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「エターナルチェイン」~ある怪奇譚その十~

長編9
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「エターナルチェイン」~ある怪奇譚その十~

家具の無くなったリビングを見渡す。

お気に入りだった家具も、食器も、返せるものの殆どは全て返却した。今あるのは、独身時代にディスカウントストアで買った、折り畳みのスツールとテーブルだけ。

壁には、少しだけひびが入ってるけど…まあ、大丈夫か。私がやったわけじゃないし。

…ガチャ――――

鍵の開く音がして、思わず笑いが込み上げる。円満な別居生活から半年…私からの連絡を、きっと”同居再開”だと思って、あいつは来たに違いない。

「ただいま、美紀子…美紀子?おい…おかえり、は――――」

やっぱり。思った通り。亮太は、某ハイブランドのボストンバック片手に、喜び勇んで廊下を歩いてきた。

けど…すぐにバッグを放り投げると、空っぽになった部屋をあたふたと見渡して、ポカンと口を開けていた。

すかさず、身を隠していたカーテンから、自分の姿を見せる。

「美紀子…お前っ…どうして…」

「どうして?お前?…お前呼ばわりされる覚えないけど?」

亮太は、目をまん丸くして私を見た。口元は僅かに震えて、こめかみ辺りからダラダラと汗を垂れ流している…以前だったら、真っ先に駆け寄って、「どうしたの」なんて言葉をかけただろう。

これまでも、亮太の表情が翳りを見せる度、私は、その度に彼の心身を案じた。いや、案じた「フリ」をした。そう…私はいつだって、自分の為に亮太の心配をしたり、亮太を満足させてきた。

この、張りぼてみたいに着飾った、ブランド物のワンピースやバッグや靴も。似合わないって分かってるのに、無駄に頑張って伸ばした髪も…アドバイザーの云うがままに覚えさせられた、細かいマナーも何もかも…

もう、うんざりだ。

「AIには、そこまでは分かんないんだよね…」

「え、え?何が…ねぇ、ここにあった家具!ここにあったもの!全部どうしたの…?」

亮太の言葉を無視して、私は、その場でパンプスとブラウスとスカートを脱ぎ捨て、旅行用のトランクから着古したTシャツとジーパンとサンダルを取り出し、履き替えた。

亮太は、見慣れているはずの私の下着姿にギョッとして、手で顔を覆った。

「もういいよー亮太”さん”」

「え…あ、美紀子…」

「…やっぱ、これが快適だわ。毎日ウエスト気にしてたのが、馬鹿みたい、亮太も着替えたら?その、身の丈に合わないスーツ」

「身の丈って…!おい!これ買うのに俺がどれだけ努力したか…!」

「は?努力?…全部、ぜ―――んぶエタチェンで得たものじゃん!それを自分の努力とか…馬鹿だね」

「…さっきから俺の事…なあ頼むよ…前みたいな事、味わいたく無いだろ…死んじゃうんだよ、俺達!そのために、お前だってヤバい事しちまったじゃねえかよ!」

「したよ?うん。何で…何であんな酷い事したんだろ……だから、私はこれから警察に行って、自らの罪を償うよ」

「……本気で言ってんのかよ…バカか…このまま黙ってておけば、これからも俺は、お、俺達は…」

「再婚したいならすれば?…いるんでしょ、お相手」

「それ、は…そん、なの…出来ないだろぉ…俺達は!!!」

「…ホントにアンタ、契約書、隅から隅まで読んだの?…ほら、ここ、マーカーで線引いてあげたから」

離婚できないシステムは知らなかった。でもその代わりに、私は別の項目にちゃんと目を通していた。

これまでのサービスで得た宝飾品、理美容品、衣服、車、住居等を全て放棄することで、会員除籍が可能になる、という事を…

「えっ…え…なん…こんなのあったの…」

「良かったね?てか、私もアンタみたいな、見栄っ張りな男の妻で居続けるなんて、馬鹿らしい事したくないから」

「……なんで、おい…美紀子…ミキちゃん…戻ってくれよ元の美紀子に、お願いだから!…嘘だろ…車も、このスーツも…お前の為に買ったこの部屋も?俺、死んじゃうよおぉ…」

亮太が、四つん這いで私の足元に縋りつこうと近付いてくる。そのさなか…私の脳内では、亮太と過ごしたこれまでの出来事が走馬灯のように駆けていった。…何の情緒も無い走馬灯。こんな奴を、私、馬鹿みたいに「運命の相手」とか思ってたんだ…たかがAIが決めた相手ってだけなのに。

私も、大概だわ。でも、明日が欲しい。

「よっわー…まあ、アンタに運命感じてくれる人、さっさと探したら?じゃあね、さよなら…」

「クッソがあああ!まだ、離婚届出してねえんだよな?まだ夫婦だよな!?こうなったら、ここでお前も俺も一緒に死んでやる!!!」

亮太の絶叫が、部屋中に響き渡る。涙と鼻水と、その他変な液体でぐちゃぐちゃな顔に、それまで抑え込んでいたであろう激しい怒りがこれでもかと浮かんでいる。

「クソ女!お前と結婚したのは人生の汚点だ!」

…でももう、私には響かないよ。亮太。折角、チャンスを上げたのに…

本当に、馬鹿な男。

「全部失敗だった!クソが!…全部、全部、お前との生活最悪だ―――――っ!!!」

「………」

「…………え?」

「すっきりした?」

「え…え…何で、声…美紀子、あの声が聞こえないの?…何で…!!!」

私は、左の首筋をさすりながら、うろたえる亮太に、ゆっくりと近づいていく。…私が、これまでの人生と決別するために、受け入れた痛み…大判の絆創膏で塞がれた、”私を縛り付けていたもの”の痕跡…

「なんで、…おい、美紀子どういうこと…その傷…それ何…」

「…もう、貴方の言葉一つ一つに、私自身の言葉一つ一つに怯える事は何もない」

首筋に埋め込まれた、錠剤サイズのマイクロチップ。

そこには、脳の血管に作用する”起爆装置”が内蔵されていたらしい。エタチェンへの絶対の服従の為の、自爆装置――――。

私と亮太を無駄に縛り付けていた、嘘っぱちの「運命」を作り上げていた、全ての元凶。

しかし、今の私にはもう、それは無い。あるのは、彼だけだ。

「離婚届なら、ちゃんと出すよ。さよなら、桜川さん」

ギッ―――――――

プログラムが起動したのだろう。

…歯を食いしばりながら、ギッ、ググッ…という、悲鳴を吐きながら、亮太は、苦悶と怒りの表情で私を睨みつける。かつて、ホテルのベッドで私の身体をいやらしく見ていたその目からは血の涙が流れ始め、彼が”努力して”手に入れたらしい高級スーツは、這いつくばったせいでぐちゃぐちゃに乱れ、最期に私を罵り、かつて馬鹿みたいな甘ったるい言葉ばかりを吐いていたその口からは…血の泡と吐瀉が止めどなく吐き出される。

段々と崩れていく彼の姿をぼんやりと見つめる私の背後で、静かにドアの開く音が聞こえ、”彼女”が小声で私に声を掛けた。

「的野さん、これ以上はもう、見ない方が…」

「…弓子ちゃん…そうね、そうする。ありがとう…」

三滝弓子。

かつて、私が「タキ様」とあだ名をつけ、そのアドバイス全てに、意思を委ねていた。そんな彼女も、今は、エタチェンに反旗を翻す存在となった。彼女が居なければ、私も、目の前の男と同じ最期を迎えていただろう。

一度は助かった命。私はしがみついていたい…

「本当にありがとう、弓子ちゃんのお陰で命拾いしたわ」

「…良かったです」

彼を残し、私と弓子は部屋を出た。そして…ブルーム本部に戻り、お茶を啜る。かつては日常的に飲んでいた高級ブランドの紅茶…これも、特に私の人生には必要なかった。

「安いスーパーの安い紅茶が丁度いいわ~」

「ふふっ…実は私も、です」

私は、ようやく安堵していた。これからはもう「特別な人間」「選ばれた人間」では無くなる。父の為に罪を償い、そしてまた…新たな人生を歩むまでだ。

「さてと、弓子ちゃん…あと、よろしく頼むわね。私はこれから…」

「あ、その件はこちらで処理したんで、大丈夫ですよ」

「……え?」

「お父様の件ですよね?それなら大分前に、エタチェン在籍時に、私の方で処理しました。今から的野さんが警察に言っても、証拠も無いので帰されちゃいますよ」

「…って事は…え、ごめんどういう事かさっぱり…」

「見てもらった方が早いですね」

弓子は、手際よくスマホを操作すると私に画面を向けた。日付は今から一週間前。場所は、私の実家の前…そして、ふいに玄関のドアが開き、そこから出てきたのは…父と、母。

私が、呼吸器を外した為に死んだはずの父親と、それを見て発狂し、精神病棟に収容されたはずの…お母さん…

私が不幸にしたはずの二人が、仲睦まじく手を取り合って出掛けていく…

「ちょっと…何の冗談よこれ…フェイクよね?」

「御覧の通りのままですよ。的野さんのお父様とお母様です。お父様、お身体に少々後遺症が残っていますけど…今も元気で過ごしてらっしゃいますので、ご安心を。」

「なんなの…嘘よ…うそ…だって私、呼吸器を…!」

「呼吸器外しても、すぐには死なないですよ?エタチェンの提携する病院で本当に良かったですよー、会員のご家族様には、特別な二十四時間監視サービスつけてあるので、直ぐに処置出来ました!お母様も、短期の入院で済みましたし…」

「ふざけんじゃないわよっ!!!」

思い切り叫んだせいで、呼吸が絡まり、私は思わずテーブルに突っ伏し、咳き込んだ。

「…ふざけてないですよ、的野さん。これは、喜ぶべきことです。貴方が償う事は何もない。そもそも犯罪行為自体、していないんですから、ね」

「……じゃ、じゃあ…けほっ…ごほっ…わたし、は…」

「んー、確かにこちらで、今迄のサービスで授与したものの返却は確認できましたので、正式に除籍処分になりますけど…」

「じゃ、じゃあ私は…私は自由でしょ!?」

「…申し訳ないんですけど、ちょっと違います。なにせ貴方は、外部に色々話してしまいましたから…」

外部。それって…もしかしてあの、シマコって女と、男二人の事…?

なんで、この子がそれを知ってるの…?

「尾行したの…?私を…!」

「尾行?何の事ですか?」

「しらばっくれんじゃねえよ!私がアンタに何したっていうのよ!喋るなっていう方が無理な話でしょ!!!」

「…やっぱり、喋ってたんですね」

「…!な…何よ、もう、言っちゃったものは仕方ないでしょう!大体尾行するなんて、卑怯よ!」

「…私は尾行なんてしていないですよ。貴方の口から仰ったんじゃないですか。卑怯だなんて…酷いです。嘘の手術までして差し上げたのに…」

「嘘?は?アンタ何言っちゃってんの?頭狂った?」

「その首筋の傷…まだ痛みますか?」

…この子、本当に頭がおかしくなった?

弓子の顔は、さっきと変わらず涼しい表情をしている。何の疑いも無い、ケロッとした屈託のない顔…なのに、言ってることだけが、常軌を逸している。

私は確かに、手術を受けた。起爆装置の搭載された、自殺にみせかける危険なマイクロチップの摘出手術を。その、手術痕でしょう?この、左の首筋のバカでかい絆創膏は?

そうだよね?そうだと言ってよ、弓子。いや…タキ様。

「的野さん…人ってね、自分が見て聞いて、触れて感じた事だけを、それだけを忠実に信じてしまうんですよ。悲しい、可笑しい生き物なんです」

「あ、あ、…助けて…ねぇ、助けてよ…私、生きてるじゃない。亮太に酷い事言ったのに、生きてるから、大丈夫なのよね……?」

弓子は、それ以降何も言わず、やけに穏やかな笑みをこちらに向けるだけだった。

え、穏やか?卑しい、の間違いでしょ?頭が痛い。いや、え…頭が…痛い…

私、一体何を見ているの???ねえ…なんで、たすけて…

「嘘ついて、ごめんなさい。的野さん…」

女はそう言うと、摘出したはずのマイクロチップを口に入れ、噛み砕いた。

「おいしい…このラムネ、私子供の頃から大好きなんです…」

咀嚼と共鳴するように…私の脳内を、ノイズ掛かった電子音と…何かが千切れる音が、狂ったように響き渡る―――――

Concrete
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