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魅惑の旧校舎(仮) 第二話(第四回リレー怪談)

長編17
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魅惑の旧校舎(仮) 第二話(第四回リレー怪談)

飛び起きた俺の首筋に冷たい汗が伝う。目まで隠れるほどの前髪が、べったりと額に張りついて気持ち悪い。

どうやら俺はまた悪夢を見ていたようだ。もう何度目だ、とため息をつきながら、がしがしと頭を雑に掻く。

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意中の彼女に呆気なく振られて以降、夢の中でさえ夢を見られない日々を過ごしていた。

たしか夢とは深層心理の現れだった気がするから、悪夢ばかり見る俺はよっぽどショックだったのだ。そう思って、まるで他人事のように笑ってみる。

でも、うまく笑えるはずなんてなかった。いまでは学校中の笑い者になっているという悪夢以上の現実が目の前にあった。

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俺が何をしたって言うんだよ。ただ好きな子に手紙を書いただけじゃないか。

薄気味悪い奴と思われるのには慣れていたが、失恋に傷心した今、誰ともなく笑われるのには耐えられなかった。そして俺は学校を休むようになったが、それでも執拗な笑い声が、ネットを通して俺を揶揄い続けていた。

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学校の裏サイトなんて、見なければいい。でも、見なければいいのに見てしまう。俺は、自分というものが時々わからなくなることがある。彼女に手紙を書いたことだって、何かに突き動かされてペンを握ったようなものだった。

今となっては、夢ならばどれほどよかっただろうと思う。しかし、ここが現実であることは間違いないだろう。

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それを確認するかのように窓の外を見てみると、何の変哲もない曇り空の中を大きなカラスが横切っていった。昼夜逆転の生活もすっかり板について、ちょうど最後の授業が終わった頃かなと手元のデジタル時計を確認する。

四角い画面は、PM4:44を示している。

あーあ、なんかもう嫌になる。

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カラスが目の前を横切り、時計の数字は不吉なゾロ目。…いや、目の前を横切ると不吉なのは、黒猫だったか。あれ、もしかして犬?

というか、さっきのも本当にカラスだったのか?別の何かに見えたように気もするが、その何かの名前が思い出せない…。

オカルト研究部の部長としてあるまじき知識不足。でもそれが何であれ、いまの俺には目に入るものすべてが気分を盛り下げる引き金となり得た。

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俺の気分を盛り下げるのは、なにも目の前の現実だけじゃない。ふとした瞬間にあの時の光景が脳内で蘇り、その度に俺はどうにかなってしまいそうになる。

普段から涼しげな彼女の目に別の冷たさが宿り、ぴくりとも表情を変えずに破られる俺のラブレター。教室の隅で何気ないフリをして見守っていた俺は、床に膝をつきそうになるのを必死に堪えていた。

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が、そのままゴミ箱に直行し、紙切れを放って手をぱんぱんと払った彼女を見た時には、崩れ落ちるどころかあやうく吠えそうになっちまった。もちろん、俺には吠えるなんてことできるはずなかったが…。

俺は万年教室の隅っこで、指を咥えて同級生の青春を見守る傍観者なんだ。つらい現実を直視したくなくて、情けない気持ちで目を閉じる。

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目を開けたら、俺の大好きなあのアーティストにでもなっていないかな、なんて思ってみる。

もっとも、紅白にも出場した彼と俺の共通点なんて、鬱陶しい前髪くらいしかないけど。でも、同じ前髪なのに、彼のはどうしてあんなにもカッコいいんだろう。

そしてふて寝気味に再び布団に倒れ込んだ俺は、悲壮感溢れる空想の代わりに、さっき見た夢の内容を思い出すことにした。

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本当は悪夢なんて振り返りたくないが、今回の夢はいつもとは違っているような気がした。夢のはずなのに妙に生々しい実感が、寝起きの脳内にこびりついていた。

その実感を頼りに、まぶたの裏のスクリーンに悪夢の舞台を思い描く。俺が主人公になれるのはもはや夢の中だけなのかもしれない。そんなブルーな気持ちを取り払って、記憶の世界を辿っていく。

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…え?

何かに気づいた俺は、目を開けて再びデジタル時計を見やる。4:59。もうすぐホームルームが終わって解散という時間だ。

今から学校へ向かえば下校途中の奴らに鉢合わせて、これまで以上に悪意のある嘲笑を受けるかもしれない。

それでも、俺は「あること」を確かめるために、制服を着て学校へ行く準備を始めた。

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知識はないけど好奇心だけは一人前だ。何かに夢中になることこそ、失恋の特効薬なのかもしれない。少なくともこの部屋で考え込むよりは、外にいる方が気は紛れるだろう。

それでも、もし俺の思った通りだとしたら…。

さっきから胸の中で渦巻く得体の知れない不安は、しばらく学校を休んだ後に誰もが抱く、あの不安なのだと自分に言い聞かせた。

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そして俺はモヤモヤした気持ちに踏ん切りをつけるために、勢いよく階下へと駆け降りた。最後の三段は覚悟を決めて、足をもつれさせながらも跳んでみる。

引きこもりのせいで鈍った体が、この時にはふわりと宙を舞った。額に張りついていた前髪が横に流れて、その奥に隠れていた、金色の瞳があらわになった。

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「どこに行くんだ〜、遊輔」

数日ぶりの外出にどきどきしながら玄関の引き戸に手をかけようとした時、俺の名前を呼び止める声があった。

間延びしたその声は、しかし、俺の緊張感を跳ね上がらせた。俺は引きこもっている間、家の人たちの呼びかけにうんともすんとも言わなかった。それを含め失恋で荒んだこれまでの素行を咎められるのだと思って、玄関口でひとり立ちすくんだ。

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声の主は、祖父だった。父も祖父も普段は穏やかだが、怒った時はとてつもなく怖い。そして、怒っているかどうかは声色だけではわからない。その声を無視して玄関を飛び出す手もあったが、そうすると帰ってきた時に地獄を見るかもしれない…。

そんなことを考えていると、突然目の前の引き戸が開いた。驚いて後ずさった俺を、外出から帰ってきたであろう父が笑った。

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「どうしたんだ?こんなところで突っ立って」

俺が引きこもりを改心して外に出ようとしていることに、父はまるで気に留める様子がない。廊下の奥からは相変わらず祖父の俺を呼ぶ声が繰り返されていて、父は「呼んでるぞ」と、そう言って引き戸の前から動かない。

万事休す。もう逃げられないことを悟った俺は、父の後押しで大人しく祖父の前へと姿を見せた。

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俺が部屋に入ると、重厚な革の椅子に腰掛ける祖父が迎えた。歳に合わず豊富な白髪とそれ以上に立派な白鬚というその風貌は、まるでRPGのラスボスのように思える。あるいは仙人か?

「久しぶりだな」

彼の声と顔は笑っているが、心まで笑っているのかは怪しい。俺は祖父の本心がわからずに怯えながら、久しぶりに入る祖父の部屋の様子をまるで初めて見るかのように観察した。

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あらためて見ると、それは不思議な部屋だった。ひと言で言えば、丸っこいものがまるでないのだ。

テーブルや絨毯が四角なのはもちろん、四角い形のコーヒーカップやソーサー、ギザギザの葉をした観葉植物、そして壁に吊るされた十字架…。

角ばっているのは何もこの部屋だけのことではなかった。おまけにこの家には男しかいないから、家の中はいつだってむさ苦しかった。

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俺がモテないのも男所帯なこの環境のせいだろう。せめてペットでも飼うことができたら少しは空気が和むだろうが、それは祖父と父が頑なに許さなかった。

祖父はじっと俺を見つめていた。父はその横で、俺と祖父の様子を伺っている。

俺はいよいよ怒られる気がして、それならば先に謝ろうと口を開いた時、祖父の穏やかな声がひと足先にその場を制した。

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「もうすぐ文化祭じゃのう」

えっ?予想外の問いかけに少しの間固まってしまったが、すぐに気を取り直して首を縦に振る。

「文化祭といえば、なんじゃろうな」

今度の問いかけはイエスかノーかでは答えられないものだった。しかし俺は答えが思い浮かばず、うんうんと唸りながら考えた。

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そんな俺に助け舟を出すかのように、父が横から言った。

「俺や親父にとっては、文化祭だけが異性との交流のチャンスだったんだ」

それを聞いた時の祖父の顔は、心なしか寂しそうだった。祖父によく似ている父の顔も、同じようになんだかしょぼくれているように見える。

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それから祖父は淡々と話した。

戦前は男女共学なんてあり得なかったこと。戦後、今の六・三・三の学制になると同時に手のひら返しに国が男女共学を強制したこと。共学への移行にはそれなりの苦労と、それを跳ね除ける楽しみがあったこと。

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そんな時代の意向に逆らって、我らが私立鳳徳学園はつい最近まで男子校だったこと。ちなみに祖父と父は俺が通うその高校のOBで、だから二人は次々に共学化されていく周りの高校が羨ましくて仕方なかったらしい。

「遊平(父の名前)はそうでもないが、わしの時代は女の子と話すだけでも女々しいと殴られた時代じゃ。それが突然、男女肩を並べて同じ教室で過ごせと言われるのだから、うまく馴染めるほうが無理な話じゃった。

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それでもすんなりと打ち解けるグループと、いままで通り同性で徒党を組むグループが両極端に存在した。

そしてわしはと言うと、一年に一度しかない文化祭でさえ、隅っこで彼女たちを横目で見ることしかできないグループの一人じゃった…」

だんだんと尻すぼみに小さくなっていくその声を聞いて、俺はなぜかどきりとした。

俺とおんなじじゃないか!まさか父も?

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横を見ると、父はぐっと口を結んで何かに耐えているような表情をしていた。それを見た俺はなんだかやるせなくなった。

そんな俺と父に追い討ちをかけるように祖父は言う。

「つまりわしら、大神家の男は、恋愛に対して奥手家系というわけじゃ。はっはっはっ!」

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俺は自分の失恋が彼らにバレているような気がして、祖父のようには笑えなかった。

それでも、祖父は俺が失恋したことを実際に知っていて、彼なりに慰めてくれているのかもしれない。そう思うと悪い気はしなかった。

とりあえず、怒られることはなさそうだ。途端に緊張が解けて、精神的に余裕ができると今まで温めていた疑問が思い浮かんだ。

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この家には、男しかいない。祖母も、母も、俺が物心ついた時にはいなかった。

いや、俺は母がどんな人なのかさえ知らなかった。唯一わかっていることは、母はきっと外国の人だということだけだ。

この家の中で、金色の目をしているのは俺一人だ。だから、母は俺と同じ目をしているに違いない。

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母はいまどこにいるの?父と母は、どうやって出会ったの?これまで何度も喉元まで出ては飲み込んできた疑問を、今なら屈託なく投げかけられるような気がした。

「呼び止めてすまん。これから用事だったな」

しかし祖父の言葉に、俺は今日も心を折られてしまった。

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というより、話ってそれだけ?びっくりして祖父の方を見つめてみたが、親子三代みんな奥手であること以外にどうやら話すことはないみたいだ。

俺は拍子抜けした気分で、いそいそと祖父の部屋を後にした。そして今度こそ玄関の引き戸を開けようとした時、後ろから父が声をかけてきた。

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「気をつけてな」

俺は振り返って、うん、と返事をした。

ぴしゃりと戸を閉めてから、自分が嫌に感傷的になっていることに気づく。

俺が外出する時の父の常套句が、今日はなぜか違う響きをもって俺を見送っているような気がした。

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それもきっと、俺が引きこもっていたせいだ。走り始めた俺の頬に、久しぶりの外の風が当たる。

冷たいはずの秋風が、まるで頬を撫でる誰かの手のように優しく通り過ぎていく。

俺はその風に父や祖父のとは違う丸みを帯びた手を思いながら、学校までの道のりを、ひたすらに走っていった。

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学校までの道すがら、俺は寒さに凍えそうであった。

「おい、大神遊輔が走ってるぞ!」

さっきまでの曇り空は、この時にはすっかり黄昏時の赤い空に変わっていた。夕陽に向かって走る俺を、帰宅途中の彼女らの黄色い声援、ではなく、やんちゃな男子の楽しそうな声が薄汚い野次を飛ばして笑っていた。

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「もしかして、"ヤブレター"でも探しにいくのか?」「美波ちゃんが体育館裏で待ってるって言ってたぞ!」

俺の破られた手紙が"ヤブレター"と呼ばれていることは、裏サイトにも書いてあったから知っていた。でも、美波ちゃんが待ってる的な野次については、あながち嘘ではないように思えてむしろ嬉しかった。

そう思えるくらいに、俺は失恋から立ち直っていた。これも祖父や父のおかげかなと、心の中で感謝する。

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甘瓜美波。奥手な俺の勇気が破り捨てられて以来、彼女の顔なんてもう見たくないと思っていた。それなのに、もしかしたら彼女に会えるかもしれないと思うとこんなにも胸が高鳴ってしまう。

それは、俺がまだ彼女に惚れてるからだろう。美波ちゃんはやっぱり、俺にとって特別な存在だったんだ。

男はみんな狼っていうけど、自分はそうじゃないと信じたかった。一目惚れとはこんなにも純粋な気持ちなんだと、彼女を見て初めて知った気がした。

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しかし、彼女に惹かれたのは俺の"目"だけではない。あの魅惑的な甘い香りが、今でも鼻腔をくすぐり続けていた。俺は昔から鼻が効くから、彼女の匂いにやられたといってもよかった。それは変態的な意味ではなく、ただ彼女の匂いは、なぜかとても安心する、懐かしいような匂いだった。

もちろん、もしそんなこと彼女に言ったら、今度は手紙を破られるどころじゃ済まないだろうけど…。

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とにかく、数週間前にはへこたれていた冷たい野次にも、彼女のことを想えば耐えられた。それどころか外野からの声は、まるで自分を、城に囚われた姫を救う勇者の気分にさえしてくれた。

そう、俺は美波ちゃんを助けるんだ!そして孤独な寒さに耐えて走り続けた俺は、久方ぶりに学校の正門前に立っていた。

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グラウンドから聞こえてくる部活動の声が、なんだかとても遠くのものに感じる。

オカルト部のみんなは、今頃どうしてるのだろう。…って、部長である俺が休み始めても誰一人連絡をよこさないのは、いったいどういうことだ⁈

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…それは置いとくことにして、校門をくぐると、家を出た時から決めていた目的地へと直行した。

俺の見間違いでなければ、あの悪夢の舞台は…。

なるべく人に会わないように体育館の裏を通り、敷地の端っこを沿うようにして本館をかいくぐる。やがて見えてきたのは、学校には似合わない赤茶けた煉瓦張りの建物だった。

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それは、おそらく父や祖父が悲しき青春を過ごしたであろう、今は使われていない旧校舎だった。人っ気がないうえにその奥には英国人墓地と礼拝堂が控えていて、この辺りだけいつも不気味な雰囲気が漂っている。

しかし、俺にとってここは恰好の休息場所だった。みんなから薄気味悪いと敬遠されている俺は、いつもこの旧校舎裏の階段に座って一人で昼食を食べていた。

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だから、見慣れたこの景色を俺は鮮明に覚えていた。

やっぱり、間違いない。今日の悪夢の舞台は、この旧校舎だったんだ。特に、あの時計塔は見間違えるはずもなかった。なぜか長時間見つめることのできない、まん丸で不気味なこの時計は夢の中にも存在した。

そして。あの夢の続きでは、俺はたしかに女の子の悲鳴を聞いた。鼻に比べれば耳はそれほど敏感ではなかったが、それでも俺は美波ちゃんの声を聞き間違えるはずがなかった。

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あの夢の中で、美波ちゃんは何者かに襲われていた。俺はその何者かの姿までは覚えていなかった。あるいはそもそもその姿を見ていないのかもしれない。

ただ、美波ちゃんと思われる悲鳴を聞いて、そこで目が覚めた。俺はこれまでと違った悪夢に後味の悪さを覚える一方で、あまりにもリアルな実感に胸騒ぎがした。

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わざわざ学校まで来たのも、もしかしたら本当に、現実の美波ちゃんによからぬことが起きるかもしれないと思ったからだ。これは俺の知ってる数少ない知識のひとつだが、眠っている間に見る夢とは、起きている時の無意識に影響されるらしい。

俺は美波ちゃんを意識して過ごす日常の中で、あんな夢を見てしまうほどの異変を無意識に感じていたのかもしれない。そう思うと、部屋の中に閉じこもってなんかいられなかった。

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野性のカンといえば聞こえはいいが、俺の衝動的な性格は、手紙を書いた時から何も変わっていない。でも、何も行動に移せないより、たとえ失敗してでもやってみる方がいいに決まってる。だから、たとえ夢だとわかっていても、俺はここに来たことを後悔していない。

なによりも、俺の大好きな美波ちゃんに何かあってからでは遅いのだ。

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…ここからは、"もし"の話だけど。美波ちゃんにもし何かあったら、その時には身を挺して戦ってやる。化け物でも怪物でも、どんとこい、だ。

部屋にいる時の悲壮感溢れる空想から一転して、根拠のない自信から生まれる妄想に没頭していた俺は、ふと、甘くて懐かしいようないい匂いをかいだ。

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それは俺の鼻腔が覚えている、いまいちばん好きな匂い…。そして匂いの正体に気づいた俺は、咄嗟に木の影に隠れてしまった。

俺は無意識にそうしていた。これが奥手家系の血筋ってやつか、なんて感心している場合ではない。

俺の目の前に、現実の美波ちゃんが現れたのだ!まさか本当に会えるとは!

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俺の胸は張り裂けんばかりに高鳴った。しかし、彼女の姿を見た俺は、目を見開いて絶句してしまった。

そもそもどうして美波ちゃんが旧校舎に?その答えは、彼女の後ろをひょこひょことついて歩くひとりの男が教えてくれた。

そしてさっきまでの自信満々な妄想は砕け散って、後に残ったのは、あまりにも残酷な現実だけであった。

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俺は息を潜めて、二人の様子を伺っていた。

あの美波ちゃんが、男を連れて歩いている。そして人気のない場所で二人きりですることなんて、八割がた、やらしいことに決まってる。

この時すでに俺は正気を失いかけていた。もはや夢の続きなんてどうでもよかった。

いちばんの悪夢は、目の前にあった。俺はその元凶である男の顔を、ありったけの憎しみを込めて睨みつけた。

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あれは、たしか秋永という奴か。彼も俺と同じように、教室の隅で目立たないような奴のはずだ。なのに、なぜ美波ちゃんと歩いている?

モヤモヤが収まらないうちに、彼らは窓ガラスを割って扉の鍵を開けると旧校舎の中に入っていった。

もし先生に見つかったら停学は確実だろう。そんな危険を冒してまで、彼らはいったい何をするつもりだ⁈

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俺はもちろん、彼らの後を忍び足でついていく。

このままでは終われない。それに、もしかすると美波ちゃんは、秋永に弱みでも握られているのかもしれない。

俺は悪夢の中で聞いた悲鳴を思い出す。美波ちゃんを叫ばせた何者かの正体は、実は秋永なのかもしれない、なんて、夢と現実の区別もつかないことを思ってみる。

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しかしあながち嘘ではないような気がしてきて、憎しみのこもった獰猛な目つきで二人の背中を観察した。もし秋永がよからぬ行動をした時には飛びかかれるように、俺はすでに臨戦体制にはいっていた。

ただひとつ気になるのは、明らかに美波ちゃんが秋永を先導しているということだ。窓ガラスにしても、信じられないことに割ったのは美波ちゃんだ。

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いや、正確に言うと割ったのは秋永なのだが、彼は美波ちゃんに指示されて渋々といった様子だった。だとすれば、弱みを握られているのは秋永の方なのか?

そんなことを考えながら二人の赴くままについていくと、廊下の突き当たりで彼らは立ち止まった。

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これ以上近づけば俺の存在は彼らにバレてしまう。しかし、もっと近づかないと彼らが何を話しているのか聞こえない。曲がり角に隠れて葛藤していると、突然美波ちゃんがブラウスのリボンに手をかけるのを見てしまった。

おいおいおい、ボタンとってるよ…。えっ!襟元はだけさせて美波ちゃんの方から見せてる!

秋永の奴、鼻の下伸ばしてんじゃないだろうな。ちくしょう、いったい全体何が起こってるっていうんだ…。

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どうか夢であってくれ。そんな願掛けは今となっては手遅れに思えた。俺が学校に行っていない間に、美波ちゃんに何があったんだ⁈

そして俺は何かに緊張するような彼女を見て、この後の展開を予想してしまった。いつも堂々としている美波ちゃんが、ひとりの男の前で、体を震わせている…。

俺はもはや、完全に正気を失っていた。

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夢のままだったら、どれほどよかっただろう。あのまま空想で終わりにしとけば、俺は悲鳴を聞いて颯爽と現れる勇者にもなり得たのに。

少なくとも、その可能性はあったのだ。せめて夢の中だけでも、存分に夢を見ておけばよかった…。

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現実なんて、糞食らえだ。俺は胸の内でそう吐き捨てると、足音も気にせずに無我夢中に走り出した。馬鹿な俺は出口の場所なんて覚えていなかった。それでも、気がつけば外に出ていた。

一階の渡り廊下へと続く扉のひとつが、なぜか開いていることに気づいたのだ。そこは旧校舎の裏側、つまり、英国人墓地や礼拝堂の付近で、旧校舎一辺の中でも最も不気味といえる場所であった。

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しかし、この時の俺は人並みに感じるべき恐怖の感覚を備えていなかった。正気を失っているのだから、当然と言えば当然だ。

俺は夕焼けの薄暗がりの中、墓地の真ん中を横切り始めた。それは何かに突き動かされているような、自分の意志ではない行動に思えた。

いや、本当に、俺は何をやってるんだ?

何かが俺を誘き寄せている?しかし思考がはっきりと定まらず、自分が自分でないような感覚だけが残る。

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正気を保てないというより、意識が朦朧としているこの感じ。美波ちゃんに手紙を捨てられた時に抱いた激情とは、同じようで何かが違う。

いや、俺は最初から気づいていたはずなんだ。この旧校舎には、美波ちゃんとは別の、もうひとつの魅惑的な匂いが漂っていることを。

そして俺は、その匂いの正体と同じ存在に"なりたがっている"ことを。

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彼女がこれからするであろう愛の告白を想像して、取り乱してしまったがために俺はその匂いに惑わされてる。そう自覚するが、すでに体は言うことを聞いてくれない。

俺はまるでゾンビのように、ふらふらと墓地を彷徨っていた。やがて立ち止まった俺の足元には、誰かが掘り起こしたのかもしれない墓石が無惨に転がっていた。

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誰が、何のために?

疑問符ばかりの頭で墓穴を覗く。そこにあるはずの棺桶は綺麗さっぱりなくなっていて、俺を誘惑し続けた匂いがこれまで以上に鼻につく。

思えば俺が出口を見つけられたのも、この匂いのおかげだった。いまならわかる。それは冴えた獣の匂いで、そして、まるで誰かに抱きしめられているような、安心できる匂い…。

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そのとき。頭上の空を、大きい鳥のような影が疾風とともに横切った。つられて俺は上を見る。前髪が風で流れたために明瞭になった視界の中で、俺はどう見ても夢のような光景を目の当たりにした。

空飛ぶ何かの正体は、すでに見当たらない。しかし、その時の俺は別の何かに惹きつけられていた。

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夕焼けの陽光をそのままに、その反対の空にはっきりと浮かぶこの世のものとは思えないような真っ赤な満月。さっきの疾風で覆っていた雲が流れたために姿を現したのだろう。その証拠に周辺には細く薄い雲が朧げに漂っていた。

淡い赤色の光が雲の灰色と混じり合い、艶かしさを感じさせる紫色が辺りを包み込んでいる。しかし驚くべき変化は、身の回りの環境だけではなかった。

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俺の体、大きくなってないか?

前髪なんて比にならないくらいの鬱陶しい毛が、体中を埋め尽くす感覚がぞわぞわと全身を這う。制服は今にも張り裂けそうだが、すんでのところで持ち堪えている。

俺は、今から自分が何をしようとしているのかがわかった。これも深層心理、あるいは本能というやつか、なんて悠長に言ってられない。

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どうか夢であってくれ。このままだと、俺は俺ではなくなってしまう…。

その時、何かの開始を告げるように、時計塔の鐘が突然に鳴り始めた。鳴らずの鐘と噂されているそれは、地響きのような轟音を辺りに振り撒いていた。

-この音なら、紛れる。そう思った瞬間、俺を人間に留めていた、理性のタガが外れた。

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胸の内のすべてを吐き出すように、ありったけの力で喉を震わせる。

そして、俺は鐘の鳴っている数十秒間。

月下に吠える、一匹の獣となった。

(第二話 終わり)

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