瑠香を失い、人形(ヒトガタ)も全く歯が立たない。
立ち尽くす夏樹の後ろで、咲夜も悔しそうな表情で鬼を睨みつけている。
彼女も、自身が召喚したパルの力に絶対的な自信を持っていたのに、まさか腕一本でその攻撃を払い除けられるとは思っていなかったのだろう。
「ふっふっふっ、どうだ、もう一度考える機会をやろう。俺と組んで世界を我らの物にしないか?」
鬼がそう言って尖った歯を剥き出して笑った。
「断る!」
独鈷杵を握りしめた夏樹が大声で叫んだ。
「ほう、お前の先祖たるこの俺の、古からの誘いを断るというのか。ならばその体、力ずくで貰う!」
そう言って鬼がこちらに近づこうとした時だった。
ドドドドドドド・・・
背後から物凄い足音が聞こえた。
驚いて振り返ると、風子が顔の前で指を組み、見たこともないような真剣な表情で呪文を唱えている。
轟音とともに林の中から現れたのは、風子が召喚したカピバラの大群だった。
カピバラは群れを成して生活する生き物だが、霊獣となっても群れを成すのだろうか。
しかしそんなことはどうでもいい。
カピバラは成獣になると一メートルを超える。そのカピバラが歯を剥き出して鬼に向かい、数十匹も群れを成して向かってゆくのだ。
そしてそのカピバラ達が一斉に鬼へと飛び掛かった。
さすがの鬼も慌てたように手足を振り回してカピバラを追い払おうとするが、何せ数が多い。
何匹かのカピバラの大きな前歯が鬼の太腿へ食い込み青い血が噴き出してくる。
「ぐおっ!」
鬼も噛みついているカピバラを懸命に振り掃おうとしているのだが、その隙をパルは見逃さなかった。
素早く背後に回ると、後ろから鬼の首に喰いついたのだ。
しかしすぐに鬼に払い除けられてしまうが、すぐに次の攻撃の体勢に入る。
鬼はパルとカピバラに完全に気を取られている。
夏樹はまるでそれを狙っていたかのように鬼に向かって猛然とダッシュしたではないか。
まさか独鈷杵一本で鬼に立ち向かうのかと思われたがそうではなかった。
鬼の足元に転がっていた瑠香の木刀を拾い上げるとすぐに元の位置へ戻ってきたのだ。
楡の木でできたこの木刀は、長年に渡り瑠香の手によって葬られてきた物の怪の怨念がこびりついて真っ黒になっている。
夏樹はそれを握り直すと高々と天に向かって突き上げた。
「今ここで鬼となった賀茂文忠の命(めい)により、この刀を以って式神に消されし無念の魂たちよ。古の時を超え、復讐の時が来た!今、ここで我に力を貸せ!」
その途端、もの凄い雷鳴と共に天空に稲妻が走り、黒い木刀が鈍い光を放ち始めた。
その光はいくつもの玉になり、木刀を離れると次々と地面に落ちていた夏樹の人形(ヒトガタ)に吸い込まれていくではないか。
夏樹の人形に宿った物の怪の魂達は、鈍く光りながら宙に浮きあがると物凄い速さで鬼に向かってゆく。
「何度もこざかしい。無駄だ!」
鬼は先程と同じように飛び来る人形を手で薙ぎ払った。
「!!」
なんと紙でできている人形に触れた鬼の手の指が飛び、血が噴き出したではないか。
驚いて自分の手を見つめる鬼。
そしてその隙にパルが首に噛みついた。すでに鬼の両脚にはカピバラが何匹も喰いついてぶら下がっている。
しかし鬼は倒れない。
とどめを刺さなければ。
夏樹は手にしていた木刀を思い切り地面に突き立てるとその前に膝をつき、両手の指を組んで召喚の呪文を唱えた。
「光の国に帰りし我が最強の式神よ!今ひとたび力を貸したまえ!」
すると咲夜が背後から駆け寄り、夏樹の組んだ指に手を添えると夏樹の声に重ねて大声で叫ぶ。
「あの世を司る大御霊よ!今この時、この五条夏樹の願いを聞き届けん!」
すると、突然ごーっと地響きが鳴り響いた。
そして眩い光と共に夏樹と咲夜の目の前にすっと見覚えのある巫女装束のツインテールが現れたではないか。
「る、る、瑠香さ~ん。」
泣きそうな声を出した夏樹を振り返った瑠香は、ニヤッと笑うと地面に刺さっている木刀を抜き取り、再び鬼と対峙した。
「お前ごときが何度俺に向かって来ても無駄だ!」
鬼はそう叫んで先程と同じように瑠香へ向かって腕を振り氣を吐いた。
その手にはもう数本しか指が残っていない。
しかし瑠香は木刀を横一文字に構え、その氣を難なく躱したのだ。
「私は今この時、この場所で五条夏樹に召喚された式神だ!お前に付き従っていた式と一緒にするな!」
瑠香はそう叫んで飛び上がると、大上段から鬼の頭頂へ一気に木刀を振り下ろした。
鬼の首に喰らいついていたパルはそれを見て、素早く鬼から離れ飛び下がった。
鬼は慌てて両腕で頭を庇う。
メキメキメキ
木の砕けるような音と共に鬼の両腕が折れ曲がった。
「ぐおーっ!」
鬼が悲鳴を上げ仰け反った瞬間をパルは見逃さなかった。
一旦引いていたパルは顎を上げた鬼の喉笛に噛みついたのだ。
鬼は折れた両腕でパルを引き剥がそうとする。
そこへ一度着地した瑠香が大上段に構え直して再び飛び上がり、目にも止まらぬ速さで振り下ろした木刀が今度は確実に鬼の頭頂を捉えた。
ガッ!
鈍い音と共に鬼の頭が割れ、血が噴水のように噴き出す。
そしてパルがその首から離れると同時に、鬼は声すら上げられないまま地響きを立てて仰向けに倒れた。
瑠香もパルも鬼の返り血を浴び、全身青くマダラになっている。
「瑠香さん!」
よろめく足で瑠香の元へ駆け寄る夏樹。
しかし氣を使い果たし、立っているのがやっとの夏樹はすぐに転んでしまった。
必死で顔を上げると、そこに瑠香の姿はなかった。
「瑠香さん!」
よろよろと立ち上がり、再び名を呼ぶ。
「夏樹、心配するな。瑠香ちゃんは正真正銘お前の式となったんだ。氣が元に戻ってから、ちゃんと手順を踏んで呼べばいつでも来てくれるさ。」
咲夜も精魂尽き果てたのだろう、力なくそれだけ言うと、同じように氣力を使い果たしてうずくまっている風子へと歩み寄った。
これまで全霊を込めた術など使ったことがない風子だ。相当疲弊したに違いない。
「風子ちゃんもよく頑張った。正直言ってカピバラを馬鹿にしてたよ。ごめんな。」
すると、風子は力なく薄目を開け、にっこりと微笑んだ。
倒れた鬼は、いつの間にか元の鬼坂啓二の姿に戻っていた。
しかしその様子は鬼の時の姿そのままに、指のない両腕は折れ、頭から大量の血を流して息絶えている。
「こいつを殺したのは僕ということになるんですかね。このまま捨て置くわけにもいかないから、警察へ出頭しなきゃいけないのかな。」
夏樹が自嘲しながらそう言うと、咲夜はふふっと鼻で笑った。
「そんな必要はないよ。見ていてごらん。」
そう言われて夏樹が鬼坂啓二を見つめていると、青白い死に顔はやがて土色に変わり、そしてミイラのように干からびたかと思うと、ボロボロと崩れていった。
「人間、六百年も昔の物の怪と同化すれば土に帰るさ。」
咲夜はそう呟くと、既に土塊と化した屍にそっと手を合わせた。
夏樹と風子もそれに合わせてそっと手を合わせる。
すると突然背後から聞き覚えのある男の声が聞こえた。
「なるほどね。それじゃ、帰ろうか。車はこの山の麓に停めてあるからさ。」
いつの間にか、咲夜の後ろに真崎が立っていた。
「キタローさん、いたんですか。」
夏樹の言葉に真崎は苦笑いを返した。
「ああ、少し離れて後をついてきたんだが、こんな戦いの場に俺が出ていったところで、足手纏いになるどころか、一瞬にして命を落とすだけだからな。お前らが勝つことを信じて、向こうの木の陰で待ってたんだよ。」
「キタロー、おんぶしてくれ、おんぶ。もう歩けない。」
咲夜の甘えた声に真崎が嬉しそうに背中を向けると、咲夜はすぐにその背中へ貼りついた。
夏樹はふらつく足で風子を抱き起すと、咲夜を背負った真崎の後について行く。
「夏樹さん、賀茂文忠はまたどこかに転生してくるのかにゃ?」
肩を組んでよたよたと歩く風子の問い掛けに、夏樹は何も答えなかった。
もちろん答えなど知る由もないし、考えたくもないことだ。
輪廻転生
生まれ変わっても前世の記憶がないからこそ、新しい人生を歩むことが出来る。
人間の脳は自分の心を守るために、前世はもとより今の人生でも過去の不幸は忘れるようにできているそうだ。
それはある意味、神の優しさなのかもしれない。
…
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《エピローグ》
神奈川の温泉を出た四人は、真崎の車でそのまま静岡へ向かった。
木乃原恵子の所へ行って氣の癒しを貰うためだ。
咲夜と恵子は旧知の仲であり、結局その流れでバンガローへ泊まることとなって、もちろんそのまま宴会となった。
「夏樹、風子ちゃん、お前らはもう私の手伝いをしなくていいから。」
恵子と気持ち良さそうに酒を飲んでいた咲夜が、突然夏樹と風子に声を掛けてきた。
「え、どうしてですか?」
いきなりの言葉に夏樹と風子は驚いたが、咲夜は笑顔だ。
「一緒に仕事するには、ふたりとも立派になり過ぎた。一緒だと私の仕事がなくなる。これからは全面的に、キタローに手伝って貰うさ。」
「へ?俺?俺には霊感なんかないんだけど。」
「霊能力は私で充分。お前の人並み外れた調査能力があれば鬼に金棒。末永くよろしく頼むぜ、相棒。」
それを聞いた真崎は、夏樹と風子が”情けない”と思う程、相好を崩した。
「まあ、そうは言っても、もし私の手に負えないような輩に遭遇した時は、夏樹と風子ちゃんの手を借りるかもしれないから、その時はよろしくな。そうでない時はふたりで穏やかに仲良く暮らしてくれよ。そうだ、風子ちゃんもキタローの店なんかやめて、夏樹のところに永久就職しちゃえば?」
それを聞いて今度は風子が顔をくしゃくしゃにして照れた。
「おいおい、風子ちゃんがいなくなると困るんだけどな~」
真崎が口を尖らせると、咲夜が真崎の肩を叩いていつもの悪戯な笑みを浮かべた。
「もしそうなったら、私が銀行を辞めてキタローのところに永久就職しようかな。祓い屋をやりながらだけどな。」
「え、え、えっ」
真崎はどう返事していいかもわからず、おたおたしている。
夏樹と風子は顔を見合わせて苦笑いをして肩を竦めた。
するとその様子をにこにこと見ていた木乃原恵子が夏樹の肩を指先でつついた。
「まあ、皆さんよろしくやって下さいな。ねえ、夏樹さん、私も瑠香さんと一緒に飲んでみたいからここへ召喚してくれない?」
「おお、そうだな。折角正式に夏樹の式になったんだから、時々ご機嫌取りに呼んでやらないとな。私もパルを呼ぶかな。今回はいい仕事をしてくれたし。」
そう言って咲夜が指を組むと、風子も嬉しそうに指を組み始めた。
「私も、カピバラさん達を召喚するにゃ。」
「あ、あの大群を?や、やめてくれ~!」
こうして、五人と式神一柱、白狼一匹は、たくさんのカピバラたちに囲まれて、夜は更けていくのだった。
…
◇◇◇ 古からの誘い 完
作者天虚空蔵
ということで、一年以上続いてきた『古からの誘い』シリーズも一旦完了です。
怖話として、強いヒーローを描くのは難しいですね。
主人公が強くなれば、敵もそれに見合って強くなければならず、そうすると話がどんどん現実離れしていってしまいます。
まあここら辺が潮時でしょう。
ひょっとして気が向けば、また咲夜さんがふたりを召喚するかもしれませんが。