「古関、聞いてくれよ。ここだけの話なんだが、俺のアパートの部屋に妖精がいるんだ。」
社員食堂で同僚の枢木(くるるぎ)誠二と昼飯を食べていると、彼が突然言い出した。
「妖精?あのピーターパンとかに出てくる羽の生えたちっちゃな女の子?」
「いや、ちょっと違うんだ。」
その妖精は一か月ほど前から彼のところに現れるようになったらしい。
ただ童話では親指ほどの大きさだと聞いていたが、彼のところに現れる妖精は二十五センチくらい。
大体、リカちゃん人形とほぼ同じだそうだ。
大きさ以外は普通の人間と変わらず、ちゃんと動くし会話もする。
ただ背中に羽が生えており、空中を飛ぶことも出来る。
しかしその見た目は・・・
「ややぽっちゃり系のオバサン、そうだな、人間で言えば三十後半から四十前後くらい?なんだよ。
でも意外に美人でさ、ほら某局女子アナの水〇麻美がもう少しだけ老けた感じかな。」
「それって、妖精って呼ぶよりも、都市伝説にある”ちっちゃいオバサン“じゃないのか?」
「”ちっちゃいオジサン“とか、”ちっちゃいオバサン“の定義って知らないけど、違うんだ。彼女は立派な妖精なんだよ。」
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◇◇◇◇
事の始まりは、転居する親戚から立派なガジュマルのテーブルを貰ったことだった。
枢木は観葉としての小さなガジュマルしか見たことがなかったのだが、実際には二十メートルを超える高木らしい。
木の幹を縦に割った、厚さが十五センチ程のテーブルトップで、奥行が約九十センチ、長さが一メートル五十センチほどの大きさがある。
重量もかなりのもので運んでくるのも大変だったが、脚の高さが三十センチ程で、居間のカウチ用のテーブルにぴったりだと喜んで貰ってきたのだ。
譲ってくれた親戚によると、ガジュマルは精霊の宿る木とされ、運気が良くなると言われた。
そしてそのテーブルを運んできた夜にその妖精は現れたのだ。
それまでの安い合板のテーブルから重厚感のあるテーブルに変わり、ご機嫌でテーブルを撫でながらビールを飲んでいた。
するとひょっこりとテーブルの表面から湧き出てくるように彼女が姿を現したのだ。
最初はテーブルの表面から頭だけが出てきた。
そして周りを見回し、枢木と目が合ったところで、穴から這い出るようにしてテーブルの上に出てきたのだ。
「うわっ!」
驚いてカウチの上で仰け反った。
大きさ、そしてその登場の仕方からして人間であるはずがない。
長い茶色の髪の毛は後ろで束ねられ、衣類は身に纏っておらず、その背中にはトンボかカゲロウのような半透明の羽が生えている。
その姿から“妖精”と言う言葉が頭に浮かんだが、やはり枢木が持っている妖精のイメージとは違っている。
まずその見た目の年齢。
やはり妖精イコール少女と言うイメージが焼き付いているのに対し、自分の母親よりは随分と若いものの、どう間違っても少女には見えない。
そしてその大きさだ。
やはり妖精と呼ぶには、少し大きいような気がする。
しかし恐怖感は全くなかった。
奇妙で可愛い小動物が目の前に現れたような感じと言えばいいのだろうか。
彼女は裸であることを恥ずかしがる様子をまったく見せずにテーブルの上に立つともう一度部屋の中をぐるっと見回した後、枢木をじっと見つめた。
「うんじゅ、うちなんちゅが?」(あなた、沖縄の人?)
彼女はいきなり聞いてきた。
友人の古関(俺)が沖縄の出身なので、枢木もほんの少しだけ琉球語は分かる。
「やまとんちゅ」
言葉を喋るんだと驚きながら彼女の問いに答えると、彼女はあからさまに残念そうな仕草をした。
「うんじゅ、名前が?」
それでも名前を聞いてきた彼女に枢木誠二だと素直に答えると、彼女は”ヒープン”だと名乗った。
「ヒープン?」
彼女はこのテーブルに使われている樹齢三百年を超えるガジュマルの木の妖精だと言った。
しかしこのテーブルを譲ってくれた親戚の伯父さんはこのような妖精の存在について何も言っていなかった。
彼女はその家の人達が好きじゃなかったから、ずっと隠れていたと言い、枢木の前に姿を見せたのは単なる気まぐれだと笑った。
そしてそれ以降、彼女は枢木の部屋に棲みついたのだ。
しかし彼女が一糸まとわぬ全裸で、豊かな胸を揺らしながら部屋中を動き回ることが落ち着かない。
もちろん枢木に彼女の洋服を縫うような技量はなく、リカちゃんママの服のセットを買うことにした。
人形の洋服は、実際に着ることを想像すると着心地の悪そうな物が多い。
その中で柔らかそうなニットのノースリーブのサマーセーターとスカートのセットをネットで見つけ、彼女に着るように頼んだ。
彼女はそれに素直に従い、器用に背中の羽を畳んでそれを身に付けた。
スマートなリカちゃんママに比べやや太めの彼女にはきついかとも思ったが、伸縮するニット素材に加えスカートはウエストがゴムであったため、それほど無理なく着ることができた。
多少窮屈そうだが意外にも結構気に入ったようであり、中でも同じ洋服セットの中に入っていたピンクの腰エプロンが特に気に入ったようだ。
しかし、エプロンをしていても家事をしてくれるわけではない。
もちろん彼女の体の大きさではとても無理なのだが、そのくせに口うるさいのだ。
“起きたらちゃんと朝の挨拶をしなさい”から始まり、
”部屋の片づけはこまめに”、
”拭き掃除は部屋の隅まで”、
”脱いだものはちゃんと洗濯籠に”、
”時間のある限り自炊する”、
”ご飯は野菜から食べなさい”・・・
…
まるで母親と一緒に生活しているようだ。
母親ならいろいろ家事をしてくれ感謝するところも多いのだが、彼女は母親の口うるさいところだけを抜き出してきたような存在なのだ。
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◇◇◇◇
「なるほど。そりゃ大変だな。」
俺は苦笑いしながら相槌を打った。枢木の話を疑っているわけではない。
しかしあの女子アナに似たリカちゃんママに、あれこれ指図されている枢木を想像すると笑いがこみ上げてくる。
「あのなあ、古関。俺は真剣に困っているんだぞ。」
「悪い、悪い。しかしその妖精は、ガジュマルのテーブルと共に沖縄から来たって言ったよな?」
「ああ、それが?」
沖縄には、”ひんぷんガジュマル”と呼ばれる道路の真ん中に立つガジュマルの木がある。
屏風(ひんぷん)とは、門のところに建てて、中が開け広げにならないようにする屏風のような大きな石を指し、もともとは風水の魔除けの意味があるのだそうだ。
「その妖精が自分のことを”ヒープン”と言ったのは、これに関係があるんじゃないか?」
「そうか、古関は沖縄の出身だから詳しいな。説得力のある推測だ。でも俺も昔聞いた事があるんだが、ガジュマルの木に棲みついているのはキムジナーとかいう名前の赤毛の男の子の妖怪じゃなかったか?」
キムジナーは、ガジュマルの木に棲むといわれる物の怪で、幸運をもたらす存在だが悪戯好き。
座敷童のような存在だ。
「ああ、それは俺も子供の頃からよく聞いた。でもお前のところにいる”ヒープン”は初耳だ。ただ、な・・・」
「ただ、何だ?」
「知ってると思うが、ガジュマルは隣接する木に撒きついて枯らしてしまう、“絞め殺しの木”なんだ。お前のところにガジュマルの精霊が棲みついて、お前に何事もないと良いんだけど。」
しかしこのテーブルを譲ってくれた親戚の言うように、一般的には幸運を呼ぶ木だ。
「なあ、一度、そのヒープンと話をさせてくれないか?」
特に何を聞きたいという事があるわけではないが、うちなーぐちを話す妖精の彼女と会話がしてみたかった。
枢木はふたつ返事で了承してくれた。
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◇◇◇◇
その週の金曜の夜、仕事を終えると泡盛を抱えて枢木のアパートへ遊びに行った。
1DKの間取りなのだが、八畳ほどの居間には不釣り合いに立派な木のテーブルが置いてある。
「これか。ガジュマルの木で作ったテーブルは初めて見た。」
「いいだろ。こんなテーブルが昔から欲しかったんだ。」
手土産に持ってきた泡盛と総菜をテーブルの上に置き、床に腰を下ろそうとした時だった。
「たー やが うり?」(その人、誰?)
懐かしい、うちなーぐちで話す女性の声がベッドの方から聞こえた。
そちらを振り向くと枢木の言った通り、リカちゃんサイズの女性がベッドの上に座っていた。
「うんじゅ、ヒープンが?」(あなたがヒープン?)
ヒープンは俺がうちなーぐちを話したのに驚いたような表情を浮かべるとすっと消えてしまった。
どうしたのかと思った次の瞬間、彼女はテーブルの上にいた。
枢木が彼女のために買ったのだろう、人形用の食器セットを枢木が彼女の前に並べるとヒープンは嬉しそうに、注げと言わんばかりに俺の前にコップを突き出した。
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*************
ヒープンが泡盛を飲みながら話してくれたところによると、やはり彼女は沖縄本島の西側にある小さな村の通りに立っていた”ひんぷんガジュマル”に棲む妖精だった。
そしてキムジナーは彼女の子供ということらしい。
数年前、村の道路の整備の話が出た。
道の真ん中に立つこの木は、そもそも巨大で、樹齢が進んでいることもあり移設することが出来なかった。
木は村の人達の反対を押し切って切り倒され、家具などに加工されたうえで、お守りとして村人に配られた。
そして、ひとりの村の若者が上京する際に、このテーブルを東京に持ってきたということらしい。
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(沖縄に帰りたい。)
酔った彼女はテーブルの上で小さくうずくまると、そう呟いた。
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◇◇◇◇
翌週、社員食堂で枢木が声を掛けてきた。
枢木のアパートで飲んでから、まだ一週間も経っていないが、何だか顔色が悪く痩せたように見える。
「古関、頼みがあるんだが、あのガジュマルのテーブルを引き取ってくれないか?」
「どうした?ヒープンの小言に音を上げたか?」
「いや、それもあるんだが・・・」
枢木曰く、俺が訪ねて行ったあの夜以来、ヒープンに元気がないそうなのだ。
俺と話をしたことでホームシックにかかったに違いないと彼は言った。
「なんだか可哀そうでな。沖縄言葉を話す古関のところにいれば少しは違うかなって思ったんだ。」
ヒープンの為にお気に入りのテーブルを手放すとは、なんだかんだ言いながら枢木はヒープンの事を好ましく思っていたのだろう。
しかしあのテーブルを俺のところに移しても、根本的な解決にはならないような気がした。
「それにしても、枢木、お前、随分顔色悪いが何かあったのか?ヒープンの元気がないだけとは思えないが。」
枢木はしばらく黙っていたが、俺の顔をじっと見つめた後、ゆっくりと話し始めた。
「実はな・・・ヒープンが夢に出てくるんだ。」
枢木の話によると、夢に出てくるヒープンは人形サイズではなく普通の人間の大きさで、羽を広げて沖縄の白い田舎道の真ん中に立っている。
その姿は最初に現れた時のような一糸まとわぬ裸なのだが、肘から先の手が木のツルになり、そして膝から下の脚が地面に根を張っているのだ。
そして、引き寄せられるように枢木がヒープンに近づいて行くと、ヒープンは悲しげな表情で腕のツルを枢木の身体に巻き付けて抱き寄せると、そのままぎりぎりと締め上げてくる。
そしてその苦しさから枢木が気を失うところで目が覚めるのだ。
俺の頭の中に”絞め殺しの木”という言葉が浮かんだ。
しかしなぜ突然そんなことになったのだろう。
少なくとも俺が枢木の部屋を訪ねた時まで、枢木とヒープンは仲良くしていたのではなかったのか。
俺のせいなのだろうか。
おそらく俺と話をして郷愁に駆られたヒープンは、枢木があのテーブルを所有している限り沖縄には帰れない、そう思ったのかもしれない。
そう考えた俺は沖縄の実家に電話を掛けた。
そして事情を話し、あのテーブルを引き取ってくれる知り合いを探してくれと頼んだ。
しかし両親が祖母に相談したところ、おばーはそのテーブルをすぐに沖縄へ送り返せと言った。
「そんなテーブルを東京なんぞに持っていったのが間違いじゃ。」
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◇◇◇◇
俺は枢木のアパートへ行くと枢木とヒープンにその話をし、枢木にテーブルを沖縄に送るよう勧めると、彼は素直に頷いた。
「ヒープン、わっさいびーたん(ごめんね)。」
俺が謝る筋合いではないと思うが、俺の言葉にヒープンは深々と頭を下げた。
そして頭を上げると枢木の方を見て寂しそうに微笑んだ。
「にふぇーでーびたん(ありがとう)」
その言葉を聞いて、枢木は涙を浮かべた。
あの枢木の夢はヒープンが見させたものではないのだろう。
心優しい枢木のヒープンに対する呵責の気持ちが、あのような夢を見させたのだと思う。
そして俺と枢木はテーブルを丁寧に梱包すると沖縄の実家へと送った。
はっきり言って、送料は鬼のように高かった。
あの重たくて大きいテーブルなのだから仕方のないことなのだが、俺の実家に送るのだから半分出すという俺の申し出を枢木は断り、苦笑いしながら全額を払った。
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◇◇◇◇
実家に送られたテーブルは、おばーの言葉に従い即日海岸で燃やされたそうだ。
そしてその灰はまだ若いガジュマルの木の根元に全て撒かれた。
ヒープンはまたその若いガジュマルの木に宿り、これから何十年、何百年と時を過ごしていくのだろう。
また新しいキムジナーも生まれるかもしれない。
(お父さんが誰だか知らないが・・・・)
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枢木とは、今でも時折一緒に飲みに行く。
そして彼は酔っ払って時々呟くのだ。
「ヒープンに逢いてえな。」
…
◇◇◇◇ FIN
作者天虚空蔵
もちろん創作です。
キムジナーは、沖縄に言い伝えられる有名な妖怪ですが、ネットで調べる限り、"ヒープン"のお話はありません。
あしからず。