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長編11
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解剖願望

"人がバラバラになる様をこの眼で見てみたい"

 いつしか、それが俺の下らない願望になっていた。堤防に腰を落とし、脚を投げ出しながら月光に照らされる海面をぼんやりと眺めていた。湿り気と潮が混じる夜風は、荒んだ俺の心を優しく包み込むようにして靡かせる。

 そろそろ夜も深くなって来たので俺は明日の講義に備える為、堤防から降り立ち、海岸沿いを歩み始める。帰り際、一定のリズムで波音が耳管を通過する。どこか、この時間だけは何も考えなくて良いような気がして心が癒された。

 今年の春から医大生となった俺は、日夜勉学に勤しんでいる。それで空いた時間を作っては、こうして海辺で脳をリラックスさせる。

 医大生になったからには医者を目指す。その理由は十人十色だが、俺の理由は誰もに言った事はない。恐らく誰にも理解されないと思うから。それどころか、頭がおかしいと思われるに決まっている。

 歪んだ望み。仮にそれを言って、なぜ?と問われても正確に答えなれないだろう。理由は俺自身、定かではないから…

 家に着くと明日の準備を整える。

 ーー

 午前の講義が始まった。

 今日の講義は解剖実習だった。事前に用意された献体にメスを入れていく作業。

 献体とは、一般の人間が自身の身体を無報酬で提供したご遺体を言う。しかし…所詮遺体なんだ。俺が見たいのは生きた人間がバラバラになる様。生きた人間の脳、骨、筋肉、内臓、靭帯、腱、神経、新鮮なそれらをこの眼で見てみたい。リアルに浸りたい。

 準備を終えると数名のグループに分かれて献体にメスを入れていく。この時、本来なら血飛沫が流れ出る筈だが、献体の場合は事前に足の付け根の大腿動脈から血管に保存のための固定液が入れられてる。それはホルマリンやアルコールの混ざった防腐剤である。

 そうして血液と防腐剤を入れ替えた遺体を一人用のプールのような箱に沈める。そこには浸漬固定用の固定液が入っていて、中からの固定と外からの固定を行う。これで2年から3年の間、遺体は亡くなった時の状態の姿を保つことが出来るらしい。

 まぁ早い話が、血液を抜き、身体の内部を細かく監察出来るようにしている。解剖する際の献体はホルマリンなどの防腐処理後なので腐敗臭はしないものの、薬品的な刺激臭はかなりキツい。献体の脂肪の摘出も吐き気を催す。実習生の中にはそれで体調を崩す生徒も少なくなかった。しかし、失礼な話ではあるが、俺はそれで満足出来なかった。

 恐らく俺が求めてるいるのは日常には無い興奮だった。いくら献体を眺めても、標本を眺めても、求めてるリアルには辿り着けない。もどかしい思いさえ湧き上がってくる。そんな逡巡とした日々を只管送っていた。

 ーー

 ある日の正午。今日は海辺ではなく、自分に合った医学書を見つける為、ブラブラと街へ赴き、書店巡りをしていた。まぁ、実際はそれを口実にした散歩が趣味だったりする。

 様々な種類の書物は存在するが、俺はいつも首を傾げ、幾つもの書店を出入りするだけで終わる。そもそも最近は書店自体を滅多に見かけなくなってしまっている。

 そう思い俺は、そろそろ新たな書店を探索するべく、普段は通らない路地へと脚を運んだ。

 特に何も考えず只管に路地を探索していた。路地は進むにつれ段々と道が細くなってゆき、俺は一度立ち止まり、辺りを見渡した。

 なんだか視界が薄暗く感じ、俺は空を見上げた。すると、いつの間にか陽は沈みかけており、空が茜色に染まっていた。もうこんな時間か…とぼんやり思い、左右を見渡し、俺は今更気が付いた。この細い路地は店もなければ街灯らしき物も一つも無い。どれだけ何も考えずに散歩していたのか…俺は自分自身に呆れ、溜息が出た。

 よく考えればこんな所に書店なんかあるわけない。そう思ったが、この路地は更に奥へと続く道が存在する。ここで、俺は妙にこの先が気になって奥に進んでしまった。

 進めば進む程、路地は細くなり、どこか不気味な雰囲気が醸し出されていた。これぞ裏路地。と言ったような空間に俺はなんだか好奇心を燻られた。

 暫く歩くと俺は途中で脚を止めた。

 奥の方になにやら古びた店のような物件が見え始めたからだ。多少不気味に感じたが、俺は何も考えず、まるで何者かに誘われるように近くへ、フラフラと歩み寄った。

 外壁は今にも崩れそうな佇まいだが、確かに何かの店っぽい雰囲気は出ていた。あまり期待はしていないが、ここは古い書店で昔の書物などが並べられていないか、という希望を少し抱きながら俺は店へ入った。

 ーー

 店内は外と比べ物にならない程に薄暗く外壁通りに不気味な雰囲気だった。所々に埃が舞っていて、ゴボッゴホッ、と咳き込みながら辺りを確認する。しかし、かろうじて見えるのは幾つかの棚が置かれているぐらいで、それ以外はがらんとしていた。

 俺の期待はあっけなく消え去ってしまった。恐らくここは昔何かの店だった跡地のようだ。そう思い店内を後にしようとした。途中、チラッと棚に視線を向けた。

 店内が暗すぎて良く見えないが、何かがある事はわかる。なんだろうと思い近づき始めると、なにやら鼻を刺すような異臭が漂い始めた。それは棚がある方からの臭いだと瞬時に判断出来た。

 しかし同時に背筋に悪寒が走った。その臭いはなんだか嗅ぎ覚えがある…この癖のある薬品の臭い…まさか…

「すまないね。それは売り物じゃないんだよ」

 突然発せられたその声に俺は咄嗟にのけぞってしまった。そして、声のする方へ眼をやると、暗闇の奥から誰かがこちらに向う足音が聞こえる。

 俺は驚きの余り声が出ない。まさか人が居るなんて思わなかったから…

「ああ…脅かせてごめんね。君がその棚の物に興味を抱いていたものだからつい…ね」

 低声で男は言う。この空間が異様な雰囲気という事もあってか、その声は歪な音のようにも聞こえた。

「すみません…興味って程ではないんですが…って、売り物じゃないって事はやっぱりここって何かの店なんですか?」

「おや?表の看板を見てないのかい?もしそうなら一度見て来るといい」

 店主と思しき男はカウンター越しまで近付いて来てはいるが、暗闇のせいで姿が一切認識出来ない。俺は言われた通り、一度店を出た。

 店の外には看板と呼ぶには少し小さいサイズの立札が立て掛けられていた。そこには掠れた赤黒い文字で『祈願屋』と記されていた。

 ーー

 俺は再び店に戻り男に尋ねた。

「祈願屋とは聞いた事が無い名前です。一体何をお売りに?」

「そうだね。少なくても今君が想像している店とは違うかな…大まかに言えば、ここは人々の願いを叶える場所、とでも言っておこう」

「願い?ああ…祈願ってそういうことですか」

 俺の中のイメージでは祈願とは神社でお祈りをする事ぐらいしか思い付かないが、お世辞にもここはそういった類の神聖さを微塵も感じなかった。

「君は何か祈願したい事は…ああ…話の途中にすまない。せっかく会話をしているのに、こんな暗い場所じゃ失礼だったね」

 男はそう言うと暗闇の中で蠢く音が聞こえる。次の瞬間、カチッ、と音と共に辺りが明るくなった。

 暗闇の中で急に光を浴び、俺は眩んだ眼を閉じその後ゆっくりと眼を開けて上に視線を向けた。すると、天井に吊るされた裸電球が紐を垂らしながら錆びついた音と共に揺れていた。

 眼が光に慣れて来た所で俺は再びカウンターに視線を戻し、流れるように男が居る方へ眼を向けた。

 その瞬間、俺は思わず、わっ!と声を上げた。男は顔は、まるで頭上から漂白剤を浴びたように青白く、猫のように黄色く不気味な双眸をギョロりとさせ、焦点がまばらに蠢いていた。

 俺は尋常じゃない光景に無言で生唾を呑み、すぐ様踵を返し、店を出ようとした。

「ああ…君は勿体無い事をするんだね…」

 俺は全身で恐怖に支配されていたが、その言葉は不思議と俺の脚をピタッと止めた。良く通る低声が耳に入り込み、脳に言葉の余韻が巡った。

「私の姿を見て、君が怯えて逃げるのならそれでもいいが…君自身は本当にそれで良いのかい?」

 男の声は俺の中の何かに語り掛けているようだった。何かを見透かしたような声色で、悪魔の囁き、とはまさにこの事だと感じた。俺は己の欲望を捨てきれず、まるで曝け出すかのようにクルッと男の方に身体を向き返した。

「どんな願いでも叶うのですか…?」

 普段ならこんな胡散臭い話は信用しない筈だが、いつの間にか俺はこの男の異端な容貌から、妙な信憑性を感じてしまっていた。

「ああ、そうだね…でも、それ相応の代償は頂くよ」

「代償ですか…それはどういったものですか?」

「祈願内容によるね。君が何を願いたいかわからないが、私の口からは、それ相応、としか答えられない。それに、勝手ながら代償の内容もこちらで決めさせてもらう」

 男は淡々とした口調でそう言って近くの引戸から何かを取り出した。見ると、それはかなり年季が入っいるであろう茶色く分厚い書物だった。それをカウンターの上にそっと置いた。

「さぁ、戻って来たって事は何か叶えたい希望がある筈…それを聞こうか」

 ニヤッと口角を不気味に吊り上げ、口内から鋭く尖った白い犬歯を見せつけ、男は言った。

 ーー

「……」

 俺は無言のまま、視線を下に向ける。突然、願いが叶う、などと言われても咄嗟に言葉など出てこない。そもそもそれが本当の事がどうかも怪しい話だった。すると、暫く押し黙ったまま、逡巡としている俺を見計らったように男は言葉を発した。

「そんなに深く考える必要はないよ。君が率直に思った事を口に出せばいいのだよ」

 その言葉を聞いて、やはり俺は、昔から思いを寄せている下らない願望が脳に過る。簡単な事の筈、ただその言葉をこの男の前で口にすればいいだけなのだから。

 そして俺はゆっくりと口を動かした。

「俺は…人がバラバラになる様をこの眼で見てみたい…」

「ほう…」

 男はまた口角を上げ、不気味な笑みを浮かばせた。

 そう、それが昔からの願望…それが俺の下らない夢…その筈だったが、俺はここで何故か被りを振り、言葉を続けた。

「いえ、それが願いではありません。俺の願いは…それは…何故俺がそう思うようになったかを知りたい。それを祈願します」

 自分でも驚いた。まさかそんな言葉が出て来るとは思わなかったから…そういえば、俺は自分の願望と深く向き合う機会などなかった。誰に語る訳でもなく、自分一人でその願望を背負い続けて来た。今、初めてその思いと深く向き合って気付いた。

 実は今まで思い続けて来た事は願望ではなく、目標だったんだ。俺は医大生、そんな目標などはいずれ叶う。わざわざこんな怪しい場所で生き急ぐように叶える必要などなかったんだ。そんな事よりも、俺が何故この思いを昔から抱いているのか、それを知る方が重要だと判断した。

 薄暗い店内、男は少し意外だと言わんばかりの表情を浮かばせながら言う。

「それが、君の祈願内容でいいのかい?」

「はい」

「わかった」

 男はそう言うと、書物に何かを書き始めた。そして、少し待っていてくれ、と言って踵を返し、店の奥へ消えていった。

 ーー

「やぁ、待たせたね」

 暫くして、男は戻って来た。ふと、男の手元に視線を向けると何かを持っていた。

「それは…?」

「ああ…これね」

 カウンターの上に、コンッ、という音を鳴らせながら男は持っていた物を置いた。それは、先程の書物に勝る程に年季が入ったランタンだった。

「ランタン…ですか…?」

「そう…これは不思議な代物でね。現実では決して視る事が出来ない世界を映し出す事が出来るんだよ。ほら、もっと近くで眺めてごらん」

 かなり錆びれた見栄えだったが、その割には中央のガラスだけは澄み切った程綺麗な透明感に満ちていた。俺は言われた通りに近付き、ランタン中央の赤火に注目した。踊るようにメラメラとガラス内を揺れ動く炎は、まるで俺の心を魅了するような不思議な感情を覚えた。

 暫く眺めると炎は赤色から少しずつ青色に変色していき、次は緑色に変わった。ぼんやりと眺めている俺は次第に意識が遠のいてゆき、脚の感覚が徐々に失われ、立っているのかどうかもわからなくなってきた。朦朧と炎を眺める意識だけが微かにあるのはわかる。

 緑色の次は紫色、紫色の次は黄色に、その次は赤色…?そして黄色…?でたらめに変わる炎の色は実際に変化しているのか、それとも俺に色感が無くなってしまっているのかわからない。確実なのは、俺の意識は段々と落ちつつある事だけ…

 意識が完全に落ちる直前、ランタンから眼を逸らし、男の表情を見た。すると、また不気味な笑みをこちらに向け、口を動かしていた…

 ーー

 眼を開けると、奇妙な光景が広がった。歪んだ世界を見ているような、そんな感覚…手足がフワフワと、まるで夢の中に居るようであった。

 波音が聞こえる。どうやら俺はいつの間にか浜辺に打ち上げられ、仰向け状態になってるようだ。それに何故か先程から手足を動かそうとしているが、一向に動かない。俺は首を横に向け、自分の身体を確認する。

 仰天した…

 俺の両手足は本来あるべき箇所に付いてなかったから…

 どうなっているのか頭が追いつかない。不思議と痛みは感じないが、身体を動かそうにも動けない。唯一動かせる部位、俺は首を左右に向け、辺りを確認した。

 すると、海面が赤く染まっていた。空は蒼い晴天なので、夕陽でそうなっている訳ではない。本来なら青い筈の海原は真っ赤に染まりきっている。その光景は、まるで世界の破滅を見ているようだった。

 それに、赤い海面にプカプカと何かが浮かんでいた。よく見ると、それは人間の様々な部位だった。手足、胴体、頭部、バラバラにされた部位は、運ばれるように海砂に流され続ける。

 ゾッとするが、手足が無い分、身体を這う事も出来ない。そして、俺は流れゆく様々な身体の部位を見てある事に気付いた。

"人がバラバラになる様をこの眼で見てみたい"

 それは本当に俺の願望だったかのか…?

 いざその願望に直面してみれば、俺は幸福を一切感じない。むしろ恐怖心さえ芽生え始めた。

 その感情に、俺はなんだか笑えてきた。本当は薄々と感じていたから…

 最初から、理由なんてない事に…

 自分自身に対して、ずっと偽り続けていたんだ。ただ他人とは違う感情に酔いしれたいだけ、『俺』という人物が作り上げた個性を主張したかっただけだった。俺の願望は、ただの紛い物に過ぎなかったんだ。

「なんか馬鹿みてぇ…」

 俺は仰向きのまま空を見上げて、皮肉混じりにそう呟いた。

 その瞬間、また視界がぼやけ始めた。意識が遠のき、徐々に瞼が閉ざされてゆくのがわかる。

 ーー

 気がつくと、俺は見慣れた繁華街の片隅に、半ば投げ出されるかのように横たわっていた。意識が鮮明になると同時に、俺は自分の身体を咄嗟に確認する。手も足もしっかりとあった。

 胸を撫で下ろし前方に眼をやると、人々がすれ違い様に俺へ眼を向ける。側から俺の姿を見れば酔い潰れてしまった人にしか見えないだろう。

 俺はゆっくり立ち上がり、その場を去った。

 ーー

 あれから、あの不気味な店は見ていない。いや、あの裏路地さえ、この街から存在が消えてしまっていた。

 しかし、あの不思議な経験は決して忘れる事はない。俺はあの日、初めて自分と向き合い、自分の心の愚かさを知った。言葉では上手く表現出来ないが、あれは意味のある経験だと信じ、これからの糧にして生きていこうと俺はこの一連の出来事を心に仕舞い込んだ。

 

 ーー 数年後。

「青山先生、どちらに行かれるのですか?」

 看護師の若木さんが俺を呼び止めた。

「ああ、ちょっと野暮用でね…暫くここを空けるよ」

 あの日、意識が無くなる直前に男が口にした『代償』を支払う為、俺は病院を後にした。そして再びあの場所へ向かう。しかし、その話は、また別の機会に…

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