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とあるタクシー会社の運転手が、多様なコンシューマーのニッチなニーズを満たすために繁華街を敢えて避けて多磨霊園あたりを流していると、真っ白なワンピースに長い黒髪のクライアントが手を上げているのが見えた。
サステナビリティな運営をポリシーとしている運転手としては、このクライアントは逃がすことはできない。少しふらふらしていて様子はおかしいけれど、乗せるべきだ。
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車を停め、後部座席に座ってもらう。
「どちらへいらっしゃいますか?」
けれど女性客は応えない。
「何らかのサマリーの提示もしくはアジェンダの伝達を頂きたいのですが?」
けれど女性客は応えない。
とにかくオンスケで仕事を終えたいし、こんなことでいちいちエスカレーションするわけにもいかない。本来なら丁寧にアテンドするべきだけれど、ASAPでとりあえず発進した。
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無言のドライブが続くので、運転手は
「今夜はどちらへのアポイントメントを取っていらっしゃるんですか?」
と何となく尋ねてみるけれど、やはり客は応えない。黒髪からちらちらと見える青い顔の、その唇は紫色だ。まるで不気味のレッドオーシャン。
とはいえまずはこのタスクを終えて、デッドラインまでに帰りたい。オペレーションのマストとしてこのクライアントへのネゴシエーションが必要だ。
「一応ノーティスしておきますが、わりとメーターが高くなっているので、
バジェット的なことも含めて目的地のほうを教えていただけませんか?
プライオリティ的にわりとニードなんです」
すると、女性客は初めて口を開いた。
「……そこのブルーオーシャンしている静かなクロスロードを、レフトのベクトルにシフトチェンジしてください」
「え、シフトチェンジって言ってもあそこ曲がるならこのまま1速ですけど」
「…そうじゃなくて、左に曲がって」
「了解です」
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クライアントのボトルネックな伝達のせいで道をミス案件しかけたけれど、とりあえず従来のメソッドは置いておいて客の誘導の通りに運転を続けたら、高尾山の脇道に到着した。
客はか細い声でこう言った。
「……コンプライアンス的にセンシティブな言い方をするけれど、私ここで自殺したの。
連れてきてくれてありがとう。あなたの運転のユーティリティは高評価できる」
運転手が振り返ると、クライアントはもうそこからゲットアウトしていて、後部座席のシートがただ濡れているだけだった。
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最初からずっと幽霊にイニシアティブを握られていたこの運転手はそれ以来、インセンティブのないこんなワークは引き受けないことにしているという。
作者肩コリ酷太郎
そうです、いつもの悪ふざけです