「エターナルチェイン」~ある怪奇譚その五~

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「エターナルチェイン」~ある怪奇譚その五~

桜川夫妻は、沢口と同時期にエタチェンに入会し、同時期に成婚した唯一の知り合いだ。

会員だった頃から幾度か交流もあり、ダブルデートをした事もあったという。

沢口曰く「快活で優雅な感じの人達」だと聞いていたが…僕にはそう思えなかった。

「どうも」

カフェのテラス席、僕と沢口と、シマコさんの向かいに足を組んで座る彼女の顔は、疑いと不満と、不安の様相を含んでいた。夫婦で来てくれると言っていたが…当日現れたのは、妻の桜川美紀子だけだった。

「桜川さん、私の事、覚えているわよね?」

「知りません」

「知らない筈ないでしょう。わたし、あなた達の事ここまでつけたんだから」

「そうでしたっけ?とにかく、アンタみたいな見ずぼらしい人、見かけた事ありません」

初っ端から、バチバチした雰囲気…先が思いやられる。

シマコさんが言うには、片山優香の件でエタチェンに乗り込んだ日、その場に居合わせたのが桜川夫妻で…契約書類を持っていたのを目撃したらしい。

シマコさんはスタッフから追い出されたが、桜川夫妻の行く先を尾行し、問い詰めたそうだ。契約にサインをしたのか、と…

偶然というより…もう、ここまで来ると因果だ。背筋が寒くなる。

「…確かにサインしたわよ、そのせいで…ま、仕方ないけどね」

「離婚出来ないサイン、ですか…」

桜川美紀子の言葉に、示し合わせた様に沢口が反応した。

それって、もしかして…

「…永久保証システム、の事…?」

「そうそう…仕方ないけど、その分色々保証してくれるって言うからさ…沢口さん、あんたもそうでしょ」

桜川美紀子は、ネイルに付いた宝石を気にしながら、だるそうにそう言った。

某ハイブランドのワンピースとバッグ、白いヒールに艶のあるセミロングの髪と、照り焼きでも食べたのか?ってくらいにテカテカに盛られた唇…

身なりはこれでもかという程に華やかなのに、桜川美紀子自身には、それが感じられない。

とんとん拍子に幸せを掴んだ人にありがちな”余裕”が、彼女には、あまり無いように思えた。

「あの、僕は沢口の友人で…喜代田っていうんですが、シマコさんと色々調べていて…その、妊婦サークル?的なもの、聞いた事はあるでしょうか?」

「は?妊婦?」

僕は、桜川美紀子の目前に、ブルームの名刺を差し出す。

が…彼女は一瞥だけすると、「知らない」と、吐き捨てた。

目つきは、さっきよりも険しい。繊細な事柄だけに…いけない事を聞いてしまった、と…今になって後悔した。

「ごめんなさい、友人が変な事聞いて…でも、俺の妻がここにいるらしいんです。エタチェン会員限定だとか言ってた記憶があって…」

「だから知らないってば。ていうか…私、まだ産んだ事も無いんでね」

「すみません…変な事を聞いてしまって」

「ハッ…自覚あるんだ?ていうかオバサン、こいつら何な訳?アンタが呼び出したんだよね。幾ら旦那と別居だからって、他の男なんか興味ないし!」

場の空気は、更に険悪になっていた。

日当たりの良い、焼き菓子が評判の可愛らしいカフェの一角…ここだけが、不穏なオーラに包まれているのをヒシヒシと感じる。

僕はこれ以上、もう何も聞くべきでは無いと思ったが…桜川美紀子の発言にシマコさんがすかさず反応してしまった。

「何を言ってるの?…私は、この人達に…沢口さんと喜代田さんに協力しているだけ。…貴方にだって、変な事起きたでしょう?!私の友人にだって!…ねえ、私の事は何だって言ってくれていい、どうかこの人にだけは…何が起きたか教えて上げて頂戴」

「嫌です。私、夫とようやく再構築したんです。もうあんな思い…ていうか、誰がどうとかどうでもいいし…」

「お願い、貴方の身に起きた事だって、解決するかもしれないんだよ!?」

「うるさいなぁ!…あーあ、なーんでこんな事になるかなあ…はぁ、ネイルも剥げちゃった、アンタらのせいだからね」

「あ、あの~…エタチェンって、相性完璧な人と結ばれるんですよね…、そうじゃなかったんですか?」

気が付くと、僕は桜川美紀子に小声で尋ねていた。彼女が纏う雰囲気は…今の所どうみても、幸せではない。

「あなた…えーと名前…」

「すみません、喜代田です」

「きよ?え?まあ誰でもいいけど…独身だよね。結婚願望ないんだ?まあどっちでもいいけど…私にとって結婚はね、『命懸け』だったの。自分が誰かに愛される、必要とされる、特別扱いされて然るべきだって、それを知る、最たるものなのよ」

「はあ…」

「相性?そりゃ、合うにきまってるわ。みんな、恋愛中からそれに苦労して、妥協して、ヘトヘトになりながら、ようやく相手に辿り着くけど…そんな効率の悪い事、していられない人もいるワケ。私みたいにね?」

「なのに…なんで、旦那さんと別居に…」

「円満な別居、よ。夫婦関係を改めて正すためにね。同じ空気吸いたくないのに、一緒に居るなんて効率悪いでしょ?空気の入れ替え?ってやつ…おかげで、声も聞こえないし…」

「声?」

桜川美紀子は、一瞬「アッ」と言って口をつぐんだ。

「頭の中で声がするのよね?そうよね!?」

「…言いたくない。とにかく、私に構わないでくれる?アンタのせいで…アンタらのせいで、折角の努力が崩れたら…」 

「なんか、全然幸せじゃないんですね、桜川さん」

それまで、口を閉ざしていた沢口が言った。

「はっ…?」

「さっきから、ずっと僕たちのせいにしてばかりだ。それに、男を紹介とか…自意識過剰ですよ。おまけに、合理主義で冷徹だ」

「…私に喧嘩売ってんの?訴えるわよ!」

桜川美紀子の顔が、ギリギリと引き攣る。

両眉はつり上がり、目は殺気立つ…いよいよヤバい。

「沢口…もうそれぐらいで…」

「あなたは、旦那さんを愛していますか?ぼくは…ぼくは妻を愛していますよ。」

沢口の目は、今まで見た事のない位に真剣だった。そのせいか…桜川美紀子の顔が、憤怒から困惑へと変わっていく。

「はっ…じゃ、じゃあ勝手に愛してれば?ほんとバ―――」

「ぼくもあなたも、パートナーとの出会いのきっかけはAIだ。合理主義なのは同じかも知れない。でもね…今ぼくは、それ以上の、AIなんか及びもしない愛おしさを、みのりに感じているんだ。」

「だから何なのよ…」

「…なのに、何でなんだろうな…愛しているのに、幸せという感覚からは遠く感じる。追い立てられているのが分かるんだ。幸せな夫婦で居続けなければならない、って…」

「で?!一体何が言いたいの?」

「ぼく達は、幸せじゃないんだと思う。ただの、誰かが決めた、非の打ち所の無い理想の生活や夫婦関係を、自分の人生に落とし込むなんて…こんなの、無理が出て当然なんですよ。でも…ぼく達には、自分の意志でそれらを辞める事が出来ない。…そうでしょう?」

「……」

「桜川さん、声が聞こえるとおっしゃいましたが…それ以外にも何かあるんでしょう?ただの幻聴なら、話す事だって出来る…一体何が起こったんですか?」

僕もシマコさんも、沢口の言葉をただ静かに聞いていた。桜川美紀子は…ヒールで地面を鳴らしながら、グッと口をつぐんだままだった。が…

「…フッ…アッハハハハハハハ!!!」

突然、堰を切ったように笑い声を響かせた。

「えっ…え、どうしました?」

「フッフフ…ブフッ…何なのアンタ。マジでウケるんですけど!真剣に愛だとか語っちゃって…ほんっと男って馬鹿だよね!もしかしてアンタ、お金に苦労してないタイプ?」

「え、いや…」

「私はしてないよ?親が頑張ってくれたからね?…でもね、その頑張りに応えるために、辞めたくても続けるしかないの。今の生活を…亮太を手に入れるために、私だって色んなものを犠牲にしてきた。友達みんなにブロックされて…会社の人間から、嫌味を言われてもね!」

「…絵に描いたような合理主義者ですね」

「何とでも言えばー?…でも私、アンタの馬鹿みたいな所、気に入っちゃった。いいよ。教えてあげる…私が何を聞いたか。亮太と喧嘩しちゃったときにね、こう言われたわ。」

――――マッチングエラーです、消去対象に変更します。って――――

ガタン!

という音と共に、シマコさんが椅子から地面に転げた。

その様子に周囲がざわつき、店員がやって来て声を掛ける。

「お客さん、どうされました?大丈夫ですか!?」

「ちょっと…大丈夫かしら。救急車とか…」

「あ、あああ、優香ちゃん…」

シマコさんは、何度もそう繰り返した。周りの声は全く聞こえていない。顔は青褪め、両目に涙を溜めている。

「…すみません、大丈夫です。こちらでどうにかするので…」

「シマコさん、シマコさん!?」

「へえ〜、これを聞きたかったんだ?じゃあ…もう帰っていい?」

「やめて!まだここにいて頂戴。貴方にはまだ…!」

シマコさんが、地面にへたり込んだまま、桜川美紀子の足元に手を伸ばす。…が、桜川美紀子は、それを思い切り振り払った。

「汚い手で触らないで!これから私、愛しい旦那様(笑)と会う予定なの。」

「待って…待ちなさい…!」

「シマコさん!もうこの辺りで…流石にお店で暴れるのは良くないですって!」

「シマコさん、もう大丈夫です…十分ですから。ね…ほら、立って…」

僕と沢口がてんやわんやしている間に、桜川美紀子は店を出て行った。

話す程にムカムカする人間だったが…最後に、重要な言葉を教えてくれた。

消去対象…片山優香が頭の中で、聞いたであろうフレーズ。消去という事は、すなわち…

「優香ちゃん…なんて…なんて酷い…!」

シマコさんは慟哭の中に閉じこもって、会話の出来る状態では無くなってしまった。

沢口の運転する車の後部座席に身体を横たえ、時折ボソボソと何か呟いては、嗚咽を上げるを繰り返す。

「…どうしよっか…」

「どうしようね…」

車に乗せたものの…シマコさんの住所を僕達は知らない。

困惑しながら、夕暮れの一般道をグルグルと周回する。

「…今だから言うけどさ、桜川さんって…前からあんな性格なの?」

「いやぁ…最初は、あんなでもなかったのに…ごめんな、喜代田」

「いや…沢口は悪くないでしょ」

「だけど…」

「…なあ、沢口。お前も――――」

ふと、沢口の横顔を見て言うのをやめた。沢口の顔も、青褪めていた。

そうだ…桜川美紀子の言葉を聞いて、怖かったのはシマコさんだけじゃない。沢口も…みのりちゃんも…

「…まだ、走ってて良いか?」

僕は黙って頷いた。…車内には、シマコさんの慟哭だけが響く。一つ何かが判明するたびに、苦しみも増す。

このまま、苦痛が続く一方なのだろうか…

結局、僕達は散々街中を徘徊した後で、埠頭付近の駐車場に留まった。

「シマコさん…大丈夫?」

シマコさんは随分と泣き疲れたせいか…いつの間にか寝息をたてている。

「ちょっと休もう」

僕はそう言って、駐車場の奥にある自販機へ向かった。

とにかく三人とも、特に僕と沢口は、ここ最近のエタチェンに纏わる事象のせいで、疲れ切っていた。

「桜川…嫌な女だったなぁ…バカバカ、って…どんだけバカ呼ばわりするんだよ」

本音をこぼしながら、人数分の缶コーヒーを取り出し、沢口の車の方へ振り返る。

すると…沢口の車の側に、見知らぬ人影が立っているのが見えた。

「…誰だ…?」

恐る恐る近付いていくと…人影は、僕の気配に気付いてこちらを見た。

キャップを被り、全身がすっぽりと隠れるサイズのコートを羽織った女性…

「え…あの、どちら様ですか…?」

「あなた、喜代田カツヤさんですね。」

女性は、何故か僕の名前を知っている…

何故?…っていうか、さっきから、やけに車内が静か…

「沢口…おい、沢口!」

沢口は運転席にもたれ、力無く目を閉じていた。寝ているのか…それとも…まさか…

「あんた、何したんだ!警察…警察呼ぶぞ!」

「ご心配なく。沢口さんには少し寝てもらいました。ちょっと手荒にはしましたが…」

女性はそう言って、ポケットに手を入れた。ナイフか何かを出すつもりだと身構えたが…ポケットから出てきたのは、携帯電話に似た何かの装置だった。

「は…」

「…何の装置かは聞かないで。でも、これで私は、彼らを眠らせる事が出来ます」

「あんた…テロリストか何かですか…沢口を…沢口に何をした!」

「沢口功史朗さん。エターナルチェインの第二十ターム会員。パートナーは豊島みのり。結婚から一年と八か月…そして…、現在、豊島みのりは妊娠半年にして、所在不明」

女性は、顔色一つ変える事無く、僕達が知っている事を、まるで全て見てきたかのように話した。

…僕は、何が何だか分からないまま、女性の前に立ち尽くすしかなかった。

「…申し遅れました。ご無礼お許しください。私…三滝と言います。エターナルチェイン元アドバイザー…現在は、傘下のグループに所属しています」

「…傘下…」

「もう知っているでしょう?…貴方たちが、今一番、知りたがっている場所です」

「僕らが…?まさか…」

「そのまさか、ですよ」

―――――ブルーム……

「ご心配なく、豊島みのりは生きています…ひいてはその件で…お話ししなければなりません。」

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