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金色に光る蝶が、静かに黒煙の空を飛んで行く。
…
まるで火の粉が舞い飛ぶように、ヒラヒラと、瓦礫の上を飛んで行く。
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そして、元は人々の営みが当たり前のように行われていたと思われる、崩れ果て、石の塊になった廃墟の真上に止まると、静かに羽を閉じた。
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*********************
守谷(もりや)は、戦場カメラマンとして、紛争の起こった地へ出向き、数々の現実を世界各国に配信して来た。
…
危険な地へ行くと言う事は、誰も命の保障はしてくれない。
仲間の何人もの“死”を、何度も目の当たりにして来た。
それも、全て【自己責任】だから誰を恨む事も憎む事も出来ない。
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内紛だと思われた紛争も、それが意図的に仕組まれたものだと言う疑惑も頭をよぎる・・・。
だが、唯のカメラマン如きの話す言葉に、誰が耳を貸してくれるだろうか?
…
大国を敵に回した戒めの様に、次々と弱い立場の者から命を落とす。
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E国が独占していたIN国の石油を、IN国が自国の物だと主張をした事から、E国や大国A国が乗り出してくる。
そして、IN国を攻める為に抱き込んだIK国に、大国は沢山の武器を送り込んだ。
IK国は、大国を後ろ盾に紛争を繰り返した。
しかし、裏を返せば・・・
IN国にも同じ様に、武器を横流ししていたA国・・・
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良いよう利用されたIK国も、大国たちの都合が悪くなった途端、捻じ曲げられた架空の既成事実を突き付けられ・・・時の大統領、その一族全てが惨殺される・・・
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己の利益だけを重視し、他国も自分の領土とすべく大国たちに攻め入られ、血塗られた、深い歴史を持つ地方・・・
…
そして昨今では、中央政府(シーア派)、反対勢力(スンニ派)、過激派組織(ISIL)、クルド自治区の4者に加え、外国政府の思惑も加わり、先の見えない状況になっている・・・
…
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そんな争いで犠牲になるのはいつも女や子供・・・。
…
難民に
強制労働に
少年兵士に
性奴隷にされる女や子供たち
そして・・・
自爆テロで短い生涯を散らされる子供たち・・・
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坊主憎けりゃ袈裟まで憎い・・・
敵側の人間と言うだけで、情け容赦なく、尊い命が日々奪われて行く・・・。
…
それどころか、テロリズムにより無差別に人を殺傷する事件も世界各国で情け容赦なく起きている。
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守谷は、そんな理不尽な争いの中、弱者がどんな現実を目の当たりにするのか・・・世界中の人に知って欲しかった。
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目の前で息絶えて行く命・・・。
…
自身も砲撃から、命からがら逃げだした事も数知れず・・・。
…
命の重さに違いはない!!!
何も変わりはないのに・・・・・
…
守谷がイサと出会ったのは、そんな戦況の最中だった。
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父は戦闘兵として駆り出され、残されたのは祖母と母、そしてイサの弟や妹たち。
…
その日は、バザール(市場)に手伝いに行った母の元へ、僅かばかりのパンを届ける為に家を出た。
…
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末の妹の手を引き、市場へ向かう道すがら・・・
まるで地響きの様に足元が激しく揺れたかと思ったら・・・
イサ達が向かっている先の街並みが黒い煙で包まれる。
赤く長い火柱が、あちらこちらから天に向かい伸びていく。
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激しい砲撃の音。
イサは、妹の手を固く握り締めたまま、黙って立ち上る黒煙を見つめていた。
…
やがて、乾いた大地を揺らし、何台もの戦車が砂埃を巻き上げ姿を現す。
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何台も・・・何台も・・・
イサと妹の横を滑り抜けて行く。
…
砲台をイサ達に向けて笑う兵士達。
イサは、妹の手を固く固く握ったまま、横を通り過ぎる戦車を見送った。
…そして、戦車が消えると、イサは妹の手を引きゆっくりとした足取りで、母のいる市場へ向かった。
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だが、そこは・・・・・
…
瓦礫と化したブロックやコンクリート。
そして、行く手を阻む黒煙と熱風が吹き荒れ、母のいる筈の場所へも行けない。
…
余りの惨状に、妹は声を張り上げ泣いている。
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諦めた様に祖母と兄弟達の待つ家に帰ろうと、来た道を歩き出したその刹那・・・
…
今度はイサの家の方角から、又しても地響きが起こり、辺りをつんざく爆音が響き渡る。
…
イサは泣く妹を抱きかかえると、家に向かって走り出した。
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イサの住む集落は、バザールと同じ様に・・・
瓦礫の山になっていた。
砂嵐の様に舞い上がる粉塵で視界は遮られ、そこが道なのか建物なのかも分からず、何も見えず、見慣れた筈の景色は一変していた。
ただ残して来た祖母を、弟や妹を・・・
姿を求め、イサは走った。
…
だが、すぐに息が出来なくなる。
目には容赦なく細かい塵となった瓦礫の屑が突き刺さる。
妹の咳き込む声を聞いて、イサは進むことを諦め、瓦礫の山を後にした。
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守谷は、燃え盛るバザールだった場所でシャッターを幾度となく切る。
…
瓦礫の下に埋もれた人の、未だ動くその腕を・・・
火だるまになりながら、両手両足をばたつかせ、死の舞を踊る人を・・・
ファインダー越しに辺りかまわず、シャッターを切る。
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例え、未だ命が有ったとしても、自分には今、目の前にある現実を世界中の人に知らせる役目がある。
…
だから、無情と言われようと、人でなしと言われようと、助けると言う選択はなく、ただシャッターを切る事に全てを懸けていた。
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そして、バザールを抜け、次に被害を受けた集落へ向かう道で守谷はイサと出会った。
…
イサは、未だ幼い妹にパンを与えていた。
乾いた大地に転がる大きな岩の影、寄りかかる様に二人は寄り添い座り、守谷のジープを冷めた目で見つめていた。
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その瞳を見た守谷は、イサの目の前でジープを停めた。
…
名前を聞くと少年は
「イサ」と・・・
…
何故、その時ジープを停めたのか・・・
何故、その子供達を連れて行ったのか・・・
…
守谷自身も、明確な答えは出ない。
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ただ・・・
...
全てを諦め、生きる事にも死ぬことにも執着をしない、そんな瞳を見て見ぬふりが出来なった・・・
…
それだけだった・・・
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ジープにイサ達を乗せると、すでに瓦礫になった集落へ入る。
…
イサは幼い妹の身体を、その小さい身体で抱き上げると、一目散に駆け出す。
…
守谷は未だ粉塵の止まない瓦礫の中を進む。
…
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幾筋もの戦車のキャタピラの跡が付いた道とは呼べなくなった大地。
…
僅か数時間前には、人々の営みが当たり前に行われていた大地。
…
片腕を失くした老人が、救いを求めて来る。
しかし、守谷はファインダー越しにその老人を見ると、何度もシャッターを切る。
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何度も言うが、守谷にとって、目の前の瀕死の人を救うよりも大きな使命・・・
世界中の人々に、現状を知ってもらう事の方が大切だ。
守谷は、弱々しく歩く老人に背を向けると、集落だったところの奥へ奥へと進んだ。
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そこにイサがいた。
崩れたコンクリートの塊を、その小さな手で持ち上げようと、どこから拾って来たのか・・・
直径で10cmほどの木の棒をテコの様に塊の下に差し込み、その棒の反対側で自分の体重をかけて力いっぱい持ち上げようとしている。
だが、未だ小さなイサの体重をいくらかけたところで、塊はピクリとも動かない。
額には大粒の汗を光らせ、瓦礫の下に僅かに見えるベージュの布を見詰め、イサは守谷の事など見向きもせず、何度も棒を差し直しては棒の反対に回り、瓦礫を持ち上げようと体重をかける。
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その姿は・・・
諦めた瞳ではなかった。
大切な者を助けたい。
生かしたい。
そんな必死な美しさがあった。
…
守谷は憑りつかれた様に何枚もカメラにイサの姿を収める。
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その時、何者かが守谷のズボンを引っ張る。
守谷がそちらに目をむけると、イサの幼い妹が、何も言わずに守谷を見上げていた。
…
守谷は、カメラをその場に置くと、イサの元へ行き、イサを横に除けると代わりに木の棒を力いっぱい下方へ押す。
すると、僅かばかり、塊が動く。
イサはその隙にベージュの布を引っ張る。
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だが・・・それは・・・もう、人としての原型を留めていない血まみれの肉塊だった。
イサは諦めた様に布を離すと、イサの横で様子を見ていた妹を強く抱き締めた。
守谷はゆっくりと、瓦礫を下ろした・・・
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*********************
危険な場所へ未だ幼い兄妹を連れて行く事に迷いはあったが、この近くで孤児を引き受けてくれるところはなかった。
…
せめて、この兄妹がこれから先、食べる事・・・眠れる事・・・生きる事の出来る、そんな施設に引き渡せるまで・・・
守谷はこの子達を連れて行こうと決めた。
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兄の名前はイサ。8歳の少年。
妹の名前はファティマ。未だ3歳だと言う。
…
その日はジープの中で、守谷は寝袋に、イサ達兄妹は一枚の毛布に二人包まって眠った。
乾パンと、日本から持ち込んだ牛肉の大和煮の缶詰を二人に渡すと、イサは先ず妹に食べさせた。
そして、妹がお腹いっぱいになると、初めて自分も食べ出す。
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イサの父は、戦闘に駆り出されてからと言う物、生きているのか死んでしまったのか行方が分からず、親戚たちの殆どが同じ集落に住んで居た為、生死も絶望的だと言う。
…
ジープは次の街を目指して走っていた。
…
すると、イサが突然大きな声を出した。
「止めて!!」
ジープは急ブレーキで止まった。
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イサはジープのドアを開け放ち、走り出した。
…
そこには、4~50cmほどの草丈の白や薄青色の花が咲き乱れていた。
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その花畑の中にイサは入り込むと、パンパンに膨らんだ果実に触れた。
すると、その実はイサの手の中で弾けるように割れ、中から黒胡麻よりも小粒の黒い種子が飛び出した。
…
イサは守谷と出会って初めて、子供らしい笑顔を向けた。
…
守谷は、イサの笑顔にシャッターを切った。
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「これは、ニゲラの種なんだ。
これが有れば・・・お父さんが怪我をしていても、お母さんやお祖母ちゃん、弟達の誰が怪我や火傷をしていても助かるんだ!!」
守谷にそう言うと、ニゲラの果実から種を取り出して行く。
そして、片手いっぱいに種を取ると、それを自分のズボンのポケットにしまう。
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「イサ?その種は、そんな凄い種なの?」
守谷がイサに聞くと
「うん!そうだよ!
偉大な預言者ムハンマド様も仰っているんだ!
“ニゲラの種は、【死】を除くすべての病気や怪我に効く”って!
だから・・・だから・・・
これから先、怪我をしている人や病気になった人に会ったら、この種を分けてあげるんだ・・・。
そしてもし、お父さんに会ったら・・・お父さんにもいっぱい・・・・・・」
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イサはそう言うと、声を詰まらせた。
…
だが、兄であるイサは決して妹に弱い姿を見せない。
きっと、イサが付いている限り、ファティマはずっと優しい兄に守られて行くのだろう。
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*******************
その日は、日が落ちる前に街に着き、街の中にあるドミトリー(相部屋)の簡易宿に泊まる事が出来た。
…
イサはファティマと二人で一つのベッドに寝ると言う。
…
他には数名のアラブ系の宿泊客。
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皆が寝静まった頃、ベッドの上で守谷は、カメラに貯まった画像をUSBを使い、いつも持ち歩いているタブレット型メディアプレイヤーに保存をするとそれを日本にある自宅のパソコンへ飛ばした。
…
そして、ふと先程イサが言っていた【ニゲラ】の種を調べてみた。
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【ニオイクロタネソウ】、又は【ブラッククミン】、【ローマンコリアンダー】、そして【ニゲラ・サティヴァ】と呼ばれるキンポウゲ科クロタネソウ属の植物との事。
日本では【ブラックシード】名で知られているそうだ。
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効能は・・・
◎鎮痛
◎抗菌
◎抗炎症
◎抗潰瘍
◎抗真菌
◎抗高潔薬
◎抗酸化
◎鎮痙(痙攣をおさえる)
◎抗ウィルス
◎気管支拡張
◎抗糖尿薬
◎肝臓の保護
◎降血圧
◎インスリン抵抗改善
◎インターフェロン誘導剤
◎腎臓の保護
◎腫瘍壊死因子アルファ阻害剤
…
そればかりか・・・
癌、糖尿病、肝臓の活性化、ダイエット、発毛から・・・
シミを作るメラニンの形成を抑える効果に、MRSA感染予防にまで・・・
確かに・・・イサの言う様に、万能薬と言っても良い種子の様だ。
…
さらに副作用の少ない自然植物由来と来たら・・・。
今以上に研究が進めば、生薬、治療薬として、ニゲラの種が重宝される日も近いのかもしれない。
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イサは、行方の知れない父にいつか会えると信じている。
そして、万能薬だと言うニゲラの種を、父だけではなく、皆に分け与えようと・・・
…
それなのに自分は・・・
助かる命を数知れず、見殺しにして来た。
世界中の人々に、理不尽なこの世界を見て欲しい・・・
そんな綺麗ごとを言ってはいるが・・・
…
いつかは、と・・・ピーリッツァー賞を取る事を夢見ている・・・
…
守谷は、タブレットの電源を切り、静かにベッドに横になった。
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*********************
朝になり、守谷が目覚めると、すでにイサは起きていて、ファティマの着替えを手伝っていた。
「イサ!腹が減ったな!」
守谷が片言のアラビア語で話しかけると、イサはチラリと妹の顔を見てから頷く。
「よし!バザールに買い出しに出るぞ!」
守谷はそう言うと、粗末な木のベッドの柵に掛けたズボンを履き、爪先と中底に鋼板が入った革のブーツの紐を縛り直す。
…
支度が済むと、3人は連れ立ってバザールへ向かった。
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バザールに着くと、イサがケバブをジッと見詰めている。
守谷は「ケバブか・・・食べたいなら買おうか?」と聞くと
「違うよ。ここではケバブと呼ばない。ティッカだよ。
母さんがバザールで売ってたんだ・・・」
イサはそう呟くと、バザールに売っているものではなく、働く人々の顔を、目を皿の様にしながら見つめる・・・
あの日、失った母の姿を探すかの様に・・・
守谷はイサの肩に手を置くと
「ファティマ!ティッカ食べるか?」
と聞くと、ファティマは笑顔で頷く。
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イサとファティマにたらふく肉を食べさせると、守谷は米やパン、そして日持ちのする果物や缶詰を買いに行き、イサ達はバザールを見たいと言うので、見終わったら、必ず此処に、この場所に来る事を約束させた。
…
イサは妹の手を握ると、人混みの中へ走り出して行く。
いる筈のない母の姿を追って・・・
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重い米や缶詰は後に回し、パンを買った後に守谷は果物を選んでいた。
そして、金を支払おうと、店の主に手を伸ばしたその瞬間。
…
近くで大きな爆音が響き、その衝撃で守谷の身体は果物の上に投げ出された。
…
市場は逃げ惑う人でごった返す。
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イサは?
ファティマは?
…
守谷はイサ達が消えた方へ向かい、流れに逆らい人混みをかき分け走る。
…
倒れたテント・・・
粉々に飛び散った肉塊・・・
身体に何か突き刺さったまま、逃げようとする人々・・・
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そして・・・
………
「イサ!!!!!」
守谷は叫んだ。
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……
イサは・・・
頭と身体の半分を失った妹を抱き締め、自らの下肢も失くし・・・
うずくまっていた・・・
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守谷がイサの元へ走り寄ると
「MORIYA・・・妹を・・・ファティマを助けて・・・
ポケットに、ニゲラの種が入ってるから・・・
それをファティマに食べさせて・・・」
みると、イサは下肢だけではなく、下腹に鉄パイプのような物が刺さっている。
話をしながらも、口からは血が噴き出て来る・・・
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守谷はカメラを取り出す事も忘れ
「大丈夫だ!ファティマは助ける!
イサ!?お前も助かるんだ!!!」
そうイサに叫んだ。
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イサはニッコリ微笑むと
「MORIYA・・・ショクラン(ありがとう)・・・」
そう告げると、静かに妹を抱き締める手をパタン・・・と、地面に落とした。
………
「イサーーーーー!!!」
守谷は声を張り上げて泣いた。
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人々の悲鳴と幾つもの銃声がこだまする中、二人の亡骸を両手で抱え歩き出すと・・・
…
気付くと、周りには黒い服に身を包んだ集団が・・・
…
守谷はイサとファティマを抱えたまま捕らえられ、頭から黒い布を被せられ、後ろ手に手錠をかけられ、彼等の車まで歩かされると、中に押し込まれた。
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*********************
守谷が捕えられ、捕虜の身となりもう1年が過ぎていた。
何故、未だ生かされているのか・・・?
…
それは、ISIL国に捕えられた守谷の同志でもあるカメラマンやジャーナリストの処刑の撮影を指名され、行って来たから・・・
…
世界中に配信される動画を、守谷に有無を言わさず撮影させて来た。
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その代りに、イサとファティマの亡骸を埋め、墓を作る事を許された。
…
そして・・・助けを請う人々が無残に処刑される姿を、淡々と撮らされる・・・
…
気が狂った方がマシだと・・・
…
死んだ方がマシだと・・・
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自ら命を絶とうと考えるが、撮影時以外は手錠をかけられ牢屋に押し込められ、死を選ぶ事さえ許されない。
…
鉄柵の付いた窓からは、イサとファティマの墓が見える。
…
その墓の辺りは、今はニゲラの花が満開だった。
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*********************
そんなある夜・・・
守谷は突然の爆音で目が覚めた。
基地の廊下を何人もの人が転がる様に走り周る音が響く。
そして、最初の爆音から間髪入れず、再びの爆音と建物が崩れる音。
守谷と同じ様に牢に繋がれた人々は悲鳴を上げる。
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恐らく、有志連合(多国籍軍)からの空爆なのだろう。
見る見るうちに建物は崩れ、この牢のあちらこちらから引火した炎が立ち上る。
泣き叫ぶ者。
神に祈りを捧げる者。
なす術もなく呆けた様に立ち尽くす者。
手錠を、繋がれた鎖を、引き千切ろうとする者。
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戦闘員達はこの建物から出たのだろうか?
何台もの車のエンジン音がし、そのすぐ後には怒声の様な悲鳴が聞こえたかと思ったら、大きな爆音が何回も響く。
…
そして、この牢からでも暗闇を眩しく照らす閃光が差し込んで来て、思わず顔を背ける。
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崩れて来た壁に押し潰される者。
投下された爆弾で吹き飛ばされる者。
両手を手錠と、天井や壁からの鎖で繋がれたまま火に焼かれる者。
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あんなに願った“死”だが、守谷はいつしか泣き叫んでいた。
…
「助けてくれ!!!!!
俺達は、味方だ!!!!!」
…
だが、そんな声は空にいる者に届くはずはなかった。
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そして、耳をつんざく様な爆音が背後でした時・・・
…
守谷の身体はゆっくりと、スローモーションの様に牢屋の柵に飛ばされ、そして、柵は守谷の身体を受け止めるかの様に、静かに倒れた。
…
頭から血は流れ、身体はバラバラになりそうな痛みはあったが、守谷は生きていた。
…
しかも、爆風に飛ばされた時、守谷と牢屋の壁を繋いでいた鎖が千切れていた。
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他に助かる者はいるか?
辺りを見回したが、そこは・・・
屋根も壁も吹き飛ばされた瓦礫の山に成り果てていた。
床だった場所には、大きな血溜りが拡がって来る。
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運よく鍵のかかったドアが、扉自体吹き飛ばされて無くなっている。
…
両手には手錠がかかったままだが、守谷は外へ出ようと一歩、牢から外へ踏み出した・・・
…
だが、眼前に迫る炎で行く手を遮られる。
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「うわあっ!!!」
一歩後ろに退いた所で、背中から襲い来る炎に後頭部の髪を焼かれた。
四方八方から熱風と炎が容赦なく迫りくる。
…
守谷に逃げ道はなかった・・・
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その時、通路の向こう側に小さな人影が見えた。
「タアーラ!!(こっちだよ)」
その者は、炎の先で守谷に向かい手招きをするが、激しい炎が守谷の行く手を遮る。
「ダメだ・・・。そっちには行けない・・・。」
守谷は呟き、生きたまま焼かれる地獄を・・・
少しでも安らかに死ねるように・・・
両指を絡ませ、祈り出したその次の瞬間。
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まるでエジプト兵に追い詰められ、約束の地《カナン》に向かうモーゼが神に祈ると眼前の海が割れて道を作った・・・あの十戒の様に、今、守谷の眼前で渦を巻いた炎が割れ、道を作っていく。
…
その先には、先程の人影が大きく手招きをしている。
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守谷は走り出した。
何の奇跡が起こったのか、まるで分からない。
ただ、生きる為には今目の前の奇跡を信じるしか道はなかった。
…
炎だけではなく、崩れ落ちた瓦礫も、何者かが避けてくれたかのように、守谷の進む通路には転がってもいなかった。
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炎に包まれた建物から無事に脱出出来たのだ。
…
素足のまま数歩行き、守谷が建物を振り返ったその時、建物が激しい音を立てて崩れ落ち、大きな瓦礫の山となった。
…
ふと、先程の人影を探した。
だが、どこにも人の姿はない。
…
そして、グルリと辺りを見回すと、炎の向こうに見えるニゲラの花の咲く場所に、小さな人影が二つ、並んで立っていた。
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「イ・・・サ・・・?」
守谷は、その姿を見詰める。
…
「イサ・・・
ファティマ・・・
お前達が、俺を・・・
俺を助けてくれたのか・・・?」
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そう呟くと、耳元のすぐ近くでイサとファティマの懐かしい声がした。
「MORIYA・・・ショクラン・リクッリ・シャイイン(色々、ありがとう)・・・」
「MORIYA・・・?マアッサラーマ(さようなら)・・・」
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みるみるうちに、イサとファティマの墓が・・・
ニゲラの花が・・・瓦礫の山からの延焼の炎に包まれて行く。
…
守谷は膝が抜けた様にその場で座り込むと、イサとファティマに向かい手を合わせた。
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*********************
「はぁ・・・はぁ・・・」
守谷は日陰のない砂漠をひたすら歩き続けていた。
…
靴もなく、焼けた砂と乾いた大地が広がる砂漠・・・。
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どこでも良い。
街を見付けられたら・・・
街じゃなくても良い。
せめてオアシスで、張り付く喉を潤したい。
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イサとファティマに助けられた命。
それさえも、もう・・・消えかかっているのかもしれない。
…
砂漠の昼夜の寒暖差は激しい。
放射冷却の影響で、乾いた砂は熱を帯びやすく、又、日が暮れると一気に冷える。
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まるで、フライパンで炙られた後ツンドラの大地に放り出されたかの様な気温差に、薄着一枚、素足の守谷は手錠の付いた両手で自らの膝を包み、遮るもののない、いつか見たプラネタリウムの様な星空を見上げ、遠い祖国を想って泣いた。
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朝焼けが辺りを照らして行く。
守谷は立ち上がり、又歩き出す。
…
留まると言う事は、【死】と言う選択しかない。
どんなに疲れ果て、足の皮が全て剥がれ落ちようとも・・・
歩かなくてはいけなかった。
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誰か、通りかかる者はいないか?
飲み物を・・・水が欲しい・・・
そして、砂漠の熱で焼け爛れた両足を引き摺り、砂の山を登りきると・・・
…
守谷の眼前、僅か数十メートル先の荒れた大地一面に淡い色をした花が咲き乱れていた。
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それを見た守谷は、慌てて駆け寄ろうとするが足がもつれ、砂山から転げ落ちた。
そして、目の前に咲く花の中から風船の様に膨らんだ実を探す。
…
「ニゲラだ・・・」
熟した実は、守谷の手の中で弾け、黒い小さな粒をパラパラと放出させて行く。
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守谷はその粒を咀嚼もせず、飲み込んで行く。
幾つも幾つも・・・守谷は黒い粒を次々と取り出しては飲み込む。
…
乾いた喉に種が張り付く度に激しく咳き込むが、それでも少しでも空腹を癒す為に、守谷はニゲラの種を夢中で食べ続けた。
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どの位食べたのだろう・・・守谷が次の実に手を伸ばそうとするが、その手は目の前の実に届かない。
…
足も絡まり、立っている事も出来なくなった。
…
気付くと口の端から黒い粒と共に涎が流れて来る。
…
そして、ニゲラの花に囲まれ、守谷は俯せに倒れ込んだ。
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口腔内が焼ける様に熱い。
激しく込み上げて来る嘔吐感。
心臓は早鐘の如く、激しい動悸を繰り返す。
…
やがて、堪え切れないほどの下腹部の痛み。
…
だが、身体は地面に磔(はりつけ)にされた様に、一指も動かす事が出来ない。
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すると・・・誰かの足音が聞こえて来た。
…
1人・・・2人・・・いや、もっと沢山の足音が守谷の方へ向かって来る。
…
(助けてくれ・・・)声にならない声で助けを求める。
…
身体が波打つ様に痙攣を繰り返す。
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薄れ行く意識で、最後に見たものは・・・
…
自分を囲む、沢山の顔。
…
それは、守谷がカメラに収めたすでにこの世に居ない人々の顔だった。
…
守谷はやがて、静かに瞼を閉じ、そして二度とそれが開く事はなかった・・・
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その年のピーリッツァー賞は、ある戦場カメラマンの作品に決まった。
…
本人の行方は分からず、生死の情報すらなかった。
…
だが、彼の自宅のパソコンに残された写真を見た同志のカメラマンが彼の遺志を汲み発表したものだった。
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…
…
『花と少年』と、言うタイトルで・・・
…
…
…
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・・・
ニゲラ
・・・
花言葉:未来、不屈の精神、夢を抱く、ひそかな喜び、夢で逢いましょう、戸惑い、困惑、当惑
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※一般的に販売されているニゲラには、大まかに分けると、種を食用に出来る【ニオイクロタネソウ】と、アルカロイド系の毒を持つ【クロタネソウ】があり、どちらも《ニゲラ》と呼ばれる。
種や花でそれらを見分ける事は非常に難しい。
そして【クロタネソウ】を大量摂取することにより、心臓麻痺などの重い症状を引き起こし、死に至る場合もあるので、専門知識のある方は別として、ホームセンターで購入したものや知り合いから譲り受けたものを食用として摂取する事は避けた方が良いでしょう・・・
作者鏡水花
2016年2月に投稿しました
*HANA*シリーズ、第8作目
《再》*HANA*~ニゲラ~(期間限定)です。
投稿から1年半が過ぎ、日々刻々と変わる世界情勢ですので、今現在の状況とは違うかと思います(^^;)
そして、この話しは、”あくまでも“フィクションです。
リクエスト頂きまして、有難うございました(*´▽`*)
*HANA*シリーズ
・カランコエ
http://kowabana.jp/stories/27774
・深紅の薔薇
http://kowabana.jp/stories/29425
・赤いチューリップ
http://kowabana.jp/stories/30143
・サルビア
http://kowabana.jp/stories/30152
・ブーゲンビリア
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・スノードロップ
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・グラジオラス
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・桜花繚乱
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・青い薔薇
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