中編7
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バレンタインの幽霊

本作品は、昨年の二月に投稿した『魔法のチョコレート』の続編になります。

まだご覧になっていない、どんな話か忘れてしまったという方は、お時間のあればそちらを先にお読みになることをお勧めします。

リンクを下の解説に貼っておきますね。

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毎年、バレンタインデーになると暗い気分になる。

山のようにプレゼントされるチョコレートのせいではない。

女の幽霊が出るのだ。

この二月十四日の夜にだけ。

その幽霊は、何処に居ても必ず現れる。

夜十時頃に現れ、何も言わず恐ろしいくらいに険しい顔で、日付が変わる頃まで俺を睨み続ける。

それは、誰かと一緒でも同じ。俺以外の人に彼女は見えない。

外で飲んでいても、俺の目の前に立ってじっと俺を睨み続けているのだ。

全く見知らぬ女ではない。

会社の同僚だった女だ。

地味系の女で、一度だけチョコを貰ったことがあった。

しかし普段からそれほど付き合いがあったわけではなく、バレンタインの後も特に何のアプローチもなかったのだから、単なる気まぐれの義理チョコだったのだろう。

しかし彼女は、チョコをくれた一が月程後に同じく同僚の男に刺殺されてしまったのだ。

殺した彼は、もちろん今は刑務所の中。

彼女が殺された理由は恋愛のもつれだと聞いているが、詳細は知らない。

その彼女が何故か俺のところに幽霊となって出てくるのである。

目の前に現れた時に直接聞いてみても、黙って睨んでくるだけで答えてくれない。

一体俺が彼女に何をしたというのだ。

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********

今年もまたバレンタインデーがやってきた。

特定の彼女はいないし、誰かと飲みに行ってもあの幽霊のせいで会話に集中できないため、相手に不愉快な思いをさせてしまう。

どうせあの幽霊は睨んでくるだけで何もしてこないのだから、部屋に帰って大人しく酒を飲みながら映画でも観て寝てしまおう。

そう思い、友人たちに配り切れなかった紙袋一杯のチョコを手に下げて会社を出た。

「ねえ、ちょっと。」

自宅へ向かう駅前の繁華街を歩いていると突然後ろから声を掛けられた。

何事かと振り返ると、膝まである黒いダウンコートに身を包んだ見知らぬ女が立っている。

四十歳くらいだろうか。長い黒髪に濃い化粧。どこか妖しげな雰囲気が漂っている。

「あなた、女の霊に取り憑かれてるわね?」

うっすらと笑みを浮かべ、そう言う女は何者だろうか。

取り憑かれていることを見抜くなんて、それなりの霊能者か、はたまた取り憑かれているなんてデタラメで単なる何かの勧誘なのか。

「何でそんなことが判るんですか?」

「私には判るの。ボブで眼鏡を掛けたちょっと暗い感じの女でしょ?」

図星だ。

俺とはほぼ無関係のあの幽霊の特徴を言い当てるなんて、この女はデタラメを言っているわけではない。

「祓ってあげようか?」

見も知らぬ自分にそんなことを言い出すなんてどういうつもりなのだろう、祓う代償として高額の謝礼を請求されるのか。

街を歩いて霊に取り憑かれている人を見つけては声を掛けているに違いない。

すると俺のそんな考えを見透かしたように、その女はニヤッと笑った。

「別にお金を取ろうなんて思ってないわ。そうね、その紙袋に入っているチョコレート全部でどうかしら?」

思わず手に持っている紙袋に目をやる。

どうせ持って帰っても、実家に帰った時に親戚の子供達に配るだけで、ほとんど食べるつもりのないものだ。

「いや、それなら全然かまいませんが。」

「そう、じゃあ決まりね。早速あなたのお家へいきましょ。」

「え?俺の家ですか?」

「そうよ、彼女はいつもあなたのいるところに出るんでしょ?邪魔さえ入らなければ場所は何処でもいいの。」

「はあ」

その曖昧な返事を彼女は肯定と受け取ったのだろう、それがさも当然のように俺の腕を取るとしっかり腕を組んで歩き始めた。

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***********

「へえ、割かし良い部屋だし、独身男の割にはきれいにしてるじゃない。」

女は部屋に入ってくるとぐるっと見回してそう呟いた。

「あれがいなければね。」

そう言って指差したのは、居室の奥。

そこにはあの女の幽霊が立っていた。

しかも例年は睨んでいるだけなのだが、今日は鬼のような顔をして今にも飛び掛かってきそうな雰囲気だ。

俺が女性と一緒に居るからだろうか。

一瞬逃げ腰になったが、女はがっちりと腕を組んだままであり、逃げることは許して貰えないようだ。

「どうやら、私のことを憶えているようね。」

憶えている?この女はこの幽霊と知り合いなのか?

「昔、私がこの女に相手を惚れさせる魔法のチョコレートをあげたの。それをあなたがとんでもない男に食べさせた為に、この女は刺し殺される羽目になっちゃったのよ。つくづく星の巡りが悪い女ね。」

はっきりとは憶えていないが、確かに今刑務所に入っている同僚へも余ったチョコをあげたような気がする。

しかしそれだけでこの幽霊に取り憑かれたというのか。

「まあ、逆恨みみたいなものね。」

確かに女の言うように、幽霊は明らかにこの女の方へ視線を向けている。

これまではチョコをあいつに渡した俺を恨んでいたが、突然目の前に現れた元凶であるこの女へ怒りの矛先を向けたのだろう。

となると、この場はここにいる女ふたりの諍いとなり、俺は蚊帳の外ということになる。

このまま逃げようかと思ったが、とにかくこの幽霊には負けてもらわないと後々面倒だ。

「この女の幽霊を祓うことができるんですか?随分怒っているみたいですけど。」

「当たり前よ。直ぐに消してあげるわ。」

そう女が言った途端、キッチンでガシャと音がした。

そして包丁が女を目掛けて飛んできたではないか。

咄嗟に俺はまだ手に持ったままだった通勤用のカバンでその包丁を払いのけた。

「へえ、物を飛ばすことが出来るんだ。」

これは予想外だったようで、女は落ちた包丁にちらっと視線を落とし、驚いたような表情を浮かべたが、すぐにニヤッと笑うと、俺の腕から手を離して左右の手の指を複雑に絡ませると何やらぶつぶつと呪文を唱え始めた。

すると、包丁に続いてこちらに向かって飛んで来ていた皿が届くことなく、途中で力なく床に落ちて割れたではないか。

まるで映画かアニメの世界だ。

「こいつはあなたに取り憑いているのよ!すぐに祓うから、ここに座って!」

女の指示に従い、俺は幽霊の正面に恐る恐る正座した。

すると女は俺の背後から肩越しに両腕を突き出し、俺の頭を抱きかかえるようにして、顔の正面で再び指を組んだ。

「目を閉じて!何も考えないで!」

逆らっても仕方がない。

俺は固く目を閉じ、何も考えないように暗闇の中の一点に神経を集中した。

女は再び呪文を唱え始め、時折何かが割れる音や物が落ちる音が聞こえる。

しかし、しばらくするとその音も止み、女の呪文だけが首のすぐ後ろから聞こえるだけになった。

そしてその呪文が止まったと思うと、女は先ほどとは異なる呪文を唱え、俺の背中に盛んに何かの文字を指でなぞり始めた。

それが十分程も続いただろうか。

「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前!喝!」

これは知っている。九字切りという奴だ。この女は真言密教系の術者なのだろうか。

そして喝という言葉と共に俺の背中をパンパンパンと三度、力一杯叩いた。

地味に痛い。

「終わったよ。」

その言葉に目を開けると、目の前にいた幽霊の姿はなかった。

振り返ると女がにこやかに座っている。

「あなたは・・・何者なんですか?」

「ふふふ、通りすがりの霊能者よ。」

「通りすがり?そんなことはないでしょう。だってあなたがあの幽霊にチョコを渡したことが発端なんですよね?」

「さっきも言ったでしょ。あの子の星回りが悪いだけよ。」

女はいつも新宿であの幽霊の女を見掛けていた。

いつも寂しそうに疲れた顔をしており、あの日も物憂げな表情でチョコを買っていた。

そこで柄にもなく、ちょっとだけ彼女の人生に対し背中を押してあげるつもりであのチョコレートを渡したのだ。

「もちろんもともとあのチョコにそんな惚れ薬みたいな効果はないわよ。私がちょっとおまじないを掛けただけ。でもそれを自分が好きでもなく、食べてもくれないような人に渡して、自らの人生を悪い方へ転がしたのは彼女自身。人の運、不運なんてそんなものよ。」

そうかもしれないが、あなたがチョコを渡さなければ命を落とすようなことはなかったはずだ。

小さな親切ナントヤラだ。

そう思ったが口には出さなかった。

「とにかく、今日はありがとうございました。」

割れた皿や部屋の中の物が散らかった状態にため息を吐きながら、取り敢えず彼女にあの幽霊を祓ってもらった礼を言った。

「いいえ、どういたしまして。それじゃ、コレは遠慮なく貰っていくわね。」

女はそう言ってチョコの入った紙袋を手に取り、部屋を出ようとしたところで振り返った。

「これだけチョコを貰うとホワイトデーのお返しも大変でしょう?良いクッキーがあるからあげましょうか?」

「・・・遠慮しておきます。」

「あはは、何も怖がることはないわよ。あなたは運が良さそうだし。でも、もし私に何か用事があれば、いつもあの辺をぶらぶらしてるから、いつでも声を掛けてね。」

女はそう言うとさっさと部屋を出て行った。

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でも俺には見えてしまった。

部屋を出て行く女の背中にあの幽霊が貼り付いているのを。

大丈夫だろうか。

あんな奇妙な霊能者に取り憑いて。

◇◇◇ FIN

Concrete
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