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魅惑の旧校舎(仮) 第八話 (第四回リレー怪談)

長編27
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魅惑の旧校舎(仮) 第八話 (第四回リレー怪談)

「先生!大倉先生!大変です、102号の患者さんが!」

「どうした?」

「とにかく、早く来てください!」

帝都大学病院の一室。担当看護師の切羽詰まった声に、慌てて病室に駆けつけた大倉医師は、自分の目を疑った。

「そんな……なんてこった……」

一瞬、呆然と立ち尽くしながらも、辛うじて看護師に指示を出す。

「とにかく、すぐにご家族に連絡して!」

「は、はい!」

「月島……聖良さん?うちの学校の生徒?」

「そうよ。鳳徳学園の2年生」

「2年生なの?じゃ、僕と同じだね……でも」

聞いたことの無い名前にアキラは少々戸惑う。そうか、ごく最近転入してきたのかな。だから制服もちょっと違うのか。間に合わなくて前の学校のを着てるとか……

「そんなことより、えっと、ゴマドーフ、あ、ごめん。えっと」

「護摩堂アキラ。アキラって呼んでいいよ」

アキラが親指を立てて、わざとらしい笑顔で答える。

「護摩堂君。今、何年?」

「だから2年だって」

「違うの。今は、平成何年なの?」

「……はい?……」

さすがのアキラも面食らった。この子、一体何を……そうか、この子、僕の頭の良さを試そうとしてるんだな。令和3年は、平成でいうと何年でしょう?ってことか。そんなの簡単だ。30を足せば良い。

「簡単さ。今は平成でいうと33年だよ」

「33年……もう、10年も経ってしまったのね」

「……?」

アキラは、もはや困惑していた。すごく可愛い子だけど、何だかちょっと言ってることがアレな感じだし……とんでもない厄介者を背負いこんじまったのかなあ、いや、生徒会長たるもの、困ってる生徒を放置するわけにもいかない。とにかく、保護しなきゃ。そんなことを考えていると、闇の中に不気味な咆哮が響き渡った。猛々しい野生を感じさせる野獣のような声が尾を引いて闇夜の中に浪々と響き渡る。

「え?今のなんだ?」

「……怖い……」

怯えた表情の聖良が、震えている。

「とにかくあれは人間の声じゃない。ここから動こう。さっさと逃げようぜ」

そう言いながら聖良の手を引いて、走り出そうとしたアキラの足が、一瞬止まる。

(でも、美波ちゃんたちは……あいつらは無事なんだろうか)

「どうしたの?」

聖良が怪訝そうに尋ねる。

「うん、いや、実は友達が、まだ旧校舎の中にいる筈なんだ」

「お友達がいるの……」

「うん、三人ほどね」

「早く行きましょう……」

怯えた表情の聖良が、かすれた声を絞り出す。

「やっぱ、そうだよね。あんな声聞いたら怖いもんね。よし、すぐ逃げよう」

「違うの。お友達の所へ行かなきゃ」

「……え?……怖くないの?

「怖い。物凄く怖い。私もずっとずっと、ここで何年も怖い思いをさせられてきた。恐ろしいバケモノに何百回となく、殺された……たった一人で……」

また、涙が一筋聖良の頬を流れる。

「誰かに助けに来て欲しかった。ずっとずっと待っていた。だから、誰かに来て欲しい気持ちが凄くわかるの。行きましょう、早く」

「……よし、わかった。行こう」

生徒会長の自覚か、友情の重さに目覚めたか、いや、やはり目の前の碧眼の美少女の前で良い所を見せたいという、極めてわかり易い動機につき動かされたアキラは、さりげなく聖良の手を握って走り出す。

「確かこっちから聞こえて来た」

廊下の角を曲がり、走り続ける。。

「護摩堂君、暗闇の中でも道が分かるの?」

「うん、まあ、何となく。勘だけどね」

その時、もう一度、咆哮が聞こえた。

「こっちだ。近くなってきた」

小さな声で囁くと、震える足を無理やり踏みしめながら、暗い校舎内を手探りで進む。黙っていると余計に恐怖が増してくる。アキラは思いきって声をあげてみた。

「おーい、九十九。美波ちゃーん。遊輔―、どこだー」

その途端、自分のすぐ傍の暗闇で、もう一度あの咆哮が響き渡った。思わず、アキラと聖良は、悲鳴をあげた。

「ぎゃーっ!」

「アキラ君!」「アキラ!どこにいたんだ!」

声に振り返ると、目を見開いた美波と九十九が手を握り合って立っている。

「おっ!大丈夫か?変な声が聞こえたから、君らの事が心配で、矢も楯もたまらず助けに来たんだ」

「有難う、アキラ君。で、その人は?」

聖良に目をとめた美波が不思議そうに尋ねた。

「ああ、彼女は月島聖良さん。うちの二年生だが、今は詳しく説明してる暇はない。そう言えば、遊輔は?」

アキラの問いに、九十九が黙って廊下の端の方を指さす。

「……?」

一瞬、アキラは目を疑った。

そこには、明らかに人外のものと思われる二体の怪物が睨みあっている。片方は、犬のような形態の、だが、もっと凶悪な風貌をした生き物、どうみても狼だ。そうか、さっきから聞こえていた猛烈な咆哮はこいつだったのか。

それと相対しているのは、一応人間の形はしているが、不気味なオレンジ色のカボチャの顔をした大男である。ギザギザにくりぬいた口が邪悪な笑いを連想させる。そのオレンジ色の顔面以外は、全身黒ずくめで大きなマントを羽織っている。何よりも禍々しいのは、その両手で構えた大鎌、西洋の悪魔が魂を断ち切るためにもっていると言われる巨大な鎌だった。

狼は、しゃにむに跳躍し、カボチャ男の喉笛に食らいつこうとしているが、カボチャ男は見かけからは想像もつかない身軽さで、その攻撃をかわしている。嘲笑うかのように、ひょいひょいと身をかわし、まさに寸止めのような正確さで牙を逃れる。まるで楽しんでいるかのようだ。苛立った狼の牙がガチン!と虚しく嚙み合わされるたびに、闇の中に火花が飛ぶ。

疲れた狼が一旦呼吸を整えようとした瞬間、それを待っていたように、大鎌が一閃し、狼の肩の辺りの毛が宙に舞った。

「ギャン!」

苦痛に満ちた声と共に、地面に転がった狼の肩から真っ赤な鮮血がだらだらと流れ始める。

「遊輔!」「遊輔君!」

美波と九十九が悲鳴をあげた。

「え?あの狼って、遊輔なの?なに?どういうこと?」

眼前の状況は完全にアキラの理解を超えている。

「そうなの!説明してる暇はないけど、とにかくあれが遊輔君なの!アキラ君、何とかしてあげて!」

「何とかって……」

三人がなすすべもなく見守る中、カボチャ男は、苦痛のあまり床に転がった狼に向って、ゆっくり近づいていく。足元の獲物に向って、脳天高く大鎌を振りかぶった瞬間。

「いやあーーっ!」

それまでアキラの隣で震え続けていた聖良が大きな悲鳴をあげた。

その声が響いた瞬間、カボチャ男の鎌がぴたりと止まる。ゆっくりとこちらを振り返ると、じっと聖良の方を見つめている。オレンジ色のカボチャの顔には、何の表情も見られないが、明らかにそれは聖良に注意を向けている。そして……笑っている。何の声もせず、くりぬかれたカボチャ顔には何の変化も無いが、明らかにそれが嗤っているのは、三人にはわかった。

カボチャ男はこちらの方に向き直ると、ずるっ、ずるっ、と嫌な足音をさせながら、ゆっくりと歩いてくる。恐怖に襲われた三人は逃げ出した。

「いや!もういや!もうやめて!お願い!」

パニックになった聖良が恐怖のあまり、そのまま座り込んでしまう。

「聖良さん、逃げて!」「逃げるんだ!」

座り込んだ聖良は立ち上がれない。彼女の前で、カボチャ男が大鎌を振り上げたその時。

「グシュッ!」

汚らしい音がして、カボチャの右上の約4分の1程が砕け散った。

一瞬、聖良に気を取られたカボチャ男の背後から忍び寄った狼が、跳躍し頭部の一部を噛み砕いたのだ。不意を突かれたカボチャ男が動揺して膝を突く、と同時に大鎌を取り落とし、暗闇にチーンと金属音が響き渡る。聖良を庇うようにその前に降り立った狼が、口中に残るカボチャの欠片をぺっ、と地面に吐き出した。

「クソまずいカボチャだぜ」

肩から血を流した狼が、明らかに遊輔の声で人語を発するのを聞いて、アキラも、もはや眼前の事実を受け入れざるを得ないと腹をくくった。三人で聖良を抱き起すと、後方に引っ張る。

カボチャ男は、割れ目の部分を片手を押さえながら、もう一方の手で大鎌を拾い上げると、一旦逃走した。翻るマントが、あっという間に闇の中に消えて行く。

「……疲れた」

狼が一言つぶやくと、どさりとその場で横倒しになる。と、見る間にその姿が変貌し、そこには大の字に寝転んでいる遊輔が現れた。

「遊輔!」「遊輔君!大丈夫?」「早く、止血しなきゃ!」

四人の生徒が遊輔の周りに駆け寄る。

遊輔の肩の傷を手当しながら、自己紹介を兼ねて、聖良は自分の身の上をみんなにブリーフィングした。特に、美波には、彼女の母、花波が自分を守ろうとする中で魂を抜かれてしまったことを涙ながらに伝えた。

「結局、貴方のお母さんは、10年前に私を守ろうとして、魂を取られてしまったの。本当にごめんなさい」

「それは……未だに信じがたい話だけど、確かに母は10年前に昏睡状態に陥った。でも時々ふっと意識が戻ることもあって、そんな時は”Never give up!“って、うわごとのように呟くとまた眠りに落ちる。それを繰り返しながら、何とか生命だけはつないでいる状態なの。

でも、それはあなたのせいじゃないわ。私は貴女を恨んでなんかいないし、母だってそうだと思う。悪いのは、あの八島よ。貴女だって、被害者なんだしね。だから貴女は謝らないでね」

「……有難う」

聖良が遊輔に声をかける。

「傷は痛む?」

「ああ、もう大丈夫。有難う」

遊輔が笑顔を見せる。

「ごめんなさい。私を守るために、こんなケガまで負わせてしまって、本当にごめんなさい。また、私のせいで人が傷ついてしまった……これで二度も」

「二度目?」

「そう。一度目は今話した通り、美波さんのお母さん」

「だから、貴女は悪くないんだってば。聖良さんのせいじゃないのよ」

「そうだよ、悪いのは君じゃない。俺が戦ってケガしたのも、みんなの為、っていうか俺自身の為でもあるんだ」

遊輔が妙に神妙な顔をする。

「あなた自身の為?」

「そう、何たって、この能力を使って実戦に臨んだのは初めてだからな。どんな力があるのか、自分でも試したかった。ケガをしたのは、俺がまだまだ未熟だからさ。だから君は気にすることないよ」

「そうさ。聖良ちゃんは、あくまでも被害者なんだから」

みんなの言葉に聖良が少しだけ笑顔になったその時。

暗闇の中に、ゆっくりと足音が響いてくる。

「誰?」「また、あいつか?」

だが、あの不吉な足音とは違う。ゆったりとした、普通の人間の靴音だった。

「誰だ?」

緊張した面持ちの九十九が誰何すると、闇の中に何とものんびりとした声が響いた。

「デビュー戦としては、まあまあの出来じゃな。遊輔よ」

遊輔が目を見開いた。

「爺ちゃん!」

その言葉に他の生徒たちも、きょとんとする。

「え?」「爺ちゃんて?」「遊輔君のお爺さん?」

闇の中にゆっくりと姿を現したのは、遊輔の祖父、遊人だった。

「爺ちゃん、なんでここに、どうやって?」

遊輔のみならず、一同呆然と遊人の姿を見つめている。

「簡単さ。ワシもこの学園の関係者だからな。と、急に言われてもわからんだろうが、まあ、ゆっくり説明する。まずは皆さん、遊輔の祖父、大神遊人と申します。孫がいつもお世話になっとります。また、今回はケガの手当もしてくれて有難う。良き仲間を持って遊輔は誠に幸せ者です」

真っ当な挨拶の後に深々と一礼する。遊輔以外の生徒たちもつられて頭を下げる。

「それで、じゃ。色々とお話せんといかんのじゃが、まず、皆さんは、この魔夜中を“作った”のは誰だか知っとるかね?」

一同、沈黙する。そもそもこれは誰かが“作った”ものだ、なんて発想は思いもよらなかった。

「それは我が父、大神遊山なのだ」

「嘘だろ?ひい爺ちゃんが?」

遊輔が大声をあげる。他のみんなも絶句している。

「いったい、何のために……?」

聖良が呟いた。

「鳳徳学園の経営方針をめぐって、ウィルソンと対立した時、父、遊山は、この学校の未来には、容易ならぬ困難が待ち受けていることを意識せざるを得なくなった。それは深刻な対立、闘争……それも、現実的な意味だけでなく、精神的な面、スピリチュアルな面での対立や闘争に直結していることをよく理解していたのじゃ。

「ここで、父が考えたのは、とりあえず、関係が完全に断ち切られてしまうことを避けることだった。例えば世界大戦の最中でも、スイスのような中立国を舞台に、各国のエージェントが接触を図ったりするだろう。そういう空白地帯のようなものを父はイメージしたわけじゃ。この魔夜中は、鳳徳学園の関係者であれば、誰であれ……生徒、教職員、わしらのような卒業生も含め、凡そ関係のあるもの全てにつながっている。

関係者であれば、誰もがここを自由に訪れることが出来るが、同時に、望まなくても呼び出されてしまうこともある。だが、ここは、敵であれ味方であれ、とにかく“接触”する場所に過ぎない。そして、どちらも、ここでは、最終的な勝者にも敗者にもなれない。勿論、害を為す者、敵対する者も沢山現れる。恐ろしい経験もするだろう。だが、ここは“最終的な決着がつく場所ではないのだ”。」

一同、唖然として遊人の説明に聞き入っている。“魔夜中”にそんな意味合いが込められていたという事実が、未だよく呑み込めていないという感じである。

「それにしても、なんでいつも悪夢ばっかりなんだろう?」

素朴な疑問を口に出した九十九の方を見やり、“いい質問だ”とでも言いたげに軽く頷くと、遊人は言葉を続ける。

「もともと悪夢とは、危機管理の為のシミュレーションである、という説をご存知かな?」

「あ、それ、聞いたことがあります。人間が危機に遭遇した時の記憶を呼び覚まし、反芻することによって、同様の危難に遭遇した時のシミュレーション、いわば訓練を行う為のものである、って考え方ですよね」

護摩堂がドヤ顔で知識を披歴すると、遊人は軽く頷いた。

「さすがじゃな、優等生君。悪夢は、確かに恐ろしい。何かに延々と追いかけられる夢、殺される夢、あるいは、こっちが誰かを殺して、逃げ回っている夢……とにかく、自分の身に降りかかってくる色んな危険の疑似体験になっているわけだ。そして、それを追体験することは、現実にそういう危険が発生した時の対処の仕方を訓練するという意味がある。

つまり、この魔夜中も、学校的に言えば、例えば道場としての機能を有するということじゃ」

遊人は聖良の方に向き直る。

「月島聖良さん、じゃったな。10年に渡って、大変、辛い思いをされたと思う。こんな物があったばかりに、毎日地獄の苦しみを味わい、青春の一番良き日々を、あたらこんな昏いところで無駄に過ごすことになってしまった。父になり替わり、お詫び申し上げる。

じゃが、聖良さん。ちと、考えてみてくれんか。“何百回も殺された経験”を持つ人間が、今まであっただろうか?そして“何百回も殺されたということは、何百回も生き返った”ということでもあるのではないか……」

聖良は黙って俯いている。

「あんたの気持ちは痛いほどわかるが、やはり、あんたが旧校舎から身を躍らせたのは、つくづく残念なことじゃった。全てが終わってしまうところだった。だが、逆に言えば、旧校舎で身を投げたのは幸運だったのかもしれん。つまり、この地を守る者達……古来からこの地の安寧を司ってきた神々も、そして外人墓地に眠る霊も、そして何より甘瓜花波先生も……誰もが、あんたが死ぬことを望まなかったということじゃ」

“Never give up!” 甘瓜先生の声が聖良の中に蘇ってくる。

「聖良さん、あんたは不思議な力によって、守られ、生かされた。そして、今のあんたには、もはや何も怖いものは無い筈じゃ。何百回も殺され、そして生き返って来た人間に、恐れるものは無いであろう。今のあんたは、もはや無敵じゃ。どうか自分の力に自信を持って欲しい」

遊人の言葉に聖良はゆっくりと頷いた。

「実は、この学校の設立当時の事情については、僕も色々自分で調べてみたんです」

アキラは自分の家に代々伝わる資料を調べた時の話を始めた。

「行きついたのは、あの当時、設立にかかわった大神、護摩堂、甘瓜、秋永の四家に悪魔による呪いがかけられたという事実でした。そして、狼、蝙蝠、鳳凰、死神が描かれた4本の掛け軸。各々そのキャラクターに相応しい呪いがかけられたらしい、そしてどうやら大神家には狼、護摩堂家には蝙蝠の呪いがかけられたらしい、というところまでは分かったんですが、鳳凰と死神については、誰が割り当てられたのか、僕に調べた限りでは今一つはっきりした事情は掴めませんでした」

遊人が深く頷いた。

「よく調べたな。それでもたいしたもんじゃ。君の言ったとおり、ここにいる四家の祖先は、あの時悪魔による呪いを受けた。いわば、運命共同体というわけじゃ。その時一緒に呪われたウィルソン、八島の先祖共々な」

遊人が少し妙なことを言った。

「ウィルソンと八島は敵じゃんか。俺たち四家は分かるけど」

遊輔が異議を唱える。

「言ったとおりだ。ウィルソン、大神、甘瓜、秋永、護摩堂、八島、明治時代にあの場でデーモンの呪いを受けた者は、全員が同じボートに乗っているのだ。等しくな……」

遊人の説明に一同首を傾げている。

「護摩堂家は、蝙蝠に象徴されているが、蝙蝠について、皆さんはどんなイメージを持っている?鳥からも獣からも裏切者として忌み嫌われた、信用のおけない小悪党?。だが、彼等の能力はどうだ?そう、彼等は暗闇の中でも自由自在に飛び回ることが出来る。全く視界の利かない真っ暗闇の中でも、何不自由なく飛ぶことが出来る。他の者達が闇の中で戸惑い、足を踏み出せずにいる中、彼等は暗闇の中にも道を見つけ、何のためらいも無く、進んでいくことが出来るのだ」

聖良は、ふと思い出した。そうか、護摩堂君は、闇の中でも私の手を引いて、軽やかに走れていた……

「そして、我が大神一族は、言うまでも無く狼の力を持つ。勿論、その特徴は高い戦闘能力にある。だが、もう一つ忘れてならないのは、彼等が最も得意とするのは、チームプレイであるということだ。彼等は群れに生き、群れで狩をする。狼が最も力を発揮するのは、“仲間と共に戦っている”時なのだ。彼等は常に仲間と共に戦い、生きていく。遊輔、お前も今のデビュー戦で、良くわかっただろう」

「次の呪い……死神。鎌を持った男。巨大な鎌を振りかざして魂の緒を断ち切ろうとする恐ろしい存在だ。だが、考えてみろ。何かを断ち切る力……それは、時として我々の生活に必要になることもある。悪縁を断ち切る、腐れ縁を断ち切る、悪しき習慣を断ち切る……よりよく生きる為に、何かを断ち切る力は、必要なのだ。ワシが思うに、この呪いをかけられたのは秋永家だと思う。何故なら鳳凰の呪いは……」

今度は美波の方を向いた。

「さて、四つ目の呪いは鳳凰。甘瓜家は、アルプ鳥として呪いがかけられたとの記録があるが、もともとこれも、ギリシア神話に登場する鳥でな。“由緒ある”お家柄というわけだが、この鳥は冥界の王、ハデスの手下と位置付けられている。そして、わが日本でも、死者の魂を運ぶ鳥という、極めて親和性の高い性質の神が古えから存在していた。お嬢さん、ご存知かね?」

今度は、聖良の顔を見ながら訪ねた。

「……そう、たしか鳥鳴海神……」

「そのとおり、良く覚えておいでじゃな。あんたを助けようとした甘瓜先生が呼び出した鳥の神じゃよ。アルプ鳥になぞらえたのは、“鳥つながり”という、デーモンの軽いノリじゃが、そもそも鳥鳴海神は、大国主命という極めて徳の高い大神の子にして、立派な国津神じゃ。そして、甘瓜家はこの鳥鳴海神の血を引く由緒ある家系というわけじゃ。代々霊力の高い女性がこの家を継いできた、ですな?お嬢さん」

今度は美波に向って笑いかける。

「じゃが、ここで神の系統について話し始めると、実はもう一つ、避けて通れない話が出てくるんじゃが……わかるかね?」

誰もが沈黙している。一体、何を聞かれているのかわからない。

すると遊人は、ゆっくりと後ろを振り向き、背後の暗闇に向って声をかけた。

「これは、あんたの口から話してくれんか。のう、八島さんよ?」

一同驚愕する。

「八島!?」

闇の中から、さっきのように、また一人の足音がゆっくりと近づいてくる。ゆっくりとフォーカスを合わせるように、ダークスーツ姿の八島が姿を現した。

「八島!」「八島、てめえ!」「なんでここに……」

四人の生徒たちが一気に警戒する。聖良の顔が見る見る青ざめ、震え始める。

「言うたであろう。この学園の関係者なら誰であれ、いつでもここに来られるのじゃ。そして、呼び出されることもな」

「大神遊人さん。いやいや、この魔夜中にお呼び出しとは、あなたもなかなか人使いがお荒いですな」

「爺ちゃんが呼び出したの?」

遊輔が呆れたような声をあげる。

「そうじゃよ、いかんかったかね?」

「だって、なんでこんな奴を」

「おやおや、これは心外ですねえ。折角、大事な物をお持ちしたのに」

そう言うと、八島が美波の方に向って手を延ばす。思わず、聖良と美波が後ずさる。

「早速ですが、さて、どちらにお渡しすれば良いでしょうかね。これは」

聖良と美波を当分に見比べながら、皮肉な笑いを浮かべている。伸ばした手には、何やら球体のようなものが握られている。

「これは、やっぱり貴女にお渡しするのが筋でしょうね」

そう言って美波の方を向く。

「何よ……」

美波が警戒する。だが、八島の手の中の物を見た聖良が、声を上げた。

「それは!」

「そう、貴女はこれに見覚えがありますよね、聖良さん。貴方の為に戦ってくれた人の大切なものですからね、ふふふ」

面白そうに八島が嗤う。それを無視するように、聖良が美波に向き直る。

「美波さん、受け取って!」

「え?」

「いいから、早く!あれは、貴女のお母様の魂なの!」

恐る恐る伸ばした美波の手のひらに、八島が軽い手つきでポトリと球体を置いた。

「では、確かに、お返ししましたよ。少々長いことお預かりしましたが」

「美波さん、それを大切に持ち帰って。そしてお母様に返してあげて」

美波が緊張した面持ちで魂を握りしめている。

「お礼なんか言わない。ただ教えて。何故、返してくれたの?」

聖良が八島を睨み付けながら低い声で問い詰める。

「それは、大神遊人さんから頼まれたので……というのは表むきですがね。私の最大の目的は、八島家の再興、繁栄です。それは当然、子孫繁栄の願いにもつながります。その為にはもう少し、花波さんにもご活躍頂く必要があると思いましてね」

「子孫?」

「そう、子孫繁栄です」

「……どういうことよ」

八島が美波の顔を見つめながら、楽しげに答える。

「つまりですな、甘瓜家は八島家の末裔ということです」

「うそよ!」

美波が悲鳴のような声をあげる。

「美波さん、残念ながらそれは事実じゃ」

遊人が静かに告げる。

「八島とは、もともと日本そのものを指す麗しき雅称です。この国が誕生した頃から、我が一族はその歩みを始めた……そして我が始祖、八島牟遅能神(やしまむじのかみ)、大国主命の岳父でもある大神は、鳥鳴海神の外祖父にあたるのです」

一同、未だに信じられないと言った面持ちだが、遊人が目を閉じて頷いているのをみると、受け入れざるを得ないように思う。

「……うそ……なら、なんで、あんなことを……」

「そこは大人の事情という奴でね」

「ふざけないで!」

「まあ、美波さん。今はその魂をお母様に早く返して上げたら如何ですか。どうせこれから何度もお会いすることになるでしょうから、詳しいお話は、またおいおいということで。ただ、一つ申し上げておきたいのですが、こうやって闇の中でカボチャの怪物と追っかけっこをしていた日々がいかに幸せなことか、それを懐かしく思い出す日がいつか来ると思いますよ、ふふふ。それでは皆様、どうぞ良い夢を」

捨て台詞を残すと、八島は来た時と同じ足取りで、ゆっくりと闇の中へと歩き出す。

「待てよ!てめえ!」

飛び掛かろうとした遊輔に向って、八島が振り向きざまに軽く手をふると、肩先の傷口に、ズキンと痛みが走る。

「いてっ!」遊輔が顔を顰める間に八島の姿は闇の中に消えて行った。

「お爺様が交渉してくださったんですね。有難うございます」

美波が遊人に頭を下げる。

「礼には及ばんよ。大した手間じゃなかった。ある意味、わかりやすい男じゃからな」

「どこがわかりやすいのさ。あんな奴」

遊輔は不満顔である。

「“ロビン様への手土産が出来た”とか言って得意げに奪っていった花波さんの魂も、あっさり返してくる。一見忠誠心の塊のように見えて、実は自分のボスでも平気で裏切る男よ。奴の目的は一貫して、八島家の繁栄じゃ。それ以外のことは考えないし、またそのために必要とあらば、誰の事でも簡単に裏切り、そして誰とでも簡単に手を組む。全く信用はおけないが、同時にツボを押さえれば理解しやすい男でもある」

「でも、どうやって八島のツボを押さえたんですか?」

アキラが興味深そうに尋ねる。

「そこは大人の事情という奴でな」

「なんだよ!」

「ひとつ言っておくが、世の中単純な善悪、敵味方の二元論では、割り切れぬこともある。寧ろ割り切れないことの方が多いくらいだ。敵であれ、味方であれ、とにかく、相手のことをよく観察していくことじゃな。“真の敵”を見極めること、これが一番難しい。この点、まだワシにも、自信を持って言えるような答えは無い」

「その、真の敵とは、みんなの祖先に呪いをかけた、あのデーモンのことでしょうか?」

美波が尋ねる。

「ふーむ……さあ、どうじゃろうな。奴らは、確かに厄介ではあるが、少し違うような気もする。奴らは、いわばワシらの影だ。確かに、ことあるごとに我々の邪魔をするが、奴らのかけてくる“ちょっかい”は、実はそれほど恐れるものではない。そう、奴らが仕掛けてくるのは、“ちょっかい”に過ぎないのだ。言ってみれば、車を運転している時に、横からちょいちょい色んな手出しや口出しをしてくるわけだ。

勿論、それは時として、身の破滅につながる大事故の原因にもなる。非常に危険な存在だ。だが、そもそも車を前に進めることは、奴らには出来ない。前に進む力、エンジンを動かすことは、我々にしか出来ないのだよ……」

「とにかく、これ以上何も思いつかないよ」

遊輔がぼやく。

「ワシとて、五里霧中の状態だ。ただ、一つ重要なポイントがある。みんながここに結集したのは、何故、“今”なのだ?」

「何故、“今”?」

九十九が思わず鸚鵡返しに問い返してしまう。

「明治の頃に、私達関係者たち、ウィルソン、大神、甘瓜、秋永、護摩堂、そして八島の祖先たちは、各々呪いを受け、業を背負うことになった。だが、考えてもみろ。あれから100年以上が経過しているのだぞ。その間、我々に何がおきていた?そう、殆ど“何もおきていなかった”。太平洋戦争という国難の時でさえ、特に大きな動きは無かった。

「話が少しそれるが、他の民族は、見慣れないものにまず警戒感を抱き、排除する。だが日本人は、見慣れないものを目にすると、まず好奇心を抱く。そして、とりあえず受け入れてしまう。あとは、一生懸命、それをリファインする。磨いたり擦ったり、色んな他のものと組み合わせたりして、手間暇をかけ、より使いやすく、洗練されたものへと磨き上げて行く。これは日本が、あるいは日本の神々が営々と実践してきたことじゃ。

デーモンによってかけられた各家への呪いも、そのままでは禍々しく邪悪なものだったが、この国の神々は様々な手を加え、いつの間にか洗練され、この国にすんなりと溶け込むように仕上げてしまっているのではないか。そして、ロビンも八島も例外ではないように、ワシには思えるのだ。

「奇貨居くべし、という言葉がある。特殊な能力を持ったものは、一見変わった人物でも、いずれ必要になる時があるから抱えておけ、という意味じゃ。“この国”……“この国の神”と表現してもいいが……は、まさにこれらの“奇貨”を保存しておくことにしたのではないか。来るべき、本当にヤバい国難に備えてな。そしてみんなが今結集したのは、それが、まさに今、必要だからではないのか……今、何が起きている?」

「今、起きていること……」

それは、みんな分かっている。

「そう、大きな“穢れ”がこの国を、そして世界を覆っている。それは単なる遺伝子の組み合わせではない。ことは単なる感染症の流行だけではなく、経済への打撃、社会の分断、人心の荒廃、あらゆる所に“穢れ”が撒き散らかされている。寧ろ、感染症というものを隠れ蓑にして、その背後にはとてつもなく邪悪な意図、呪いのようなものが身を潜めているような気もする」

遊人が重々しく告げた。

「今の所は、推測に過ぎないが、やがてこの大いなる穢れの只中に“真の敵”が姿を現すような気がしてならん。そして皆さんは、それを払うために呼び集められたような気がするのだ。特殊な力を結集して、“穢れをぶっ飛ばす”ためにな……」

沈黙が続く。そうは言っても、一同これから何をしていけばいいのかわからない。自分にもどんな力があるのか、何が出来るのか、これからどんなものが現れるのか、何もわかっていないのだ。

「さて、長々と話してしまったが、今日はもう帰るとしよう。下校時刻じゃ」

遊人の言葉に、一同腰を上げる。旧校舎の出口から現世に帰ることが出来るだろう。

「聖良さんも一緒に帰ろうよ」

アキラのかけた言葉に、聖良が微笑み返す。

「有難う、でも、私一人で帰る」

「えっ?」「なんで?」「一緒に行こうよ」「一人じゃ危ないよ」

一同口々に引き留めるが、聖良はゆっくり首をふる。

「みんな有難う。でも、私は、どうしても一人で帰らなきゃいけないの。みんな、またお会いしましょう……近いうちに、必ず」

聖良は、決然として背中を向けると、みんなと別れて闇の中に向って歩き出した。

聖良はひたすら速足で歩き続けた。何かあてがあるわけでもない。何をどうしたいのかもよくわからない。いや、本当はよくわかっている。自分自身の足でここを出て、帰らなければならない。そして、その前に、どうしてもやらなければならないことがあるのだ……

ずるっ、ずるっ、と不気味な足音が聞こえて来た。

そう、忘れようとしても、忘れられる筈のない足音。何百回となく聞かされた吐き気のするような足音。ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。

(怖い。いやだ。もういや。もうやめて)

動悸がどんどん早くなり、殆ど過呼吸に近くなった時、そいつはいきなり聖良の前に禍々しい姿を現した。

ジャック・オー・ランタン。

今まで何百回となく、私の首を刎ね、四肢をもぎ取り、焼き殺し、目玉を抉り出したやつ……オレンジ色のカボチャにくりぬかれたわざとらしいギザギザの口が、今日も禍々しい笑いを浮かべている。一部を遊輔に粉砕されて凹んだその頭部は、一層歪んだ、不快感を与える形をしている。

「やっぱり、来たのね……」

恐怖で気絶しそうになりながらも、聖良が震える声を絞り出す。

「さあ、今日はどんな風に殺してくれるのかしら」

膝ががくがく震えている。はったりなのは見え見えだ。

「楽しみ」

言いかけた途端、フルスイングの大鎌が聖良の首を一薙ぎにした。一瞬でその細い首は切り離され、跳ね飛んだ頭部が床にバウンドする。首の切り口からは、血液が噴水のように吹き上げる。

満足気に軽く頷いた怪人が、立ち去ろうとしたその時。

「クフフフ」

妙な笑い声が聞こえてきた。思わずカボチャ男の足が止まる。

「フフフフ、アハハハ」

振り返ったカボチャ顔が凍り付くように静止した。切り落とされて、転がった聖良の首がおかしそうに笑っている。

「今のは2ね,あと32か」

首の無い聖良の身体がゆっくりと立ち上がると、切り落とされた頭部を無造作に拾い上げ、何事も無かったように、首の切断面につなげた。すると、瞬時に傷口は塞がって、そこに五体満足の聖良が笑っている。

「お次は?」

今度は、大鎌を振りかぶって、真正面から振り下ろした。正確に中心線を切り裂かれた聖良の胴体から「ぶしゃっ!」と音をたてて、一気に全ての内臓が飛び散る。

だが、聖良は相変わらず愉快そうに笑っている。数秒後、「よいしょ」と言いながら屈みこむと、自分の内臓を一つ一つ丁寧に拾い集めて、体腔に無造作に詰め込むと、傷口は綺麗に塞がってしまった。

「今のは4ね。本当、何の進歩もないのね。それ、全部“あなたが教えてくれたこと”じゃない?アハハハハ」

表情の無いカボチャ顔の横側を、汗が一筋流れ始める。

「ねえ、そろそろどいてくんない?あたし、急いで帰らなきゃなんないの。これから忙しくなるから」

聖良が前に踏み出すと、怪人がゆっくりと後ずさりを始める。

「さっさとどけってんだよ!!この腐れカボチャ!!」

聖良が裂帛の気合で左手を突き出すと、暗闇の中に、強烈な光が炸裂した。一瞬の後、ジャック・オー・ランタンは、大鎌ともども跡形もなく消えうせていた。

遮るもののいなくなった闇の中を、聖良は走り始める。

「先生!大倉先生!大変です、102号の患者さんが!」

「どうした?」

「とにかく、早く来てください!」

帝都大学病院の一室。担当看護師の切羽詰まった声に、慌てて病室に駆けつけた大倉医師は、自分の目を疑った。

「そんな……なんてこった……」

一瞬、呆然と立ち尽くしながらも、辛うじて看護師に指示を出す。

「とにかく、すぐにご家族に連絡して!」

「は、はい!」

医師の指示に従って、看護師が上ずった声で家族に電話する。

「もしもし、月島様のお宅でしょうか。こちら帝都大学病院です。あの、入院中のお嬢様が、はい、聖良さんが……いえ、違うんです!目を覚まされたんですよ!そうです!たった今、意識が戻られたんですよ!……」

10年の眠りから覚めた聖良が、ベッドの中で、ぱちりと目を開けた。

都内某所。とあるオフィスの中。

こちらでも、一人の美少女がパチリと目を開けると、甲高いアニメ声で喋りだした。

“緊急アラート。月島聖良ガ覚醒シマシタ。帝都大学病院監視ユニットガ確認。繰リ返シマス。月島聖良ガ覚醒シマシタ。”

「オッケー、AI(アイ)ちゃん、いつも有難うね」

自分の傍らに侍らせた、異様に胸の大きく、すらりとした美脚の美少女型アンドロイドに向って、男は満面の笑みを浮かべる。最先端の人工知能を搭載したAI(アイ)ちゃんは、彼にとっての万能端末であり、秘書であり、そしてパートナーでもある。

「ナオ、月島聖良ト接触後、ジャックオーランタンノ姿ガ消滅シマシタ」

「あー、いいのいいの。あれは、もともと昔誰かが見た悪夢の中に出て来たキャラクターが、ずっとあそこに残っちゃってたのを、そのまま利用させてもらってただけだしね。我々にとっての利用価値は、データ収集用のシミュレーターみたいなもんだから。

あれに遭遇した人間達がどんなふうに反応するか……どんなふうに怖がるか、立ち向かうのか逃げるのか、どの程度の力があるのか、逃げ足は早いか遅いか、さっさと一人で逃げるような奴か、仲間を置いて逃げることは絶対出来ない人間か……“魔夜中”をモニターしてると、実に色んなデータが取れる。これがまた、見てると本当に面白いわけよ、ひっひひひ。

まあ、これで現在の聖良ちゃんの能力も、少しわかったし。ジャックオーランタン君は、必要なら作っちまえばいいさ、ひひひ。そうだ。いいことを思いついた。こうなったら、リアル・ジャックオーランタンを大量に生産して世に送り出すなんてのも面白いかも。スピリチュアルな世界とIT技術……あり得ない二つの要素をコラボさせられるのは、この僕だけさ。僕ってやっぱり天才じゃね?ひひ。

いや、まったく、ロビンも八島も由緒正しい家系だとか言って、プライドだけはやたら高いけど、お財布の中身はスッカラカンだったしね。お家がらがらって奴だね、ひひ。偉そうなこと言ってても、すべて我々の財政的な援助無しには、その日のご飯にも事欠く有様だったくせにね。まあ、八島は、あんなもんでしょ。どうせいつか裏切るだろうとは思ってたよ。

そして、尾羽打ち枯らしたロビン君を、我々が財政的にバックアップしてやって、あの学校に行かせてやったのも、創立者の家系でもあり、そしてルサンチマンの塊みたいだった彼なら、何か面白いことやってくれるだろう、ぐらいの感じだったのよ。本当、見ている立場としてはまあまあ、面白かった。しかし、あの陰キャ、何とかならんかね。これからは、陽キャの時代ですよ。そうだ、アイちゃんさ、これからは僕のことBig Bossって呼んでね。Big Bossよ、ひひひ」

「承知シマシタ。Big Boss」

「ひひひ、有難う。君は本当にお利口さんだねえ。それにしても、“うつし世は夢、夜の夢こそまこと”、か……これってさ、現実の方がよっぽど悪夢に近いって意味じゃないかなあ。

今時の怖さってのはねえ、アイちゃん、暗闇の中に蠢くおどろおどろしい怪物や、どろどろとした積年の因縁が祟りになって降りかかってくる、とかじゃなくて、もっと簡単に、明るく日の当たる日常の中に無造作に現れるのよ。真昼間、普通に電車に乗っていると、いきなり隣の男が刃物を取り出して、グサリ!とかさ。そういうノリだよね。

怖いよねえ、怖い怖い。ウエットな韻文的怪談vsドライな散文的ホラー、ってところかね。僕、またうまいこと言っちゃったかな、いひひひひひひひひ……さてと」

数日後。

昼過ぎまで惰眠を貪っていた遊輔は、父、雄平の大声にたたき起こされた。

「遊輔、起きろ!」

「……何だよお、まだ」

「起きろ!!」

有無を言わせず、布団を引きはがされ、手を引っ張られ、パジャマのまま車に詰め込まれた。雄平がそのままタイヤを鳴らしながら、急発進する。

「どうしたんだよ」

「爺ちゃんが刺された」

「え?」

一発で目が覚める。

「警察から連絡があった。爺ちゃんは、今朝、駅前のショッピングセンターに買い物に出かけたんだが、そこで通り魔に刺されたらしい。市立病院に搬送されたが、容体は不明だ」

ハンドルを握る雄平の表情は険しい。

「そんな……」

病院に到着した二人は、遊人の病室に走る。

「爺ちゃん!」

そこには、いつもと変わらない穏やかな寝顔の遊人が布団の上で眠り続けている。が、傍らに立ち尽くす医師の沈痛な表情から、遊輔は瞬時に悟った。

「誠に申し訳ございません。手はつくしたのですが……」

傍らの計器には、もはや何の波形も示さなくなった緑色の線がいつまでも動かない水平な直線を示している。

「……嘘だろ……嘘だよな……なあ……爺ちゃん!爺ちゃん!起きろよおー!起きてくれよおー!」

遊人の身体に取りすがり、遊輔はいつまでも叫び続けている……

[続く]

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