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葡萄畑のお地蔵様《後編》

長編11
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葡萄畑のお地蔵様《後編》

橋の上で突然倒れ、病院に運び込まれた舞だったが、様々な検査をしても異常は見られなかった。

しかし、意識は朦朧としたままであり、しばらく入院して様子を見ることになった。

なぜこんなことになってしまったのか。

どう考えても、あのワインが原因としか思えない。しかし舞がいったい何をしたというのだろう。

舞は何も知らずに店の棚に置いてあるワインを買っただけなのに。

そもそも『曰く』付きワインの『曰く』とはいったい何なのか。

亮はやりきれない思いを抱え、翌朝も出勤前に舞の入院している病院へ立ち寄った。

病室へ向かって歩いていると、ふとナースステーションの前で看護師が立ち話をしている声が耳に入った。

「・・・ボロボロのワンピース・・・青白い顔で・・・」

断片的に聞こえただけだったが、亮はすぐにピンときた。

「あの、すみません!それって302号室に入院している向江舞さんの部屋の話ですよね?」

立ち話をしていた看護師に聞くと、夜勤の時に舞のベッドの横にその女が立っているのを見たと言う。

間違いない。あの幽霊は舞に取り憑いてしまったのだ。

病室へ入ると、舞は相変わらずベッドに寝たまま虚ろな目で宙を見ているだけ。

話し掛けても、返事は返ってこない。

「確か・・・駅前の酒屋って言ってたよな。」

亮はとにかく何か舞を元に戻すための手掛かりが得られないかと、その日はそのまま休暇を取って長野へと車を飛ばした。

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*************

そもそも小さな町だ。その酒屋はすぐに見つかった。

店には舞が訪れた時と同じように中年の男がひとりで店番をしていた。

「すみません、三日程前に若い女性が地元のワインを何本か買っていったかと思うんですが、覚えていらっしゃいますか?」

男は椅子に座ったまま、やる気なさそうに亮の問いに答えた。

「ああ、覚えてるよ。この店であんな若い女性はめったに見ないからね。」

「その時にS農園ワイナリーのワイン、金賞を受賞したワインを買っていったはずなんですが、そのワインは何処で仕入れたんですか?」

「ああ、あのワインか・・・」

男は亮から目を逸らし、奥のワイン棚に目をやった。

「こう言っては何だが、解らないんだ。いつの間にかあの棚にあった。」

「おじさんが、仕入れたんじゃないんですか?」

「いや、あんなワイン、誰が仕入れるか。」

「あんなワイン・・・って・・・」

「お兄ちゃんは、あのワインに関する噂を知ってるか?」

「ええ、トラックが横転して殆ど割れてしまったとか、品評会の審査員が亡くなったとか、いろいろ。」

「なんだ、よく知ってるじゃないか。そんなワインが突然棚に現れたんだ。」

ワインのラベルを見てあのワインだとすぐに気がついたが、いつからそこにあったのか全く解らない。

不審に思いながら手に取ると、亮が感じたのと同じように嫌な感じがしたので慌てて元あった位置に戻した。

そして、あの不吉な噂から捨てる勇気もなく、そのままにしていたのだという。

「それで、あの姉ちゃんが買っていってくれた時は正直ほっとしたよ。」

そこで笑みを浮かべた男に亮は怒りを覚えたが、彼に喧嘩を売っても何も解決しないとぐっと堪えた。

そしてその男が他に何か知らないかと聞き出そうとしたが、男からこれ以上の情報を聞くことは出来なかった。

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**********

取り敢えず東京へ戻った亮は、まず舞の見舞いへと向かった。

まだ夕方であり、病院内の人の往来は多い。

舞の病室は個室なのだが、亮が部屋に入りドアを閉めると、突然外界から遮断された様に異様に静かになった。

まだ太陽が出ている時間だが、窓にはカーテンが引かれており薄暗い。

「舞先輩?」

朝と違って舞はベッドの上で上半身を起こしていた。

意識が戻ったのだろうか、入ってきた亮の事をじっと見ている。

亮は嬉しくなりベッドへと駆け寄ったが、舞はにこりともしない。

「舞先輩、具合はどうですか?もう大丈夫?」

亮の問いかけには答えず、舞は亮の顔を見つめて言った。

「あの、私をS町へ連れて行ってくれませんか?今すぐに。」

いきなり何を言い出すのかと驚くと同時に、その雰囲気、そして口の利き方が普段の舞とは全く異なることから、今喋っているのは舞ではないと強く感じた。

「舞先輩?どうしたんですか?」

「違うわ。私はハンバラ・チグサっていうの。お願い、S町へ連れて行って。」

間違いなくあの女に憑依されている、亮はそう確信した。

しかしどうすればいいのか解らない。

亮は舞を見つめたままゆっくり後ずさりし、扉に背中が触れたところで部屋から飛び出すと、ポケットからスマホを取り出した。

「もしもし、宮坂さんですか?先日お目に掛かった乃木坂、乃木坂亮です。」

電話を掛けた先はS町役場の宮坂だった。

(ああ、お世話になっています。どうしました?随分慌てていらっしゃるようですけど。)

「ちょっとお聞きしたいんですけど、宮坂さんはハンバラ・チグサという名前に心当たりはありませんか?」

(ハンバラ・・・チグサ・・・聞いた事があるような気がするんだが・・・)

「セミロングの髪で、すらっとした感じの若い人なのですが・・・おそらく、もう亡くなっています。」

(亡くなっている?あ、思い出した。)

「思い出して頂けましたか?」

(ええ、五、六年前に行方不明になった女性で、警察、消防、役場の人間が総出で町中を捜索したので憶えています。結局見つからないままでしたが。でも乃木坂さんはその半原さんが亡くなっていることをどうして?)

「彼女の幽霊が向江先輩に取り憑いているんです。」

亮は宮坂にワインの噂話や、舞が取り憑かれるまでの経緯を簡単に話した。

(そうですか。そのワインの噂は私も知っています。それで向江さんはS町の何処へ連れて行けと?)

「それは解りません。S町へ連れて行けとしか。」

(そうですか・・・乃木坂さん、ご相談ですが、向江さんをこちらまで連れて来て頂くことは出来ますか?)

舞は入院中であり、まだ意識もはっきりしていない為、まともに医者と話をして外出許可が出るとは思えない。

しかしこのまま病院にいても良くなるとは思えない。彼女は病気ではないのだ。

「分りました。今日、これから連れ出しますので、今夜彼女が泊まれるところを用意して頂けますか?」

(ええ、私に考えがありますので、そこら辺は任せて下さい。)

亮は電話を切ると病室へ戻り、舞を着替えさせてこっそりと病室を抜け出した。

そして助手席に舞を乗せると再びS町を目指す。

今日一日でいったい何キロ運転することになるのだろう。

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**********

宮坂とは役場の駐車場で待ち合わせをしており、S町に入ると役場に向かい交差点を曲がった。

もうすっかり陽が暮れ、山間で街灯の少ないこの田舎ではもう辺りは真っ暗だ。

「そっちじゃないの!」

それまでは、助手席にぼっと座っているだけだった舞、いや半原千草が突然声を上げた。

亮が慌ててブレーキを踏んで横を見ると彼女は後方を指差している。

「こっちへ行って。」

ここで逆らっても仕方がない。亮は車をUターンさせると役場とは反対の方向へ走り出した。

「どこへ行くの?」

亮の問い掛けに、舞はゆっくりと亮へ顔を向け、無表情のまま言った。

「葡萄畑」

「葡萄畑?」

オウム返しに聞き返したが、彼女はそれ以上何も答えずにまっすぐ前を見つめている。

この先にあるのは閉鎖されたS農園ワイナリーだ。

閉鎖された工場の周辺は明かりもなく、一昨日宮坂の案内でちらっと通り過ぎた時の記憶を頼りに、雑草に覆われた葡萄畑の横に車を停めた。

車のライトを消してみると周囲は月明りで照らされ、真っ暗闇と言う訳ではない。

舞は車を降りて雑草の生い茂った元葡萄畑の中へと入って行く。

この葡萄畑は、棚式ではなく、欧州でよく見られる垣根式であったようで、手入れされずに伸び放題の葡萄の木が縦に並んでいる。

「ちょ、ちょっと舞先輩!」

こんなところに来たことはないはずなのに、舞は躊躇うことなく荒れた畑の奥へと進んで行く。

亮は後を追いながら、電話で宮坂へ連絡を入れた。

しばらく進むと、舞は雑草の中に転がっている大きな石の前で立ち止まった。

幅が一メートル、奥行きそして厚みが五十センチほどのかなり大きな楕円形の石だ。

舞はその石の前にしゃがみ、その石に手を掛けた。

「えっ?舞先輩・・・すごっ・・・」

憑依されているとはいえ、舞は声も出さずに百キロは楽に超えているであろうその石を軽々と横に転がしたのだ。

石のあった場所には当然雑草は生えておらず、土が剥き出しになっている。

すると舞はその場にうずくまり、手でその土を掘り始めた。

一体何をするのか。

あの幽霊が地面の下から掘り出したいもの。

亮の頭には掘った先に埋まっているであろうものが思い浮かんだ。

舞を止めるべきなのか。

どうしたら良いのか解らず、そのまま固まっていると突然亮のスマホが鳴った。

宮坂からだ。

(今畑に着いたんだが、何処にいるんですか?)

亮はスマホのライトを点灯すると頭上に翳して車を停めた方向へ左右に振った。

すると三十秒も経たないうちに、がさがさと雑草を踏み分ける音がして、懐中電灯の光と共に黒い人影が現れた。

「宮坂さん!」

みると宮坂の他にもうひとり坊主頭の男性が一緒だ。

「な・・・これは!」

宮坂と一緒に現れた男性は、地面にうずくまり懸命に穴を掘っている舞の姿を見ると、眉間に皺を寄せて彼女に駆け寄った。

そしてその背中に手を当てると、何やらお経のような言葉を唱え始めた。

すると舞の動きがピタッと止まったではないか。

「宮坂さん、この人は?」

驚いた亮が宮坂に問いかけると、彼は亮の顔を見てにやっと笑った。

「町の外れにある報連寺という寺の住職です。乃木坂さんの話を聞いて、これは、と思って一緒に来て貰いました。」

彼が唱えたのが何の呪文か解らないが、舞は住職の腕に抱かれぐったりとしている。

「宮坂さん、この女性が掘っていたあそこを掘り返してみてくれませんか?」

住職の言葉に宮坂は走って車へ戻ると、農作業用だろうか、スコップを二本持って戻ってきた。

亮と宮坂は舞の掘りかけていた地面を掘り進めた。

「ん?何だこれ。」

五十センチほど掘り下げたところでスコップの先に硬いものが当たり、亮がスコップを投げ出して土を手で払い除けて行く。

「へっ?」

亮の指先に何かが絡みついてきたので、手を持ち上げて懐中電灯の光に翳してみた。

「うわっ!!」

それは女性のものと思われる長い髪の毛だった。

思わずその場で尻もちをついて固まってしまった亮に代わって宮坂がその周辺の土を払い除けると、そこに現れたのは土にまみれ、髪の毛がまとわりついた頭蓋骨だった。

「うお~っ!」

それまで住職の腕の中で大人しくしていた舞がいきなり吠え、弾かれた様に体を起こすと穴に上体を突っ込んだ。

そしてその頭蓋骨を両手で掘り出すと、それを抱きしめて大声で泣き始めたのだ。

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**********

宮坂の連絡により、すぐに警察が駆けつけた。

しかし駆けつけた警察官も頭蓋骨を抱きしめて泣き続ける舞の姿を見て戸惑っているようだ。

「哀れな・・・」

住職はそう呟くと、先ほどと同じように舞の背中に手を当て落ち着かせ、その手から頭蓋骨を取り上げた。

そして応援の警察官が到着すると煌々と照明が点けられ、早々に残りの部分の発掘が始まった。

見覚えのあるワンピースの端が覗いている。

亮は宮坂と共に事情聴取の為、発掘の結果を見ぬままに町の警察署へと連れて行かれたが、舞は住職の強い求めに従い、そのままパトカーに乗せられ寺へと連れて行かれた。

警察での事情聴取を終えた亮と宮坂は、もう夜遅い時間だったが、舞のいる寺へと向かった。

境内に入ると本堂の前には警察官がふたり立っている。

「あの、先ほど連れてこられた女性はどうしましたか?」

亮が警察官に問い掛けると警察官はにっこりと微笑んで本堂を指差した。

「先ほどまで住職がお祓いをして、今は本堂の奥でぐっすりと眠っていますよ。」

その声を聞きつけたのだろう、本堂から袈裟に着替えた先ほどの住職が顔を出し、ふたりに向かって手招きをした。

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**********

「結局、殺されて埋められた女性、半原千草さんの恨みが彼女の血を吸って育った葡萄に乗り移ったということなのでしょうか。」

すやすやと穏やかに眠っている舞の隣の部屋で、亮は住職に問いかけた。

「恐らくそういうことだと思いますが、ただ・・・今回彼女があなた達のところに現れたのは恨みとは少し違うような気がします。」

「と、言いますと?」

宮坂が首を傾げて住職に問い返した。

「これはあくまでも私の推測なのでここだけの話にして下さい。」

住職の見立てによると、当初、半原千草の霊に当初は強い恨みの念があったようだが、それはほぼ消えているらしい。

状況や理由は追って警察が明確にすると思われるが、おそらくあのS農園ワイナリーのオーナーが彼女を殺害して埋めた犯人であり、その恨みは既に晴らしたということなのだろう。

ただ、このままだと自分の亡骸は誰にも弔われることなく、あの荒れた畑の中で朽ち果ててしまう。

それは嫌だ、早く見つけて欲しいという一念から、あのワインを介して舞に取り憑いた、ということだった。

「では、遺体が見つかった今、全ては解決したということになりますか?」

亮の問い掛けに住職は渋い顔をして亮の顔を見つめた。

「私の経験からすると、あのような取り憑かれ方をされた向江さんにはかなりの霊障が残ってしまうかもしれません。」

「そんな…霊障ってどんな?」

「さあ、それは霊にもよりますし、取り憑かれた人の強さにもよります。酷い場合は一生廃人のようになってしまう人もいますが、今の向江さんの様子からするとそこまで酷くはないと思われます。」

「それでも何らかの支障は出るということですか…何か防ぐ手はないんですか?」

住職は亮の顔をじっと見つめ、しばらく間を置いた後でその問いに答えた。

「今回の出来事は、あの畑に残る半原千草さんの強い残思念からもたらされたものであり、それを浄化しなければなりません。」

「あの遺体が発見された場所で祈ればいいのですか?」

「ただ祈っても浄化するには不十分かもしれません・・・」

「では、どうすれば・・・」

そこで二人は黙ってしまった。

舞を元に戻すには、半原千草の遺体が発見されたあの畑を完全に浄化しなければならない。

報連寺の住職にそう言われて、亮は途方に暮れてしまった。

亮は立ち上がって、隣の部屋で穏やかに眠る舞の顔を見ながらどうすべきなのか考えた。

そこでふとあの遺体を抑え込んでいた大きな石が頭に浮かんだ。

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「住職、あの遺体の上に置かれていた大きな石。あれで石仏を彫ってはどうでしょうか。」

亮のその言葉を聞いて、住職は「ほう」と感心したような表情を浮かべにっこりと微笑んで頷いた。

◇◇◇ 葡萄畑のお地蔵様《エピローグ》へつづく

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