中編5
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死に損ない

「生活習慣を変えないと早死にしますよ。」

会社の定期健康診断で再検査となり、訪れた近所の病院の先生は血液検査などの健康診断結果を見ながら俺の顔見てため息を吐いた。

そんなことは言われなくても解っている。

高い中性脂肪、悪玉コレステロール。

血糖値、血圧も高め。

ちなみに甘いものは嫌い。おかげで身長が百七十ちょっとなのだが、体重は五十キロ台半ばというスリムな体型だ。

なんでこれで血糖値や中性脂肪、コレステロールが高いんだろ・・・

でも酒は飲むし、煙草も吸う。

このままいけば、心筋梗塞か脳溢血か。

しかし、俺ももう五十半ばを超え、子供達はみんな立派に独立した。

家のローンも払い終わり、貯蓄もそこそこ。定年退職まで働いて、後はのんびり年金暮らし。

特にこれと言って熱中できる趣味なんかない。

だから病院の先生はそう言うが、そもそも長生きすることなど興味はない。

大好きなお酒や美味しい食事、煙草。辛い思いをしながらそれらを必死に我慢して長生きする価値が何処にある。

孫の顔が見たい?ちゃんちゃらおかしい。

世の中に生きている殆どの生き物は孫の顔なんか見ることは出来ない。子供の顔すら見ないで死んでいく生物も多いんだ。

孫の顔を見ると何か良いことが起こるのか?

加えて、退職した後は自分の貯蓄を食いつぶして生きていくことになる。

出来るだけ早く死んだほうが、愛する女房や子供達に少しでも多く残すことが出来るだろ。

別に、明日の事なんか考えない刹那的な生き方を望んでいるわけじゃない。

常識の範囲内で美味しい物を食べ、楽しく酒を飲んで、結果として早死するのであればそれでいいじゃないか。

人生百年時代なんてクソくらえ。

そんなの個人資産を運用させたい、少しでも長く働かせたい政府の思惑以外の何物でもない。

ネットで調べてごらんよ。2022年の平均寿命は2021年より短くなってるし、テレビを見ていても60代で亡くなる有名人も多いよね。

平均が男性で81歳ということは、皆が81歳迄生きるということじゃなくて、81歳で半分死ぬということ。

健康寿命はそこから十年引くから70歳。70歳まで働け?年金をそこまで受け取るな?笑っちゃうね。

まあ、医者は長生きさせるのが商売であり、健康診断結果を見て判で押したようにそう言うのは仕方がない。

とりあえず、“解りました、今後は努力します。”と心にもない事を言って病院を出た。

まあ去年も同じだったし、また来年も健康診断の後、ここに来ることになるのだろう。

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**********

しかしその日は思いのほか早くやってきた。

風呂上がり、部屋で着替えている最中に突然激しい頭痛に襲われたのだ。

俺は常々思っていた。

長生きすることを止めると決めた以上、自分の体に何が起こってもとことん我慢しようと。

脳の血管や心臓、そして癌にしても、本当に早期発見できたのならまだしも、中途半端に重症化してから病院に担ぎ込まれても完治は難しい。

それなら医者が手の施しようがなくなるまでとことん我慢しようと。

女房は台所で夕飯の支度をしている最中だ。

俺は声も出さずに床にうずくまって激痛に耐えた。

そして意識を失う寸前だった。

(まだ死なせないよ。)

どこからか幼い女の子の声が聞こえたような気がしたが、俺はそのまま気を失った。

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**********

気がつくとそこは病院のベッドだった。

病院のベッドだということは判るのだが、頭に霞が掛かったようで上手く思考が回らない。

ただ、自分が死ななかったということは理解した。

俺が目を開けたことに気づいたのだろう、ベッドの傍にいた若い看護師が驚いたような顔でどこかに走っていった。

目を開けたと言っても、左目だけで右の瞼が上手く開かない。

しばらくして医者と思われる眼鏡を掛けた白衣の男性と数人の看護師がベッドの傍に駆けつけてきた。

医者はあれこれ質問を投げかけてくるが、頭もうまく回らないし、口もちゃんと動かない。

理解できることに対してわずかに頷くのが精一杯だ。

彼の説明によると、俺はくも膜下出血を起こして倒れ、一週間近くも昏睡状態だったのだそうだ。

病院へ運ばれてくるのがあと数分遅かったら、間違いなく助からなかったらしい。

しかし続けて彼は言いにくそうに、一命はとりとめたが下肢及び右半身の麻痺は直る見込みはないと俺に告げたのだ。

容体が安定するまではしばらく入院が続き、退院しても一生歩けない上に、右半身も動かない。

彼は俺の命を救うために精いっぱい努力してくれたのだろう。

しかし大変申し訳ないのだが・・・

ありがた迷惑だ。

そして駆けつけてくれた女房が、生きていて良かったと涙しながら言ったのだ。

あの時、聞き憶えのない女の子の声で呼ぶ声が聞こえたと。

何事かと駆けつけて見ると俺が倒れており、慌てて救急車を呼んだということのようだ。

その女の子の声がなければ俺は確実に死んでいた。

もちろん女房は当たり前の事をしただけであり、女房を責める気は毛頭ない。

しかし悲しいかなどうしても感謝する気持ちにはなれない。

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*********

一般的に言えば死を迎えるにはまだ若いのかもしれない。

しかし俺は自分の人生にそれなりに満足して、あとはのんびり好きな事をして死を迎えようと思っていた。

それは許されないことだったのだろうか。

何が、どこがいけないんだ?

神は何を思って俺をあの世へ迎え入れてくれなかったのか。

こんな体にしてまで俺に生きて何をしろというのか。

いや、そんな事をしたのはおそらく神ではない。

あの、女房も聞いたという女の子の声。

俺の子供は男だけだ。あの声はいったい何者だったのか。

死神?いや逆だ。敢えて呼ぶとすれば悪魔以外に思いつかない。

でも、もうそんなことはどうでもいい。

酒は飲めない、煙草も吸えない、病院の飯は美味しいはずがない。

そして仕事に行くこともできない。

何より、治る見込みがない。

俺は何故に生きているんだろう。

誰か俺を殺してくれ・・・

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(まだ死なせないよ。フフフッ…)

◇◇◇ FIN

Concrete
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