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長編11
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青女房

『青女房』って名前の妖怪を知ってる?

平安時代の女官姿をした妖怪で、様々な書物にその姿絵が残されているものの、何をしでかすのかについては明確な記述がないようだ。

実は先日、彼女と北陸へ旅行に行った時に、この青女房と思われる物の怪に遭遇した。

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彼女の智花は、お茶やお花を嗜む、どちらかと言えば和風の女性で、旅行に出てホテルに泊まるとしてもピカピカの最新鋭のホテルよりも、詫び錆びのあるしっとりした旅館を好む。

そこで今回の北陸旅行では、平安時代、福井が越前国と呼ばれていた頃から続くという超老舗の旅館を予約してみた。

もちろん僕自身も初めて泊る宿だけど、ネットで見る限りは落ち着いた雰囲気であり、彼女が好みそうな旅館だった。

福井市内や東尋坊、恐竜博物館等を観光した後、夕方に宿へ到着するとそのまますぐに部屋へ通された。

その旅館には新館と旧館があり、その日に泊ったのは平屋作りの旧館にある一番奥の部屋。

「わあ、すごい、タイムスリップしたみたい。」

その部屋は八畳ほどの和室で、奥が三畳ほどの板張りになっており、落ち着いた色合いの籐のテーブルと椅子が置いてある。

そしてその向こうのガラス窓から見える外には美しい庭が広がり、非常に落ち着いた雰囲気だ。

更にこの板の間の横にある扉の向こうには、小さめだが専用の露天風呂までついている。

部屋の中の調度品もアンティークと呼んで良いような座卓と座椅子、そして桐の箪笥や古風な化粧鏡、床の間には大きな花瓶が置かれ、立派な美人画の掛け軸が掛かっている。

テレビは部屋の雰囲気を壊さないように、桐の箪笥の中ほどにある開き扉の中に隠されていた。

部屋の中をあれこれ見ていると、程なくして優しそうな仲居さんが部屋にやってきた。

「いらっしゃいませ、お客さんは新婚さんですか?」

お茶を入れながら、そう聞いてきた仲居さんに智花ははにかんで、そうですと答えた。

やはり老舗の旅館だけあって仲居さんの対応も穏やかで会話していて落ち着く。

話をしてみると、仲居さんだとばかり思っていたこの女性はこの宿の若女将だった。

この旧館に泊る客に対しては、若女将が直々に対応するのが常だそうだ。

この辺りの歴史や観光について話を聞いていたが、智花がふと床の間を指差して若女将に問いかけた。

「あの掛け軸は、名のある画家の作なのですか?とっても綺麗な人ですね。」

「いえ、この宿を開いた初代の主が描いた絵らしいです。」

彼女の話によると、平安時代も終わりに近づいた長元元年に平忠常が朝廷と対立し朝廷軍と衝突した際、身の危険を感じた高官の姫が京から逃げ出し、数人の女官や従者と共にこの宿に長期で滞在したそうだ。

そしてその際に多少絵心のあった宿の主人がその美しい姫を描いたのだという。

「その化粧鏡や花活けもその姫様が置いて行ったものだと聞いています。」

「すごい。千年も前の物なんですね。」

元来歴史好きな智花は目をキラキラさせてそれらの品を眺めている。

「宿のロビーや廊下には他にも古の時代の物がいろいろと飾ってありますから、お時間がありましたらそちらもご覧ください。それでは、ごゆっくり。」

若女将が出て行くと、夕食までそれほど時間がないこともあって、まずはふたりで露天風呂へ入った。

小さいとはいえ、ふたり並んで湯船に浸かれるくらいの大きさはある。

「ねえ、こんな古い宿だと、座敷童とか出たりしないのかな。」

智花は、恐怖を煽るだけのホラーこそ嫌いだが、昔話、お伽噺的な物の怪話は意外に好きなのだ。

「さあね、千年も歴史があればいろいろな事があっただろうし、いろんなモノが棲みついているかもね。でも、この建物自体はさすがに何度か建て替えているみたいだよ。」

「そうね、平安時代にガラス窓やドアとか電気の照明があるはずがないものね。」

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そして大広間で期待以上の夕食を済ませて部屋へ戻る途中、若女将の言っていたロビーや廊下に飾られている品々を眺めた。

平安時代に創業と言っても、それ以降脈々と続いているのだから、展示してある品も平安時代以降、鎌倉時代、戦国時代、江戸時代等にまたがり多岐に渡る。

「ここに飾ってある甲冑とかって、実際に戦で使ったものなのかな。」

智花は真剣な表情でじっくり展示品を眺め、古の時代に思いを馳せているようだ。

「あ、お雛様のぼんぼりだ。」

それは高灯台という高い台座の上に紙でできた行燈を載せた照明で、中に置かれた油の小皿に糸を設えて火を点ける。

雛飾りではよく見るが平安時代の現物を見るのは初めてだ。

ひと通り見終わって部屋に戻ると、既に布団が敷かれていたが、まだ寝るには早い。

窓際の椅子に腰を下ろすと、昼間に買ってきた『秘之一本義』という、福井でしか飲めないと言われる日本酒を取り出し乾杯した。

「今日は楽しかったわ。料理も美味しかったし、若女将さんは良い人だし、この宿は大当たりね。」

「気に入って貰えて良かったよ。」

そして酒も進んできたところで、顔を赤くした智花は立ち上がって和室へ移動すると、床の間に飾ってある掛け軸の前に立った。

「清少納言とか紫式部が生きていた時代に描かれた絵なのね。なんか凄い。」

「さっき、若女将が長元元年って言ってたから、後一条天皇の時かな。紫式部の時代よりももう少し後だね。」

智花はその紙の質などを確かめようとしたのだろうか、描かれている姫の顔の辺りを指先でそっと撫でた。

「こらこら、その下に『手を触れないで下さい』って注意書きがあるだろ。」

「いいじゃない、ちょっとだけよ。平安時代の絵に触れる機会なんてめったにないもの。」

智花がそう言って一旦は離した手を再び絵の方へ伸ばし、肩の辺りに触れた時だった。

カタン

何か硬い音が部屋の中からはっきりと聞こえた。

驚いて部屋の中を見回したが、もちろん僕と智花以外には誰もいない。

「きゃっ!」

同じように周囲を見回していた智花が、何かに驚いた様子で小さく悲鳴をあげた。

その視線は鏡台の方を向いている。

僕の座っている板間からはよく見えないのだが、床の間の前に立っている智花からはほぼ正面になる。

「い、いま、鏡の中に女の人が映ってた…」

「女の人?」

「うん、髪の長い、着物姿の女の人。」

急いで智花の傍に行き、鏡を見たがそのような女の姿は見えない。

「後ろの姫様の絵が映っていたんじゃないか?」

「ううん、着物は赤だったし、全然違う顔だった。それにお歯黒だったの。」

掛け軸の絵は墨絵であり、色などついていないし歯も見えていない。

「そっか。お歯黒だったら姫様じゃないね。そうするとお付きの女官かな。」

智花は一体何を見たのだろう。

単なる幻覚か見間違いと言い切ってしまえばそれまでなのかもしれないが、無理に否定することはない。

何となく腑に落ちないような表情を浮かべている智花の手を引いて再び窓際のテーブルに腰を下ろすと、ゆっくりと残りの酒を酌み交わした。

しかしそれは彼女の見間違いではなかったようだ。

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夜中に突然鼻をつままれたような感覚を覚えて目が醒めた。

横で智花はすやすやと眠っている。

鼻をつままれたような気がしたのは気のせいだったのだろうか、枕元の時計を見ると夜中の二時を過ぎたところ。

かなり酒を飲んだせいか尿意を覚えて起き上がった。

露天風呂の手前にある脱衣所の横がトイレになっている。

智花を起こさないように、そっと布団から出るとトイレに入り、用を足した。

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「??」

トイレから出ると部屋の様子が一変していた。

そこはたった今まで寝ていた旅館の客間ではなく、見知らぬ和室。

部屋の両脇は御簾で区切られ、正面の壁の手前、ほぼ部屋の中央には金色の屏風が立てられ、その屏風の向こうからは、蝋燭だろうか、淡い光が揺らめいている。

部屋の灯りはそれだけであり、まるで平安、鎌倉時代の屋敷のような雰囲気だ。

僕は何処へ迷い込んだのだろうか。

これは夢か?

慌てて後ろを振り返ったが、今出てきたはずのトイレのドアはなく、障子が立ちはだかっているだけ。

(何なんだ一体。)

思わずその障子を開けてみると、外は縁側のような廊下で、その向こうには月明りに照らされた日本庭園のような庭、そしてその向こうには白壁の塀が続いている。

まるで映画のワンシーンのような美しい眺めに一瞬見とれそうになったがすぐに我に返り、もう一度部屋の中を振り返った。

(こちらへ)

不意に、屏風の向こうからであろう、優し気な女の声が聞こえた。

明らかに智花の声ではないが、誰かいるのであればこの不可解な状況を知る手掛かりが貰えるかもしれない。

ゆっくりと部屋の中へと踏み入り、恐る恐る屏風の横へ回り込んで裏を覗き込んだ。

揺らめく光は、先ほど廊下で見た高灯台のぼんぼりだ。

そしてそこには布団が敷かれ、その上に白い襦袢姿の女が座っている。

姿勢正しく正座してこちらを見ている女の束ねられた髪は驚くほど長く、背後で渦を巻くようにまとめられていた。

そしてその顔は真っ白に塗られ、ずいぶんと高い位置に描き直された眉、赤い口紅が小さく塗られた唇。

お多福?福笑い?何処かで見たことのあるような千年前の化粧だ。

僕は千年前にタイムスリップしたのだろうか。

女は座ったまま僕の事を見上げると、にっと笑って手招きをした。

その笑った口元からは真っ黒に塗られた歯が覗く。

先程智花が鏡の中で見たのはこの女だったのだろうか。

僕が立ち尽くしたまま動かないのを見て、その女は姿勢を少し崩して科をつくりながらもう一度手招きをしてきた。

もちろん床に誘っているのだろう。

しかし、ついさっき智花を抱いたばかりで、その気にならない。

いや、そうでなくともこのお多福顔でお歯黒の女性に魅力を感じる男がいるのだろうか。

少なくとも現代を生きる男性の美的感覚には全く合わないと思う。

僕は苦笑いを浮かべ、顔の前で片手を振りながら後退りした。

平安時代でもこのような態度を取れば、その意味は通じるだろう。

すると笑顔を浮かべていた女の顔がみるみる険しくなった。

そしていきなり立ち上がると、いつの間に結びを解いたのか、束ねてあった髪がまるで蜘蛛の巣のように逆立ったではないか。

女はお多福顔を般若の面のごとき恐ろしい表情に変えてこちらへと向かってくる。

「うわ~っ!」

僕は反射的に踵を返すと障子を開けて廊下へと飛び出した。

はずだった。

ゴン‼

障子を開けた正面に何故か太い柱があり、薄暗い中でそれに気づかず勢いよく飛び出そうとした僕は勢いよく額をぶつけてそのまま気を失った。

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***********

「ねえ、大丈夫?」

智花の声に目を開けると、僕は元の部屋で仰向けに倒れており、智花が心配そうな顔で上から覗き込んでいる。

周囲はまだ暗く、夜は明けていないようだ。

「いててて」

額の痛みに手を当てると大きな瘤が出来ていた。

「僕は…いつの間にこの部屋へ戻ってきたんだ?」

「え?何を言ってるの。私が寝ていたら、いきなりドタンて倒れたからびっくりしちゃったわよ。でも、そのたん瘤、何にぶつけたの?」

倒れていたのはほぼ部屋の中央の布団の上であり、確かに周囲には頭をぶつけるようなものは何もない。

「やっぱり僕は夢見てたのかな。」

「夢でそんなでっかいたん瘤できるわけないでしょ。どうしたのよ。」

そこで僕は智花にあった通りのことを話した。

「え~、何それ。変なの。夢でも見たんじゃない?」

「だから、そう言ってんだろ。」

智花はタオルを濡らしてくると、僕の額を冷やしてくれた。

「まだ四時前だから、もうひと眠りしましょ。もうトイレに起きることはないから大丈夫よね。」

「ああ、寝直すか。」

自分で額のタオルを押さえながら智花の横に体を横たえ、タオルと反対の手で智花を抱き寄せ目を閉じた。

すぐに眠りに落ちるかと思った時、突然智花が上体を浮かせながら声を上げた。

「えっ、あれ、あれっ!」

智花は床の間を向いて横になっていたのだが、何かを見たようだ。

床の間に背を向けていた僕は背後を振り返った。

「うわっ!」

床の間の前には、先ほどの襦袢姿の女が四つん這いにうずくまった状態で顔を上げ、こちらを睨んでいるではないか。

その表情は鬼のような顔のままで、逆立った髪の毛がまるでクジャクのようだ。

そしてそのままずりずりとゆっくりこちらへ近づいてくる。

僕は智花を抱きかかえるようにして壁際までずり下がった。

しかし女はそのままゆっくりと近づいてくる。

「逃げるぞ!」

僕も智花も素っ裸に浴衣を羽織っただけの姿だったが、着替えている余裕などあるわけがない。

かまわず立ち上がるとそのまま部屋を飛び出した。

廊下に出ると、手をつないだまま空いている手で帯のない浴衣の前を掻き合わせながらフロントへ走る。

後ろを振り返ってみても女が追ってくる様子は無かった。

新館へと足を踏み入れ、少し安心して無人のフロントへ行きカウンターのベルを鳴らした。

さすがにこの規模の旅館では二十四時間での対応はしていないのだろう。

何度かベルを鳴らしたところで、寝間着にガウンを羽織った女性が出て来てくれた。

「どうなさいました?」

多少寝ぼけた声で対応に出てくれた女性は、昼間の若女将だった。

信じて貰えるかどうか、しどろもどろになりながらも、いま部屋で起こったことを説明すると若女将は眉間に皺を寄せただけで、疑うような素振りは何も見せなかった。

「そうですか、申し訳ありません。今すぐ新館の空き部屋を用意しますので、夜が明けるまでそちらでお休みください。部屋のお荷物は朝になってからでかまいませんよね?」

あまりに好意的な対応に、僕と智花は顔を見合わせ、逆に恐縮してしまった。

「すみません、こんな夜中に御迷惑をかけて。」

「いいえ、もう少ししたら朝食の為に早番の人が出勤してくる時間ですから大丈夫ですよ。気にしないで下さい。」

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「若女将さん、夕べ私達が見たあの化け物は何だったんでしょうか?昔々の幽霊?」

大広間で朝食を食べながら、席に近寄ってきた若女将に智花が尋ねた。

すると若女将は苦笑いしながら少し首を傾げた。

どう話せばよいのか迷っている様子だったが、僕と智花のテーブルの横に座り、ため息をひとつ吐いて話してくれた。

「あれは『青女房』という妖怪なんです。」

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先々代から聞いたという若女将の話によると、『青女房』とは平安時代の女官が姿を変えた妖怪らしい。

昔、姫が戦乱の都からこの地へ逃れてくる際、姫に仕えていた女官達も旦那や家族から引き離されて姫の供をさせられた。

その寂しさを紛らわすためか、女官達は屋敷に出入りしていた男どもを誘惑していたのだという。

もちろんあからさまに男を引っ張り込むわけにはいかない。

それらしくカマを掛けて、夜になると寝屋で男が忍んで来るのをじっと待っていたそうだ。

そんな彼女達の情念が妖怪となったのが『青女房』。

昨夜は僕が誘惑に乗る素振りを全く見せなかったため、あのような怒りの姿に変わったのだろう。

「でも、もう十年以上『青女房』が現れたという話は聞いていなかったので、もういなくなったのではないかと思ってました。御主人が魅力的だったのですかね。」

そうだった。今回は新婚夫婦という設定だったっけ。

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荷物をまとめ、チェックアウトの為にカウンターへ行くと若女将がにこやかに対応してくれた。

「今回は、お詫びと言っては何ですが、御食事代だけでお部屋代はいりません。もしよろしければ、次は新館のお部屋を用意しますので、是非またいらして下さい。」

若女将はそう言って再び僕達に頭を下げた。

最後に庭を見てくると言って智花が先に玄関を出て行くと、僕の傍へ若女将がすすっと近づいてきた。

「でも、『青女房』の誘いに乗って、彼女を満足させると一生幸せになれるっていう、座敷童みたいな噂もあるんですよ。」

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若女将はそう囁いて妖しく微笑んだ。

◇◇◇ FIN

Concrete
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