【穢土切子の心霊カルテ】貴女が石になるまで(2)

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【穢土切子の心霊カルテ】貴女が石になるまで(2)

江戸桐子(えどきりこ)……若く美しい女医。普段はしがない町医者だが、この世ならぬ出来事に通じ、障りを祓う裏の顔を持つ。「穢土切子」の隠し名を持つ。

目崎千里(めざきせんり)……桐子の助手。大学生。

日暮真理子(ひぐらしまりこ)……美しい依頼人。ある出来事がきっかけで、指先が石化している。

日暮甚五郎(ひぐらしじんごろう)……麻里子の父。一部で著名な芸術家。心臓発作で倒れ、意識不明になり入院している。

右野圭介(うのけいすけ)……甚五郎の弟子。嵐の夜に失踪する。

左野実(さのみのる)……甚五郎の弟子。嵐の夜に自殺する。

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麻里子の家――日暮甚五郎氏のアトリエ兼住居は、古い下町の、往来から奥まった閑静な場所に立っていた。

周囲の住居に比べ、とにかくでかい。

正面から見ると、石造りの洋館に見えたが、麻里子の話では、奥は池のある庭園を「ロ」の字に囲んだ、日本家屋に繋がっているとのことだった。

和洋折衷の建物ということか。

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一部では著名な芸術家、と彼女は自身の父親を紹介していたが、こうして見ると、周囲の評価はかなり高く、裕福な人物であるように思える。

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僕は麻里子の案内で中に通された。

途中、指先が動かず難儀している彼女に代わって、ドアの鍵を開けてやった。

屋内は石造りの空間特有の、ひんやりとした空気に満ちていた。

桐子の医院と近い感じがした。

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玄関のスペースから続く廊下の先にドアがあり、それを開けると絵画や彫刻が雑然と置かれた広いホールであった。

完成品とおぼしきものから、明らかに制作途中と思われるものまで、様々だ。

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「ここが――アトリエになります。

普段皆が制作に当たっている場所であり、父が倒れた場所でもあります」

そして、左野実が自ら命を絶った場所でもある。

足の踏み場に迷うような物の多さの中で、奇妙に開けたスペースがあった。

恐らくそここそが、彼の最期の場所のはずだ。

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振り返ると、真理子が目を背け、小さく肩を震わせていた。

「すみません、ありがとうございました。此処はもうけっこうです」

礼を云って真理子を促す。

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アトリエを抜け、階段を昇り真理子の自室に至る。

窓際にピアノの置かれた、広い部屋だった。

窓の外には青々とした葉を繁らす、桜の古木が立っている。

ソファに腰を下ろすと、真理子が僕の指示であるものを持ってくる。

アルバムだった。

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「あの……これをお見せすることが、本当に今回の件の解決に繋がるのでしょうか」

「――拝見します」

僕は彼女の質問には答えず、アルバムに視線を落とす。

僕だって実のところわからないのだ。桐子に云われた通りに行動しているだけなのだから。

アルバムは5冊ほどあった。

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確かに、甚五郎、麻里子、実の映る写真が多い。

圭介が映っている写真もある。実が代わりに撮影者になっているのか。

造形物の完成記録をはじめ、何気ない日常の一コマも多く収められている。

実、圭介は弟子の身でありながら、住み込みで師に仕え、教えを乞うており、まさに家族という扱いだったのだろう。

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成人男性である三人はともかく、やはり麻里子の成長が写真の中で目覚ましい。

十八歳の少女が、大人の女性に成長していくまでの記録。

もとから整った美しい顔立ちをしているが、時とともにその美が洗練されていく、という印象だった。

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それを囲む、家族たちの温かな視線。

ファインダー越しの撮影者の視線。

皆が麻里子を見ていた。

麻里子は皆に愛されていた。

あらかた写真を見てから尋ねる。

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「十年以上前の写真は――ないのですか?」

「写真をよく撮ってくれていたのは圭介さんでした。

ですから、圭介さんと実さんがこの家にやってきた、ここ十年の写真が多いのです。

父は、昔から写真をあまり撮らなかった――そうですから」

その云い方に引っ掛かりを覚える。

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「そうです、とは?」

「私には十七歳より前の記憶が――ないのです」

麻里子はうつむいてそう云った。

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『気が――付いたか』

『ここは――?』

目の前に、私の顔を覗きこむ初老の男性の顔が見えました。

それが私の最初の記憶です。

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正確には、生まれてからそれまでの記憶をすっぽりと失くしたうえでの、最初の記憶という意味です。

だってそうでしょう? 十七歳から始まる人生など、ありはしないのですから。

私は、自室のベッドの上で、父に見守られながら目を覚ましました。

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夜明け前でした。

部屋の中は薄暗く、父の顔もはっきりとは見えませんでしたが、私の目にはとても印象的に映りました。

まるで初めて世界を見た雛鳥のように、全ては感動的で、怖ろし気なものに感じられました。

その中で、目の前の男性――父だけは、私の親であること、無償の愛を私に注いでくれるものと、自然と理解できたのです。

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聞けば、私は病によって昏睡状態にあり、目覚めたときには記憶を失くしていたそうです。

そうしてみると、私の魂は夜明け前の薄明の中を漂い、運よくこの身体に戻ってきたということになりましょうか。

父は、私の目覚めをことさら喜んでくれました。

私はこの瞬間、私という存在を一から再構築していったのです。

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私の世界は、この広い、静謐な石造りの屋敷の内側と同じ大きさでした。

厚い石の壁は、外界の熱と音をすべて吸い取って、屋敷の中はいつも静かで、ひんやりとしていました。

その温度と静寂は、そのまま私の身体に同調し、馴染みました。

後日、はじめて屋敷の外に出たときなど、外界の熱と騒音に、眩暈がしたほどです。

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私の肉親は父だけでした。

父は一部では名の知れた芸術家でありました。

屋敷の中には数々の作品が並んでいました。

それは、絵画であり、陶芸であり、彫刻であり、書でありました。

父は、その情動が赴くままに、形にとらわれずそれを表現しました。

それゆえ異端とされることもありましたが、父の生み出す作品に、胸打たれる人々も多くおられました。

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それは後に弟子としてこの家へやってくる、圭介さんと実さんもそうでしたし、私の母もそうだったと父から聞かされました。

母――日暮麻里奈。旧姓、真中麻里奈(まなかまりな)も父の作品に魅了された人間のひとりでした。

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母は音楽家だったそうです。

私の部屋にあるピアノは、もともと母が弾いていたものです。

母はピアノ奏者でした。

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これは父から聞かされた話です。

父と母は同じ高校の出身でした。

その頃から変わり者とされていた父は、美術部の部室に籠っていました。

ある時、制作に行き詰まり、夕暮れの校舎内をぶらぶらとうろついているときに、音楽室から美しいピアノの演奏が聞こえてきました。

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誘われるように音楽室の扉を開けた父の目に飛び込んできたもの、それが若かりし日の母の姿でした。

夕日の朱に満たされた音楽室。

一心不乱に――父が扉を開けたことにすら気づかず――演奏を続ける少女の姿に、父は胸を打たれました。

そして、同時に創作意欲が泉のように湧いていくのを感じたそうです。

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父にとってその時の、十七歳の母の姿は網膜に焼き付いて消えない光景となりました。

父は熱烈に母に求愛し、母もまた、父の芸術に心を打たれ、交際をすることになりました。

芸大と音大を卒業し、ともに周囲に認められるようになった頃、ふたりは結婚をしました。

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……両親のなれそめを、こうまで詳しく娘の私に話して聞かせるというのも、父の変わった一面かもしれませんね。

それでも、父は母を、深く深く愛していたのです。

私に、母の記憶はありませんが。

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父は、目覚めたばかりの私に、「お前は、若い頃の麻里奈そのままだ」と云い、頭を撫でました。

薄闇の中で、父の目に映っていたのは、私の姿だったのでしょうか。それとも――。

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麻里子はそう云って話を終えた。

ここは、麻里子の父、日暮甚五郎の病室である。

甚五郎の昏睡はいまだ続いており、心電図と呼吸器の音が規則的に響いている。

瞼を閉じた、精悍な顔立ちの老人を、僕はこれまでの彼女の話を思い出しながら眺める。

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麻里子は心細そうな表情で、父を見ている。

それはそうだろう。

左野実が自殺し、右良圭介が失踪した。

これで父にまでいなくなられたら、彼女は独りになってしまう。

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しかし――桐子の云いつけ通り、麻里子の家へ行ってアルバムを確認し、彼女の話を聞いて、甚五郎の病室までやってきた。

これで、彼女の欲しかった情報はすべて手に入ったのだろうか。

僕に対して、桐子は具体的な目的を伝えない。

僕の役目は常に、先入観なく「見てくる」ことに限られる。出不精の桐子の代わりに。

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出発の前に、桐子は僕にこう云った。

『対照の身体を石に変えるなど、高度にして至難な呪術だ。

当然私には使えないし、呪い返しなどできない部類のものだ。

左野実の話では右良圭介の仕業ということだが、一介の芸術家見習いにこんなことが可能なのだろうか。

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そもそも彼女の身体から呪術の匂いはするのだが、ひどく弱々しい。現在の状況と相反する。

これは一体どういうことだろう。

――千里君、見てきてくれるかい?

私はほら、ご覧のとおり忙しい』

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桐子はキャンバスに向かい、筆を動かしていた。

そこに描かれている絵は、どこか宗教的な匂いのするものだった。

西洋風の街角。その広場のような場所に台座が置かれ、一人の少女が両手を広げ立っている。

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その足元、三人の男が彼女の脚元にすがっている。なにかを求めるかのように。

彼女は指導者なのか。

それとも女神のような存在なのだろうか。

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画面は全体的に薄暗い。

人々の頭上の空は曇天であるからだ。

しかし、その曇天を割って、巨大なふたつの手のひらが浮いている。

その指先からは細く光る糸が地上に向かって垂らされている。

これは、救いを求めるものに差し伸べられた、救いの糸なのだろうか。

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糸は儚げに風になびいている。

台座の上の少女は、今目覚めたかのように、薄く目を開けている。

神々しい姿。

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これは桐子が夢に視たイメージだ。

それを彼女は絵に描く。

桐子の夢は、いつもどこかに繋がっている。

この世界の、なにかの真実に。

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そして、その絵に描かれた少女の顔は――。

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「あら――」

桐子の絵の中の少女と同じ面影を持つ女性――麻里子は、彼女の父の病床の枕元を見て、小さく声を上げていた。

「どうしたんですか?」

僕は尋ねる。

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「いえ、花が――」

見ると、甚五郎氏の枕元の机には、小さな白い花が花瓶に活けられていた。

彼の病室を訪ねるものなど、今は娘の麻里子以外にはいないはずだった。

「これって――」

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僕の口から発せられた問いは、形になる前に途切れた。

麻里子が不意に膝を折って病室の床に倒れ込んだからだった。

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「大丈夫ですか!」

僕は慌てて彼女の上半身を抱き起す。頭は打っていないようだ。

しかし――。

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「ああ、これは――」

僕の視線の先。

麻里子の細く、しなやかな腕と脚は、その半ばまでが固く冷たい石へと変わっていた。

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真っ暗な病室。

心電図と呼吸器の音だけが規則的に繰り返す。

時刻は深夜二時を回ったところだ。

看護師の見回りのほかは、皆が寝静まった時間。

当然、見舞客などあるわけもない。

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今、静かに病室のドアノブが回り、ありえない訪問客が人影となって侵入してくる。

辺りを警戒しながら、後ろ手にドアを閉める。

閉まり切ったとたん――

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shake

ブツン――!

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太い縄を刃物で勢いよく切断した時のような音が響く。

侵入者はその音に身をすくませる。

暗闇から声が発せられる。

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「ようやくのお越しですか。待ちくたびれてしまいましたよ。

ああ、もうその扉は開きませんよ。

この病室と外の廊下とは、『繋がり』を切断されてしまいました。

そこにあるのはもはや扉ではありません。ただの壁です。

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簡単に言えば、この病室は、外とは異なる空間になったということです。

切った張ったは最後の手段。

ですが私、切るのは得意なんです――」

ベッドライトが灯され、声の主の横顔がぼんやりと照らし出される。

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女医・江戸桐子。

いや、異能の力を駆使する今の彼女の名は、呪医・穢土切子だ。

彼女は肉食動物のような鋭い眼光で訪問者を射すくめ、にたりと笑う。

僕はベッドライトの灯りの届かない闇の中で、その様子を見ている。

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「まあまあ、そう固くならないでください。

どうせこの場所からは、私の力無しでは出られないんですから。

ゆっくり話でも聞いていってください」

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「右良圭介さん――」

緊張した面持ちで立ちすくんでいたのは、アルバムの写真で見た、右良圭介その人だった。

(続く)

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初めまして。
前回の作品も拝見させていただいておりますが、やはり続きが気になります...
どうなってしまうのでしょう...?作者のみぞ知る、ですね。続きも楽しみにしておりますm(_ _)m

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