葡萄畑のお地蔵様《前編》

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葡萄畑のお地蔵様《前編》

向江舞(むこうえ・まい)と乃木坂亮(のぎざか・りょう)は、あるイベント会社に勤める先輩と後輩の関係だ。

亮は美術系の大学を卒業後、この会社へ就職し、今年三年目となる二十五歳。

そして舞は亮の三年先輩となる独身キャリアウーマンだ。

そんなふたりが、町興しのイベント企画を担当することになり、長野県北部にあるS町へ下見に出掛けたところからこの話は始まる。

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「しっかし、本当に何もない田舎町よね。」

町役場の担当者の案内で町内をぐるりと見て回り、役場へと戻る途中で小柄な舞が背の高い亮の耳を引っ張り小さな声で耳打ちした。

「舞先輩、聞こえますよ!」

耳を引っ張られ、少し前屈みになった亮が同じように小さな声で舞を嗜めた。

「あっはっはっ、いやいや、その通りですから。」

やはり聞こえていたのだろう、ふたりの前を歩いていた町役場の担当者である宮坂が笑顔で振り向いた。

もう五十歳は超えていると思われる、ふたりにとっては父親のような男性だが、穏やかな人であり親しみ易い。

「何もないから、何か企画を、と思い立ってあなた達に来て貰ったんですから。」

元々農業と林業で成り立っているこの町は、御多分に洩れず過疎化の波に飲み込まれつつある。

昭和の頃は、三千人を超えていた町民も、今では二千人を割り込んでおり、このままでは町としての体裁を保てなくなるのも時間の問題だ。

そのため、観光客を呼び込み、それに伴い移住者も増えてくれればという、どこの過疎地域でも持ちうる願望から、この企画を立ち上げたのだ。

しかし、そもそもがそんな小さな町なので、予算も微々たるもの。

それが、腕の立つベテラン社員ではなく、この若いふたりが担当することになった理由のひとつだ。

「そう言えば、先ほど通り過ぎてきた途中に垣根式の葡萄畑がありましたが、ワイナリーでもあるんですか?」

ふと思いついたように亮が宮坂に尋ねると、彼は苦笑いを浮かべた。

「ええ、以前、一軒だけ賞を取れるようなワインを作るワイナリーがあって、それにあやかろうと町内で三軒のワイナリーが開業したんです。しかしそれほど質の良いワインが出来ないようで、今はいずれも風前の灯火ですね。」

「その賞を取れるようなワイナリーは?」

町興しのトリガーになるかもしれないと、亮がそれに喰いついたが、宮坂は渋い顔をして首を横に振った。

「残念ながら三年ほど前に工場で火事があって廃業しました。」

「そうですか。」

「とにかく、今回の企画に町民達は手弁当で協力してくれると言っていますので、どうかよろしくお願いします。」

宮坂はそう言って若いふたりに改めて頭を下げた。

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「どうしよっか、ここまで何もないとね~」

隣街にあるビジネスホテルに宿を取った舞と亮は、ホテル近くの小料理屋で夕食を取りながら今日の振り返りをしていた。

「林業がある程度盛んなら、間伐材で家具とか民芸品をこれから新しく作ってもらおっか。」

「そうですね。民芸品かぁ、ここに何か面白い民話とかあると良いんですけどね。」

「民話ね~、亮、ちょっと調べてみてよ。そこらの爺婆に聞いてみるとか、町役場の資料室とかさ。」

「そうですね。ちょっと当たってみます。」

舞は姉御肌というのだろうか、多少口の悪いところはあるが、根は優しく、決して意地の悪い性格ではない。

その証拠に、外見は決して美人ではないのだが、皆から好かれており、彼氏もいるようだ。

対する亮は身長こそ高いものの、大人しい性格で、言ってしまえばどこか頼りなく感じる。

見た目は決して悪くないのだが、その性格が災いしてか、二十五年間彼女なし。

そんな彼は頼りがいのある舞と組んで仕事をするのが楽しくて仕方がないようだ。

もちろん舞に彼氏がいることは知っており、あくまでも仕事のパートナーとして、また姉のような存在として慕っている。

舞もそんな亮を弟のように可愛がっており、良き相棒とお互いに認め合っているのだ。

「それでさ、明日ちょっと用事があって昼前に東京へ帰るから後はよろしくね。」

「え~っ、デートですか?しょうがないなあ。」

「違うわよ。夕方に別件の打ち合わせ。とにかくよろしくね。」

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翌日、舞は亮と別れて駅へと向かった。

バスも電車も本数の少ないところであり、役場で打合せを終えた後なんとかバスで駅までたどり着いたが、次の電車まで一時間近くある。

舞は時間潰しがてら駅前にあるちょっと古びた酒屋へふらっと入ってみた。

昭和感漂う飾りっ気のない、どこか懐かしい店の中には初老の男性が暇そうに座っていた。

「おじさん、この辺りの地酒ってある?」

「ああ?日本酒はこの町じゃ作ってないな。ワインならあるが・・・その辺りの棚にあるのがここら辺のワインだよ。でも味は保証しないぞ。」

地元の酒屋の親父にこんな言われ方をするくらいなのだから、やはり出来は良くないのだろう。

それでも舞は何かの参考になればと、それらのワインを数本購入して東京へ向かう電車へ乗り込んだ。

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舞と別れ、亮は役場での調べ物の傍ら、舞と話した民話について聞き取りを行ったが、これと言って面白そうな話はない。

ため息を吐きながら、昼食を取ろうと役場近くの小さな中華料理屋に入った。

昼飯時だというのに、客は亮の他に作業服姿の男性がふたりだけ。

亮は運ばれてきたチャーハンをぱくつきながら、暇そうにしている店員のお姉さん(実は四十歳くらい)に聞いてみた。

「お姉さんはこの町に伝わる古い民話か昔話を知りませんか?」

「民話?さあね。そう言えば私が小学生の時にそんな感じの夏休みの宿題が出て、うちの爺さん婆さんに聞いてみたんだけど、『知らね』の一言で片付けられたわ。あははは。」

「そうですか、やっぱり万人受けするような面白い話はそうそう転がってないですよね。」

「だったら、小学校へ行ってみたら?夏休みの宿題で出すくらいだから、何か面白い話を持ってきた子がいるかもよ。」

「そうですね。グッドアイディアです。後で小学校に行ってみます。」

亮がそう言って再びチャーハンに視線を戻したところで、お姉さんが何かを思い出したように突然立ち上がると亮の向かい側に座った。

「そう言えば、昔話じゃないんだけど、ちょっと奇妙な話があるんだ。聞きたい?」

まるで内緒話でもするかのように、おでこを近づけるとそう話を切り出した。

そう言われて聞きたくないと答える奴はあまりいないだろう。

「奇妙な話・・・ですか?」

「そう。この店の前の道を真っ直ぐ行って、山を登ったところにワインを作るところがあったのさ。」

「あった?過去形なのですか?」

亮の脳裏に役場の宮坂が言っていた火事を起こして廃業したワイナリーの話が浮かんだ。

「そう、もうなくなっちゃったんだけど、そのワイナリーに関して奇妙な噂があったのよ。」

今から五年ほど前、そのワイナリーではその年の葡萄の出来が非常に良く、県北の品評会で金賞を受賞した。

「でもね、この町だけじゃなく、この近隣ではその年、雨が多くて葡萄の出来は良くなかったのに、そのワイナリーの畑だけは非常に出来が良かったらしいんだわ。まあ、金賞取れたのもたぶんそのお陰だったのよね。」

宮坂が言っていた良いワインを作るワイナリーというのはそこに間違いないだろう。

ただそのワイナリーは、それほど規模が大きくなく、その受賞したワインも二千本ほどの出荷に留まった。

「それでね、ここからなのよ。」

お姉さんは、更に身を乗り出して亮に顔を近づけた。

さすがに賞を受けたワインはすぐに引き取り手が決まったらしい。

しかし、そのワインを問屋へ出荷しようとトラックへ積んで山を下る時、あろうことかそのトラックが斜面から転落し運転手は死亡。

そして積まれたワインも尽く割れてしまったのだ。

「へえ、美味しいワインだったんでしょ?もったいない。」

「ところがね、噂によるとその事故だけでなく、そのワインの品評会に参加した審査員が六人いたんだけど、全員が品評会から三か月のうちに死んでいるんだって。」

お姉さんは眉をひそめ、本当に小さな声でそう言った。

「え・・・そのワインに毒が入っていたとか?」

「まさか。その審査員の人達が死んだ理由は、交通事故だったり、急病だったり、いろいろらしいよ。毒が入っていれば警察だってすぐに気がつくでしょ。」

「でもその審査員の人達が飲んだのは、そのワインだけじゃないんでしょ。」

しかし、それとほぼ時を同じくして、そのワインの仕込みに関わった男性二人、女性一人が同様に事故や急病で他界していたのだ。

「トラックの運転手も入れて全部で十人死んでいることになるの。偶然だと思う?」

そしてその翌年、そのワイナリーは火災に遭い、オーナーが火災に巻き込まれて死亡したこともあってそのまま廃業となってしまったのだ。

「結局十一人・・・そのワインに何かあるって事?でもそのワイナリーはそれまでも毎年ワインを作っていたんだよね?」

「そう、そこが分からないのよ。」

「それにその受賞したワインは全部割れちゃったんだから、もう問題ないんじゃない?」

「うん、でも・・・」

「でも?」

「そのワイナリーの蔵に自分達の貯蔵分としてふたケースだけ取ってあったらしいのよ。そしてそのワイナリーが廃業した時に、いろいろな機材や在庫品が競売に掛けられたの。」

「そこで、誰かがそのワインを買い付けた・・・」

亮の言葉にお姉さんは神妙な顔をしてゆっくりと頷いた。

「金賞を受賞しながら、市場には一本も出回らなかった幻のワイン…ってことだものね。きっと知っている人にとっては垂涎の品だったのよ。」

「誰が買ったの?」

今度はゆっくりと首を横に振った。

亮はため息を吐いて残りのチャーハンを平らげた。

ミステリーとしては、非常に面白い話だが、町興しのネタにはなりそうもない。

こんな話を広めたら逆効果になりかねないだろう。

亮はお姉さんに礼を言って店を出ると、近くにある小学校へ行ってみたが、やはりこれという話を聞くことは出来なかった。

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「こうなったら、何か面白い昔話を空蔵くんにでっちあげてもらうか。」

小学校の前にあるいかにも古そうな道祖神を眺めながらそんなことを考え、暗い気分で東京行きの電車に乗ったのだった。

◇◇◇ 葡萄畑のお地蔵様 《中編》へつづく

Concrete
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ネタバレ注意
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面白い出だし
なぜかわからないけど新鮮な感じです^_^
次、読みます

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