長編10
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【セブンスワンダー】雨

これは俺が、文芸部の部長の言いつけで黒猫のクロウを追いかけて、その正体の片りんを見た春の日の、その割とすぐ後のことだったと思う。

正確にはよく覚えていない。というか、思い出したくもない。

そう、あの時のことは――。

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sound:6

窓の外では、鼠色の雨雲が空を覆っている。

雨雲からは細い雨の筋が降り注ぎ、地上を濡らしている。

眼下の昇降口では色とりどりの傘の花が咲き、校門に向かってゆっくりと流れていく。

校庭を利用している運動部が、雨のため下校を余儀なくされているのだろう。

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六月――。

雨の放課後の校舎は静かだった。

正確には、吹奏楽部のバラバラな練習の音などが聞こえているのだが、それもやけに間延びしており、返って静寂を強調していた。

今この時間、校舎の中には人が少ないのだ。

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もっとも、こんな空模様だ。

梅雨寒というのか、校舎内の空気はやけに冷えていて、こんな日は友人と遊びにいくか、早めに家へ帰りたくなるのかもしれない。

それでも俺は部室へと向かう。律儀なものだ。

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旧校舎の隅にある部室の前で立ち止まる。

校舎内は薄暗いというのに、ドアのガラスからは明かりが漏れていない。

してみると、今日はまだ誰も部室を訪れてはいないようだ。

誰も、というか、部長に限定されるのだが。

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なにしろ我が文芸部は、少なくとも俺の入部以降、部長以外の人間を見たことがない。

1年生は俺だけだし、2年生は部長だけ(あとは黒猫のクロウくらい)。

そのことを部長に尋ねると、彼女は笑って応えた。

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「――え?君と私以外の部員?

いるよ、いるいる。こないだも一人見かけたから、三十人はいるよ。

この部は活動が適当だから、皆毎回は来ないけど、幽霊部員は山ほどいるよ。

なんといっても、ほら、ここは『七不思議部』だからね」

幽霊なんだかゴキブリなんだかわからない部員の存在を仄めかされて、その時は終わった。

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部長はクラスでは真面目な優等生で通っているらしいので、教師から用事を頼まれて、遅くに部室にやってくることもままある。

先に部室で待っているか。そう思い、ドアを開ける。

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薄暗い部室。

奥にある窓の外は、雨に濡れる桜の古木と校庭。

そして窓際には、古ぼけた机。

灰色の景色。

そこに、誰かが後ろ向きで立っていた。

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俺は思わず息を飲む。

誰かいるなんて思っていなかったのだ。明かりも点けずにこんなところに。

それこそ幽霊かと思った。

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それは背の高い女性だった。

上下黒の私服を着ている。下はスカートのなので、女性とわかる。

髪型はショートだった。部長は髪が長いので、部長ではない。

誰だろう――。

俺がドアを開けた音に気付いているだろうに、振り向きもせず窓の外を眺めている。

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「あの――」

俺が声をかけると、女性はおもむろに振り返る。

その顔面を見て、俺は一瞬ドキリとした。

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黒いレザーマスク。

その目は丸いレンズになっており、奥の瞳は見えない。

特徴的なのは手前に長く伸びたクチバシだ。

一見すると、それは至極ディフォルメ化された鳥の頭部に見える。

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俺は知っている。この部に入ってから部長にいつか教えてもらった。

あれは『ペストマスク』だ。

17世紀、ペストが流行し猛威を振るう中で、医師が自らの身を守りながら患者を治療するために考案された、ある種の防毒マスク。

病気を媒介する、瘴気を含んだ悪い空気を防ぐため、クチバシの先に数々の香辛料を詰めて被ったという。

時代は異なるが、ペスト医師として有名な医師の中には、あの世紀末の預言者ノストラダムスや、中世の錬金術師パラケルススなどもいるという。

どれも知ってどうなるという無駄知識ではあるが――。

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今、そのペストマスクを被った正体不明の誰かは、俺に向かって手を伸ばし、無言のままゆっくりと歩を進めている。

俺は思わず後ずさる。

――なんだこいつ、気味が悪い。

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shake

一歩、二歩、――ドン。

俺の背に誰かがぶつかる。

そして――、

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「先輩、無駄に後輩を驚かすのはやめてください」

怒ったような、あきれたような声がした。

振り返ると、部長が立っていた。

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それを受けて、仮面の怪人物が高らかに笑い出した。

マスクによって、こもった声になっている。

shake

「あははは。まあまあ後輩ちゃん。お茶目なOGのイタズラじゃないか。大目に見てくれたまえよ。

それにこういうのは最初が肝心だ。第一印象で舐められたら終わりだからね」

「そんな中二っぽい第一印象じゃ、返って舐められると思いませんか……?」

部長はあきれ顔だ。

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「ひどいなー。これは現役時代からの私のトレードマークみたいなものじゃないか。

知ってるだろう?後輩ちゃん」

女性は頭の後ろのマスクの留め具を外しながら応える。

マスクの下から現れた、大人びた顔立ち。大学生だろうか。つりあがった、アーモンド形の瞳が特徴的だった。

ーーどこかで見たような目だな。

俺の第一印象はそれだった。

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「お久しぶりです。――クロウ先輩」

部長はため息とともに、そう言った。

――ん?クロウ?

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部室に明かりを点け、備え付けの(というか隠して置いてある)ポットと紅茶セットを用意して、三人で席に着く。

お茶の用意をするのは当然、最下級生の俺の仕事だ。

校舎は相変わらず静かだった。

雨音しかしない。

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「やあご苦労、少年」

黒ずくめの不審なOGに紅茶を差し出すと、実に偉そうな言葉が返ってくる。

「いや、久々の部室はやはり落ち着くね。

私が現役の時と何も変わらない。

棚の後ろの顔を塞いである板も......ああ、そのままだね」

七不思議のひとつ、文芸部部室の『 顔の話』のことか。

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それで――。部長が紅茶を一口飲んでから尋ねる。

「先輩、今日はどうしたんですか?突然」

「――ん?

何って当然、何かあるから私が来たんだよ。知っているだろう、後輩ちゃん。これまでだってそうだった。

さて、いつもの確認だ。

後輩ちゃん、それにこちらの少年は、それぞれ今いくつかね?」

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「私が6。彼は1です」

部長が短く答える。

「君は前と変わってないね。彼の1はいいとして、君はこの時期で6だもんなあ。

そりゃ、私がこうしてちょくちょく来るわけだよなあ――」

OGはやれやれとわざとらしく肩をすくめる。部長はそれを見て頬を膨らます。

なんだかいつもより部長の反応が子供っぽく見える。

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人間、接する相手との関係性によって、振る舞いも変わってくるものだ。

いつもクールで大人っぽい(ときにだらしない)部長の姿は、俺という後輩に対して見せる彼女の一面だ。

このOGに対しては、無意識に年下の後輩の顔が出るのかもしれない。

なんかかわいい。

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「ところで、彼はもう通過儀礼は済ませたのかな?」

それを聞くと、今度は部長がため息をついて肩をすくませた。

「――ええ。ついこのあいだ」

先程から二人が何を言っているのかよくわからない。

OGはアーモンド型の瞳で俺のことをのぞき込んで、にやりと笑った。

やはり、この瞳、どこかで見たことがある。それもごく最近。

そういえば、今日はアイツの姿を見ていないな――。

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「ではあらためて、この姿で会うのは初めてだね、少年。

私の名前はクロウ。

私に付いての散歩は楽しかったかね?」

「え――?」

俺はこの場にいない存在を頭に浮かべる。

たしかに部長は、アイツは俺や部長よりも先輩だと言っていたが、いやいやまさか。

だって目の前の女性があの――、

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「黒猫の姿から、たまにこうして人の姿に変われるのだよ。

だがこの紅茶は熱すぎる。私は猫舌だからね。

――なんだい、ほうけた顔をして。

君は私の目の秘密も、ちゃんとその目で見たんだろう?」

夜に浮かぶ、琥珀のような瞳。

何かが『 入り込む』と、藍玉のように澄んだブルーに変化する、あのアーモンド型の瞳。

確かにアイツは普通の猫じゃない。普通じゃないが――、

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「ぶ、部長、この人まさか本当に――」

「そんなわけないから」

部長がバッサリと俺の発言を斬る。

クロウ先輩は部長を見て不満そうに頬を膨らませる。

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「ちょっと後輩ちゃん、ネタバレ早いよ!」

「横で聞いてる私の身にもなってください!

猫が人に?なにその中二設定!ああもう恥ずかしい、背筋がムズムズする!

だいたい君も、なにが『 部長、この人まさか――』よ。信じてもないくせに!」

「いやあ、乗っておいた方がいいかと思って......」

お、少年そのノリ大事だよー、とクロウ先輩が横から適当に合いの手を入れる。

俺やクロウ先輩より、部長の方が恥ずかしさで顔を真っ赤にしている。かわいいなあ。

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「まあ、私の苗字が黒鵜(くろう)でねー。あのニャンコとは同姓ということもあって、現役時代から仲良くしてたんだ。

今日は来てないみたいだねー。会えなくて残念だよ」

先輩が紙に漢字を書いて説明してくれる。

なるほど、だからさっきの黒いペストマスクがトレードマークだったのか。『 黒い鳥のイメージ』というわけか。

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しかし、出だしで部長が何も言わなかったということは、この小芝居はクロウの秘密を知った新入生に毎度披露されるお約束行事のようだ。恥ずかしいったらない。

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黒鵜先輩は部長が去年1年生だった時の3年生で、今は大学生ということだった。

「在学中は『 学園の魔女』と呼ばれた私だよ。敬いたまえ、少年」

やはり部長の先輩にあたる人だけに、視えるだけじゃなく色々できるというのか――。

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「それは先輩が文芸部のくせにバレーが強くって、体育祭でバレー部のチームを完封しちゃったからですよね......」

元ネタは『 東洋の魔女』......だったか?よく知らないが。いずれにしろ、そんなあだ名をつける方も自慢する方もセンスが古すぎる。本当に未成年か?

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「まあ......実際この人は七不思議に対しては人方ならぬ探究心と行動力を発揮してた、すごい先輩ではあるんだけど......」

お、そうそう、そういうことを言ってくれなきゃ、と先輩が食いついてくる。とにかく五月蝿い。

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「まあ、この部は文芸部でありながら、『 七不思議部』でもあるからね。

隠された不思議を追い求めるのが若さってもんさ。ただね――」

黒鵜先輩は急に真面目な表情になる。顔のつくりが整っている分、迫力がある。

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「知ってはいけない七つ目がある。知ればアレからは逃れられない。6つだってもう充分に危険域だ」

ゆめゆめ忘れることなかれ。

黒鵜先輩は特に部長に向けて、お告げのようにそう言った。

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sound:6

黒鵜先輩が部室を去った後、俺と部長はしばらくしてから戸締りをして下校した。

辺りは既に暗く、雨脚は強くなっていた。

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二人とも濡れないように身体を縮こませ、傘に頭を突っ込むように差して家路を急いでいた。

だから、横断歩道の信号が青になり、渡り始めたその時に、真横に信号無視のダンプカーが迫っていたことに、二人とも気が付かなかった。

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sound:24

shake

ダン――!

暴力的な力で肉を打つ、鈍い音が響いて、部長の傘が突風に煽られたかのように、高く高く舞った。

部長の華奢な身体は、そのまま車体の下敷きになり、巨大な前輪、後輪で引きずられながら押し潰された。

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shake

ゴリゴリゴリゴリ――!

骨を砕く音、肉が裂ける音、内臓が飛び出る音、それらが弾ける音。

悲鳴のようにけたたましい急ブレーキの音の中で、俺の耳はなぜか、部長の身体から出る音の全てを拾い集めていた。

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やがて、部長の傘が場違いにフワリと地上に降りてきた。

真っ赤な血のラインが引かれた濡れた横断歩道。

へたり込む俺の目の前へと。

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駆けつけた救急車に押し込められ、部長とともに病院へと搬送された。

すり傷程度だった俺は、部長の連れて行かれた集中治療室の前で、泣き崩れる彼女の家族を見た。

父親、母親、それに俺と同い年くらいの妹。

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迎えに来た両親に連れられて、車で帰宅する。

ベッドに倒れ込んだ瞬間、意識が途絶えた。

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弱々しい朝の日差しに目を覚ます。

窓の外は雨だった。

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不調を訴えたが、親に認められず、渋々学校に行く。

授業はもちろん、日常のすべての音が頭をすり抜けていった。

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放課後。

足は習慣で自然と部室へと向いた。

ぼんやりとドアを開ける。

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窓には雨に濡れる桜の古木と校庭。

窓際には古ぼけた机。

あそこに寝そべっていた部長は、俺が来るといつも声を掛けてくれた。

『やあ、お疲れー』

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「やあ、お疲れー」

彼女はいつも通り座っていた。

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俺は静かにドアを閉めて、深呼吸してから再度開ける。

「やあ、お疲れー」

俺は静かにドアを閉めて、深呼吸してから再度開ける。

「やあ、お疲れー」

俺は静かに

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shake

「しつこいなー。いいかげん認めなさいよ」

部長がツッコンでくる。

「部長......いくら七不思議部だからって、本物の幽霊部員にならなくても......」

違うよ!と生存をアピールしてくる部長。

しかしどうして......。

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「黒鵜先輩だよ」

あのアーモンド型の瞳を思い出す。

「昨日一日は、先輩が私たちに見せた夢だよ。

リアル過ぎてわからなかったでしょう?私も初めそうだったから。

先輩は自分が見る予知夢の中に、私たちを呼べるの。

だから、あの夢で見た交通事故は、本来起こるはずだった未来。

でも、私が今日以降注意を払えば、変えられる未来」

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『今日はどうしたんですか?突然』

『何かあるから私が来たんだよ。知っているだろう、後輩ちゃん』

そういうことか。

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「七不思議に関わっていると、知れば知るほどあちら側に呼ばれたりするの。

先輩はそんな時に現れて、行動を示唆してくれる――」

騒がしい人だけどね。部長がため息まじりに言う。

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『私が6で、彼が1です』

『君はこの時期で6だもんな――』

七不思議。

俺が知っているのは『 顔の話』ただ一つ。

部長は2年の6月で、六つ――。

「ん?大丈夫、気をつけるから」

部長が笑う。

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黒鵜先輩はいくつなんだ?

予知夢に他人を引きずり込むなんて、まるで魔女みたいなことをやってのける、あの先輩は。

俺が問うと、部長は寂しげな顔になり、うつむく。

そして、

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「七つ。

卒業後、今はこの町の病院で、ずっと眠り続けてるよ」

部長の声が雨音に混じって校舎に吸い込まれ、やがて消えた。

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とても怖かったです。
次の作品も楽しみにしております。

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