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葡萄畑のお地蔵様《中編》

中編7
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葡萄畑のお地蔵様《中編》

ブーン、ブーン、ブーン

マナーモードになっているスマホがテーブルの上で踊っている。

長野から帰り、疲れていた亮は早々に眠っていたのだが、その音に目を覚まし、ベッドで横になったままスマホに手を伸ばした。

表示されている時間は午前一時過ぎ。

電話は舞からだ。

基本的に舞とは仲が良いとはいえ仕事上の付き合いのみであり、普段はこんな時間に電話を掛けてくることはない。

何か非常事態なのだろうか。

「もしもし、舞先輩?どうしたんですか、こんな時間に。」

すると普段は聞いた事のない、今にも泣きだしそうな舞の声が聞こえた。

「亮、助けて!部屋に知らない女の幽霊が立っているのよ。」

「えっ、ゆ、幽霊?」

それは助けてと言われてもどう対処していいか解らない。

亮は一瞬戸惑ったが、しかし繰り返し必死に助けてと繰り返す舞を放っておくわけにもいかない。

「わかりました。今すぐ行きますからそのまま待っていて下さい。」

亮のアパートから舞の住むアパートまで徒歩二十分ほど。

全力で走れば十分も掛からずに着ける。

舞の所へ駆けつけて自分に何ができるのか解らなかったが、普段から自分の事を頼りないと言っている舞が電話してきたのだ。

それは余程のことだと思われ、小心者ながら正義感だけは強い亮は寝間着代わりのスウェット姿のまま無我夢中で走った。

「舞先輩!舞先輩!」

アパートに着き、息を切らしながら夢中でドアを叩くが中から返事はない。

本当に何かとんでもないことが起こったのかもしれない。

亮がドアノブに手を掛けると鍵は掛かっておらず、ドアは何の抵抗もなく開いた。

「舞せん・・ぱ・・い?」

舞の部屋は1DKの間取りで、玄関を入ってすぐにダイニングキッチンがあり、その奥が居室になっている。

亮が玄関から中を覗き込むと、部屋に電気は点いていなかったが、通路の照明がキッチンの小窓から入ってきており、真っ暗と言う訳ではない。

その薄暗いダイニングのテーブルの横に誰か立っている。

ひと目でそれが舞でないことを亮は理解した。

ぼさぼさに乱れたセミロングの髪、ボロボロに破れたワンピース。

そして生気のない青白い顔。

そしてその目は恐ろしい位にしっかりと亮をみつめている。

「ひえっ・・・」

どう見てもこの世の者とは思えないその姿に、たった今入ってきた玄関の方へ後ずさりしながらも舞の姿を探した。

「舞先輩!どこ!」

「亮!」

いた!

パジャマ姿の舞がベッドに寄り掛かるように床に座り込み、スマホを握りしめたまま真っ青な顔で居室の奥から亮を見ていた。

「舞先輩!」

亮は靴を脱ぐことも忘れ、夢中で幽霊と思しき女の前を横切ると舞の傍へ駆け寄った。

「亮!」

しがみついてきた舞は、歯がカチカチなるほどに震えている。

「亮、何でアンタまで震えているのよ。私を助けに来たんでしょ!ホント頼りないわね。しっかりしてよ!」

「そ、そんなこと言われたって・・・」

もちろん亮だって怖いのだ。

夢中でここまで来たものの、ここから何をすればいいのか解らない。

ダイニングに立っている女の幽霊は、そのままの位置で相変わらずふたりを睨んでいる。

亮は自分に抱きついている舞の肩を力一杯抱きしめて目を瞑った。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・・・・」

それほど信心深くない亮は、お経といえばこれしか知らない。

頭の中で早く消えてくれと必死で祈りながら、それをひたすら唱え続けた。

どのくらいそうしていただろうか。

ふと気がつくと抱きしめている舞の体の震えが止まっている。

恐る恐る目を開けてダイニングを見ると、女の姿はそこにはなく、振り返ると窓の外はうっすらと明るくなりかけていた。

亮はほっと溜息を吐き、亮の胸に顔を埋めて抱きついている舞に視線を落とした。

「へ?何なんだ、この人は・・・」

舞は穏やかな顔で亮に抱きついたまま、すやすやと寝息を立てているではないか。

「まったく・・・でもとりあえず何事もなくて良かった。」

亮はそう呟くと、そっとベッドから枕と掛け布団を取り、舞を静かに寝かせた。

「さて、取り敢えず帰ろうかな。」

ひとまず舞の寝顔に安心した亮はゆっくりと立ち上がった。

そこで改めて自分が靴を履いたままであることに気づき、いかに自分が動転していたかを思い返して、苦笑いを浮かべた。

しかしあの女は一体何だったのだろう。

舞は就職と同時にこのアパートへ越してきたと言っていた。

ということは、もう六年もこの部屋に住んでいることになる。

当然これまで昨夜のようなことはなかったのだろうし、あったとしたら、あんな風に慌てて電話してくるはずがない。

亮はダイニングへ頭を出し、恐る恐る見回してみたが、女の姿はない。

ほっとしてダイニングに足を踏み入れたところで、テーブルの上にワインのボトルが並んでいるのに気がついた。

「まったく、こんなにワインを買い込んで。本当に酒好きなんだから。」

そう呟きながらボトルを手に取ってラベルを見た。

「あれ?」

ラベルに表示されていた製造元のワイナリーは、S町の住所になっている。

他のワインを見ても、何軒か異なるワイナリーだがやはりS町の住所になっていた。

「舞先輩はワインでどうにかならないか、実際に飲んでチェックしようと思ったんだな。」

そう思いながら、手に持っていたボトルをテーブルの上に戻した時、その中の一本の首の部分に丸いラベルが貼られているのに気がついた。

見ると『金賞受賞』と表示されている。

あの町のワインで、金賞を受賞・・・

まさか・・・

亮はそのラベルを確認しようと、そのボトルを手に取った。

「うっ・・・」

何と表現すればよいのか。

そのボトルを手に取った瞬間、その手がいきなり痺れた・・・いや違う、ずっしりと重たく、だるくなるように感じた。

いや、何かあると思ってボトルに触れたからそう感じただけだと気を取り直して、そのラベルを確認した。

『S農園ワイナリー』

スマホでそのワイナリーを検索してみた。

しかし、そのワイナリーのサイトは存在していないようであり、ヒットしたのは古いニュース記事だった。

ワイン工場で火災が発生したという、長野の地方新聞の記事。

その火事でワイナリーの工場主が焼死し、火災の原因は不明と書かれている。

間違いない。これはあの食堂のお姉さんが話してくれたワインだ。

しかし、何故そのワインがここにあるのだろうか。

そう思いながら、手に持っていたボトルをテーブルの上に戻した瞬間だった。

「うわっ!」

いきなり背後から誰かに両肩を掴まれ、亮は手に持っていたスマホを床に落とした。

「おはよ。そんなに驚かなくてもいいじゃない。」

舞だった。ぐっすり寝ていたようだったが、亮の気配で目が覚めたのだろう。

「なんだ、舞先輩、驚かさないでくださいよ。」

「まあ、昨夜あんなことがあったから仕方がないか。でもわざわざ駆けつけてくれてありがとね。」

落とした亮のスマホを拾いながら、舞は素直に礼を言った。

「まあ、いいですけどね。でも何で僕だったんですか?彼氏に連絡すれば良かったじゃないですか。」

「したわよ。そしたらあのバカ、俺が行ってもどうにもできないから、自分で塩でも撒いてお経を唱えてろだって。ひどくない?きっと怖かったんだと思うけど、自分の彼女に対してそれはないわよね。あんな奴、絶対に別れてやる!」

「まあまあ、そういきり立たないで。」

なだめる亮に、舞は苦笑いしながら拾ったスマホを亮に手渡そうとしたが、その画面が目にとまったのだろう。

渡そうとしたスマホを握り直して画面に見入った。

「これってS町のワイナリーよね?火事?どういうこと?」

舞は先に東京へ戻っていた為、亮が長野で聞いた話はまだ知らないのだ。

亮は食堂のお姉さんに聞いた話を簡単に説明した。

「昨夜のあの幽霊がこの話に直接結びつくかは分からないんだけど、このワインがその曰く付きの幻のワインであることは間違いなさそうなんだよね。」

聞き終えた舞は、渋い顔をしてそのボトルを眺めている。

「じゃあ、このボトルがここにある限り、あの幽霊はここに出続けるということ?」

「その可能性は高いんじゃないですかね。」

すると舞はいきなりそのボトルを手に取ると、玄関を飛び出した。

「ちょ、ちょっと舞先輩!」

亮は慌ててその後を追いかけた。

「こんなワイン、一刻も早く捨てなきゃ!」

舞は小走りでアパートの近くにある川の橋の上で立ち止まった。

「舞先輩!まさかそこから投げ捨てるつもりじゃないでしょうね。不法投棄ですよ!」

舞を追いかけてきた亮が舞を押し留めたが、舞は怖い顔で亮を睨んだ。

「何言ってるのよ。次のビンの回収日まで待てるわけないでしょ。冗談じゃないわ!」

舞はそう言ってワインボトルを両手で持って頭の上に振り上げた。

バンッ!!

いきなり破裂するような音が聞こえ、舞の頭上でボトルが割れた。

「きゃっ!」

舞は頭からワインを浴び、着ていた服もあっという間に赤く染まった。

「舞先輩!大丈夫ですか?」

舞は何が起こったのか理解できず、手に持った割れたボトルを眺めている。

慌てて駆け寄った亮がそのボトルを見ると、大きくふたつに割れているだけで細かく砕けた様子はない。

「舞先輩、怪我はないですか?」

舞は重ねて心配そうに尋ねる亮にちらっと視線を投げると、頭から流れ落ちてくるワインを舌で舐めた。

「美味し・・・」

そう呟いた途端、舞は白目を剥いてその場で崩れ落ちるように倒れてしまった。

「舞先輩!」

慌てて亮が舞を抱き起したが、呼吸はあるものの意識があるのかどうかはっきりしない。

「しっかりして下さい!」

何が起こったのか理解できないまま、亮は舞の頬を軽く叩きながら様子を見ていたが、まったく正気に戻る様子がない。

「・・・こんなところで・・・朽ちて・・・なんて・・・」

突然、舞が何か呟いたが、何のことだか解らない。

このままにしておくわけにはいかず、亮はやむなく救急車を呼んだ。

◇◇◇ 葡萄畑のお地蔵様《後編》へつづく

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