中編3
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海の迷子

「海の迷子に気をつけろ」

Aさんの地元では夏になると大人達が口を揃えて言うらしい。

これが海沿いの町なら何の不思議もない。

しかしAさんの地元は山間の小さな町で、海までは車で2時間程もある。水辺といえば街の中心を流れる川ぐらいだ。

物心がついた頃から言われて来た事なのでこの町の子供達にとっては当たり前の事だったが、よくよく考えると何か違和感があった。

山に入るなとか、川で遊ぶなとかならまだしも、海なんて子供達だけで行ける距離ではない。

バスや電車を使えば行けないことはないが、そんな大イベントは年に一度あるかどうかだ。

どちらにせよこんな山間の町で海の迷子に気をつけろなんて変な話だ。

小学校6年の夏、Aさんは父に尋ねた。

「山しかないのに、なんで海の迷子なの。山とか川とかの方が怖くない?」

すると父は

「お、良いとこに気が付いたな。」

と、誇らしげに笑った。

「母さん、こいつ海の迷子の事聞きたいんだってよ。いいよな?」

台所で洗い物をしていた母が苦笑いをした

「まあ、Aも中学生になるしいいんじゃない?どうせお盆みたいなものだし…」

父の話では、海の迷子とは「海で迷子になること」ではなく「海の迷子」と呼ばれる霊(死人の魂)のことらしい。

夏になると海難事故が増え、海で亡くなった人の魂が文字通り迷子になり、川を登って来てしまうのだそうだ。

それで「海の迷子」

そこでこの町では昔から、夏になると川の上流で篝火を焚き、上流に誘導した魂を山頂にある祠で鎮める儀式を行っているらしい。

と言ってもそれは一部の大人達が回り番で真夜中に行う物なので、特に若い町民でこれを知る人は少ないそうだ。

「じゃあなんで気をつけろなの?」

父の顔が曇った。

母がすぐさまフォローする。

「忘れないようにする為かな?海の迷子を祠に送るのを忘れたらダメですよって、それで気をつけろって…」

父の顔と、母の下手くそな嘘のせいで、海の迷子と呼ばれるモノが単なる彷徨える魂ではない事は子供のAさんにも容易に推測できた。

ただし、それを聞く勇気は当時のAさんには無かった。

今でもAさんの地元ではあの儀式は行われているらしい。

数年前、Aさんの父も

「ようやく俺のところにも回ってきた」

と張り切っていたらしい。

そして、海の迷子を祠に送ったその年に亡くなった。

母は偶然だと言う。

しかし父はその日Aさんに電話をかけていた。

「今度海の迷子送りなんだけど、ようやく俺のところにも回ってきたよ。」

「そうなんだ。山に入るんでしょ、気をつけてな。」

「山か…山は怖いよな。海もだけどな…でも山だよ…1番怖いのは…山で死んだやつも海で死んだやつも全部山に集まるんだよ。だから山はだめなんだよ。絶対山には入ったらダメなんだよ。わかったか?海で溺れ死ぬより悲惨な事になるからな。」

何のことかわからず、酔っ払っているんだと思った。

それが父との最後の会話だった。

そして翌年母も死んだ。

この話を聞いた半年後、Aさんも消息を経った。

何の真相もわからないまま「海の迷子」と言う言葉だけが私の中に残った。

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