「研究の方は捗っておるかね。」
研究所のドアがカードキーによって開けられ、恰幅の良い、それでいてどこか気品のある老紳士が声をかけてきた。
「はい。おかげさまで。こんな私に、チャンスをいただいて、大変ありがたく思っています。」
女は座っていた椅子から、はじけるように立ち上がると直立不動で、深々と頭を下げた。
「まあまあ、そう堅くならずに。続けて続けて。」
老紳士は、雪光製薬の社長、雪光 泰三。社長直々の来訪に、小野方は緊張を隠せなかった。
「ありがとうございます。では、失礼して。」
そう言うと、椅子に座り、顕微鏡を覗いた。
「君には期待しているんだよ。君なら、きっとやり遂げてくれると信じているよ。では、がんばってね。」
そう言うと泰三は、優しい笑みをたたえ、研究室をあとにした。
「ありがとうございます。ステップ細胞はあります。必ずや実験に成功します。」
プロジェクトのチームリーダー、小野方 遥は、椅子ごとくるりとドアの方を向くと、また立ち上がり、深々と頭を下げた。
小野方は、本当に、雪光社長には感謝をしている。
かつて小野方は、国の息のかかった研究所の研究員であり、不老不死の細胞、ステップ細胞の研究のチームリーダーであった。
しかし、某国の陰謀により、研究成果の発表資料が差し替えられ、貶められた経歴の持ち主であった。
同研究所を追われ、博士号も剥奪。社会的にも、抹殺された。某国に、研究の成果を横取りされたのだ。
途方にくれ、死をも覚悟した小野方を救ったのが、雪光製薬社長、雪光 泰三であった。
雪光製薬にヘッドハンティングされたのだ。これで、路頭に迷うこともなく、しかも好きな研究を続けられる。
雪月草の謎を解明し、ゲノム編集による、不老不死の細胞の作成の研究は極秘に進められていた。
マウスより取り出した細胞に、雪月草の遺伝子をゲノム編集によって加えることによって、不老不死の細胞を培養しようというプロジェクトである。
雪月草には、精力増進、催淫効果、向精神薬の効果もあり、医学的にもとても興味深い植物であり、研究対象として、これほど魅力のあるものはない。
小野方は、自分を窮地から救ってくれた、雪光に成果をもって恩返しせねばと、再び顕微鏡に向かうのであった。
しかし、小野方は、知らなかった。雪月草が、少女の血の生贄の元に育成されていることを。
この研究が多くの犠牲の上に成り立っていること、そして、この研究が、国を挙げての極秘プロジェクトだということも。
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千夏に雪月草の根を植え付け、肉塊となってもなお、ゆきめの意識はまだその体に少し残っていた。
あの娘は意思が強い。強すぎて、完全に根を移すことができなかったかもしれない。
ゆきめは、薄れ行く意識の中、遠い昔を思い起こしていた。
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ゆきめは、はじめは、ごく普通の女であった。
しかし、ゆきめは、禁断の恋をしてしまう。自分の弟を愛してしまったのだ。
弟との子供ができ、家を出て、ひっそりと山奥で暮らすようになった二人。
やがて、時代は戦争へと向かい、とうとう弟にも徴兵の赤紙が。
必ず帰ってくると約束する男。
ずっと待っていると誓ったゆきめ。
しかし、男はいつまで待っても帰ってこなかった。
しかし、ゆきめはあきらめずにひたすら待った。
ゆきめは、洞窟に小さな社を作り、ひたすら彼が生きて帰ることを祈り続けた。
近親者同士で結婚するということは、それなりのリスクはある。
近親者の間でできた子供は、体が弱く、例外にもなく、彼らの子、葵も死んでしまった。
深い悲しみに暮れたゆきめも、病に倒れ、洞窟の中の社で死んでしまい、山奥の洞窟ということで、長らく見つかることなく朽ち果ててしまった。その遺体に奇跡的に咲いた一輪の花が雪月草だ。
雪月草は、彼女の思い。雪月草に彼女の魂が宿り、やがて、その花を摘んだ女に根を宿す。
ゆきめは、彼が帰るまでに、葵を産まなければならない。
ゆきめは、愚かだと思いつつも、里の男が山に迷い込むたびに、魅入らせて身篭り、葵を産む。
しかし、いつまで経っても愛しい人は帰ってこない。私はまた朽ち果ててしまう。
そうなる前に、私は葵に雪月草の根を移す。そして、葵は私となり、また葵を産んだ。
そんな私の元に、あの人が、愛しい人が帰ってきた。
そう思った。だが、それは別人だった。彼の名前は、雪光 泰三。
山に迷い込んだ男だと思ったのだが、彼は違った。
里の雪女の噂を聞き、わざわざゆきめを探して会いに来たのであった。
ゆきめは、雪光と結婚した。あの人以外の男と結婚するなど、あり得なかったが、生きるため仕方なかった。
雪光は、全面的にゆきめが永遠に生きつづけることに協力すると言ったのだ。
しかし、雪光の本当の目的は、ゆきめの能力と雪月草であった。
雪光は、この雪深い山奥に製薬会社を作り、日々、研究を続けた。
雪月草には、精力増進、催淫効果、向精神薬の効果があり、しかも女達の血、特にゆきめの血を吸って生息するという事実を知り、雪光製薬は、非人道的な実験を繰り返した。その噂は、マスコミの知るところとなり、当時はいろんな悪い噂も流れた。雪光製薬の中で、密かに人体実験が行われていると。
それは、事実だった。時には、女をさらってきては、生贄にし、時には男もさらってきては実験に使う。
男にも雪月草の根を植え付けてみたが、ことごとく失敗。多くの犠牲が出てしまった。
しかし、一人だけ、雪月草が芽吹いた男がいた。それが影山である。
ゆきめは、影山に定期的に血を与える必要があった。影山にとって、ゆきめは必要不可欠な存在なのだ。
そして、ある年、雪光製薬は、愚かしいことに、身篭った女性をさらってきて、雪月草の根を移し、第二のゆきめを作る実験を敢行したが、子は流れてしまった。その女は、精神に異常をきたし、ある別荘の隠し部屋に幽閉された。
失敗したかに思われた実験だったが、その女に奇跡的に雪月草が芽吹いた。
ゆきめの体は、もう弱っており、そろそろ次の体に根付かなくてはならなかった。
仕方なく、ゆきめは、その女の体に根を張った。
しかし、一度子が流れたその女は、子を産めない体になっていた。葵を産めない。
だから、あの子をさらったのだ。
ゆきめは葵を神社で十年育てた。
ゆきめは待ち続ける。帰るはずのない、愛しい人を。
とうに異国で戦死してしまったことも知らずに。
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三神と名乗る、その男は、冬弥達を洞窟の中の神社へ来るように促した。
「この吹雪の中では、お話もままならないでしょう。」
言わずとも、神社へ向かっていた3人は、言われるがままに、洞窟の奥へと歩いた。
外の吹雪とは違い、洞窟の中というのは、一年中温度が変わらないので、温かく感じた。
神社の境内から社殿へ通された。
「私は、政府のとある機関に属する者です。その機関というのは、ここでは口外できませんが、私達、この機関に属する者は、この社会から存在自体を消されているのです。この三神というのも、コードネームのようなものですね。」
三神は、にわかには信じがたい話を始めた。
「雪光製薬は、実は、国に委託されて、ある実験を行っています。
お気づきかもしれませんが、その鍵を握るのは、雪月草、そして、ゆきめの転生とも関係があります。
ゆきめは、最初の自我を保ったまま、永遠に生き続ける。つまりは、不老不死です。
これがいかに素晴らしいことかわかりますか?
さらに、この雪月草には、無限の可能性があります。
まだまだ研究途中ですが、精力増強はもちろん、麻薬に似た成分が含まれており、雪月草をかぐことにより、人は判断力が鈍り、淫靡な気分になり、操られるがごとく、異性を虜にすることができるのです。
ごく限られた層の人間が、これを手に入れたがらないはずがありません。
雪月草は、金を産みます。そして、人類の繁栄も。この少子高齢化の時代、若い者は、子を産みたがらない。
ここに全ての原因があるのです。だが、この夢の薬を使えば、問題は解決される。」
三神は熱に浮かされたように、とうとうと語った。
「そろそろ、本題に入ってもらおうか?俺達をどうするつもりなんだ。」
冬弥が、三神に詰め寄る。
「そうですね。単刀直入に申し上げます。そちらのお嬢さんには、素直にそのまま、ゆきめ様になっていただけないでしょうか?
タダとは申しません。もちろん、将来は保障します。
雪森 冬弥様、貴方様には大学卒業後、雪光製薬での輝かしい未来をお約束します。
そちらのお嬢さん、千夏様も、ゆきめ様になられましたら、永遠にその若さが保てる細胞がもうすぐできるはずです。国に捨てられた、ステップ細胞の研究を雪光製薬が引き継いでいます。
朽ちることの無い、永遠の肉体。そして、もしも冬弥様とご結婚されたいというのであれば、それも叶うでしょう。一生苦労することなく、若さを保てて、行く行くは、冬弥様が雪光製薬を背負って行かれることでしょう。
貴方様には、それだけの実力がございます。それに、雪光製薬は、国がバックアップしているので、倒れることは決してありません。
だから、国のプロジェクトを成功させるには、あなたがたの協力が必要なのです。」
三神は、千夏、冬弥に取引を持ちかけてきたのだ。
冬弥は黙って、聞いていたが、一つ息を吐くと口を開いた。
「悪くないな。」
その言葉に、千夏と葵は驚いて、冬弥の顔を見た。
すると、冬弥はニヤリと不敵に笑った。
「だが、断る。」
三神は、右眉だけを上げて、冬弥を見た。
冬弥はゆっくりと言葉をひとつひとつ吐き出す。
「いいか?よく聞けよ。俺が、好きなのは、千夏なんだ。ゆきめではない。
ゆきめになった千夏など、千夏ではないんだよ。俺の側に居て欲しいのは、そのままの千夏だ。
千夏が居れば俺は何もいらないんだよ。地位も名誉も、金もな。わかったか?」
側で聞いていた千夏は、雪月草の影響で真っ白になっていた肌が真っ赤に染まった。
葵は、俯いて何も言えなくなってしまった。わかっていた。冬弥の気持ちは、自分には無いことなど。
「あなたは、もっと物分りの良い人だと思っていました。仕方ありませんねえ。
計画を知られたからには、あなたを黙って帰すわけには行かなくなりました。」
そう言うと、三神は、すばやく懐から、銃を取り出し、あっという間に冬弥に弾を放った。
冬弥は腕を押さえて、どざりとその場に倒れた。
「冬弥ーーーーーっ!」
千夏が冬弥に駆け寄った。あまりの動作の速さに、葵は唖然と、その場に青くなり立ち尽くした。
「心配いりませんよ、麻酔銃ですから。さて、ゆきめ様、参りましょうか。」
三神は悪魔のような微笑をたたえて、千夏に手を差し出してきたのだ。
(つづく)
作者よもつひらさか
読む端から、忘れていく、老体よもつです。
確認をしていたら遅くなっちゃいました。
お待たせしてすみません。
また悪い虫がうずいてしまい、ネタを二つ仕込んでいますw
皆さんが真面目に書いてるのに、すみません。
ということで、私がネタでやりたかっただけなので、小野方設定は無視していただいてかまいません。
もしも、また確認不足で、不備がありましたら、遠慮なくご指摘お願いします。
※画像をつけるのが下手なので、表紙以外、一切画像を使用していません。
2月25日16時投下
【Mountain of Snow Woman】
第一走者 紅茶ミルク番長様
→http://kowabana.jp/stories/25592
第二走者 鏡水花様→http://kowabana.jp/stories/25618
第三走者 ラグト様→http://kowabana.jp/stories/25616
第四走者 紺野様
→http://kowabana.jp/stories/25630
第五走者 mami様
→http://kowabana.jp/stories/25638
第六走者 綿貫一様→http://kowabana.jp/stories/25648
第七走者 マガツヒ様→http://kowabana.jp/stories/25654
第八走者 コノハズク 様http://kowabana.jp/stories/25672
第九走者 よもつひらさか
第十走者 ロビン魔太郎.com様
外伝走者 こげ様
☆☆☆登場人物の紹介☆☆☆
桜田 春美(サクラダ ハルミ)…春に地元の大学院への進学を控える大学4年生。明るく優しい性格で行動力がある。千夏とは高校からの親友。大学のサークルが一緒の4人で昔から色んな場所へ遊びに行っていた。今回の旅行では告白する決意をしてやって来ている。
海野 千夏(ウミノ チナツ)…春に地元で就職を控える大学4年生。社交的で誰に対してもフレンドリーな性格。父親が日本屈指の大手企業の社長で一言に『お金持ち』。今回の旅行も彼女の父親のコネで実現した。
紅葉 秋良(アカハ アキヨシ)…春に県外で就職を控える大学4年生。素直だがかなりの単純脳。頭より先に体が動く性格で、自身がバカだと理解しているタイプ。サッカーのスポーツ特待生で入学したため運動能力は秀でている。
雪森 冬弥(ユキモリ トウヤ)…春に県外の大学院へ進学を控える大学4年生。落ち着いた性格でお兄さん的存在。4人の中で最も頭がいいが、友人の秋良が失敗するのを見て面白がるSな一面も…。
ゆきめ 葵の母親。雪女。実体は・・・。
雪光 葵(ユキミツ アオイ)…謎の少女。雪女の娘(?)
影山 (カゲヤマ)…正体は雪男、その目的は…。
三神 (ミカミ) …政府に通ずる人間。一見紳士だが、得体が知れない。
雪光 泰三(ユキミツ タイゾウ)...雪光製薬の社長であり、葵の父親でもある。育ての親。
小野方 遥...(オノガタ ハルカ)元、国の息のかかった研究所の研究員。
陰謀によって同研究所を退社。泰三によってヘッドハンティングされた。