魅惑の旧校舎(仮) 第一話 (第四回リレー怪談)

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魅惑の旧校舎(仮) 第一話 (第四回リレー怪談)

 

 どことも知れぬ薄暗い廊下を一人歩いていた。窓の外を見れば、不吉に輝く赤い満月が時計塔を照らし出していた。

 なぜ僕はここにいるのか。ここはどこなのか。

 分からない。何も思い出せない。

 不意に、どこからか低い唸り声が聞こえた。獰猛な大型犬を連想した僕は、とっさに耳を澄ませ、忍び足でその場から遠ざかった。廊下を進み、階段を上って、また廊下を進んで、今度は降りて………………。

 足を運ぶたびに軋む床板に冷や冷やしながら、一体どれほど進んだだろう。どこかで、悲鳴を聞いたような気がした。誰かが、あの唸り声の主に襲われているのか。助けなくては…………しかしどうやって?

 とりあえず近くまで移動することにした。自分も襲われたらどうしよう…………でも助けなきゃ……。義侠心と恐怖が僕の心を交互に廻った。

 一階まで下りた時、不意にブーツの音が聞こえた。階段からそっと廊下を覗いた僕は、思わず叫びそうになる。

 火の玉。火球。鬼火。呼び方は何でもいい。それが幾つも宙を飛び交っている。その中心に、背の高い何者かの姿があった。その形に違和感を覚えて目を凝らす。

 頭部が歪んでいるのだ。縦長のカボチャ、とでも言えばいいのか、ともかく不格好な輪郭が見て取れる。それだけじゃない。奴は紅蓮の炎を纏う、禍々しいまでの大ぶりの鎌を手にしていた。

 非現実的な光景に、僕は息を呑んだまま固まっていた。だがその時、男の背後にあるものに気が付いてしまった。黒っぽい服に白い手足、そして鮮血にまみれた顔、床を黒く染める液体…………。

 制服姿の少女の死体だ。その虚ろな瞳が、僕に助けを求めているようだった。

 もう手遅れだ、ごめんよ、それにあんな化け物、僕が敵う相手じゃないよ…………

 情けない思いが胸中に湧き上がっては、どうしてもっと早く駆けつけてあげなかったんだ、と罪の意識を駆り立てる。

 その時、ガツン、という衝突音とともに、新たな悲鳴が響き渡った。

 はっとして目を凝らすと、男の向こうに、もう一人誰かいることに気が付く。彼女もまた襲われようとしているのだ。

 助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃ、僕が、僕が、僕が僕が僕がボクガボクガボクガァァァァ!!!!

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 九月も終わりに近づき、木々が色とりどりの紅葉で秋化粧を始めた。校内は今、十月末に行われる文化祭への気運で盛り上がりつつあった。とは言っても、学校の方針で実際に準備が始まるのは二週間前からだ。

「ねえ、秋永君……秋永九十九君、だっけ…………」

下校すべく教室を出た僕に声を掛ける者がいた。振り向くと、女子生徒が値踏みするように僕を見ていた。

 甘瓜美波。九月に転入してきたばかりのクラスメートだ。高二の秋という中途半端な時期に、親の仕事の都合で東京を離れたらしい。

 都心の名門女子校出身ということもあってか、彼女の容姿も振る舞いもどこか垢抜けた雰囲気が漂っていた。背は一六〇くらい。しっとり黒光りする髪はボブに切り揃えていて、涼し気な目元が彼女を大人びて見せていた。

 転入当初、男子生徒が色めき立ったのも無理はない。だがスマホも所有せず、放課後は家に直帰するなど、いかにもなガードの硬さが近づき難い雰囲気を醸し出していた。

 極めつけは、机に入れられたラブレターを眉一つ動かさず、未開封のままビリビリと引き裂いてゴミ箱に捨てた件だ。

 手紙の主は後で特定されて、学校の裏サイトで「勇者撃沈!!」とさんざん笑い者にされたらしい。ちなみに彼はオカルト研究部の部長でもあり、男子生徒にすら薄気味悪い奴と思われていたことも事態に拍車をかけた。

 可哀そうに、彼はそれ以来欠席している。失恋に加えての羞恥攻めとは、なんと過酷な。これもIT時代の闇というやつか。

 

 以来、男子の間では「甘瓜さんは甘くない」と噂が立ち彼女に寄り付く者はいなくなったし、女子もどこか遠巻きにする状況が続いている。そんな彼女が話しかけてきたものだから、僕は色んな意味でドキリとしてしまった。

「何か用?」

かすれ声で返す僕の目を、彼女はじっと探るように見つめた。一歩、また一歩、猫に睨まれたネズミのように、僕は後ずさる。薄暗い廊下はいつになく閑散としていて、僕を助けてくれる救世主は現れそうになかった。

「秋永君…………」

壁際にまで追い詰められた僕は、彼女から目を逸らせなくなっていた。光の断片を宿した瞳が、僕を映し出している。

「昨夜、夢を見なかった?」

「え?」

意外な言葉に、僕は反応が遅れた。

「夢よ。眠っている時に見るあれのこと」

「夢……」

僕は夢の内容を思い出せることは滅多にない。これまでの経験でも、起きた瞬間には夢を見ていたかどうかすらあやふやになることが多い。だが、昨夜の夢だけはおぼろ気ながら記憶に残っている。

「どうなの?」

「うっすらと、だけど…………覚えてる」

「どんな? 話して」

さらに身を寄せた彼女はじっと僕の目を覗き込んだ。

「わ、分かったよ」

美波ちゃん(そろそろ「ちゃん」付で呼んでもいいだろ? 心の中だけなら……)の迫力に押され、思わず数歩離れてしまう。そして気が付いた。

あれ……? 今、すごくいい匂いしてなかった? なんで自分から離れてしまったんだよ!! 

密かな無念を押し隠して、僕は記憶の糸を手繰り寄せた。

「どこか、暗い廊下を歩いてた……かな……自信ないけど…………」

彼女は小首をかしげて目を細めた。

「それだけ?」

「う~ん…………そう言えば、目が覚める前…………どこかで声がしたような…………多分女性の悲鳴みたいな…………」

そうだ。あの悲鳴のような声があったから忘れずにいたんだ。

「悲鳴を聞いた後は?」

「後?…………いや、分からない……ごめん」

やや落胆したように、彼女は小さな溜息をついた。にしても、なぜこんなことを尋ねるんだろう。

「一緒に来てほしい場所がるの」

「え? い、一緒に……?」

どういうつもりだろう。まさか告白……なんてある訳ないよな。落ち着け、落ち着け。

「来てほしいって、ど、どこに?」

 僕の問いに彼女はふっと微笑を浮かべた。その瞬間、心臓がドクンと跳ねる。仕方ないだろ? 笑った顔見たの、これが初めてだったんだから!! 

 黙ってれば美少女の彼女が、普段はにこりともせず黙ってるんだぞ!!

 そんな美波ちゃんが僕にだけ(脳内補正あり)見せた破壊力抜群の笑顔にクラっと来るのは、健康な男子として当然じゃないか!! 

 僕の動揺を知ってか知らずか、美波ちゃんは半身を軽やかに翻し、とある方角を指差した。その先にあるのは…………

 夕陽の中に蹲る旧校舎。真っ白な新校舎と対照的に、赤茶けた煉瓦張りの、老朽化した古臭い建築物───。

 ここ、私立鳳徳学園は財閥の出資で明治時代に創始された。長い歴史があるので、校内には随所にその名残がある。平成に入り共学制になって以来使われなくなった旧校舎もその一つ。建物自体は古いので文化財としての価値はあるのだろうけど、不気味な雰囲気が漂っていて誰も近づこうとしない。

「あそこなら、鍵が掛かってるから入れないよ。立ち入り禁止だし」

「………………」

「………………」

 一つ言わせてくれ。僕は彼女の希望を男らしく寛大に受け入れただけだ。断じて、

『二人きりになれるぜラッキー!!』 

なんて思った訳ではない。絶対だ。絶対だぞ!!

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「これ、ばれたら停学かもな…………」

通用口の窓ガラスを割って鍵を開けた僕らは、旧校舎に足を踏み入れていた。

「ねえ、どうしてこんな所に?」

「…………」

美波ちゃんは答えずに、先に立って進み始めた。コツコツという足音に混じって古い床板が軋む音がした。とは言え元々の施工が良いのか、まだ現役で使えそうな状態だ。

 しばらく無言で歩き続けた彼女が、ぴたりと立ち止まり振り返った。

「あなたが夢に見たのは、きっとこの旧校舎よ」

 ここが?……まあ言われてみればそうかも知れない。確かに廊下の幅はこれくらいだったような気がするし、板張りなのも同じだ。その時、窓の外に視線を向けた僕は思わず息を呑んだ。

 ああ、どうして気が付かなかったんだ!!

 旧校舎の中央に聳える時計塔───。この角度、この位置…………そうだ、間違いない。

「確かに……夢の中で、あの時計塔が見えた」

頭の中で、今何が起こっているんだと警告音が鳴り始める。なぜ彼女が、僕の夢の中身を知っているんだ?

「美波ちゃんは……」

チラ、と彼女は細い目で僕を振り返った。どうして下の名前で呼ぶの? という抗議がその瞳にありありと浮かんでいる。

「甘瓜さんは、どうしてそんなことが分かるの?」

はいヘタレです僕はヘタレです済みませぇん!!

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「校内に、礼拝堂と英国人墓地があるのは知ってる?」

「もちろん…………それがどうかした?」

敷地の隅に、ひっそりと木立に守られるようにそれはある。時折外国人の姿も見かけるが、おそらくご遺族や子孫の方々なのだろう。生徒はなるべく近づかないように、と入学式のオリエンテーションで釘を刺されていた。

「昨夜ね…………私、殺されかけたの」

「え?」

突然何を言い出すんだ。脈絡がなさすぎる。本気で言っているのか? いや、まさか…………。

「化け物に、鎌で切り殺されそうになったわ。あの燃え上がる鎌、紅蓮の刃……鮮明に覚えてる。ただの夢とは到底思えない」

抱きしめたら折れてしまいそうなほっそりした背中を追いながら、僕はその現実離れした話に困惑を覚えていた。

「ちょうど、ここだったわ」

廊下の突き当りで、美波ちゃんは振り返った。

「ジャック・オー・ランタン」

「え?」 

今度は何だ。

「ハロウィンのカボチャのやつ?」

 窓から差し込んだ西日が、彼女の鳶色の瞳を照らし出した。その揺れ動く瞳の中にあるのが緊張と怯えであることに、僕は今更ながら気が付いた。

 あの美波ちゃんが何かを怖がっている。その事実に僕は軽い衝撃を受けていた。

 だが、もし殺されかけたというのが本当なら、当然恐怖を覚えるに違いないのだ。さっきから冷静に振舞っているのも、動揺を表に出さないためなのだろう。

 ガラス玉のような半透明の虹彩に魅入られながら、僕は緊張を帯びた声を漏らした。

「甘瓜さん、一応確かめさせて。殺されかけたってのは……その、本気で言っているんだよね?」

少しの沈黙の後、彼女はおもむろにブラウスのリボンを解き始めた。

「あ……ちょ…………」

焦る僕を他所に、彼女はボタンを二つまで外し、首元を露出して見せる。

「見て。秋永君」

目のやり場に困っていた僕も、そう言われれば見ざるをえない。はだけた制服の襟元に、絹のような白い肌が露出している。だがその瑞々しい肌には、痛々しいまでのミミズバレの跡があった。

「これでも、思い出せない?」

思い出す? 何を? 僕と何の関係があるんだ? 

「昨夜、私の前に殺された女生徒がいるの」

またも不可解なことを口走る。さっきから彼女に翻弄されっぱなしだ。もういい、やめてくれ。頭がおかしくなりそうだ。

「図書室でアルバムを調べたわ。その子、十年も前に死んでいるの。それも在校中に」

「一体、何を言って…………」

汗が額を伝う。何を、イッタイ、コイツは何ナンダナニガシタインダサッキカライッタイナニヲナニヲナニヲナニヲ…………

僕を真っ直ぐに見つめて、切実なまでの口調で彼女は告げる。

「あなたもそこにいたのよ、秋永君。昨夜、私の夢の中に…………」

 ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン────

 鳴らずの時計塔が、突如大鐘を鳴らし始めた。ガラス窓がビシビシと振動し、彼女を照らす陽光が微かに震えて陰影のさざ波を作った。

 その日を境に、眠りから覚めた運命の歯車が再び動き始めたのだった。

(第一話 終わり)

Concrete
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