「…いや、大丈夫!」
どうにかこうにか、明るい声で応える。目の前では、店長が無表情で俺の方を見つめながら、手招きしている。
「ほんとか?大丈夫なんだな?」
畑野が珍しく心配するから余計に心苦しい。…だが、階下からの眼光に押され、どうにか誤魔化した。
「だいじょぶだって!なんか、酔っぱらったサラリーマンのオッサンが、寝ぼけて店のフェンス蹴ってた!」
「酔っ払いか~!ま、それなら安心だな(笑)じゃ、週末にでもまた飲もうぜ!お休み~」
「おう、お休み!」
通話を切ると同時に、俺はアパートを出て階段を駆け下りた。街灯の下、相変わらず無表情で佇む店長…俺は駆け寄りながら、ズボンのポケットから雑誌のページを取り出して、勢い良く頭を下げた。
「ごめんなさい!」
怒られる前に自分から謝罪する…チキンが故の処世術。…が、店長の反応は予想と違った。
「…え?ああ、それ…?ふふっ(笑)」
想定外の笑い声に思わず頭を上げると、店長は何故か、顔を緩ませて微笑んでいた。
「…良く気付いたね」
「え?…この事かと…取りに来たのかって…」
「違うよ(笑)…まあ、ここじゃ何なんで…一緒に来てくれる?」
店長…竜蔵さんに言われるがまま、車の助手席に乗る。どこに行くかも知らないのに、ついさっき初めて会ったばかりの人の車に、何の躊躇なく乗ってしまった事に、今更不安になる。
「…ど、どこに…行くんですか?」
「はははっ!君…すごいね、普通疑うと思うけど…でも、身に覚えがあるんでしょ?」
「…ていうか…イヤホン…あれ、俺の会話聞いてたってことですよね…」
「まあ、そんな所、ゴメンね」
「…で、どこ行くんですか?」
「オレの隠れ家。君の知りたい事がわかるよ」
三十分後、車が着いたのは普通のマンションだった。部屋に通されると、何てことない生活感のある風景が広がっている。
「桐田君、こっち」
竜蔵さんの後をついて、リビングの右側にある部屋に入る。そこには、デスクトップPCと、両脇にノートPC、大きめのサーバーが二つ、部屋の中央にあるデスクに置かれていた。
そんな、自宅に置くにはかなり本格的な設備に映されていたのは───
「…髑髏…!!」
「そう、…髑髏の根幹」
さっきと同じ、緩んだ微笑みを浮かべる。…まさか竜蔵さんが、このおぞましいゲームを作った張本人だなんて…体が自然と、部屋の外へと後ずさりする。
「…これを…あなたが…?」
「そうだよ。…さ、こっち来て」
「や、嫌です…!こんな…」
「大丈夫、これから仕掛けを見せるよ」
「…仕掛け?…アンチコメントを集める仕掛けですか!?」
「そう、沢山の人が参加してるように見せかける…ね、ほらっ」
竜蔵さんに半ば無理やり腕を引かれて、パソコンの前に立たされる。デスクトップPCの右側にあるノートPCに目を向けると…画面が勝手に動いて文章を作成し、投稿ページへと送信している。その合間に…見覚えのある名前が挟まっていた。
「…ヨリヒト?」
「そう、ヨリヒト。本物は彼だけ」
「本物…?」
「このコメントは全部作り物。投稿内容も骨化も、PCが自動的にやってるだけだよ」
竜蔵さんが説明しているその間も、PCは勝手に、アンチコメントを作り出しては髑髏の投稿ページに排出する…という一連の動作を続けていた。
映し出されたターゲットページには…頭部以外の全ての部位が骨と化した、見るも無残な三上恵都の姿と、その直下に、つい最近投稿されたヨリヒトのコメントがあった。
───バカの分際で俺に反抗しやがって、出来損ないのクズ嫁が───
「あーあ…」
「…これって、まさか…?」
「その通り。ヨリヒトの正体は、恵都の夫のマナブ。それ以外の殆どは、このPCが作ったサクラって訳」
「それって…」
「これはね、全てマナブの為に作ったんだ」
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「三上恵都の夫の為…?」
「そう、マナブの為に、大学の元同級生だったオレと、オレの友人ジュンスケとで作ったんだ。…恵都から聞いただろ?マナブの事」
「はい…少しだけ…」
「マナブは、前からあんな感じだったんだよ」
裕福な家庭で育てられ、学生時分は優等生、現在は業界でもまあまあ大手の正社員。
それだけでも十分なのに、何故かいつもコンプレックスに苛まれている…しかも、それが成長のバネになるかと思いきや、そうじゃなかった。
竜蔵さんは左側のPCを操作し、ある画像を俺に見せた。それはSNSの画面をスクショしたもので…曰く、匿名でマナブさんが書き込んだものだという。
「そんな背伸びしてどうするの?バカみたいな事して」
「君はどうせ、仕事もろくに出来ないんだろ?」
「同じくらい稼いでから、同じ土俵に立とうね?」
ある女性がマイホームを建てた、というだけの投稿…それだけなのに、マナブさんはしつこく食い下がり、コメントの応酬を続けていた。
「…この女の人、マナブの同級生なんだ。この後色々あって、結局マナブのアカウントは停止。出禁になってね…すげぇ落ち込んでた。それが、髑髏を作るきっかけになったんだ」
「それがこんな、ゲームって…!」
「今思うと…馬鹿な発想だったと思う。でも、マナブを変えるには、マナブの精神を落ち着かせるには、これが一番なんじゃないかって…当時そう思ったんだ」
始めは、酔っぱらった勢いで考えついたアイデアだったという。
ノートに死んでほしい人間の名前を書く某作品のような…竜蔵さんは妄想半分といった感じで、考えを巡らせていたそうだ。
しかし、アイデアは具現化した。
ネットの専門技術に長けていた竜蔵さんの友人、ジュンスケさんが、「趣味の範疇」として髑髏の初期版を作ったのだ。
それは大方、誰かがコメントを書くと、自動的に生成されたコメントが、さも参加者のように投稿される仕組みになっていた。
匿名性が守られるし、投稿者同士の無用な争いも無い。安全に、かつ遠慮せず、マナブはストレス発散が出来る。外面にかなり気を遣う彼の事だから、外部にバラす事はまず無いだろう…そう踏んだらしい。
「何しろ当時、マナブはSNSだとか某ちゃんねる上でも腫れもの扱いで煙たがられて、言いたい事も言えて無かったから…溜め込む前に、と思ってね」
そうして、二人で試作を重ねた結果…五年前、現在の髑髏が完成し、予想通りマナブさんは、攻撃性の高いコメントの研鑽に励んでいった。ハンドルネーム「ヨリヒト」として。
「…そんな、ストレス発散の為に…恵都さんの気持ちはどうなるんですか?」
「マナブみたいな人間は我慢させると厄介でね…」
「恵都さん傷付いてます!…他人の俺が言える立場じゃないけど…」
「そんな事無いよ。君がそう言ってくれるだけでも、恵都の支えになるはずだ。…もう、終わりにするよ」
「終わり?」
「髑髏はもう、全て消去する。いつかはやらなきゃって思ってたんだ。最近、不特定多数に向けてサイトの存在も漏れてしまったし…」
「そうだ…俺、友達からこれ教えてもらって…」
「だろ?…君がリリナの画像をアップロードしてくれたから分かったんだ。世間様に目を付けられる前に消さないと。それに…」
───リュウ、お前に任せたぞ。…俺みたいになるなよ───
「ジュンスケが浮かばれないからな…」
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髑髏の開設から、一年程は順調だったという。
マナブさんはその劣等感を、よもや友人が作ったサイトだと知らずに、ストレス発散のツールとして活用し、そのお陰か…現実での彼の言動は、割と穏やかになっていたそうだ。
丁度その頃に、竜蔵さんを介して出会った三上恵都との交際も始まり、髑髏の運営も上手く進んでいた。
ネットや現実世界で、反感を買うような行動や非常識な言動で世間を騒がせる有名人や、注目を浴びているクリエイター等の画像を添付し、自動生成のアンチコメントを投稿して、半永続的に興味を煽る。
マナブさん自身の中にある「正義感」や「常識」をぶつけるのに、調度良いターゲットの選別を竜蔵さんが、あらゆるネット上のアンチコメントを集めて、髑髏のメインサーバーに保存し、自動生成させる作業をジュンスケさんが行う。
そうして全てが良い方向に進んでいると思っていたが…それは二年後、均衡を崩し始めた。
ジュンスケさんの精神が不安定になり、病に倒れたのだ。
「病は気からって言うのを目の当たりにしたよ…ジュンスケはさ、根は優しくて純粋だったんだ。本当はあんな毒々しい事すべきじゃないって、心のどこかで分かってたのに…」
それからは、俺の母と同様だった。たった一年という短い闘病生活の末…ジュンスケさんの命は尽きた。
だが、竜蔵さんは死の原因を彼の家族にさえも明かさなかった。病床で約束したのだという。
「俺みたいに、飲み込まれる前に終わらせてくれ、って。もう、マナブの事はこれ以上どうしようもない。いつかバレる、馬鹿な事をした、ってね…」
それでも竜蔵さんは、一人で髑髏の運営を続けた。だが…同じ年の暮れ頃、三上恵都と結婚したマナブが、「想像と違った」という苛立ちから、次第に理不尽な当たり方を始めたのだ。
「素直な良い子だと思ってたのに」
「モデルなんて水商売みたいな仕事のせいで、僕はいい恥さらしだよ」
「忙しい僕の手を煩わせる、無能でわがままな女」
そう言いながらも…三上恵都との交際と別に、同時進行でリリナと付き合っていた。竜蔵さんはようやく、自分がしている事の無意味さを悟った。
「…オレも知らない間に、マナブの思考を矯正しようと躍起になってた。…学生時代は、尊敬も出来る良い友達だったのにな…」
「…言葉で傷つける人と友達なんて…」
「だよな。…あの居酒屋開くとき、資金調達してくれたんだ。だから、縁を切るのに躊躇してた。恩を仇で返す事になるんじゃないかってね…オレも…弱い人間なんだ」
どこか寂しそうな横顔。かつて親友だと思っていた相手が、自らの正義や常識を押し付けるモンスターになってしまう。畑野が同じ事になったらって考えると…俺も寂しい。
「あいつはもう、完全に自分の価値観と正義感が、この世の絶対だって思うようになってしまった。…だから、せめてもと思って悪戯してやったんだ。…君の持ってる、リリナの写真を使ってね」
竜蔵さんがズボンのポケットを指さした。汗で萎びた、リリナの写るページ。
「ミホノの写真…」
「君が気付いた通りだよ。ミホノと見せかけて実はリリナで、それに気付かずアンチコメントしてるなんて…面白いだろ?…あ、もしかしてミホノのファンだった?ゴメンね」
「なんか現実とシンクロしてるとか…それは…」
「関財ユウコみたいな?無い無い、出来る訳ないよ。オレもまさかってびっくりしたんだ」
悪戯って言うのは納得いかないけど…そう聞いて、やっと安心出来た。
全ては、竜蔵さんとジュンスケさんが仕込んだ事…マナブさんだけじゃない。俺も、偶然見つけた畑野も…まんまと騙されたわけだ。
「さすがに、リリナにはコメント出来なかったんだな…さて、そろそろ片付けないと」
「…消しちゃうんですね」
「うん。髑髏が有っても無くても…マナブはもう、オレ達にはどうしようもない。…それに、いつかあの世に行った時、ジュンスケに合わせる顔が無いのは嫌なんだ」
PCデスクの下段を開けると、小さな金庫が現れた。ダイヤルを回して開くと、そこにはUSBが一つ入っていた。
竜蔵さんはそれを、何の躊躇もなくサーバーに挿した。
俺は、ずっとその場で、黙って見守るしかなかった。
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畑野も言っていた通り、関財ユウコの死は偶然…髑髏とは何ら関連性の無いものだった。
事件から半年後…ようやく捕まった犯人は、関財ユウコの実母とその彼氏。娘の活動に我慢がならず、取っ組み合いの喧嘩の末に死なせてしまい、彼氏と一緒に酸をかけて隠蔽しようとしたそうだ。
───悪いあなたにバイバイ ワタシは見つめる、ピュアな瞳で───
それと同時期に、サン・ミホノの新曲が、コンタクトレンズのネット広告のテーマソングとして起用された。
ダサ可愛いネットアイドルのエースなんて言われたりもしてるけど…ミホノは変わらず、世の中の評判なんて何処吹く風って感じで、歌い踊っている。
「今日ですね、引っ越し、遠いんですか?」
「ううん、そうでもないよ」
俺は、アパートを引き払って、新しい町に引っ越すことになった。
心機一転…という、ポジティブな理由だけじゃない。自分と、本野さんの身を守るため…なんて言うと聞こえがいいが、実際はかなりテンパっていた。
「…君が焚きつけたの?竜蔵から全部聞いたよ、どうしてくれるの?」
マナブさんが俺に、直に接触をしてきたのだ。
会議室Aは、三上恵都とマネージャーが訪ねて来た時より、何倍も緊迫していた。
温和な佇まいと声のトーン。だけど…そこから放たれる言葉は、決して同じではなかった。
「いい?僕はね…君みたいな、お気楽な会社員じゃないんだ。常にプレッシャーと責任を背負ってる。平静を保つ為のツールが必要な訳だよ。…君はそれを、僕や、僕の仲間から奪ったんだよ?」
「え…と…それは───」
「黙って。はぁ…君といい恵都といい…僕はね、新しい妻の為に、身を粉にして稼いでるんだ。それがどれほどの事か分かる?」
「……わ、分かりません…妻って、リリナの事ですか?」
「女に見下される人生送って来た君に、気安く妻の名前を呼ばれる筋合い無いんだけど?ま、仕方ないか…教養、情操教育が出来ていない。君や恵都の置かれていた、不憫な育ちや境遇を考えると、やはり、僕がもっと教育すべきだったな、じゃ、失礼するよ」
「……あんな、あんな幼稚な内容書いといて、そんな事言うんですか?」
「…え?」
「クズとか馬鹿とか…ただの、し、嫉妬と言いがかりじゃないですか…竜蔵さんの言ってた通り…コンプレックスの塊なんですね」
「…君さ…」
「…あなた、最低だ」
「僕にそういう事言うんだ…君ごときが僕と同じ土俵に立たないでくれるかなぁ…!?」
「何とでも言ってください、あなただって…弱い人間です…」
「…お前らには、然るべき罰が必要だね……殺してやる…」
ただの脅しだと思っていた。でも…その後来た竜蔵さんからの電話で、背筋が凍った。
「早く逃げろ…あいつ本気だった。オレも今逃げてる。まさかあんなに毒されるなんて…!オレはどうにか出来るけど…桐田君には…そうだ!提案なんだけど…」
課長に無理言った。色々頭下げた。畑野とも当分飲みに行けなくなる。母さんと婆ちゃんの墓参りにも。
思ってもみなかった出来事のせいで、この街を離れる…本野さんに、嘘をついて。
「桐田さん、色々ありがとう。私ね、お話しできて楽しかった」
「うん…俺も。元気でな、本野さん、ほんとありがとう!じゃあ…またね!」
空港ターミナルに向かう電車の中。車窓を流れる景色を、焼き付けるように見つめた。
「ホントに来たのね!まあ、私も貴方も、人生やり直しって感じかしら?」
「まあ、そんなところですね。三上さん…俺、海外行くの初めてなんですけど…」
「女とシェアハウスに住むのも、でしょ?(笑)シンガポールなんて久々だな~、ま、私に任せてよ、はいこれ、チケットね!」
────先ほど入って来たニュースです。昨夜午後9時過ぎ、動画配信者でモデルのリリナこと坂谷公子容疑者が、暴行罪で逮捕されていた事が分かりました。
坂谷容疑者は同居している内縁の夫に対し、寝ている間に鋭利な刃物で体中を切り付けたと供述しており、ふくらはぎの一部が欠損する大怪我を負わせたの事です。坂谷容疑者は、以前所属するモデル事務所から捜索願が出されるなど問題が相次いでおり────
聞き覚えのある名前が、電光掲示板のニュースから聞こえたような気がした。
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「はぁ…また一人引っ越しちゃった…」
「寂しいかい?」
「今回はちょっと、寂しかったな~、でも、顔バレしなくて良かった!声バレも!」
「そうだねぇ」
「大家さんも大変じゃない?いくら私の為って言ったって…もうそろそろ、改装したら?費用は私が稼ぐからさ!」
「ははは!(笑)君もたいそうな事言えるようになったな!CMにも使われて、上々だね」
「別にそんな…有名になりたい訳じゃなかったのに。歌だって、まさか歌うとは思ってなかったよ、大家さんのお陰っ」
「すまんね…だが、君の声がどうしても、昔死んだ女房に似ていて…」
「歌手を目指してたんでしょ?でも、その前に病気で死んじゃったんだよね…でも、こんなピコピコ電子音に乗せる感じで、ほんとに良いの?」
「いいんだ、それで。むしろ楽しんでるよ!…夢が叶った。利己的だけどね…」
「皆そうじゃない?夢を持つのも、表現するのも誰かと付き合うのも、エゴでしょ?お互いの要求が合うからじゃない?あ、でも…私はこれ、純粋に楽しんでるからね!」
「そうかそうか(笑)有難う…さて、今日はどう?レコーディングするかい?ミホノちゃん」
「本野美沙、サン・ミホノ…やっぱちょっと、分かり易いかな?ふふふっ」
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終わり
作者rano_2
髑髏の最終話です。また長々と書いてしまいました(;'∀')楽しんでいただけると幸いです。
一話目はこちら↓
https://kowabana.jp/stories/34315
二話目はこちら↓
https://kowabana.jp/stories/34607