた。死について見つめ続けていた詩人が、その死に臨んではユーモアのあるビデオレターを作っていたというのは、けれど、彼の創った映画を観ればさほど意外でもない。
死を見つめ続けると、命を表現するにはユーモラスになる。
たまに友人と酒を飲むと、歌舞伎町に繰り出すこともあった。
新宿駅南口の陸橋を通るたびに、そこで焼身自殺をした人がいた、という事件を思い出していた。他にもあの橋では、首吊りをした若い男性もいた。わりと長い時間、その死体はあの交通量の多いところでぶら下がっていた。そんな場所ではあるけれど、私達はごく当たり前にそこを歩いている。
歌舞伎町ではたとえば、一番街に入ってすぐのビルで40人以上が亡くなった火災があった。当時の建物は取り壊されて、今では新しくなっているけれど、立地はまったく同じ場所。
けれどそんなことは、誰も気にしない。
3丁目で飲んでいたらゴールデン街がわりと燃えていたこともある。
目と鼻の先で事件が起こっていたのを知らず、焼き鳥とビールにしか興味が無かった。
太宰治の小さな文章に『かくめい』というのがある。
ほんの数十文字の、しかもひらがなだけで創られたひとしずくの言葉。
彼が書いていたのは、人間は変わろうと思っていても変わることは出来ないということ。
変わろうと思わなくなった時にようやく次の生き方が出来ている。
それを知っていながら彼には、その“次”が来なかった。
太宰が死んだ年齢に、私もだんだんと近づいている。
生きていたいと思っているし、そのためにたくさんの努力もしている。
けれど どういうわけか、死者の声ばかりが聞こえる。
ここで書きたいのは「脳死と実際の死」の関係だ。
もし何か御存知の方がいれば教えていただきたいとも思う。
ライフルで頭を吹き飛ばした男性の映像を見たことがあるのだけれど、頭の上半分が壁に飛び散った瞬間に、全身の筋力が(見た感じでは)抜けて椅子にもたれていた。ただ、それを見る限りどうやら小脳までは破損されていないように見えた。
脊髄に繋がる小脳が破損していない場合、前頭葉や海馬が消えて意識や身体能力が消えたとしても、痛覚などはあるのではないか。つまり、見た目としては即死でも、心臓が止まっていたとしても、ある程度の時間は肉体の痛みに反応する「脳が生きている」のではないか?
私は、もし本当に一切の苦痛なく気づかない間に死ねるなら、それを望んでいる。
自殺願望ではまったく無い。生きていたいとずっと思い続けている。
けれど、苦しまずに死ねたらそれはそれでお得だとも感じている。
いわゆる“グロサイト”を巡っていると様々な映像を見ることが出来るけれど、銃で頭部を撃つ瞬間はたくさんの例がある。たいていの場合は一瞬で倒れ込むし、それは即死と表現される、けれど、本当にそうなのだろうか?
電気信号がニューロンで交錯しているこの複雑な脳というものが、ほんの一部の欠損くらいでその活動を止めるはずが無い。
いわゆる人間としての意識、思想、それは銃弾で消し飛ぶに違いないけれど、果たしてそれは「即死」なのか?
さらに言うならば、人間は脳だけで考えているわけではない。
あくまで情報処理の機関としての脳であって、受容体としての細胞は全身で60兆個を超える。これらの細胞は個々で判断してアポトーシスさえしている。
腸には腸の、上腕筋にはそれの意識が細胞にあって、普段は人間の意識によって痛み苦しみを統率しているつもりでも、実際には「自分」なんて自我が「自身」を統一する、そんなことは不可能だ。
作者肩コリ酷太郎
生きていくため書いています