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長編8
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ホットヨガスタジオ

鬱陶しい梅雨ももうすぐ終わり、また暑い夏がやってくる。

今年の夏こそ可愛いビキニを着たい、陽子は毎年そう思って夏を迎える。

しかしビキニのショーツの上に乗っかるお腹のお肉、そして背後ではみ出すお尻のお肉。

これがどうにもならず、これまでずっと諦めてきたのだ。

タンスの奥には、励みにしようと前もって買ったビキニが何着もしまい込まれている。

しかし二十代最後の年になる今年こそ素敵な男性を射止めるために何とかしよう、そう一大決心をした。

でも自力で何とかできるほどの知恵も精神力もない。

会社のモテ同僚がヨガに通って体型を維持しているという話は前から聞いていたため、陽子はいろいろなヨガスタジオをネットで検索してみたのだが、どれも値段や内容にピンとこない。

テレビでCMを流している抜群のダイエット効果を謳ったジムは目玉が飛び出すほどの値段だ。

しかしそんなある日、似たような悩みを抱える同僚の典子が良さそうなヨガスタジオがあると話を持ってきた。

調べてみるとホットヨガスタジオなのだが、月七千四百円と安く、場所も通勤途中にあり申し分ない。

陽子は、早速典子を誘って体験コースを申し込んだ。

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◇◇◇◇

当日その場所へ行ってみると、かなり古びたビルの三階にあった。

こんなところも安さの理由のひとつなのだろう。

ビルにはエレベーターもなく、息を切らしながら階段を昇って三階までたどり着くと、ふたりはドアを開けて中へ入った。

「え?」

ロビーへ入った途端に、陽子は何故か寒気を感じた。

ここはホットヨガではないのか?

典子に話しても、そう?と言うだけで特に何も感じていないようだ。

とにかく受付を済ませ、スウェットに着替えた。

ふたりは体型をカバーする意味もあって、運動する時はいつもぶかぶかのスウェットを着ているのだが、それを見た受付の女性が顔をしかめた。

「大量に汗をかきますからスウェットは不向きですね。レオタードはお持ちではないですか?Tシャツと短パンでもいいですが。」

確かに案内にはそう書かれていたので、念のため陽子と典子は短パンを持って来ていた。

陽子はTシャツを忘れてきたためスポーツブラに短パン、典子はTシャツに着替えた。

スタジオへ入るとそこはホットヨガだけあって、むせ返るほどの熱気だった。

ロビーは意図的に温度を下げていたのかもしれない。

スタジオには鏡の前でポーズを取っているスマートなインストラクターと思しき女性がおり、彼女以外はマシュマロマンのようなオバサンばかりが五人ほど。

カラフルなレオタードを身に付けているのだが、冗談抜きでビア樽に手足が生えたようなイメージだ。

この人達に比べれば自分達はかなりまともなプロポーションをしていると陽子と典子は少しだけ自身が蘇ったが、そもそも目指すところが違う。

この五人を見る限り、このヨガスタジオの効果はあまり期待できないかもしれないとふたりは不安になった。

そして体験コースが始まったのだが、軽いストレッチだけでも汗がにじんでくるのが分かる。

久しぶりに感じる、汗が体の表面を流れる感覚が気持ちいい。

何故だろう、汗が肌を伝う感覚が気持ちいいなんて、生まれて初めて。

夏の暑い日に背中を伝う汗とは全く異なるその感覚は病みつきになりそうだ。

三十分の体験コースを終え体重計に乗ると、始める前に計った体重から0.3キロも軽くなっていた。

これは効果があると、ふたりは正式に申し込みをして翌日から通うことにした。

「ねえ、陽子、今日ヨガやってて汗かいた?」

「うん、もちろん。たくさん汗かいたよ。なんで?」

「着ていたTシャツが全然濡れていないのよね。」

陽子はスポーツブラだけだったが、言われてみれば額や背中、脇の下などに汗が流れるのを感じていたはずなのに、思ったほどブラは濡れていなかった。短パンも同じだ。

「きっとあのスタジオは、温度を高くしているけど湿度が低くしてあって、汗とか着ているものはすぐ乾くんじゃない?」

「そうなのかなあ」

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◇◇◇◇

そしてその日から一週間、仕事の後にそのホットヨガへ通い、陽子は何と五キロの減量を達成していた。

もちろんヨガだけではなく、この一週間はジュースやお酒などの水分摂取量や食事にも気を配っていたのだが、それにしても期待以上の成果だ。

そして半月が過ぎる頃には、七十キロ手前だった体重が、六十キロを切った。

それは典子も同様であり、ふたりで思っていた以上の成果を喜んだ。

目標の五十キロ台前半まであと一息だ。

夏のビキニだけじゃなく、ハロウィンはふたりでファイターズガールの格好をしてキツネダンスを踊ろうよ、と夢も広がる。

「ねえ、陽子、私不思議に思うんだけど、一緒にやってるオバサン達はなんで痩せないのかな。」

典子がふと思いついたように疑問を口にした。

陽子の脳裏に、汗をかきながらヨガに励んでいるオバサン達のビア樽体型が浮かんだ。

「私達は、ほら、食事の管理まできちんとやっているでしょ。あのオバサン達は、ヨガをやっているからって安心して、好きなだけ飲んだり食べたりしてるから痩せないのよ、きっと。」

「そっか、そうかもね。」

そして典子は、体重を気にしている他の友人達にも勧めようと、こっそりスタジオの様子をスマホで撮影した。

女性達がヨガに励んでいるスタジオ内は基本的に撮影が禁止されているのだが、典子はその様子を具体的に伝えたかったのだろう。

こっそりタオルの中に隠して撮影していた。

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********

その帰り道だった。

「えっ、何?何これ!」

駅までの歩道を歩きながらスマホを見ていた典子がいきなり大きな声をあげた。

どうやら先程ヨガスタジオで撮影していた動画をチェックしていたようだ。

「何?どうしたの?」

陽子は典子が見ていたスマホの画面を横から覗き込んだ。

「えっ?」

画面にはヨガのポーズを取っている陽子、典子、そしてオバサン達も映っている。

その体に何か小さな物がいくつもまとわりついて動いているのが映っていたのだ。

もちろんヨガをやっている間、そのような物が体についていた記憶などない。

「何これ。ねえ典子、ちょっと拡大して見せてよ。」

他の歩行者の邪魔にならないように歩道の端へ避けたふたりは、そのまとわりついているものを拡大してみた。

「ひえっ・・・」

それは小さな人間だった。

青白く痩せ細った体で腰の周りに布を巻いただけの姿。

半透明のソレは何かで見たことがある”餓鬼”そのものの姿だ。

その大きさは、十五から二十センチ程度しかない。

その餓鬼が、陽子、典子にそれぞれ四、五匹、オバサン達の中には十匹近いソレを纏わりつかせている人もいる。

そしてその餓鬼達が何をしているのか。

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餓鬼達は汗を舐め取っていた。

流れる汗、そして肌に浮いてくる汗を長い舌で舐めているのだ。

汗が流れる感覚が気持ち良いと思っていたのは、この餓鬼に舐められる感覚だったということか。

「き、気持ち悪い・・・」

陽子は思い切り顔をしかめた。

汗をかいているはずなのに着ている物が濡れていなかったのはこのせいだったのか。

「やだ!私、あそこのヨガ、止める!」

典子はそう叫んだが、陽子は一瞬悩んだ。

もちろんこの餓鬼は気味が悪いのだが、あそこのヨガで順調に痩せているのは間違いないのだ。

もしかしたら痩せられているのはあの餓鬼のおかげなのかもしれない。

陽子は典子の言葉に返事をしなかった。

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◇◇◇◇

しかしさすがに陽子もあの餓鬼の姿が脳裏に浮かび、それから数日はヨガへ行くのをためらっていた。

すると昼休みに典子が一緒にお昼を食べようと声を掛けてきた。

「私の友達に風子ちゃんていう霊感の強い子がいて、その風子ちゃんのお友達に巫女さんみたいな人がいるんだ。その人が物の怪にとっても詳しいって言っていたから、あの気持ち悪い小人が何なのか聞いて貰ったの。」

会議室でお弁当を広げながら典子はそう話を切り出した。

典子が聞いた話によると、あの小人は”ジョウシカン(嘗脂汗)”と言う名の妖怪で、やはり餓鬼の一種だそうだ。

人間の汗、それも脂汗を好んで舐める妖怪であり、健康な人が仕事や運動で掻く汗には興味を示さないらしい。

太った人間が掻く油分を多く含んだ汗、そして極度に緊張した時に掻く脂汗を好むと云われているそうだ。

健康な人の汗はしょっぱいだけで油っ気がなく美味しくないということなのだろう

「だから幽霊みたいに特定の人に延々と取り憑いて離れないということはないんだって。良かったね。」

「ふうん、そうなんだ・・・ 典子、この前の動画、まだ持ってる?」

典子はスマホを取り出し、先日ヨガスタジオで撮った動画をもう一度陽子に見せた。

「なるほどね。」

「ん?どうしたの?」

「ほら、この一番端に映っているインストラクターの先生はこんなに汗掻いてるのに一匹もまとわりついていないのよ。」

「ホントだ。先生は痩せてるからだわ。風子ちゃんの話は間違いないわね。」

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◇◇◇◇

仕事を終え、会社を出た陽子は空を見上げた。

もう季節はすっかり夏になっており、退社のこの時間になってもまだまだ日差しが痛い。

冷房が効いていたオフィスから外へ出ると、あっという間に汗が噴き出してきた。

ブラウスを着た背中を伝う汗が気持ち悪い。

ふと、あのヨガスタジオで感じていたあの心地良い感覚が背中に蘇った。

(あそこにまた通っちゃおうかな…)

そこで陽子はある事に気がついた。

あのビア樽のオバサン達。

あの人達はあの感覚の虜になっていたのではないだろうか。

そして彼女達はジョウシカンという餓鬼の存在は知らなくとも、痩せるとあの感覚が味わえなくなることも体得していたに違いない。

だからヨガに通いながらも故意に太ると言う奇妙な行動に走っているのだ。

かなり厳しいヨガのポーズを取りながらも、どこか恍惚とした表情を浮かべていたオバサン達の顔が脳裏に浮かんだ。

ジョウシカンは、特定の人間だけに取り憑いて悪さをすることはないのかもしれないが、あの感覚で人を虜にし、痩せる意欲を削ぎ落として延々と自分の餌場にしているのかもしれない。

やはり物の怪は恐ろしい。

(でも落とした体重もリバウンドしてきているし・・・とにかくしっかり痩せればいいのよ。)

陽子の心の中で悪魔がそう囁いた。

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陽子の全身にあの汗を舐め取られる感覚が蘇る。

そして陽子の足は再びあのヨガスタジオへと向かっていた。

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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