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長編8
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ツンツン様

暑かった夏も朝晩の涼しい風により、ようやく終わる気配が感じられるようになってきた。

先日来、土日を含めて仕事に追われていた俺は、仕事がひと段落したこともあって会社から半強制的に代休を取らされることになった。

しかし独身で彼女もいない俺は、平日にいきなり休みを貰ってもあまり嬉しくない。

とは言え、折角の平日休みなので房総半島へドライブに行くことにした。

朝の渋滞が終わる頃を見計らって家を出ると、首都高からアクアラインを通って千葉県に入り、そのまま房総半島を横切って外房へと向かう。

天気は快晴で、久しぶりの潮風に当たりながら海を眺め、海鮮丼に舌鼓を打ち、そして行ってみたかった千葉大学付属の小さな水族館をのんびり見学すると、特にすることもなくなった。

さてどうしようかと考えたが陽も傾いてきており、まだ少し早いかとも思ったが帰宅ラッシュを避けようと帰路につくことにした。

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普段から車を運転している間はFMラジオを聞いていることが多い。

お気に入りの楽曲などもナビに落としてあるのだが、新鮮な話題や楽曲を提供してくれるので、特に理由がない限りFMラジオを聞いているのだ。

すると地元のFM局だろうか、千葉県にまつわる妖怪の話をしていた。

基本的にこのような物の怪話は嫌いではない。

『手賀沼小僧』、『黒入道』、『樹怪』など様々な妖怪が楽し気に紹介されている。

へえ、こんな妖怪がいるんだ、

ふーん、これも千葉だったのか、

などと思いながら聞いていると、そんな中で『ツンツン様』という妖怪が紹介された。

夕方になると現れる、黒い煙のような妖怪だというだけで、詳しいことはよく解らないらしい。

南房総市の増間という場所に現れるそうなのだが、ナビで見てみるとここからそれほど離れていない。

せっかくだから試しにどんなところか見てみるかと、ナビの行先にその増間という場所を追加した。

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***********

車がすれ違うのがやっとという狭い道の先に増間ダムがあり、その湖畔に車を停めた。

ダムの水は思ったより濁っており、美しい水辺の風景とは言えないものの、のどかな風景であり、妖怪が出そうな雰囲気はない。

周辺に何かあるかとスマホでマップを見たが、ダムの下に浄水場があるくらいで特に何もなさそうだ。

画面を操作して、地図をさらに拡大してみた。

「ふーん、こんなところに神社があるんだ。」

地図には浄水場の近くの山の中に日枝神社がある。

おそらく地元の氏神様であり、それほど立派な神社とは思えないが、折角ここまで来たのだからちょっと挨拶して帰るかと、車の向きを変えてダムの下へと坂を下った。

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一般的な日没時間までまだ少し時間があるはずなのだが、谷間になるこの場所は既に薄暗くなってきている。

ガードレールなどない狭い田舎道を進み、神社の近くと思われる場所までくると、路肩に車が停められそうなスペースを見つけて駐車し、車を降りた。

「えっと、こっちだったよな。」

車を離れ、軽い上りになっている林の間を歩いて行くと、脇にかなり古い石の祠が建っていた。

高さ一メートルほどの小さな祠だが、それなりに時代を経て来ていることが伺える。

昔は安房の国と呼ばれていたこの辺りは驚くほど古い歴史を持っており、このような山中にも昔から様々な人々が生活していたのだろう。

もしかすると先程の増間ダムの底にも集落のひとつくらいは沈んでいるのかもしれない。

そしてその祠から先へ進むとすぐに本堂が見えてきた。

石を積み上げた高さ一メートルちょっとの立派な土台の上に立っているが、案の定、十メートル四方程の小さな神社だ。

建物自体も相当古く、境内となる広場にはうっすらと雑草が生えている。

正面の石段を上り、本堂の前に立つが賽銭箱が見当たらない。

仕方なく扉の前に小銭を置いて柏手を打ち、さて帰ろうかと後ろを振り返った。

正面には赤い鳥居が見えている。

そう言えば本堂へ来る時には鳥居を潜らなかったなと思ったのだが、その鳥居の向こう側をよく見てみると、鳥居を潜る道にまるで通せんぼうをしているように、根元から二股に分かれた太い大きな木が立ち塞がっていた。

注連縄が巻かれているところを見ると御神木なのだろう。

その御神木と鳥居を迂回するように林からの小道があったため、来る時は鳥居を潜らなかったのだ。

本堂の前のこの位置からみると、あの鳥居はまるで御神木のために建ててあるように見える。

周りを見回しても、他に鳥居は見当たらない。

不思議な造りをした神社だ。

妖怪には出会えなかったが、この神社を見られただけでも良しとしよう。

そう思いながら、境内を出ようとした時だった。

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鳥居近くの林の中からいきなり生暖かい風が吹いてくるのを感じた。

何だろうと思いそちらに目をやると、かなり薄暗くなってきた林の間に何かが動いているように見える。

羽虫の群れなのだろうか。

それはうねうねと動く黒い靄のようだ。

しかし、これまで見たことがある羽虫の群れは大体白っぽく見えていた。

黒く見えるのは初めてだ。

そして、そのまま見ているとみるみるその黒さが濃くなってゆく。

その黒い塊はやがて立体的な影のようになり、徐々に人のような形に変わってゆくではないか。

(ひょっとして、これが”ツンツン様”か?)

ラジオでは、南房総市増間で夕方、生暖かい風と共に現れる黒い煙のような妖怪と紹介していた。

ここまではピッタリじゃないか。何ひとつ外していない。

しかし、”ツンツン様”は何のために現れるのか、人間に害をなす存在なのか、出会ったらどうすればいいのか、などについては、ラジオで一切触れていなかった。

よくある都市伝説では、逃げるためにはこうすればいいというおまじないや言葉がひとつやふたつ用意されているものなのだが。

そんなことを考えているうちに、目の前の黒い影ははっきりと人の形になっていた。

そのシルエットからすると、どうやら女性のようだ。

そして夕暮れの薄明りの中、その黒い影に徐々に色がついてくるではないか。

「お、お母さん?」

俺は小学生の頃に母親を癌で亡くしていた。

生きていれば、もう五十歳をとっくに超えているはずだが、目の前に立っている姿は俺の記憶そのままの若い母親の姿だ。

それも、まだ癌を発症する前の元気な頃の。

悪戯してはよく怒られたっけ。

(卓也・・・おいで。)

懐かしい母親の声が俺の名を呼び、俺に向かって手招きをしている。

「母さん・・・」

胸中に何かがこみ上げ、目頭が熱くなってくる。

そしてそちらに一歩踏み出した。

その時・・・

ちょうど足元にあった敷石に躓いて転びそうになったのだ。

「おっと・・・」

体勢を立て直して顔を上げると、母親はまだニコニコしながら手招きをしている。

しかしこれが幸いだった。

石に躓いたことで、冷静さを取り戻したのだ。

母親はとっくの昔に死んでいる。今、目の前にいる訳がない。

“ツンツン様”

そうなのかはわからないが、物の怪の類には違いない。

「うわ~っ!」

目の前に姿を現した母親に対する郷愁の思いは一瞬にして消し飛び、俺は境内の外へと駆け出した。

今のは何だったのだろう。

こんな縁も所縁もない土地で母親の幽霊が現れることはないと思う。

境内の前の道に出たところで振り返ったが、特に追ってくる様子はない。

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少しほっとし、時折後ろを振り返りながら車へと早足で向かっていると、突然正面に作業服姿の老人が現れた。

薄暗い中だったため一瞬ビクッとしたが、老人は背後を指差して声を掛けてきた。

「あそこに車を停めてるのはアンタか?あそこに停めちゃなんねえぞ。道祖神様の真ん前だ。」

「え?ああ、すみません。ちょっと神社に行っていたんです。」

「神社?こんな時間にか。」

「ええ、それでちょっと不思議な事があったんです。」

地元の老人だと何か知っているかと思い、先ほどの出来事を掻い摘んで話してみた。

「それはな、おそらくここら辺に昔からいらっしゃる”ツンツン様”だな。黒い煙のような姿なんだが、見る人の心の奥底にいる大事な人の姿を見せて、どこか別の世界へ引き摺り込むだ。」

さっき手招きしていた母親の姿が脳裏に蘇る。

「別の世界って?」

「さあな。引き摺り込まれて帰ってきた者はいねえから、誰も知らねえ。」

もし母親の手招きに応じて彼女の傍に行っていたらどうなっていたのか。

「しかしアンタ、よくついて行かなかったな。”ツンツン様”もさぞかし悔しがっちょるだろうに。わっはっはっは・・・」

老人は腹を抱え大きな声で笑ったが、そんなに面白い事なのだろうか。

老人は大きな声で笑い続けている。

「 わっはっはっは・・・」

気が触れてしまったのではないかと思わせるほど笑い続ける老人。

少し怖くなり一歩後ずさりして、あっけに取られて見ていた。

すると・・・

老人の姿が薄闇にぼやけ、黒い煙と化したのだ。

わっはっはっは・・・

老人の姿は見えないのに、笑い声だけが響いている。

「うわ~っ!」

俺は無我夢中で車へと駆け出した。

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車へと戻り、キーを取り出そうと必死でポケットをまさぐっていた時だった。

自分の車のすぐ左前に何かが転がっているのに気がついた。

それは小さな石の道祖神だった。

脇を通る車の邪魔にならないようギリギリまで路肩に寄せて停めた時にバンパーが当たってしまったのだろう。

まったく気がつかなかった。

ひょっとすると、あの”ツンツン様”はこの道祖神様だったのか?

そうだとすると、このままにしてはいけない。

俺は急いで車に乗り込み、少しだけ車をバックさせると、車から降りて道祖神を元の位置に直した。

そして昼間買ったお土産の中から菓子をひとつ取り出し、道祖神の前にしゃがんでそれを供えて手を合わせる。

ーごめんなさいー。

恐怖感も手伝い、必死に心の中で謝った。

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(これで許してもらえるかな)

そう思って立ち上がり、車に乗ろうと後ろを振り返った途端、そのままの姿勢で固まった。

目の前に母親が立っている。

全身に鳥肌が立った。

すると母親は、再び俺に向かってゆっくり手招きするとにやっと笑ったのだ。

母親のこんな醜怪な笑い顔を見たことなどない。

「うわ~っ!」

俺はまた大声をあげて母親の脇をすり抜けると車へと飛び込み、そのままエンジンを掛けた。

ヘッドライトの光の中に母親の姿がくっきりと浮かび上がる。

はっきり言おう。

俺は母親を轢いた。

もちろんそれが本物の母親でないことを確信した上での行動だ。

それでも歯を食いしばりアクセルを踏む俺の顔は相当に強張っていただろう。

案の定、目の前に迫った母親は、ボンネット、そしてフロントガラスに衝突したと思った瞬間、黒い霧となって文字通り霧散したのだった。

そして俺はそのまま車を停めることなく、この地を離れた。

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しかし”ツンツン様”を車で蹴散らした俺は、

東京まで無事に帰れるのだろうか。

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そして、もう今後は、切なく懐かしい気持ちで母親の写真を見ることが出来ないかもしれない。

◇◇◇◇ FIN

Concrete
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