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長編11
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文化会館(前編)

社用車で外回りに出た帰り、三時の休憩としていつも立ち寄るバイパス沿いのコンビニの前で煙草を一服していた時だった。

「あの、すみません。厚木文化会館はどう行けばいいですか?」

突然、長い髪を後ろで束ねた若妻風の見知らぬ女性に声を掛けられた。

表情からするとかなり焦っているようだ。

車なのかと尋ねると、車ではないのでバスで行きたいと答えた。

「この国道を向こうへ行く本厚木駅行きのバスに乗れば、文化会館の方向へは行くんだけど…」

文化会館の近くのバス停が何処にあったかを思い出そうとしていると、その目の前を本厚木駅行きのバスが通り過ぎて行った。

「あ・・・」

女性が小さな声を上げ、バスの後ろ姿を見送っている。

もし目の前にたっているのが小汚いおっさんであればもっと雑な対応になるのだろうが、このようにちょっと小綺麗な女性であれば自然に対応も変わる。

「ここから十分程だから、車で送ってあげますよ。」

「本当ですか?すみません。助かります。」

やはり、何だかんだ言っても人間、第一印象は大切だ。

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*********

文化会館までの足を確保できた安心感からなのか、見知らぬ男性の助手席に乗る緊張感からなのか、女性はこちらから尋ねてもいないのに、これから文化会館で娘のピアノの発表会がある事、その為に娘が積み重ねてきた練習の話、自分の仕事がなかなか抜けられず時間ギリギリになってしまったというような話を到着までの十分間喋り続けた。

「さ、着きましたよ。」

文化会館の前で車を停めると、女性は急いで車を降り、ぺこりと頭を下げてホールへの入口へと小走りに駆けていった。

よっぽど急いでいたんだなと苦笑いをしたところで、ふと奇妙な違和感を覚えた。

周囲にまったくひと気がないのだ。

この文化会館は駅から少し離れた場所にあるため、普段からそれほど人通りが多いわけではない。

しかしこれからピアノの発表会があるなら、もう少し人の出入りがあってもいいのような気がする。

でも考えてみれば、発表会が始まってしまうと皆会場に入ってしまうから当たり前かもしれない。

「ま、いいか。」

とりあえず会社に戻るべく車をスタートさせた。

気にしたところで何がどうなるわけではない。

気を取り直して会社へと戻り、帰宅する頃にはそんなことがあったことすら忘れていた。

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**********

それから三日程経った日、外回りから帰社する途中で、いつものようにあのバイパス沿いのコンビニへ立ち寄った。

外回りは毎日あるわけではないが、会社では煙草が吸えない為、帰社する前には必ずここに立ち寄って一服する。

「あの、すみません。厚木文化会館はどう行けばいいですか?」

振り向くと見覚えのあるあの髪の長い女性が立っていた。

三日前と全く同じセリフ。着ている服も全く同じだ。

「車ですか?」

頭の中で混乱しながら、つい同じセリフを返してしまった。

そしてほとんど同じやり取りをし、目の前を本厚木駅行きのバスが通り過ぎた。

デジャヴ?

それにしてはあまりにはっきりしすぎている。

「ここから十分程だから、車で送ってあげますよ。」

そして三日前と全く同じ話を聞かされながら文化会館の前に到着した。

「あの、三日前にもここへいらっしゃいませんでしたか?」

車を降りようとする女性に思わず尋ねた。

「三日前?いいえ、発表会は今日ですもの。」

女性は不思議そうな顔をしてそう答えると、車を降りて頭を下げるとまた同じように文化会館へと小走りに駆けこんでいった。

その女性の後ろ姿を目で追いながら、頭の中はめちゃくちゃ混乱していた。

本当に単なるデジャヴなのか?

デジャヴ、既視感とは今起こっている目の前の事象を過去に経験したことがあると感じてしまうことだ。

しかし俺はこれから先に起こる事、彼女が話す内容まで知っていた。

いや、知っていたと思うこと自体が錯覚なのか。

そしてこれが本当にデジャヴだとすると、三日前にはここへ来ていないということか?

いや、あの日も真っ直ぐに会社へ帰ったという記憶はない。

しかし、少なくとも今日ここで車を停めて彼女を見送ったのは紛れもない事実なのだ。

今、俺はここ、文化会館前にいるのだから。

決して夢の中ではなく、現実なのだ。

いや、ちょっと待て。

“あの女性を送って” は、事実なのか?

あの女性は本当に車に乗っていたのか?触ってみたか?

あの女性こそが俺の幻想、幻覚ではなかったのか?

そう思い始めるとどんどん自信がなくなって行く。

三日前、そして今日と、俺は同じ幻覚を見たのではないのだろうか。

俺は車をUターンさせて、文化会館の駐車場へ車を入れた。

実際にピアノの発表会があり、あの女性がその会場にいれば、少なくとも今日起ったことは事実だと認識できる。

ロビーへ入ると、すぐ脇に『本日の催し一覧』があった。

上から順に目で追ってゆく。

大ホール、小ホール、第一研修室、第二研修室…

ない。

それらしいピアノの発表会は見当たらない。

それでも、もしかしたらとちらほら人が行き来するロビーを暫く眺めていたが、あの女性の姿を見つけることは出来なかった。

やはり、あの女性は俺の幻覚だったのだろうか。

会社へ戻ったが仕事に全く集中できず、体調が悪いと嘘をついて早めに会社を出ると、まだ店を開けたばかりの行きつけの居酒屋『さもりこん』の暖簾を潜った。

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*********

俺の名は庄川孝司。今年三十二歳で独身。

目下恋人を募集中なのだが、仕事が忙しく募集中の看板をこっそり掲げているだけで、何の活動もしていないのが実態だ。

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**********

「お、どうしたの?今日はやけに早いね。」

店を開けたばかりでまだカウンターの中で仕込み作業途中のマスターが、暖簾を潜った俺に声を掛けてきた。

客はまだ俺ひとりであり、マスターに曖昧な笑顔を返すといつものようにカウンターに座った。

おしぼりを持ってきたアルバイトの桜井美香にビールを頼んでひと息つくと、どうしても頭の中は今日の文化会館の一件に支配される。

全く同じことが二度起り、相手はそれを認識していない。

ありえない話だがもしタイムスリップであれば、彼女だけではなく仕事も全て同じことを繰り返さなければならないはずだが、そうなってはいない。

「はあ~っ」

大きくため息を吐いたところで、美香がビールを運んできた。

本人はバイトと言っているが学生ではなく、見た目の年齢は二十四、五と言ったところか。

昼間は何をしているのか知らないが、おそらくフリーターみたいなものだろう。

しかし丸顔の可愛い顔立ちと大きな胸でお店の客には人気がある。

「庄さん、どうしたんですか?おっきなため息なんか吐いて。」

「いや、実はね・・・」

三日前、そして今日遭った出来事を掻い摘んで話をすると、美香はよく分からないと言った表情で首を傾げて考え込んでしまった。

「庄さん、疲れているんだよ。少し働き過ぎじゃないの?」

カウンターの中で話を聞いていたのだろう、マスターが口を挟んできた。

「でも確かに同じことが二度起ったんだ。幻覚とか思い違いとかじゃないと思うんだけどな。」

力ない反論を呟くように言うと、美香が俺の横に座って興味深そうに聞いた。

「その女の人ってひょっとして幽霊とかじゃないかな?子供のピアノの発表会に行く途中で事故に遭って死んじゃって、そのあと幽霊になって何度も繰り返し文化会館に行っているみたいな?」

「そんな、幽霊なんて感じじゃなかったよ。顔色も良かったし。」

「でも触ってないでしょ?」

「触るわけがないだろ。初対面の女性だぞ。」

「まあそうね。でも幽霊じゃないって確証もないってことよね。悩んでいても仕方がないから、また三時頃そのコンビニに行ってみれば?二度あることは三度あるって言うわよ。」

美香に言われなくともこれまで通りの生活をしていれば、外回りの帰りにまたあのコンビニへ行くことになる。

心のどこかでこのような不可思議な出来事にはあまり深入りしない方がいいという気もするのだが、このままではあまりに気分が悪い。

もう二度と起こらないなら、起こらないことを確認したい。

そろそろ帰ろうかと立ち上がったところで美香が傍に寄ってきた。

「ねえ庄さん、次はいつそのコンビニへ行くの?」

どうやら美香はこの件にかなり強い興味を引かれたようだ。

「外回りに出る時だから、次は今週の金曜日かな。」

「その時に私もそのコンビニへ行ってみてもいい?」

「あの女性がまた来るかどうかわからないけど、それでもいいならかまわないよ。」

そう言ってOKすると、予定が変わったら連絡してと携帯の番号を渡された。

あの女性のことは引っ掛かるが、ひょんなことで美香の連絡先を手に入れたことで、結果的にその日は気分良く帰宅した。

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***********

そして金曜日。

美香に電話を入れ、三時少し前にあのコンビニに着いた。

俺が駐車場へ車を停めると、もう既に店へ来て雑誌を立ち読みしていた美香が、店の中から手を振っていた。

「ねえ庄さん、その女が現れたら私は後から車に乗り込んで文化会館まで一緒に行くわ。」

「はいよ。もう一度ここに現れたら、だけどね。」

そう言って美香を店内に残して店の外に出ると、いつものように吸い殻入れの横に立って煙草に火を点けた。

しかし煙草を吸い終わってもあの女は姿を現さない。

店の中を伺うと美香が指をVの字にして口元に近づけている。

もう一本吸えということだろう。

仕方なく二本目の煙草に火を点けた。

このまま現れなければ、仕事なんか放り出して美香を誘ってどっかに遊びに行ってしまいたいな、などと考えていた時だった。

「あの、すみません。厚木文化会館はどう行けばいいですか?」

振り返るとまた同じ女性が立ってこちらを見ていた。

ちらりと店の中を見ると美香もこちらを見ており、女性が現れたことに気づいているようだ。

「車ですか?」

今回はわざと同じセリフを繰り返し、同じ行動を繰り返した。

「ここから十分程だから乗せていってあげますよ。」

「本当ですか?すみません。助かります。」

「でも”今日は”連れがいるのでちょっと待ってもらえますか?」

そう言って店の中に顔を突っ込むと美香を呼んだ。

そして女性を助手席に、そして美香を後席に乗せるとコンビニの駐車場を出た。

すると案の定、女性がこれまでと同じように娘の話やピアノの話を始めると、美香がいきなり女性の話を遮った。

「私達もそのピアノの発表会を聴かせて貰っても大丈夫ですか?」

「ええ、もちろん。観客は多い方が子供達もやりがいがありますわ。是非来てください。」

女性はそう言って美香の申し出を快諾してくれた。

車を文化会館の駐車場に停め、三人で車を降りるとその女性は俺達の少し前を足早に歩いて行く。

「会場は小ホールになります。」

歩きながら女性はこちらを振り返ってそう言った。

美香と並んでガラスの自動ドアを通り抜けると小ホールへ向かう。

周りには様々な催し物に参加する人、観に来た人などでそれなりに賑わっているが、ふと気がつくと前を歩いていたはずの女性の姿がない。

「あれ?どこ行ったんだろう。」

周りを見回したがどこにもいない。

「子供がいる控室にでも行ったんじゃない?小ホールだって言ってたから行ってみましょ。」

そう言ってさっさと小ホールへと向かう美香の後ろを慌てて追いかけた。

二重になっている小ホールの分厚い防音扉をゆっくり開けると中は真っ暗だった。

「もう始まっているのかしら。」

美香は小さな声でそう呟くとホールへ入り静かに扉を閉めた。

ステージにはうっすらと照明が灯っているが、何故か誰もいない。

それどころかピアノの発表会のはずが、ピアノも置いていないのだ。

徐々に目が闇に慣れてくると、客席の様子も見えるようなってきたが、客席にも人の姿はない。

「場所を間違えたかな。」

俺の問い掛けに美香は首を横に振った。

「私は何度かここに来ているし、小ホールはここしかないもん。あの女の人が間違えたのかな。」

そう言って首を傾げながら扉を開けてホールの外へ出た。

眩しい光で一瞬目の前が真っ白になったが、すぐに視界は先程のロビーを取り戻した。

しかし・・・

「え?みんなどこへ行っちゃったの?」

ホールから出た先のロビーには誰もいなかった。

周囲は静まり返り、自分達の足音以外全く音も聞こえない。

周辺を歩き回ってみたが猫の子一匹見当たらないのだ。

「ねえ庄さん、いったいどうなっちゃったの?」

「俺に聞かれても分かんないよ。」

どう考えてもあの小ホールに入った数分の間、いや、あの小ホールの扉を境に何かが変わったのだ。

時間か、空間か。

「美香、もう一度小ホールに行ってみよう。」

美香はすぐに俺が何を考えたか理解したのだろう、大きく頷いて小ホールへと向かった。

ひとつ目の扉を開け中に入り、ふたつ目の扉に手を掛けた時だった。

扉の隙間からピアノの音が聞こえるではないか。俺と美香は思わず顔を見合わせた。

扉を開けて中を覗き込むと大きなグランドピアノがステージ中央に置かれ、白いドレスを着た女の子が懸命にピアノを演奏しているのが見える。

程なく演奏が終わり、客席から拍手が沸き上がった。

後ろからだとよく分からないが、座席の半分くらいは埋まっているだろうか。

さっきは誰もいなかったのに。

俺は美香の腕を掴み、また小ホールから飛び出した。

しかし、外のロビーには相変わらず誰もおらず、静まり返っている。

何が起こっているのか全く理解できず、俺達はもう一度小ホールへと飛び込んだ。

すると驚いたことに今度は最初の時と同じく、ステージに薄明かりが灯っているだけでピアノはなく、客席にも誰もいない。

「これ、最初に入った時の状態だよな。」

俺と美香は顔を見合わせ、再び小ホールから飛び出した。

するとそこには来た時と同じように大勢の人達が行き来しているではないか。

「ここは元のロビーよね?」

美香が周りの人達を見回しながら呟いた。

周囲の人達の顔を明確に憶えているわけではないが、その雰囲気からしておそらく最初に入って来た時と同じだろう。

元の空間に戻ってこられたのだ。

「変なの。一体何が起こったの?」

「解らない。確かめるためにもう一度小ホールに入ってみる勇気ある?」

俺の問い掛けに美香は思い切り首を横に振り、俺の腕を掴むと事務所へと向かった。

「すみません、小ホールでは今何の催しをやっていますか?」

すると中年のオバサンが面倒臭そうにチラッっと背後のホワイトボードに視線を投げた。

「この時間は空きになっていますよ。」

やはり先程の誰もいない状態の小ホールが今の正しい姿ということだ。

ピアノの演奏会が行われていたあの空間はこの世界の文化会館ではなくどこか違う世界であり、あの女性もそちらの住人ということなのだろうか。

しかしそうだとしても、途中で見た、このロビーに全く誰もいない状態と言うのは理解できない。

俺と美香は一体どこに足を踏み入れたのだろう。

狐につままれたような気分だったが、とにかく戻れたことに安堵して俺達は文化会館を出た。

◇◇◇ 後編へつづく

Concrete
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