朽木洋介は子供の頃から木彫りの趣味があった。
子供の頃からずっと続けてきただけのことはありその腕はかなりのもので、就職してからもずっとクラフト仲間の集まるNPO法人に参加していたのだが、その団体で岐阜県にある廃小学校を借り受け、各種研修用の施設を立ち上げることになった。
独身で身軽な洋介は、これまで務めていた会社がかなりブラックでありそろそろ潮時かと思っていたこともあって、ちょうど三十歳になるこの機会に岐阜へ移住することを決めた。
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そして今日、洋介の他に同じNPOに参加している、椎名大輔、ちとせ夫妻、岩淵栄、真子夫妻、そして洋介と同じく独身の星名砂羽の六人が、この廃小学校で一夜を明かすことになった。
椎名夫妻は夫婦で織物、岩淵栄は家具職人、星名砂羽は和紙を漉くことでこのNPOに参加している。
岩淵栄の妻、真子は専業主婦だ。
この六人以外にあと五人ほど施設の立ち上げに参加する予定なのだが、現時点で集まっているのはこのメンバーであり、校舎の片付けや今後の改装計画などの打合せを行っている時に、星名砂羽が面白いものを見つけた。
それは元職員室に積まれていた古い作文の中にあったのだが、この学校に伝わる七不思議について書かれているものだった。
六人が揃って昼食を取っている時に、砂羽がその作文をみんなに見せると、椎名ちとせが笑いながらそれを手に取った。
「どこの学校にもあるのよね。」
「でもこの宿泊施設の売りになるかも知れないぜ。」
椎名大輔が楽しそうにちとせがめくる原稿用紙を覗き込んでいる。
音楽室のピアノ、階段の鏡、トイレの花子さん、動く人体模型などありきたりな話の中に奇妙な話があった。
地下室から聞こえる低い唸り声。
「この建物に地下室なんかなかったよな。」
洋介が隣に座る砂羽に話しかけると砂羽も頷いた。
「この建物はひと通り見たけど、地下へ降りるようなところはなかったし、役場で貰った見取り図にも地下なんてなかったわ。」
単なる子供の創作話なのだろうか。
「なあ、面白そうだから今夜みんなでここに泊って、この七不思議を探索しようぜ。」
大輔が楽しそうにそう提案し、こうして夜の廃小学校に六人が集まったのだ。
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日没を挟んで校庭でバーベキューをしながら夕食を済ませ、畳が敷いてある宿直室で車座になって酒を飲みながら、自己紹介がてらそれぞれの身上を語った。
椎名夫妻、岩淵夫妻は共に子供はなく、三十代後半で、この小学校へは岐阜市街にある自宅からの通い。
そして星名砂羽は洋介よりも二歳年上の三十二歳で、洋介と同じように都内での仕事を辞めての移住組だ。
砂羽は女ひとりで移住してくるだけあって、かなり勝気な性格のようであり、この中で一番若い洋介を既に子分の如く扱っている。
洋介と砂羽は、それぞれ役場が用意してくれた移住者向けの古民家を借りて居を構えているのだが、洋介は合わせて役場の紹介で休耕になっていた畑も借り、近くの農家の指導を仰ぎながら農業にもチャレンジしている。
「さて、そろそろかな。」
栄の言葉にみんな一斉に時計を見ると、夜の十一時を過ぎたところだ。
「じゃあ、行きますか。」
洋介が立ち上がると、真子を除いて一斉に立ち上がった。
「私、何だか行きたくない。何だか嫌な予感がする。」
真子が座ったままみんなを見上げてそう言うと、栄が苦笑いをして真子の腕を掴んだ。
「お前がそう言うなら本当に何か出るかもしれないけど、ひとりでここに残るわけにもいかないだろう。さあ、一緒に行こう。」
それを聞いた砂羽が顔をしかめた。
「真子さんって霊感みたいなものがあるんですか?」
「ああ、昔からそれっぽいことは聞かされるけど、俺自身は実際にお目に掛かったことが無いんだけどな。」
栄がそう言うと、大輔がその肩を叩いた。
「それはますます楽しみだな。さあ、真子さんも一緒に行こう。」
渋々栄に腕を引かれて立ち上がった真子も含め、六人は揃って宿直室を出た。
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先頭は椎名夫妻、続いて岩淵夫妻、そして洋介と砂羽という順で真っ暗な廊下を進んで行く。
「砂羽さん、何だったら腕を組んで歩いてもいいですよ。」
前を歩く夫婦が、というよりも奥さんが旦那の腕にすがりつくようにして歩いているのを見て、洋介が小さな声で砂羽に囁いた。
「何言っちゃってんのよ。私は大丈夫。そんなこと言って洋介君が怖いんでしょ。」
砂羽はそう言って笑いながら、突き出した洋介の肘を小突いた。
「じゃあ、二階から順に行こうか。最初は六年生の教室の掃除用具入れだったな。」
先頭を歩く大輔がそう言って二階への階段を昇って行く。
「あら、砂羽ちゃん、洋介君と手を繋いで貰ったら?怖いでしょ。」
ふと後ろを振り返った真子が砂羽の様子を見て茶化した。
「何言ってるんですか。こんなのと手を繋がなくたって別に平気ですよ。」
「あ、それって完全に僕の事を否定してます?」
砂羽の言葉に洋介が口を尖らせた。
「あははは、さあ、着いたぞ。掃除用具入れはあるかな?」
大輔がそう言って笑いながら躊躇うことなく教室へ入って行く。
作文によれば、この教室の掃除用具入れの中に小さな女の子がうずくまっているということらしいのだが、掃除用具入れは空っぽだった。
「ちぇっ、まあ、でも本当に女の子がいたら怖いよな。さあ次に行こう。理科室だっけ?」
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こうして、理科室、音楽室と、何事もなく二階を見て回った一行は一階へと階段を下った。
「えっ?ち、ちょっと・・・」
二番目を歩く真子が、前を行く大輔の服を掴んだ。
「ん?どうかした?」
大輔とちとせが振り返ると、真子は階段の手すりの向こう側を見つめている。
それを見た他の五人が同じように階段の向こう側を見た。
「えっ、あれって地下へ降りる階段?」
ちとせが呟くと、大輔はバタバタと残りの階段を駆け下り、階段の横を回り込んでその前に立った。
「本当だ。本当に地下へ降りる階段がある。」
確かに目の前には、下りの階段がぽっかりと口を開けているではないか。
「そ、そんな。昼間見た時、ここは単なる壁だったわ。」
砂羽がそう呟いて階段に近づき、階下を覗き込んだが真っ暗で何も見えない。
「あのね、あの作文に書いてあったのよ。」
真子以外の五人はぱらぱらとめくっただけできちんと読んでいなかったのだが、真剣に読んでいた真子によると、学校の裏手には大きな防空壕があったらしい。
そして戦時中、緊急避難用にその防空壕への通路が地下に掘られ、戦後はしばらく物置として使用されていたのだが、七不思議にある唸り声が聞こえるとの噂が広がり、肝試しに侵入する子供が後を絶たなかったため、その地下への階段は完全に封鎖されたそうだ。
コンクリートで固められ、知らない人にはただの壁にしか見えないのだが、依然として深夜になると壁の向こうから唸り声が聞こえる、と作文には書かれていた。
「なんで、なんでその階段が目の前にあるの?壁はどこへ行ったの?」
ちとせが泣きそうな声で大輔に訴えたが、大輔がその答えを知っているはずがない。
「ちょっと洋介君、ちょっと下へ行って様子を見てきてよ。」
砂羽がそう言って、洋介の脇腹を突いた。
「やだよ。そんなこと言うなら自分で行けばいいじゃん。」
「か弱い女性に向かって何言ってるのよ。アンタ男でしょ?行って来なさいよ。」
普段は女性扱いされることを嫌がるくせに都合のいい時だけ女を主張しやがって、と洋介は内心思ったが、口に出して言ったところで倍になって返ってくるだけだ。
「しょうがねえな、ちょっと見てくるよ。」
洋介はそう言うと懐中電灯を握り直して階段を降りてゆく。
「おい、ちょっと待て。いくら何でもひとりじゃ危ないぞ。」
まさか本当に降りて行くと思っていなかったのだろう、大輔が驚いた様子で慌てて洋介の後を追った。
「ちょっと!ふたりとも戻って来てよ!危ないわよ。」
ちとせが慌ててふたりを呼び止めたが、その姿はすぐに階下の闇に消え、ふたりが手にしている懐中電灯の光も見えなくなった。
「ちょっと砂羽!ふたりに何かあったらあんたのせいだからね!」
ちとせが大声で砂羽に食って掛かると、砂羽もムキになって反抗した。
「何言っているのよ!七不思議なんて迷信に決まってるじゃない。この地下だって・・・え?何?なんで・・・」
砂羽の視線の先に地下室への階段はなかった。
目を離したのはほんの一瞬だ。
「え?ちょっと・・・あなた?あなた⁉」
ちとせは驚いて階段があったはずの場所に駆け寄ったが、そこには昼間の記憶にある通りのコンクリートの壁が立ちはだかっているだけだ。
「あなた!あなた!洋介くん!」
ちとせは必死に叫びながら壁を叩いているが、何の反応も返ってこない。
「あんたーっ!」
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「洋介!」
大輔が洋介の後を追って地下への階段を掛け降りて行くと、地下の踊り場のところで洋介は振り返った。
「椎名さん、来てくれたんですか。強がってもやっぱりひとりじゃ心細かったんですよ。」
「どれ、さっさと探検して戻ろうぜ。」
そこは、上下左右をコンクリートで固められた四角い空間で、正面に鉄製のドアが見える。
「開くか?」
大輔の問いに、洋介が真鍮の古めかしいドアノブを回すと、多少の引っ掛かりはあったが思いのほか素直にノブは回り、ギーッという錆びついた音と共にドアが向こう側へと開いた。
その先は真っ暗だ。
「おーい、すみませーん、誰かいますか?」
「椎名さん!やめて下さいよ。返事が返ってきたら怖いじゃないですか。」
洋介がそう言って苦笑いを大輔に向けた時だった。
(・・・助けて・・・)
ふたりの耳に微かな声が聞こえた。
女性の声のようだ。
「聞こえたか?」「聞こえた。」
顔を見合わせ、懐中電灯でドアの間口から向こうを照らしてみると、そこは二メートル程の幅を持った岩を削っただけの長い通路になっている。
少なくとも二、三十メートル先まで続いているようだが、小型の懐中電灯ではその先がよく見えない。
しかし見える範囲の通路上には誰もいない。
「とにかく、地下はこういうところだった、見てきたぞ、ということでさっさと戻ろうぜ。」
大輔はそう言って洋介の肩を叩いて後ろを振り返った。
「へっ?」
たった今降りてきたはずの階段がない。
そこには一面のっぺりとしたコンクリートの壁があるだけだ。
「おーい!」「おーい!」
ふたりは慌てて階段の上にいるはずの連中へ必死に声を掛けながら壁を叩いたが、何の返事もない。
「ん?椎名さん、ストップ、ストップ!」
洋介は何を思ったのか、壁を叩き続ける大輔の腕を掴んでそれを止めた。
「どうした?」
洋介はその問いに答えず、人差し指を唇に押し当てて壁に耳をつけてじっとしている。
何か聞こえるのかと、大輔も同じようにして壁に耳をつけた。
(…あんた…あんた…洋介君…)
微かに声が聞こえる。ちとせの声だ。
しかしとてもこの壁の向こうにあるはずの階段のすぐ上で叫んでいるようには聞こえない。
そのくらい微かな声だ。
「ちとせーっ!ここだ!ここにいるぞーっ!」
大輔はそう叫んで、もう一度周りを見回した。
壁を壊したいと思ったのだろう、しかし周りにそれらしい得物は落ちていない。
精々手持ちの懐中電灯くらいなのだが、それで壁を叩いて懐中電灯を壊してしまうことを危惧するだけの冷静さはまだ持ち合わせていた。
「椎名さん、どうしましょうか。」
「お前が見てくるって地下へ降りて来たんだろう?俺に聞くな。」
「そんなぁ」
ふたりはその場に座り込んでしまった。
しばらくして大輔がおもむろに口を開いた。
「なあ、洋介、来た道が無くなった以上、俺達の取り得る道はふたつだよな。」
「ええ、僕もそう考えてました。このままここにいるか、先へ進むか。」
大輔の言葉に洋介は頷いた。しかしその様子はお互いに見えていない。
電池の消耗を防ぐために懐中電灯は消しているのだ。
周囲に他の光源は何もなく、ふたりは真の闇の中。
「このままここにいるとすれば、また階段が現れることを期待するわけだ。もし階段が毎夜あの時間に現れるとすると二十四時間後、明日の夜になれば階段を使って出られる。しかし、もし何者かが俺達という得物を捉えて出口を塞いだのだとすると待つだけ無駄だ。」
「あの七不思議には夜になると階段が現れるなんてひと言も書いてありませんでしたね。」
「ああ」
洋介は立ち上がると、階段を塞いだ壁に一発蹴りを入れた。もちろん壁はびくともしない。
「じゃあ、椎名さん、行きましょうか。」
「ああ、そうするか。」
ふたりは再び懐中電灯を点けるとゆっくりとドアを通り抜けて奥へと進んだ。
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「あんた・・・」
壁の前で座り込みすすり泣いているちとせの背中を真子が撫でていた。
砂羽は責任を感じているのか、少し離れたところで黙って立ち尽くしているだけだ。
「なあ真子、お前、何か分からないか?俺にはもうただの壁にしか見えない。」
栄がそう問いかけると、真子は視線を壁の方へ移した。
「そこはかとなく嫌な感じがするだけで、私にもただの壁にしか見えないわ。けど・・・」
「けど?」
真子は躊躇っているかのようにそのまましばらく黙っていたが、意を決したように栄の顔を見た。
「この地下って裏山の防空壕に通じているって書いてあったでしょう?」
「そうか。裏山の防空壕から回ればふたりがいるかもしれないってことだな。」
「でもその防空壕が裏山の何処にあるか分からないわ。あなた知ってる?」
栄は黙って首を横に振り、砂羽を振り返ったが砂羽もプルプルと首を横に振った。
「私…知ってるかも。」
俯いて泣いていたちとせが突然声を上げた。
「織物の染料に使える植物がないかと旦那と裏山を歩いていた時に見たの。大きな洞穴かと思ったけど、今考えるとあれが防空壕の入り口だと思う。」
「よし。案内できるか?」
ちとせは涙を拭いながらしっかりと頷いた。
「旦那を助けに行かなくちゃ。このまま帰ってこないなんて絶対に嫌。」
ちとせがそう言って立ち上がると、真子も一緒に立ち上がった。
「私も一緒に行く。もし防空壕に何かの気配があればすぐに分かると思うの。」
栄は頷いて砂羽に目を向けた。
「砂羽さんは、ここに残ってこの壁にまた何か起こらないか見ていてくれ。ひょっとするとふたりはこっちに帰ってくるかもしれない。」
「えっ?私ひとりでここに残るの?そんなの嫌よ!」
「誰のせいでこうなったと思っているんだ。四の五の言わずに残れ!」
普段は穏やかな栄が声を荒げて砂羽に命令したが、砂羽は頑なに応じなかった。
「絶対無理!」
栄は苦虫を嚙みつぶしたような顔をしたが、怖がる砂羽の気持ちも分からなくはない。
「仕方がない、真子、一緒にここに残ってくれ。俺とちとせさんで防空壕を見てくる。」
「え?大丈夫?」
「大丈夫かどうかは分からないが、ここから地下道で繋がっているくらいだからそれほど距離はないだろう。すぐ戻るから、ここで待っていてくれ。」
そう言うと栄はちとせと共に裏口から外へ出て行った。
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ゆっくりと足元に注意しながら大輔と洋介は通路の奥へと進んで行く。
さすがに真っ暗な地下通路の中だ。それほど早く歩くことは出来ない。
「ん?」
大輔が照らした通路の奥に小さな人影が突然現れた。
それは小学生くらいの女の子。
おかっぱ頭で無地のブラウスに吊りスカート、そして裸足。いかにも戦時中か終戦直後の小学生といった雰囲気だ。
「ひ、ひえっ、し、椎名さん!あ、あれは・・・」
「ああ、たぶん幽霊だろうな。俺は初めて見るが。」
「ぼ、僕だって初めてですよ。は、早く逃げましょう!」
「逃げるったって、何処へ逃げるんだ。」
すると懐中電灯の明かりに照らされた女の子がふたりに向かってゆっくりと手招きをした。
「椎名さん、どうします?」
「どうしますって、後ろに戻っても仕方がない以上、前に進むしかないだろう。立ち止まってもここからは出られない。」
大輔がそう言って前に足を踏み出すと、それを見た女の子はくるりと向きを変えて滑るように奥へと進み始めた。
「何処に行こうとしてるんですかね。」
慌てて大輔と並んで奥へと歩き始めた洋介が震える声で問いかけた。
「さあな、あれが優しい子で俺達を出口まで案内してくれると期待したいが、女の子だけじゃなくて周りにも気を配れよ。ひょんなところに出口があるかもしれないからな。」
「分りました。」
女の子はふたりがついて来ていることを確認するかのように時折振り返りながら、ふたりの十メートルほど前を進んで行く。
「ねえ、椎名さん。」
「ん?なんだ?」
「あの七不思議では、地下から聞こえるのは低い男の唸り声でしたよね?」
「言われてみればそうだな。あの子の声ではないということになる。」
「あの子とは別な幽霊がいるということですかね。」
「まあ、逆にあの子だけしかいないと決めつける理由は何もないよな。」
そうして歩いていると女の子が立ち止まり、くるっと向きを変えてふたりの方を向くと、そのまますっと消えてしまった。
そこにはまたコンクリートの壁があり、同じように鉄の扉があった。
「この向こうが防空壕なのかな。」
扉を懐中電灯で照らしながら、洋介が呟いた。
「そうだな、行ってみよう。」
大輔はそう言って扉のノブに手を掛けた。
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校舎を出た栄とちとせはそのまま裏門を出て真っ直ぐに裏山への小道に入って行った。
「こっちです。」
真っ暗な山道をちとせが懐中電灯で照らしながら、すぐ脇の獣道に入って行く。
「あの、手をつないでも良いですか?何だか怖くって。」
そう言うと返事を待たずに栄の手を取った。
「そうですね、ここでどちらかがいなくなったら困りますからね。何があっても離さないで下さいよ。」
「もちろんです。」
ふたりは手を繋いで獣道を進んで行く。
「向こうの土手のところです。」
ちとせがそう言って指差した先には、土手の中腹にぽっかりと縦横二メートル弱の穴が開いている。
「なるほど。それっぽいですね。」
栄は穴の傍まで行くと懐中電灯で穴の中を照らしてみた。
穴は途中で折れ曲がっているようで、奥まで見通すことが出来ない。
「じゃあ、入って見ましょうか。」
栄はそう言うと、ちとせの手を引いて穴の中へと入って行った。
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「じゃあ、行ってみようか。」
大輔は振り返って洋介が頷くのを確かめると、ゆっくりとドアを開けた。
「うわっ!」
懐中電灯の光に照らし出されたドアの向こうには、二十畳ほどの空間が広がっているのだが、そこに何人もの子供達が座り込んでいたのだ。
そしてその真ん中に先程の女の子が立って、ドアのところで立ち竦んでいるふたりを見ている。
「こ、これは戦時中の子供達の幽霊?この壕の中で戦死したの?」
洋介が声を震わせながらそう呟くと大輔が怪訝そうに呟いた。
「それにしては、みんな女の子だな・・・」
その時、空間の向こう側から突然光が差し込み、大輔と洋介を照らした。
「「椎名さん!洋介君!」」
栄とちとせの声だ。
裏山側の入り口から入ってきてここへたどり着いたようだ。
いきなり懐中電灯の光で照らされた大輔と洋介は一瞬目が眩み、視界が戻った時に子供達の姿はなかった。
「大丈夫か?」
栄が駆け寄ってふたりに尋ねたが、当のふたりは周りをきょろきょろと見まわしている。
「どうした?」
「なあ、今ここへ来た時に子供達の姿が見えなかったか?」
「子供達?いや、何を言っているんだ?」
栄が訝しそうに聞き返すと、背後からちとせが口を挟んだ。
「私は見たわ。一瞬で消えちゃったから見間違いかと思ったけど、何人もの女の子が座っていたの。何だったの?あの子達。」
「真子がいれば何か分かったかもしれないが・・・」
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真子と砂羽は廊下に置いてある箱に腰掛け、階段横の壁を見つめていた。
砂羽のせいで居残ることになり、真子は内心腹立たしかったが、それをあからさまに態度に出すほど子供ではない。
砂羽もそれは解っているのだろう、特に話しかけることもなく黙っている。
するとふたりの耳に妙な音、いや声が聞こえてきた。
グオーッ、グオーッ・・・
くぐもった低い唸り声のようだ。
ふたりの脳裏をあの七不思議の話が過る。
これがその唸り声なのだろうか。
ふたりがまんじりともせずに聞き耳を立てて、その声が何処から聞こえてくるのか確認しようと顔を左右に動かしていた時だった。
「来る!」
真子が小さく叫んだ。
その途端、あの壁の前に黒い影が湧きあがり、それはすぐに人間の姿に変わった。
「ぎゃーっ!」
砂羽が悲鳴を上げ、跳ねるように立ち上がると廊下を駆け出した。
しかし真子はそのまま動かない。
ふたりが消えた壁から現れた者が、ふたりの行方について何か知っていると思ったのかもしれない。
ここで逃げたらふたりは帰ってこないかもしれないと。
それは作業服姿の浮浪者のような男だった。
その視線が真子の姿を捉えると、ゆっくりと近づいてくる。
真子は逃げ出したい気持ちを必死に押さえ、その顔を睨みつけた。
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「さあ、真子と砂羽さんが待っているから早く戻ろう。」
やはり真子の事が心配なのだろう、栄は他の三人と共に防空壕から出ると足早に校舎へと向かった。
「岩淵さん、暗いからそんなに急ぐと危ないですよ。」
自分の旦那の無事を確認して安心したのか、ちとせがゆっくりとした口調で栄に声を掛けたが、栄は返事もせずに山を下っていく。
そして裏口から校舎の中へと入って行った。
他の三人が遅れて校舎に入ると、階段のところで栄が立ち止まってきょろきょろと周りを見回している。
「岩淵さん、どうしたんですか?真子さんと砂羽さんは?」
洋介がそう尋ねると、栄が引きつった顔で振り返った。
「いないんだ。ここで待っていろと言ったのに。」
四人は慌ててふたりを探し始めた。
砂羽はすぐに見つかった。
用務員室の隅で震えていたのだ。
「真子は?真子はどうした⁉」
栄の問い掛けに、砂羽は、分からない、知らないとしか答えない。
「あなたと真子さんに何があったのか話してくれませんか?」
洋介が、できるだけ砂羽が落ち着くように静かに問い掛けると、砂羽は、栄とちとせが防空壕へと向かった後に起こった出来事について話した。
「お前は真子を置いてひとりで逃げたのか?」
栄は怒り心頭の様子で、今にも砂羽に掴みかかろうとするのを大輔と洋介が両脇から押さえている。
「だって、真子さんも逃げると思ったし、他の人の事なんかかまってられなかったのよ!」
「なんだとっ!」
大輔と洋介が抑えていなかったら、栄は本気で砂羽に殴りかかっていたかもしれない。
「岩淵さん、ここで砂羽さんを責めてもしょうがないですよ。それよりも早く真子さんを探しに行かなきゃ。」
洋介の言葉で、我に返ったように栄は用務室を飛び出し、大輔と洋介もそれに続いた。
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しかし真子は見つからなかった。
翌日には警察へ捜索願を提出し、何人もの警察官の手を借りながらもその行方は全く知れない。
真子の捜査に加わっていた洋介は、ふとある事を思いついた。
真子もあの壁を越えたのではないかと。
そして捜査に当たっていた警察官に、夕べ、大輔と洋介が遭遇した奇妙な地下通路の話をすると、警察官は半信半疑ながら、とりあえず調べてみようと、裏山から防空壕へと入って行った。
真子は見つかった。
あの校舎側の塞がれた壁の前で倒れ、事切れていたのだ。
そしてそこには明らかに暴行された痕跡が残っていた。
「い、いったい誰がこんなことを。」
真子の遺体にすがり、泣き崩れる栄の姿を見ながら、誰もが犯人は誰なのかを考えていた。
しかしあの場にいた男性は大輔、栄、洋介の三人だけ。だがその三人は必ず誰かと行動を共にしていたのだ。
どう考えても砂羽の話に出てくる、壁から滲む様に湧き出してきた作業服姿の男の仕業としか思えない。
しかしその男は、砂羽の話を信じる限り、この世の存在とは考えられない。
そして、真子の遺体が発見されたことで、警察の手により防空壕の中が徹底的に調査された。
その結果、まず防空壕の隅で男性の白骨死体が見つかった。
その男性の白骨死体は作業服を身に纏っており、その服からおそらく当時この小学校に勤めていた用務員ではないかと推定された。
そして更に詳しく調べると、防空壕の地中から十数人分の子供と思われる白骨が出てきたのだ。
警察の調べによると、終戦直後にこの小学校に通う女の児童が立て続けに行方不明になるという事件が起こっていた。
おそらくその時に行方不明となった子供達ではないかということで、さらに調べが進んだ。
そしてその状況から、この用務員の男性が学校に通う女の子を秘かに次々と校内で拉致し、地下通路を使って防空壕へ連れ込んで、暴行した挙句に、殺害、そして埋めたのではないかというのが警察の推定らしい。
彼が何故防空壕の中で死んだのかは、時間が経ちすぎており死因が特定できず不明のままだということだ。
あの防空壕の中で死んでいたということは、大輔と洋介が見たあの子供達の幽霊にとり殺されたのかもしれない。
地下通路に現れた女の子は、自分達を見つけて欲しくてふたりの前に姿を現したのだろう。
そして、あの七不思議で語られていた男の唸り声というのは、同じく防空壕で死んだ用務員の声だったのかもしれないが、それを確認する術はなかった。
しかし岩淵真子の死がこの用務員の亡霊によるものだとすると、彼の歪んだ欲望は今後も続くことになる。
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このような事件があったことで、予定していた研修施設は完全に頓挫し、校舎は取り壊されることが決まった。
そして遺族の大半が亡くなったり、所在が不明で、防空壕に埋められていた子供達の大半は遺族が特定できずに、この防空壕の裏山側出口の傍、学校があった場所が見える位置に合同慰霊碑が建てられた。
…
洋介は事件後もその町に残ることにした。
農業を営みながら、椎名夫妻、そして岩淵栄と共に岐阜市内に小さなクラフトショップを開いたのだ。
いずれは借り受けている家や農地も自分の物に出来るよう頑張っている。
星名砂羽はあれ以来音信不通で、何処で何をしているのか分らない。
彼女のことだから、どこかでそれなりにやっているのだろう。
四人もそれを望んでいる。
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あの時、頭に血が上った栄はひとり逃げた砂羽を責めたが、それは恐怖に怯えた人間が取る当たり前の行動であり、彼女は何も悪いことはしていないのだから。
…
◇◇◇ FIN
作者天虚空蔵
長くなってしまいましたが、今回は前後編に分割せずに一気に投稿しましたので、お時間のある時にどうぞ。
でも今の週に一話ペースで、あと四、五話といったところですかね。
何か淋しいな。