長編10
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幼稚園バス

俺は松浦弘樹。今年で28歳、幼稚園バスの運転手をしている。

朝は、出勤するとすぐに園児達の送迎用マイクロバスを車庫から出すところから始まる。

「おはようございます!よろしくお願いしま~す。」

今日の送迎担当は俺のお気に入りの山下あかね先生だ。

一昨年短大を卒業し今年で3年目の若い先生で、明るく元気な性格が好ましい。

彼女が席に座ったのを確認し、比較的山の中にある幼稚園の門を出ると園児達の待つ市街地へと向かう。

この幼稚園は自然の中でのびのびと子供を育てることを園風にしており、基本的に子供達は親が送り迎えをするか、この送迎バスを使っている。

最初の待合場所に近づいて行くと、いつものように路肩に立っているお母さん達と黄色い帽子にブルーのスモッグを着た園児達の姿が見えてくる。

その集団の前でバスを停車させると、山下先生がマイクロバスのドアを開け園児達を乗せるためにバスから降り、笑顔で挨拶する。

「おはようございま~す。」

可愛い声で挨拶を返しながら園児達が笑顔でバスへ乗り込んでくる。

こうして五か所ほどを回り、幼稚園で園児達を降ろすと朝の送迎の仕事は終わりだ。

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◇◇◇◇

昨年まで大手自動車販売会社のディーラーで整備工をしていたのだが、仕事中に左手の甲に大怪我をして手に障害が残ってしまったため、仕事を続けられなくなってしまった。

労災であり、それなりの保証は受けたのだが、それで遊んで暮らせるわけもなく、仕事を探していた時につなぎの仕事として親戚が紹介してくれたのがこの幼稚園バスの運転手だった。

怪我により細かい作業を伴う整備工の仕事は出来なくなったが、車の運転には支障はない。

もともと仕事柄、車の運転は得意であり、二種免許もある。

そして事前に見学した時に若くて可愛い先生が多かったこともあって、給料は安いがアルバイト感覚でこの仕事を引き受けたのだ。

仕事は朝夕の送迎だけではない。

昼間は幼稚園の遊具や設備のメンテナンス、園内の清掃など様々な雑用で結構忙しく過ごしている。

もちろん先生の資格など持っていないので、正規の授業として園児達と直接関わることは出来ない。

しかし元来モノ作りが好きなこともあって、先生達と相談しながら充分に動かない手を駆使しながら新しい玩具や遊具を作り、それを手にした時の園児達の喜ぶ姿を見るとそれなりにやりがいも感じているのだ。

幼稚園バスの運転手はリタイアしたお爺さんなど、歳を召した人が多いのだが、俺が若くて独身ということもあるのか、先生達やお母さん達の評判も良く、園長もいい人に来て貰えたと喜んでくれている。

しかしその園長からは、園児達はもちろんのこと、くれぐれもお母さん達や先生達とプライベートを含めて問題を起こすことがないようにと釘を刺された。

もちろん園児達に対しては可愛いと思うが、変な意味での偏った趣味はない。

しかし、園児はもとより、お母さん達とあらぬ噂が立つだけでも園にとっては大きなダメージとなるため、絶対に個人的な誘いには乗らないようにと仕事を始める時に固く約束させられた。

そのため園児のお母さん達が集まる場所にはどんなに誘われても絶対に顔を出さないようにしているし、先生達とも複数での飲み会以外は参加しないようにしている。

ただ幸か不幸か、まだ個人的にお誘いを受けたことがないのだが。

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◇◇◇◇

その日は年中組の錦田真理先生が送迎の当番だった。

ややおとなしい性格で、いつもニコニコとしているため、お母さん達や園児達の評判はとてもいい。

いつものように笑顔でバスへ乗り込み中央ドア横にある先生用の席に座ったのを確認してバスをスタートした。

一番目を終え、そして二番目の待合場所に到着し、園児達を迎える為に錦田先生がバスを降りる。

園児達が乗り込んでくる間、俺は周囲の安全を確認しつつミラーでその様子を見ているのだが、錦田先生がお母さんのひとりと何か揉めているようだ。

バスのドアは開いており、その会話の内容も聞こえている。

どうやら年長組の蒼井まりかちゃんの具合が悪そうに見えたため、錦田先生が登園を見合わせるよう話をしているのだが、まりかちゃんの母親も外せない仕事があるらしく、どうしても預かって欲しいとごねているようなのだ。

結局、まりかちゃん自身が自分は大丈夫だと言い張ったこともあって、そもそもおとなしい性格である錦田先生が折れ、何かあればすぐに対応して貰えるよう母親に念押しをして預かることになったようだ。

そして三番目の待合場所では、まりかちゃんと同じ年長組の宮里悟くんが乗ってきてまりかちゃんの隣に座った。

園内での様子は分からないのだがバスの中の様子を見る限り、このふたりはとても仲良しであり、この可愛らしいカップルは見ていて微笑ましい。

「まりかちゃん、きもちわるいの?だいじょうぶ?」

悟くんの目から見ても、まりかちゃんの具合が良くないのは分かるのだろう。

「うん、だいじょうぶ。」

それでもまりかちゃんは、悟くんに笑顔で返事をしている。

それをミラーで見ていた俺はひとまず安心してバスを発車した。

しかし幼稚園に到着し、園児達がバスを降りる段階になって、悟くんが大きな声で錦田先生を呼んだ。

「せんせい!もうついたのに、まりかちゃん、起きないよ。」

錦田先生が慌てて駆け寄ると、まりかちゃんは悟くんの手を固く握ったまま、真っ青な顔をして意識を失っていた。

顔に手をかざしてみると、呼吸をしていない。

大慌てで救急車を呼び、俺も救急車の到着まで必死で人工呼吸を施した。

しかしその努力も空しく、まりかちゃんはそのまま息を引き取ってしまったのだ。

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◇◇◇◇

まりかちゃんと悟くんは同じきりん組で山下先生が担任だった。

山下先生はその日ずっと泣き続けていたのだが、それは錦田先生も同様だった。

目の前で園児に死なれたのだから無理もない。

まりかちゃんを預かる時の様子は、その場にいたお母さん達全員が見ており、錦田先生、そして幼稚園の責任が問われることはなかった。

他の先生達も、たとえ錦田先生が登園を強引に断ったとしても、まりかちゃんは命を落とすことに変わりはなかったのだと慰めた。

「まりかちゃんは大好きな悟くんの手を握って逝ったのだから、それはそれで良かったのよ。」

山下先生も涙ながらにそう言って錦田先生を慰めた。

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◇◇◇◇

しかし、まりかちゃんがいなくなってから一週間程して、まりかちゃんがバスに乗っていると悟くんが言い出したのだ。

先生や俺の見ている前で「まりかちゃん早く降りようよ。」と誰も座っていない席に声を掛けている。

送迎担当の先生は、まりかちゃんは後から降りるからね、と悟くんをバスから降ろすのだが、そこにまりかちゃんの姿は見えないのだ。

まりかちゃんのことが大好きだった悟くんの幻覚ではないかと先生達は思っていた。

山下先生が悟くんに確認しても、まりかちゃんはバスには乗っているのだが、教室では見ていないと言う。

そして悟くんはまりかちゃんがバスに乗ったままだと言い張っていた。

それを裏付けるかのように、全員間違いなく降車したはずなのに、突然園児置き去り防止用のセンサーが反応して鳴り出すことがあった。

俺が慌ててバスに駆け込んでもやはり誰もいない。

そんなことも時折起こるようになっていた。

そして送迎当番の先生が悟くんを別の席に座らせようとしても、悟くんは頑として指示を聞かずにその席へ座る。

そしてたとえ悟くんがお休みの日でも他の園児達は、まるで解っているかのように決してその席に座ろうとしなかった。

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◇◇◇◇

そしてある日、昼休みに園庭の木陰で読書をしていた俺のところに山下先生が近寄ってきた。

「松浦さん、これ見て貰える?」

そう言って山下先生が差し出したスマホの画面にはバスの中を撮影した写真が表示されている。

今朝、彼女がバスの中でこの写真を撮影していたのは俺も記憶していた。

記念アルバムか何に使う写真でも撮っているのかと思ったのだが、彼女の目的は違っていた。

写真の中央には、悟くんが写っている。

そして空席であったはずの隣には、まりかちゃんと思われる姿がぼんやりと写っているではないか。

「本当にいたんだ・・・」

俺のつぶやきに山下先生は大きく頷いた。

「いくら悟くんがまりかちゃんのことを好きでも、このままでは悟くんに良くないと思うの。」

「そうかもしれない。でも、どうするの?」

「とにかく、あの席から悟くんを離すようにするわ。」

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◇◇◇◇

翌日、三番目の待合所にバスを停めると悟くんが乗り込んできた。

山下先生は、嫌がる悟くんを強引に運転席すぐ後ろの一番前の席に座らせ、その隣に山下先生が座った。

「僕、まりかちゃんの隣がいい。」

悟くんはそう文句を言ったが、山下先生が何とかそれをなだめ、バスは出発した。

そして四番目の待合所を過ぎた時だった。

「あ、まりかちゃん、バスが動いてるときは座ってなきゃいけないんだよ。」

突然、悟くんが斜め後方を振り返ってそう叫んだ。

その途端だった。

隣に座る山下先生が突然胸を押さえて苦しそうにうめき声を上げ始めたのだ。

「ううっ、まりかちゃん、やめて・・・」

俺は慌ててバスを路肩に寄せて停車すると、このまま悟くんの隣に置いてはいけないと、山下先生を抱きかかえて運転席横のドアを使ってバスから降ろした。

そして山下先生を地面に下ろし、上体を半抱きにしたまま救急車を呼ぼうとスマホを取り出そうとした。

ところが山下先生は何事もなかったようにキョトンとした顔で俺の顔を見上げているではないか。

「山下先生、大丈夫?」

「ええ、バスを降りたら、すっと楽になっちゃったの。」

やはりまりかちゃんの仕業だったに違いない。

悟くんとの間を邪魔する者は、たとえ山下先生でも許さないということか。

「あ~、バスのお兄ちゃんとあかね先生が、らぶらぶしてる~」

何が起こったのかとバスの中で様子を見ていた園児が、俺に抱きかかえられた山下先生を指差して冷やかしてきた。

「そんなんじゃないわよ!」

山下先生は顔を赤くして慌てて立ち上がると、何事もなかったかのようにバスに戻った。

悟くんはいつの間にかいつもの席に戻ってにこにこと座っている。

山下先生と俺はとりあえず諦めて、そのままバスをスタートさせた。

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***********

そしてその日、俺も含めて園長と先生達が集まって話し合いが持たれた。

もうこの中にまりかちゃんの霊の存在を疑う者はいない。

そしてこのまま卒園まで悟くんをまりかちゃんの霊と一緒にしておくことが良いとは誰も思わなかった。

しかし悟くんを別の席に座らせても今日と同じことを繰り返すだけだろう。

話し合いの結果、卒園迄の残り半年の間、悟くんはバスには乗せずに園長が通勤途中に車でピックアップして園まで送迎することにしたのだ。

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◇◇◇◇

しかしやはりそれでは解決したことになっていなかった。

一週間ほど経つと、送迎当番の先生や運転する俺の耳元で声が聞こえるようになった。

(サトルクン・・・サトルクンハ、ドコ?)

もちろん、聞き覚えのあるまりかちゃんの声だ。

幸い他の園児達は何も聞こえていないようなのだが、先生達は怖がって送迎を嫌がるようになった。

もちろん俺も怖いのだが、これが俺の仕事であり、拒否すると園児達は登園できない。

そして園長が知り合いのお寺にお祓いを頼んだが全く効果はなかった。

(サトルクン・・・サトルクンガ、ノッテナイ!)

日を追うごとに、まりかちゃんの口調が激しくなってくる。

とにかく先生達と俺はその声に耐えて送迎を続けていた。

しかしやがて声だけでなく、運転席のシートバックが揺さぶられるようになったのだ。

(サトルクン!サトルクン!)

もちろん恐怖もあった。

しかし、さらに酷くなると園児達を安全に送り迎えする自信がない、何か方法はないか、と俺は園長に相談した。

どうせ腰掛けの仕事であり何度も辞めようと思ったのだが、他の先生達に問題を押し付けて自分ひとりだけ逃げ出すようで気が引けた。

すると園長先生はしばらく何かを考えているようだったが、園のオーナーである理事長に相談すると言った。

しかし理事長が何をしてくれると言うのだろうか。

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◇◇◇◇

翌週、驚いたことに新しい幼稚園バスが届いた。

幼稚園バスは、一千万円以上する。

理事長も思い切ったことをするなと思ったが、やはり園児達の安全には代えられないということなのだろう。

しかしバスを新しくすることでまりかちゃんの霊は現れなくなるのだろうか。

俺も先生達も半信半疑だったが、新しい幼稚園バスにまりかちゃんの幽霊が現れることはなかった。

悟くんもしばらくしてまた元のように園バスで通うようになったが、ひとりで座っているとやはり寂しそうだ。

「まりかちゃんは、悟くんと一緒にいたいという想いの余り、そのままあのバスの地縛霊になってしまったって事なのね。」

先生達の朝礼の場で山下先生がどこかしんみりとした口調でそういうと、俺はふとあることが気になった。

「園長、そう言えば、あのバスはどうしたんですか?」

俺の問いに園長はニヤッと笑った。

「うん?もちろん下取りに出したわよ。値が下がるといけないから何にも言わずにね。」

「・・・・・」

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まりかちゃんの寂しい魂を乗せたあのバスは、今もどこかで園児達を乗せて走っているのだろうか。

事故を起こさなければ良いけれど・・・

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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