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【穢土切子の心霊カルテ】貴女が石になるまで(1)

中編7
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【穢土切子の心霊カルテ】貴女が石になるまで(1)

「私たち家族は――呪われているのです」

白いロング手袋をしたその美しい女性は、苦しげな表情でそう訴えた。

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薄暗い診療室である。

外の世界は初夏の陽射しに焼かれている時間帯だが、この古ぼけた石造りの医院の中は、冷房も点けていないというのにひんやりとしている。

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きっと分厚い石の壁がすべて吸い込んでしまうのだ。

熱も――そして音も。

隣近所の生活音や、往来を車が通る音など、一切の物音はこの建物内に響かない。

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静かだ――とても。

だから、その女性の話し声が殊更大きくなくとも、この静寂の中でははっきりと聞き取ることができた。

恐れを含んだ声だった。

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「呪い――ですか」

医療器具やカルテが並んだ机の前には、白衣の女性がすらりと長い足を組んで座っている。

この医院の主――女医、江戸桐子(えどきりこ)。

桐子はすっと目を細める。

僕はその表情を見て、ある種の肉食動物を想像してしまう。

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「どこでお知りになったかは存じませんが、当医院に懸かかられたのは、『その手』の理由なのですね。

それでは、話してください――ええと」

「日暮です。日暮麻里子(ひぐらしまりこ)。

それで、どこからお話すれば――」

云いよどむ麻里子。

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「はじめからお願いします。

はじめから話して、おしまいまで行ったら――」

やめてください、と桐子は薄く笑った。

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改めまして、私は日暮麻理子と申します。

歳は、今年で二十八になります。

父は日暮甚五郎(じんごろう)という彫刻家です。

母は私が生まれた時に他界しております。

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父は一部では著名な彫刻家です。

人嫌いで気難しい人ですが――ひとり娘である私には、優しく子煩悩な父なのです。

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父にはふたりの弟子がおりました。

ひとりは右良圭介(うら けいすけ)さん。

もうひとりは左野実(さの みのる)さんです。

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おふたりとも、気難しい父が認めた、若い感性と才気にあふれる方々です。

歳はどちらも私より十(とお)ほど上で、私は兄のように慕っておりました。

彼らもまた、私を妹のように優しく接してくださいました。

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父と、圭介さん、実さんというふたりの兄――それが、大病を患ってろくに外を出歩けない私にとって、唯一の大事な家族だったのです。

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しかし、ほんの十日前のことでございます。

私の幸せな家族はバラバラに壊れてしまいました。

実さんがアトリエで自殺、父が心臓発作で意識不明になり入院、そして圭介さんが失踪しました。

それらが、すべて同じ日に起こったのです。

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その日、夜の二十三時頃のことです。

私は自室で、趣味のピアノを弾いておりました。

私の家は古い石造りの――ちょうどこちらの医院のような――建物ですので、夜中にピアノをかき鳴らしても、音は隣家には届かないのです。

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一通り弾き終わったところで、窓を雨粒が叩きました。

sound:6

不意の激しい雨でした。こんな夜半に、と私は妙に不安な気持ちになりました。

ちょうどその時、部屋のドアを激しく叩くものがあります。

ドアを開けると、果たしてそれは右良圭介さんでした。

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その時の圭介さんは、普段の温厚な彼とは異なり、憔悴しきって青ざめた顔をしていたことを覚えています。

彼は云いました。

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「麻里子さん、どうか落ち着いて聞いてください。

甚五郎先生――お父さんが持病の心臓の発作で倒れられました。

アトリエで倒れられ、僕と実君とで、今は一階の先生の自室にお運びして寝かせています。

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もう救急車も呼んでいますので、ご安心なさい。

それでも僕は念のため、大通りまで救急車を迎えに行ってまいります。

この家は、往来から奥まったところにありますからね。

それと――」

圭介さんはそこで、いったん、ぐっと何かに耐えるような表情になりました。

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「実君が麻里子さんに話があるそうです。

すぐにアトリエに行ってやってくれますか?

先生なら大丈夫です。

とにかく、すぐにアトリエに降りていってください」

それだけ云うと、圭介さんは傘も持たずに家を飛び出していきました。

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私はその様子を窓から見届けた後、階下に降りてアトリエに向かいました。

アトリエは父の寝室の横にある、広い部屋なのです。

常ならば父と、圭介さん、実さんが各々自由に作品制作に励んでいます。

ただ、その日、部屋には明かりが点いておらず、窓からのわずかな光だけが、実さんのシルエットを闇に浮かび上がらせていました。

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私が声をかけると、実さんは振り返りました。

私は思わずぞっといたしました。

振り返った実さんの顔――わずかな光源に照らされた彼の顔は、笑っているように見えたからです。

いえ、事実彼は笑っていたのです。

声が――私に話しかけるその声が、彼の抑えきれない喜色を私に伝えたのですから。

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「ああ、麻里子お嬢さん。お待ちしていました。

圭介君はきちんと伝えてくれたようですね。

先生なら隣の自室でお休みです。ご心配なく、間もなく救急車も到着するでしょう。

それよりも――」

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実さんはずいと私に近付きました。

私はたじろいで、思わず一歩身を引きました。

それを見て、実さんは不快そうに眉を寄せたのです。

「なぜ逃げるのです、お嬢さん。

圭介君に伝言を頼みましたが、大事な話があるのです。

それはつまり、貴女には私の愛に応える義務がある、ということなのです」

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唐突で、支離滅裂でした。

いつもの実さんらしくありません。

普段は理性的で物静かな、どちらかといえば大人しい人物なのです。

しかしその時はいやに積極的で、独善的にも思えました。

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「私はね、ある悪い奴から貴女を救ったのですよ。

そしてこれから貴女を襲うであろう危機からもまた、救うことができるのです。

私は貴女にとって英雄です。そしてその悪い奴というのは――」

圭介君ですよ――実さんはあざけるように云いました。

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「信じられないという顔ですね?

しかしね、甚五郎先生が倒れられたのも、貴女の身にこれから災いが訪れるのも、皆彼が呪いをかけたせいなのです。

それが証拠に、彼はすべてを暴いた私の言いつけに従って、貴女を呼びに行き、そして家を出ていったでしょう?

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彼はもう戻っては来ませんよ。

悪事を勘弁してやる代わりに、二度とこの家と、貴女に近づかないことを約束させました。

もう――大丈夫です」

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突如、窓の外が真っ白な光で満たされました。

実さんが真っ黒な影法師になりました。

遅れて激しい音。

雷鳴でした。

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「貴方がなにを仰っているのかわかりませんわ、実さん。

圭介さんがそんな恐ろしいことを――それに呪いだなんて、ずいぶんとオカルトなことじゃありませんか」

私はなぜか、ひどく腹が立ってしまって、声を高くして言い返しました。

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それでも実さんは、まったく堪(こた)えずに、返って得意気にこう云うのです。

「信じられないのも無理はありませんよ。

私もあのようなオカルトが、この世に実際にあると知ったのは、つい先日のことなのですからね。

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しかしね、お嬢さん。このままだと確実に、貴女の身に恐ろしいことが起こる。

起こってしまえば、貴女はいやでも信じざるを得なくなる。

そして、それを止められるのは、僕しかいないのです」

私たちは真っ直ぐに視線を交わしました。

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「その犯人が――圭介さんだと仰るの?」

「いかにも」

「信じません」

「お嬢さん――」

「どうあっても、私が圭介さんを疑うことは――」

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ありません、と私が云い切ると同時に、実さんの顔から一切の笑みが消え去りました。

「――なぜ、貴女はそこまで彼を信じられるのですか?

考えてもごらんなさい。後ろ暗くもない者が、すごすごと僕のいいなりになって、家を出ると思いますか?」

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「きっとなにか事情があったはずです。

そしてその事情は、私たちを守ることにあったはず。

あの人はそういう方です」

私の中で、ある気持ちが形になっていきました。

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「……僕は貴女を愛しています」

「私は……圭介さんを愛しています」

はじめ、自分の口から飛び出した言葉に、私は驚いていました。

これまで自覚していなかった感情が、皮肉なことにこのようなきっかけで明らかになったのです。

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「……なんてことだ」

実さんはうめくように云うと、その場に膝まづきました。

その時です。

救急隊員の方々が、激しい足音と共に、玄関のドアから家の中に駆け込んできました。

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私は実さんをその場に残し、隊員たちを父の許へと案内しました。

そして、そのまま救急車に同乗して病院へと向かったのです。

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父が心配だったのは云うまでもありませんが、実さんと一時、距離を空けたかったという気持ちもありました。

ほんの少し前まで、まるで本当の兄のように慕っていた方だというのに。

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父はそのまま緊急手術となり、一命はとりとめたものの、意識は戻っていません。

あの夜、家を出た圭介さんの行方もいまだに知れません。

そして――

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実さんはあの後すぐ、アトリエで、彫刻用の刃物で喉を突いて自殺しました。

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私は、大切な方々を一度に失ってしまったのです。

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そうして、麻里子は語り終えた。

桐子は口を挟むことなく、一部始終を黙って聞いていたが、おもむろに麻里子に話しかけた。

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「お辛いことがありましたね。お察しいたします。

ただ――麻里子さん、貴女からまだ肝心なことをうかがっておりません。

貴女は最初に、『私たち家族は呪われている』とおっしゃった。話の中で、実さんが『貴女に恐ろしいことが起こる』と云っている。

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家族がいなくなってしまったこと以外で、貴女の身に起こったこととは――一体なんなのです?」

桐子は麻里子の白いロング手袋を見つめながら云った。

促すような視線であった。

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麻里子はうつむくと、やがて静かにそれを外し始めた。

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白い肌が、肘より先へ美しいラインを描きつつ、あらわになっていく。

しかし、途中からそれは異質なものに変わっていた。

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石――。

彼女の可憐な指先は、硬質な灰褐色の石と化していたのだった。

(続く)

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